Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「リトルプリンス 星の王子さまと私」

2015年11月26日 | 映画


この感想はあくまでも、「子どもの頃に原作に強く思い入れがあった」人間の
非常に偏った感想です。
この作品を、客観的に冷静に観ることなど、私には到底できません。



「子どもは純粋で天使だ」などと言うつもりはありません。
私自身の幼い頃を思い返しても、ワガママであったり自分勝手であったり
(大人は一応それを隠そうとするが、隠そうともしない、それが子どもであるのだから)
恥ずかしくなるようなシーンがいくつも思い浮かびます。
しかし、特に自分の息子たちの幼い頃を振り返って思うことですが
「子どもには純粋で天使のような一面がある」
これは紛れもない真実です。
そして「星の王子さま」という本は、その美しい面だけを大事に掬い取って
そういう面を持ったかつて子どもであった、大人に捧げられた本であると思うのです。



子どもであった私は、この本が本当に好きだった。
「ゾウを飲み込んだウワバミ」の絵も
「元気でちっぽけで箱の中で眠っている」羊の絵も
「一日に四十四回も入日を眺めるくらい悲しかった」王子さまも
そして「友だちになったから、この世で一匹しかいないキツネ」も
「守ってあげると約束してぼくのものとなった、たった一つのバラの花」も。
大人となった今、この原作を読み、映画を観ると
どの言葉にも意味があり、どの言葉もがメタファのように思えてくる。
それはそれで悲しいことです。



「夜になったら、星をながめておくれよ。
 ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか
 きみに見せるわけにはいかないんだ。
 だけど、そのほうがいいよ。
 きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだって思って眺めるからね。 
 すると、きみは、どの星も、ながめるのが好きになるよ」



映画は、受験勉強に打ち込む9歳の少女の目を通して描かれています。
しかし、少女が現実に暮らす社会の話、大人社会で成長した王子の後日談は
正直私には、どうでもいい。
ストップモーション・アニメ(人形を使ったコマ撮りアニメのこと)で描かれた
星の王子さまの原作シーンはあまりにも美しかった。
王子さまが静かに倒れるシーンは、あまりにも悲しかった。
原作の王子は、毒ヘビに噛まれて死ぬことで自分の星へと帰って行くと
私は解釈していますので。
「本当にたいせつなものは目には見えない」
王子さまのそのメッセージは十二分に伝わって
そして、この映画製作に携わった人々の、原作へのリスペクトがそこかしこに感じられて
私には、それで十分なのです。

「リトルプリンス 星の王子さまと私」 http://wwws.warnerbros.co.jp/littleprince/


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フレンチトースト専門店「アイボリッシュ」

2015年11月25日 | グルメ


息子たちが小さい頃、余った食パンに卵、砂糖、牛乳を混ぜたものに浸して
バターで焼き上げ、オヤツや朝食にしていました。
私にとってのフレンチトーストというのは
そうした余りものの処理のためのような料理だったのです。
映画「クレイマー・クレイマー」の中で
妻に逃げられたダスティ・ホフマン演じる若いパパが
幼い息子にグチャグチャのフレンチトーストを作ったのじゃなかったっけ…



そのフレンチトーストの専門店「アイボリッシュ」が渋谷にできたのは
去年の春だったか。
以来、色々なマスコミに取り上げられていましたが、連日凄い行列。
しかし昨日は冷たい雨のせいか、映画を観る前に覗いてみたら行列なし。

「エッグ・ベネディクト・フレンチトースト」と
「ベリー・デラックス・フレンチトースト」を頼んで
友人とシェア。
しょっぱい系と甘い系。
たかだかフレンチトーストといえども、
こんなに種々様々なフルーツやアイスクリームや生クリームを
家庭では中々用意できない。
このてんこ盛りのフルーツの下に、フレンチトーストが隠れています。
外はカリッと、中はふわっと。
ちなみに甘い系だけでも、こんなにメニューがあります。
「ナッティ・キャラメル」や「チョコバナナ」も気になったのですが
結構なボリュームがあるので、二人では二皿がやっとでした。



「アイボリッシュ」 http://ivorish.com/
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「晴れてよし 降ってよし」

2015年11月23日 | 社会


最近、色々と落ち込んでいる私に
友人が一冊の本をプレゼントしてくれました。
「晴れてよし、降ってよし、いまを生きる 京都佛光寺の八行標語」という本。
佛光寺というのは京都下京区にある眞宗佛光寺派の本山であり、
そこの境内の黒板に月替わりで掲げている八行標語が
今、SNSやマスコミで話題になっているのだそうです。

本といっても標語を集めただけのものなので
パラパラめくってすぐに読み終わってしまうのですが。
確かに心に残る言葉が多い。
例えば、こんな感じ。

”泣いても 笑っても じたばたしても
 にげても さけても 起こる物ごと
 ならば 「ようこそ」”

