Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「アリス・イン・ワンダーランド」

2010年04月29日 | 映画
19歳になったアリスが、意に沿わない求婚を前にして現実から逃げ出し、
白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込むという設定です。

女の子が喜ぶ作品だという意見があるようですが
確かにお洒落な映画です。
アリスが次々に着替える衣装はどれも洒落てるし、
森の中の色とりどりのキノコやお茶会の小物、女王のドレス、
観て楽しい物ばかりです。
単なるファンタジー作品として楽しむのもよし、
少女アリスの自我の目覚めと自立の物語として理解してもよし。

ただ私は、例によって幼い頃に読み親しんだ児童文学としての思い入れが
あまりにも強いので…
それと比較しての感想を、少々書いてみたいと思います。

あの本の中で何と言っても印象的だったのは
飲むと身体が小さくなるジュースに、食べると大きくなるケーキ。
「わたしを飲んで」と瓶に書いてあるジュースは、”チェリーパイとプリンと
パイナップルと焼いた七面鳥とタフィと焼き立てのバタートーストを混ぜたような味”。
それってどんな味!?と子どもの私は身悶えしたものです。
映画の中では、ただの苦い薬のような扱いだったような…
あれでは、その飲み物を手にしたアリスの、ドキドキ感や高揚感、
そして恐れや不安感は伝わってこない…
そういったものを飲食して、アリスはネズミよりも小さくなって自分の涙に溺れかけたり、
二階屋よりも大きくなって屋根から顔を突き出したりするのですが
最終的には自分のサイズに落ち着くというところが
”自分の身の丈を知る”という意味で、中々教訓的ではあります。
映画だと、それまでフワフワのお姫様ドレスばかり着ていたアリスが
最後の闘うシーンで着た、あのピタリとした凛々しい甲冑服がそれを表わしていたか…

そして更に印象的だったのは、あのチェシャ猫!
ニヤニヤ笑いだけを残して消えるという神出鬼没のチェシャ猫に
子どもの頃の私はどんなに思いを馳せたことか。
映画でどう描くのかと興味津々だったのですが
これも、本の勝ちでしょうか。
確か、この猫を巡って女王と死刑執行人の争いのシーンがあったと思うのですが
本が手元にないので、ネットで検索してみたら出て来ました。

女王のクロッケーグラウンドに、首だけの姿で突如出没したチェシャ猫 
彼の首を切ろうとする王と死刑執行人との間で大議論が繰り広げられます。 
当のチェシャ猫は例のニヤニヤ笑いを浮かべて
成り行きを見物しています。
”死刑執行人 恐れながら陛下 切り離そうにも切り離す体がついていない首を
      切り離すなんて、わたしにはできません
      やったこともありませんし、この年になってそんなことをする気はございません
 王  なんと! 首があるではないか? 
    首がある以上、その首をはねられないはずはないのじゃ 
 女王 5分以内になんとかするのじゃ! 
    さもないとこの場の者全員の首をはねてしまうぞ”
(http://home.catv.ne.jp/dd/alice/alice/fusigi/topics_02.htmより)

二言目には「首をちょん切っておしまい!」と叫ぶヒステリックな女王の持ち味と、
それを斜めに見て面白がってるチェシャ猫の様子がよく出ています。
3D技術を駆使した映画の中のチェシャ猫も
空間の中にいきなり現れたり、顔だけ残して体は消えたりと中々面白かったのですが
”ニヤニヤ笑いだけを残して消える”というイメージの映像化には
あまり成功していなかったような…

しかし、あのコンプレックスの塊の、デカ頭の女王を演じたのは
ヘレナ・ボナム・カーター。
いかにティム・バートンの奥さんとはいえ…
「眺めのいい部屋」では清楚なお嬢さん役がピッタリだったのに…
あの思い入れの深い原作と比べてしまうと、この楽しい映画も
どうしても薄っぺらな、ティム・バートン風ドタバタ田舎祭りという感が拭えないかもしれません。

「アリス・イン・ワンダーランド」
コメント (4)
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四月になれば彼女は

2010年04月25日 | Weblog
今週の水曜日は、確かに25℃超の夏日だったのに。
私はカーディガンを脱いで半袖で歩いていたのに。
次の木・金曜日は10℃にも満たない真冬日、しかも冷たい雨風。
昨日・今日はようやく晴れましたが、まだ肌寒いような…
まったく何という天気でしょう!

