19歳になったアリスが、意に沿わない求婚を前にして現実から逃げ出し、
白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込むという設定です。
女の子が喜ぶ作品だという意見があるようですが
確かにお洒落な映画です。
アリスが次々に着替える衣装はどれも洒落てるし、
森の中の色とりどりのキノコやお茶会の小物、女王のドレス、
観て楽しい物ばかりです。
単なるファンタジー作品として楽しむのもよし、
少女アリスの自我の目覚めと自立の物語として理解してもよし。
ただ私は、例によって幼い頃に読み親しんだ児童文学としての思い入れが
あまりにも強いので…
それと比較しての感想を、少々書いてみたいと思います。
あの本の中で何と言っても印象的だったのは
飲むと身体が小さくなるジュースに、食べると大きくなるケーキ。
「わたしを飲んで」と瓶に書いてあるジュースは、”チェリーパイとプリンと
パイナップルと焼いた七面鳥とタフィと焼き立てのバタートーストを混ぜたような味”。
それってどんな味!?と子どもの私は身悶えしたものです。
映画の中では、ただの苦い薬のような扱いだったような…
あれでは、その飲み物を手にしたアリスの、ドキドキ感や高揚感、
そして恐れや不安感は伝わってこない…
そういったものを飲食して、アリスはネズミよりも小さくなって自分の涙に溺れかけたり、
二階屋よりも大きくなって屋根から顔を突き出したりするのですが
最終的には自分のサイズに落ち着くというところが
”自分の身の丈を知る”という意味で、中々教訓的ではあります。
映画だと、それまでフワフワのお姫様ドレスばかり着ていたアリスが
最後の闘うシーンで着た、あのピタリとした凛々しい甲冑服がそれを表わしていたか…
そして更に印象的だったのは、あのチェシャ猫!
ニヤニヤ笑いだけを残して消えるという神出鬼没のチェシャ猫に
子どもの頃の私はどんなに思いを馳せたことか。
映画でどう描くのかと興味津々だったのですが
これも、本の勝ちでしょうか。
確か、この猫を巡って女王と死刑執行人の争いのシーンがあったと思うのですが
本が手元にないので、ネットで検索してみたら出て来ました。
女王のクロッケーグラウンドに、首だけの姿で突如出没したチェシャ猫
彼の首を切ろうとする王と死刑執行人との間で大議論が繰り広げられます。
当のチェシャ猫は例のニヤニヤ笑いを浮かべて
成り行きを見物しています。
”死刑執行人 恐れながら陛下 切り離そうにも切り離す体がついていない首を
切り離すなんて、わたしにはできません
やったこともありませんし、この年になってそんなことをする気はございません
王 なんと! 首があるではないか?
首がある以上、その首をはねられないはずはないのじゃ
女王 5分以内になんとかするのじゃ!
さもないとこの場の者全員の首をはねてしまうぞ”
(http://home.catv.ne.jp/dd/alice/alice/fusigi/topics_02.htmより)
二言目には「首をちょん切っておしまい!」と叫ぶヒステリックな女王の持ち味と、
それを斜めに見て面白がってるチェシャ猫の様子がよく出ています。
3D技術を駆使した映画の中のチェシャ猫も
空間の中にいきなり現れたり、顔だけ残して体は消えたりと中々面白かったのですが
”ニヤニヤ笑いだけを残して消える”というイメージの映像化には
あまり成功していなかったような…
しかし、あのコンプレックスの塊の、デカ頭の女王を演じたのは
ヘレナ・ボナム・カーター。
いかにティム・バートンの奥さんとはいえ…
「眺めのいい部屋」では清楚なお嬢さん役がピッタリだったのに…
あの思い入れの深い原作と比べてしまうと、この楽しい映画も
どうしても薄っぺらな、ティム・バートン風ドタバタ田舎祭りという感が拭えないかもしれません。
「アリス・イン・ワンダーランド」
白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込むという設定です。
女の子が喜ぶ作品だという意見があるようですが
確かにお洒落な映画です。
アリスが次々に着替える衣装はどれも洒落てるし、
森の中の色とりどりのキノコやお茶会の小物、女王のドレス、
観て楽しい物ばかりです。
単なるファンタジー作品として楽しむのもよし、
少女アリスの自我の目覚めと自立の物語として理解してもよし。
ただ私は、例によって幼い頃に読み親しんだ児童文学としての思い入れが
あまりにも強いので…
それと比較しての感想を、少々書いてみたいと思います。
あの本の中で何と言っても印象的だったのは
飲むと身体が小さくなるジュースに、食べると大きくなるケーキ。
「わたしを飲んで」と瓶に書いてあるジュースは、”チェリーパイとプリンと
パイナップルと焼いた七面鳥とタフィと焼き立てのバタートーストを混ぜたような味”。
それってどんな味!?と子どもの私は身悶えしたものです。
映画の中では、ただの苦い薬のような扱いだったような…
あれでは、その飲み物を手にしたアリスの、ドキドキ感や高揚感、
そして恐れや不安感は伝わってこない…
そういったものを飲食して、アリスはネズミよりも小さくなって自分の涙に溺れかけたり、
二階屋よりも大きくなって屋根から顔を突き出したりするのですが
最終的には自分のサイズに落ち着くというところが
”自分の身の丈を知る”という意味で、中々教訓的ではあります。
映画だと、それまでフワフワのお姫様ドレスばかり着ていたアリスが
最後の闘うシーンで着た、あのピタリとした凛々しい甲冑服がそれを表わしていたか…
そして更に印象的だったのは、あのチェシャ猫!
ニヤニヤ笑いだけを残して消えるという神出鬼没のチェシャ猫に
子どもの頃の私はどんなに思いを馳せたことか。
映画でどう描くのかと興味津々だったのですが
これも、本の勝ちでしょうか。
確か、この猫を巡って女王と死刑執行人の争いのシーンがあったと思うのですが
本が手元にないので、ネットで検索してみたら出て来ました。
女王のクロッケーグラウンドに、首だけの姿で突如出没したチェシャ猫
彼の首を切ろうとする王と死刑執行人との間で大議論が繰り広げられます。
当のチェシャ猫は例のニヤニヤ笑いを浮かべて
成り行きを見物しています。
”死刑執行人 恐れながら陛下 切り離そうにも切り離す体がついていない首を
切り離すなんて、わたしにはできません
やったこともありませんし、この年になってそんなことをする気はございません
王 なんと! 首があるではないか?
首がある以上、その首をはねられないはずはないのじゃ
女王 5分以内になんとかするのじゃ!
さもないとこの場の者全員の首をはねてしまうぞ”
(http://home.catv.ne.jp/dd/alice/alice/fusigi/topics_02.htmより)
二言目には「首をちょん切っておしまい!」と叫ぶヒステリックな女王の持ち味と、
それを斜めに見て面白がってるチェシャ猫の様子がよく出ています。
3D技術を駆使した映画の中のチェシャ猫も
空間の中にいきなり現れたり、顔だけ残して体は消えたりと中々面白かったのですが
”ニヤニヤ笑いだけを残して消える”というイメージの映像化には
あまり成功していなかったような…
しかし、あのコンプレックスの塊の、デカ頭の女王を演じたのは
ヘレナ・ボナム・カーター。
いかにティム・バートンの奥さんとはいえ…
「眺めのいい部屋」では清楚なお嬢さん役がピッタリだったのに…
あの思い入れの深い原作と比べてしまうと、この楽しい映画も
どうしても薄っぺらな、ティム・バートン風ドタバタ田舎祭りという感が拭えないかもしれません。
「アリス・イン・ワンダーランド」