”私の誕生を 泣いて
喜んでくれた 人がいた
そのことだけで
私は 生きていける”

”どうにもならないことは
 どうする必要もない
 晴れてよし 降ってよし
 勝ってよし 負けてよし”

こうした標語が、綺麗な京都のカラー写真と共に沢山収められています。
確かにそうだなあとは思うものの
中々こんな風に達観できないのですが…
友人に感謝です。

「晴れてよし、降ってよし、いまを生きる 京都佛光寺の八行標語」
http://tinyurl.com/ozayenv


恵比寿ガーデンプレイスのバカラツリー
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「Foujita」

2015年11月18日 | 映画


「エコールド・パリと戦後の日本。二つの文化と時代を生きた画家藤田嗣治の
知らざれる世界を圧倒的な映像美で描く」
というキャッチコピーに釣られて観て来ました。
「泥の河」の小栗康平監督、主演はオダギリ・ジョー。



1920年代のパリ、華やかな社交生活を送るフジタの生活が描かれます。
“乳白色の肌”の裸婦像が絶賛を浴び、「フーフー」(お調子者の意味)の愛称で呼ばれ、
女をとっかえひっかえして、どんちゃん騒ぎを繰り返す日々。
いきなり場面は一変して、1940年代の日本の農村。
風景は美しいが、照明はあくまで暗く、単調でゆるやかな日々。
フジタはもはやオカッパ頭、丸眼鏡のお調子者ではなく、
端然とした佇まいの、陸軍美術協会理事長となっていた。
軍部に頼まれて「アッツ島玉砕」などの血みどろの戦争画を描くのに精を出す。



非常に不親切な映画です。
パリに渡った経緯も、パリから日本に帰った事に関しても
何の説明もない。
華やかなパリでの彼と、彼にまつわる人々との会話にも、
薄暗い日本の農村での会話にも、何処まで意味があるのかさっぱりわからない。
フジタの生涯から二つの場面だけを切り取り、
彼という人間を端的に表しているのだろうか?



パリでの大成功にも関わらず、日本画壇からは中々認めらなかったこと、
戦争画を描いたことで戦後は非難され、逃げるように日本を出て行ったなどの
最低限の基礎知識を持ってしても、これでは何のことやら…
ラストシーン近くでフジタが女とすれ違うところ、
「籠の中身は何ですか?」
「塩魚です。親の代からこうして売って来ました」
禅問答のようなこの会話は、妙に私の心に残ったのですが
何の意味があるのだろうか?
いきなり現れたキツネは、一体何の暗喩であったのだろうか?
分かる人間にだけ分かればいい、というスタンスで作られたとしても
しかし私の周りではあちこちから寝息が…
イビキすら聞こえてくる始末。

映像は確かに、どれもが絵のように美しい。
最後にフジタが手掛けたという、ランスの教会の壁画が映し出されたのが救いでした。

「Foujita」 http://foujita.info/
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スーパー歌舞伎「ワンピース」

2015年11月16日 | 劇、オペラ、コンサート


岐阜からまた、昨夜戻って来ました。
帰省の合間をぬって先週観た、スーパー歌舞伎「ワンピース」の感想を。
スーパー歌舞伎というのは”3代目市川猿之助が1986年に始めた、古典芸能の歌舞伎とは
異なる演出による現代風歌舞伎”なのだそうです。
日本が誇る大ヒット漫画「ワンピース」は世界中で人気を博し、累計発行部数3億以上。
息子たちの部屋にこの漫画があることは知っていましたが
私はろくに読んだこともないのです。
「one piece」というタイトルが「ひとつなぎの大秘宝」を意味しているということすら知らなかった。
その漫画と歌舞伎とのコラボってどうよ?と思っていましたが…
歌舞伎通の友人が誘ってくれて、気分転換に行って来ました。



面白かった!
だいたい歌舞伎って、今でこそ高尚な古典芸能のように扱われていますが
江戸の昔から大衆芸能であった訳だし、
今回主演の市川猿之助曰く「歌舞伎はそもそもバカバカしいのが売り、バカバカしい仕掛で楽しんでもらいたい」。
そのバカバカしさが半端じゃない!