四月ってもっと美しい季節じゃなかったっけ?
桜が咲き、花が散って葉桜となり、新緑がみずみずしく芽吹き、
ハナミズキがふんわりと咲き始め…
そういえばサイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」という
歌があったなあ。
十代の頃、大好きだった歌。
甘く優しいメロディ。

April Come She Will--Simon & Garfunkel


改めて歌詞を見てみると
なんだかとりとめのない内容ですけど。

April come she will
When streams are ripe and swelled with rain;
May, she will stay,
Resting in my arms again.
June, she'll change her tune,
In restless? walks she'll prowl the night;July, she will fly
And give no warning to her flight.
August, die she must,
The autumn winds blow chilly and cold;
September I'll remember
A love once new has now grown old

4月になれば彼女がやってくる
5月には僕の腕でやすらいでいる
6月になれば彼女は心変わりして
7月には飛び立ってしまう。
8月の”die”をどう訳すかは人によって違うでしょうけど
私は、”僕の心から消えた”と捉えたい。
そして9月になれば思い出す。
たった半年の、軽い恋のようですが
このラスト一行にだけは
今も共感できます。
”A love once new has now grown old”
愛はかつては新鮮だったけど
今ではもう古ぼけてしまった…
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甘く包んで…

2010年04月23日 | 社会
先の日記で書いた上海万博ソングのパクリ疑惑については
その後万博事務局から岡本真夜側に一時使用許可の申請があり、
岡本氏は自分の曲を使って頂いて光栄ですと”大人の対応”をし、
一件落着したそうです。

しかし…
これ、例えば相手がディズニー社だったりしたら
訴訟騒ぎで大変なことになっているでしょうに。
私はどうも釈然としません。


気を取り直して、友人に貰ったお菓子の話。
写真は、NYとボストンに行ってきた友人に貰った、
チェリーをチョコレートでコーティングしたもの。
甘すぎず、フルーティで美味しい。

海外に行く度に、現地のお菓子を買うのが楽しみです。
空港の免税店に綺麗に積んである箱入りのお菓子ではなく、
スーパーで所狭しと並べられているような駄菓子が好きです。
どの国も短期間の旅行でしか行ったことがないので
これは!という美味しいお菓子に巡り会う確率は非常に低い。
大体が滅茶甘すぎたりくどすぎたりで
日本の方がよっぽど美味しいと思うのですが
たまに、これが日本にもあったらいいのにと思うようなお菓子に
出会うことがあります。

先月アメリカのあちこちに行ってきた長男のお土産は
チョコレートで包んだレーズン。
これは、アメリカに行く度に買う私の好きなお菓子のひとつです。
こんなの安くて簡単に作れるのに
なんで日本では作らないのか?といつも思います。

アメリカという国は、やたらチョコでコーティングするのが好きみたいで
なんでもかんでもそうする傾向があるようです。
以前、マシュマロをチョコで包んだというお菓子をアメリカ人に貰ったことがあって
こんな甘いマシュマロを更にチョコで?とギョッとしたのですが
意外に美味しかったような覚えがあります。

塩辛いプレッツエルをチョコで包んだものもあって
しょっぱいんだか甘いんだかどうよ!?と思ったものですが
日本でも近年、柿の種やポテトチップスをチョコで包んだ物が出てきたから
人のこと笑えないか…
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こりゃ認めざるを得ない

2010年04月19日 | 社会
最近のニュースで、上海万博のテーマソングのパクリ疑惑を流していましたが
mixiニュースを見ていたら、その曲、とりあえず使用停止になったのですね。

”事務局は「著作権に関する争いがあることに関心を持った」とし、その上で
「この作品の使用を一旦停止することを決定した」としている。
完全に「中止する」との表現ではないため、現在、事実関係を確認している段階の模様。”
とのこと。

しかも、それをきっちり検証する動画もできている。



しかし、これ聴いたら…
似てるとか似てないという話じゃない。
同じ曲としか思えない。
こりゃいくら何でも、当局は無視できないしょう…?

見方を変えれば
こういうことを世界中の人が瞬時に検証できてしまう
ネットメディアの力というのは凄いですね?
いかに当局が「著作権に関する争いがあることに関心を持った」などという
穏やかな物言いで婉曲しようとしたって
これを見聴きすれば、子どもにだって分かってしまうのですから。

パクリ疑惑の上海万博ソングを使用停止
http://www.narinari.com/Nd/20100413421.html
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「1Q84」3巻(ネタバレなし)

2010年04月17日 | 
桜も終わった昨日、4月16日に雪が降りました。
正確に言えば、この辺りはミゾレでしたが
首都圏でも八王子などは積もったらしい。
冬物のロングコート、ピーコート、ダウン、手袋、マフラーなど
すべて片付けてしまった私はエラい目に遭いました。
昨日の最高気温は6度、ミゾレ混じりの雨の中、
薄いトレンチコートに春物のストールを巻き、
手袋もなしで出かけて凍え死ぬかと。

午後ジムで一踊りした後の夕方、昨日発売の「1Q84」3巻を買いました。
夕食を用意し、家族が順次帰ってくる隙をぬって読み始めましたが
ちっとも落ち着かないし、集中できない。
結局、最後の長男が帰って食べ終わったのは12時過ぎ。
その後、グラス一杯の梅酒と本を持ってベッドに入る時の幸福感!
朝方には読み終わりました。

3巻は602ページあり、中々読み応えがあります。
1・2巻で張り巡らされた伏線の多くは回収され、
ことに宙ぶらりんになっていた主役の二人は綺麗に収束しますが
まだまだ終わっていない部分もある。
これで終わっちゃうのかどうか、微妙だなあ…

ネタバレする訳にはいかないので
本筋とは関係ない、青豆の独白をひとつ紹介します。
これは結構、この巻の象徴的なものであると思うのです。

”彼女はその時点で啓示とまではいかずとも、確信に近いイメージを得ている。
私はたまたまここに運び込まれたのではない。
それがそのイメージの訴えかけることだ。
私はいるべくしてここにいるのだ。
私はこれまで、自分がこの「1Q84年」にやってきたのは
他動的な意志に巻き込まれたせいだと考えていた。
何らかの意図によって線路のポイントが切り替えられ、その結果
私の乗った列車は本線から逸れて、この新しい奇妙な世界に入り込んでしまったのだ。
そして気がついた時には私はここにいた。
二つの月が空に浮かび、リトル・ピープルが出没する世界に。
そこには入り口はあっても出口はない。
リーダーは死ぬ前にそのように私に説明してくれた。
「列車」とはつまり天吾の書いている物語そのものであり、
私は抜き差しならないほどその物語に含まれていた。
だからこそ私は今ここにいるのだと。
あくまで受身の存在として。
言うなれば、深い霧の中を彷徨う混乱した無知な脇役として。
でもそれだけじゃないんだと青豆は思う。それだけじゃない。
私は誰かの意志に巻き込まれ、心ならずもここに運び込まれたただの
受動的な存在ではない。
ここにいることは私自身の主体的な意思でもあるのだ。”
      第23章「光は間違いなくそこにある」より

読み終えちゃうと何か寂しい。
もっとゆっくり味わいたかったけれど
でも我慢できなかったから…
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日航が世界一、全日空二位

2010年04月15日 | 社会
昨日の朝日の夕刊から。
米国の調査会社が国際線のある世界の主な航空会社40社について、
予定時刻に到着できる割合「定時到着率」(2009年)を調べたところ、
日本航空が1位、全日空が2位だったのだそうです。

それによると、日航の定時到着率は90.95%でトップ、全日空が小差の90.37%で続く。
業界関係者によると、日本人は「時間通りに飛ぶのが当たり前」と思っている傾向があり、
各社は定時運航に神経をとがらせているのだそうです。

さもありなん、と思います。
私の限られた搭乗経験から言っても、よその国の飛行機の遅れることといったら。
昔のパンアメリカン航空も、ユナイテッドもノースウエストも。
エールフランスもカンタスもトルコ航空も。
遅れるのが当たり前とは思っても、一応飛行場には早目に行かなければならない。
それで遅れると、延々何時間も待たされることになる…

近年一番印象が悪かったのは、アリタリア航空か。
帰国便で、珍しく予定時間近くに搭乗ゲートが開くと喜んだのも束の間、
そこに並んだまま、延々と待たされたのです。
開かないゲートの前で職員達は謝罪するどころか平気でお喋りしているし、
携帯で長時間喋くってる人も。
結局原因ははっきり分からないまま、2時間近く待たされたのでした。
その後アリタリアが倒産したと聞いて
深く納得したものです。
去年イギリスに行った時は日航を使い、ほぼ定刻通りに着きました。
ところがヒースロー空港に着地したものの、機内に乗ったまま1時間ほど待つ羽目に…
あれは、定時到着と言えるのか言えないのか?

日航の評判は、国内では今ボロボロですが
こういう正確さは、もっと誇っていいと思うな…
ベストリストだけでなく、ワーストリストも知りたいところです。

情報元
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85年プールサイドの匂い

2010年04月12日 | 
暫く前の日経新聞「春秋」に、村上春樹の短編「プールサイド」が取り上げられていました。
”35歳が人生の折り返し点。
そう心に決める男の話を、村上春樹氏が25年前に「プールサイド」という題で発表した。
やりがいのある仕事、高い収入、家庭、健康、外車。
35歳ですべてを手に入れ、これ以上何を求めていいか分からなくなり泣く。
そんな話だった。”

コラムでは、現代の35歳とのあまりにもの違いに触れている。
”今思えば優雅な悩みだったと言うべきか。
三菱総合研究所などがまとめた調査報告書が描く現代の35歳の姿は厳しい。
団塊ジュニアの彼らは雇用や所得に不安を抱え、経済的な理由から
結婚や出産をあきらめている人も多い、と分析する。”

この小説、もう忘れていたので引っ張り出して読んでみました。
「回転木馬のデッド・ヒート」という短編集に入っている。
”彼はソファーの上に寝そべったまま、その日の最初の煙草に火をつけた。
(中略)彼は求め、求めたものの多くを手に入れた。
努力もしたが、運もよかった。
彼はやりがいのある仕事と高い年収と幸せな家庭と若い恋人と頑丈な身体と
緑色のMGとクラッシック・レコードのコレクションを持っていた。
これ以上の何を求めればいいのか、彼には分からなかった。
(中略)ビリー・ジョエルは今度はヴェトナム戦争についての唄を歌っている。
妻はまだアイロンをかけ続けている。何一つとして申し分はない。
しかし気がついた時、彼は泣いていた。”

「プールサイド」が発表されたのは1985年。
春樹の作品は、ほぼ発売と同時に読んできているから、これもその頃読んだ筈。
日本中が好景気に浮かれ、バブル真っ盛りの頃。
25年後にこんな不景気が訪れ、日航が倒産して、トヨタが米国で叩かれるなんて
誰も想像もしなかっただろうな…

当時読んだ時も、私はそれほど共感した覚えもない。
けれども特に反発した覚えもないということは、
すんなりと受け止めたということでしょう。
私は仕事や恋愛や結婚問題に直面して、結構ドタバタの時期を過ごしていました。
会社を辞め、NYにひと夏遊びに行き、秋に結婚したのがその年です。
ビリー・ジョエルのアルバム「ビリー・ザ・ベスト」や
ティアーズ・フォー・フィアーズの「シャウト」やポール・ヤングの
「エブリタイム・ユー・ゴー・アウェィ」なんかが流行っていたなあ…
久しぶりに読んだ短編集から、当時の匂いが甦ってくるようです。

確かに優雅で贅沢な悩みだ…
けれども、当事者にとってはそれは確かに深刻なのでしょう。
例えば「拒食症」が、貧しい国の人にとっては信じられない贅沢な問題であっても
当事者にとってはどうすることもできない深刻な問題であるように。
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何故私は感動しなかったのか?「ほかならぬ人へ」

2010年04月08日 | 
新聞の書評や広告、ネットのレビューなどから
久しぶりに期待して手に取った第142回直木賞受賞作品でしたが…

"愛の本質に挑む純粋な恋愛小説。
愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう?
「恋愛の本質」を克明に描きさらなる高みへ昇華した文芸作品"(帯より)
「ベストの相手が見つかった時には、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」
「人間の人生は、死ぬ最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ」
こんなキャッチ・コピーを読んだら、嫌でも期待は高まります。

二十七歳の宇津木明生は、名家の出でありながら出来の悪い自分に常に劣等感を持ち、
周囲の反対を押し切って元キャバクラ嬢のなずなと結婚する。
しかし、なずなには妻子ある男との関係が結婚前から続いていた。
明生はそれでも妻を赦そうとするのだが…
もがき苦しみながら愛するべき真の相手を模索する。

結論から言うと、私はまったく感動しませんでした。
結構評判もよく、出版部数も伸びているようなのに。
何故か!?

まず、劣等感の塊である筈の明生の苦しみが伝わってこない。
”人生は復讐だ。高校生の頃から明生はそう思うようになった。
そうでも思わないと生きていられなかった。人は断りもなくこんな自分として生まれ
させられ、断りもなくその自分を奪われてしまう。だとしたら、
生きている間のわずかな時間だけでも自分を守り抜き、
この世界に送り出した何者かに対して抗いつづけなければと明生は思っていた。”
そこまで言い切る割には、彼の苦しみの描き様はあまりにも弱々しく、
結局の所、金持ちの坊ちゃんの甘えくらいにしか伝わってこない。

なおかつ登場人物の魅力のなさ。
明生も言うに及ばず、その優秀な長兄や次兄にしても、東大を出ているとか
嫁が美人であるとか、明生の母親は大病院の娘で学習院を出ているとか、
まるで脚本の人物説明のような形容しかなく、人物像がまったく見えてこない。
ヒロインのなずなに到っては、頭の弱い、単なる尻軽女にしか私には思えない。
そんな人物達が何をしようと、共感できるはずもなく、
ああそうですかとしか言いようがない。
恋愛小説につきものの、恋愛の成就に到るまでのドキドキワクワク感や、
それが失墜した時の、悲しみや胸の痛みがまるで感じられない。

構成は面白いのに…
作品に出てくる文章の中で、共感できたのは次の下りくらいか。
”「宇津木はさ、実家が大金持ちだから、悩みなんてないってみんな思ってるよね」
「離婚したってわかっても、宇津木なら次もすぐ見つかるだろうって
言われるだけだよ」
「だからさ、そういう自分に早く慣れなよ」
「宇津木はなかなかそういう自分に慣れない人なのよ。
自分が誰かなんて選べないでしょう。私だって、自分がブサイクなのは
別に私の責任じゃないもの。でもね、私はそういう自分に慣れたの。
自分に慣れさえすれば、あんまり悩まなくてすむようになるのよ」”
この作品は、”自分に慣れない”不器用な大人たちの
挫折と葛藤の物語、とも言えます。
が、これだけ感情移入できないのも珍しい…

私は普段、観た映画や読んだ本については
ある程度感動した作品についてだけ書いているのです。
(例えば最近観た映画「フィリップ君を愛してる」や「シャーロック・ホームズ」については書く気もしない)
が、これは期待があまりにも大きかったので…
思わず書いてみました。

「ほかならぬ人へ」
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子どもの方がいいなあと思うこと

2010年04月05日 | Weblog
Single Ladies Devastation


父の何気ない一言でノリノリの子どもが消沈、
その様子を捉えた動画がヒットしているのだそうです。

”ビヨンセの歌を聴きながらドライブを楽しんでいた米国のある家族は、
3人の子どもたちが体を動かしながら一緒に歌い、
車中は楽しい雰囲気に包まれていた。
お姉ちゃんたちの隣にはチャイルドシートに座った3歳の男の子の姿。
彼もまた手を目一杯振って、お姉ちゃんたちと一緒にビヨンセの歌を楽しんでいる。
歌詞に合わせて「Single Ladies」と連呼する子どもたちを見た父親は、
笑いながら、からかうように「おまえはシングルレディーじゃないだろ?」
と男の子に言ってしまう。
すると、笑顔で無邪気に手を動かしていた男の子が、
突然スイッチが切れたように無表情になり停止。”

本当に面白いように、この子の表情は変わってしまう。
どんな上手い役者でも、ここまで演技することはできないでしょう。
しかし逆に言えば
この子はこれほどストレートに表情や感情を出せるほどに
この家族に愛され、素直に育っているのでしょうね?
疎外されていたり、あるいは虐待されていたりしたら
決してこんなことはできないでしょうから…
しかもこんな他愛ない動画が、今朝の時点で160万回以上見られているというところに、
世界は平和だなあとも思ってしまう。

子どもはすぐに泣き、すぐに笑い、そして本人は多分忘れてしまう。
でも大人は…
相手の何気ない言葉にも、密かに傷ついてしまうことがある。
そしてそれを何年も引きずったりする。
かなり我侭に生きていると思われる私ですら。
逆に自分が気がつかないうちに、相手を傷つけていることも
きっとあるのでしょう。
そのつもりではなかったのに、誤解して受け止められることも。
それを思うと…

子どもっていいなあああ。

情報元
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それだけはしてはいけない

2010年04月03日 | 社会
これだけの情報では詳しいことは分かりませんが…

せっかく寝ている子を起こしたくないという気持ちは
とてもよく分かります。
子どもは無理に起こすとぐずるし暴れるし。
ましてや3歳と2歳、7か月の双子と4人もいたりしたら。
ましてやまだ雪も残る北海道の夜、
暖かい車内から連れ出すのが忍びなくて
「ちょっとの間くらい」と思ってしまったのかもしれない。

父親は24歳、母親は21歳だったという。
それで四人の子持ちなのだから、若くして親となったのでしょうね。
夜間に母親が飲食店で働いているということは
生活に追われて日々疲れていたのかもしれない。
たまに実家に立ち寄った時に、その甘えが出たのかもしれない。

けれどもそれだけは絶対にしてはいけない。
子どもは好奇心とエネルギーの塊、
何をしでかすか分からないのだから。
車内にはモノが散乱し、ライターもあったという。
アメリカでは、子どもを車内に放置したら
親は逮捕されるのじゃありませんでしたっけ。
私は、腕白だった二人の息子たちが無事に成長できたことを、
殆ど奇跡のように感じています。

どんなに面倒でもそれだけは
小さい子どもを育てる人間の
最低の義務だと思うのです。

駐車中の車燃え幼い4人が死亡
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