猿之助がルフィ、ハンコック、シャンクスの三役を。
ルフィの手は舞台の端まで伸びるし、「宙乗り」で客席の上を飛び回るし、
ついでに巨大な鯨も飛び回るし、客席中に花吹雪は降って来るし、
いきなり滝が現れて客席まで水浸しになるし(10トンもの水を使ったそうです)、
歌舞伎初心者の私にすら分かる歌舞伎の技法と、ミュージカルの演出が見事に融合。
猿之助の早替りはあまりに見事で、最初気が付かないくらいでした。


すごいイケメン、中村隼人のサンジ

ひとつ計算外だったのは
楽しい海洋冒険ロマンを期待して行ったのに
主要人物が二人死んでしまうという、悲しい場面もあって
私の涙腺は簡単に決壊。
それでも4時間半の長丁場があっという間。
笑って泣いてドキドキして、元気を頂きました。
こちらの動画で少しだけ様子が分かるかと思います。



画像はこちらから頂きました。
http://francepresent.com/one-piece/
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この秋は…

2015年11月11日 | 家庭
先月、私の母が体調を崩して入院し、
岐阜に何度も帰省しています。
ブログの更新やコメントのレスが滞りがちなのは、そのせいです。
どうぞご容赦下さい。

84歳の母は一応PCを持ってるし、私もスマホを持っているのですが
一人きりの実家は恐ろしく孤独で、とてもネットを楽しむ気分になれません。
気分転換になって助かることもあるのですが。
実家というものは、親がいてのものだなあとつくづく思います。
9年前に父が病気で倒れた時も何度も新幹線で通いましたが
その時は、なんといっても母がいたのでした。

このブログを見ている母の希望で、病気の詳細は書けないのですが
一日も早い回復を願うのみです。
いつか笑い話にできる日が来ますように。
季節の変わり目、みなさまもどうぞご自愛くださいませ。



コメント (14)
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「抱く女」

2015年11月06日 | 


「アウト」「グロテスク」で衝撃を受けてから
桐野夏生作品の主だったものは読んでいますが、ずっと失望し続けています。
近年の「魂萌え」「ハピネス」「だから荒野」などは、感想を書く気にもなれない。
ちょっと心に残ったのは「柔らかな頬」「残虐記」「ポリティコン」くらいか。
最新作「抱く女」は
「この主人公は、私自身だ―。1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動、恋愛。
「抱かれる女から抱く女へ」と叫ばれ、あさま山荘事件が起き、不穏な風が吹く七〇年代
二十歳の女子大生・直子は、社会に傷つき反発しながらも、ウーマンリブや学生運動
には違和感を覚えていた。必死に自分の居場所を求める彼女は、やがて初めての恋愛に
狂おしくのめり込んでいく―。
揺れ動く時代に切実に生きる女性の姿を描く、永遠の青春小説。」
というamazonの説明に期待して読んだのですが…

このヒロイン直子が桐野さんだなんて信じられない。
聡明さはまるでなく、愚直で浅薄で救いようがない。
学生運動に飲み込まれる時代の波に反発するのは分かるが
無頼を気取りながら、結局勉強もせず、社会運動するわけでもなく、
バイトしながら男と寝ては、無意味に生きている。
中途半端に「女の自立」を叫んだりもしてるが、殆ど内容がない。

直子が中ピ連の会合に出たシーン。
”「権力は、私たちから、産む産まないの権利さえ奪おうとしている。
私たちは、ただの子産み機械じゃない。人間です、女です。
抱かれる女から抱く女へ、というリブのスローガンがありますが、それだけじゃ足りない。
抱く女の主体的権利を、これから奪い取って、強めて行く必要があります。
そのためにも、中絶理由から『経済的理由を削る』という厚生省の案は絶対に阻止しましょう。
皆でそのために闘いましょう。」
拍手が起こった。直子は暗い顔で俯いていた。
「抱かれる女から抱く女へ」
男を抱いたつもりだったが、私は単に「抱かれる女」でしかなかったのだ。
いや、女でもなかった。ただの便壺だったとうのか。
 この屈辱と怒りをどこにぶつけたらいいのか、わからなかった。
気がついたら、立ち上がって喋っていた。
「公衆便所って言葉があるじゃないですか。あたし、最近そんなことを言われて
頭に来てるんです。男は汚物ですか。じゃ、あたしたちは汚物を入れる便壺ですかって
思います。差別するにもほどがあります。
絶対にこんな言葉を許してはいけないと思う」”

いや、「優生保護法改悪と保安処分に反対する話し合い」と
直子の「公衆便所と呼ばれたことの私怨」は関係ないと思うのですけど。
片っ端から雀荘で知り合った級友と寝る貴女、
そう言われても仕方ないと思うのですけど。

終盤、直子はバンドボーイと恋に落ち、同棲するのですが
それは発情期のサルの行動のようなもの。
恋の行方は書いてありませんが、書かなくとも分かるということか。
若さゆえの愚かさを描いたというなら、それは成功しています。

「抱く女」 http://tinyurl.com/nk4arjz
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「エール!」

2015年11月04日 | 映画


フランスの片田舎で酪農を営むべリエ家は、高校生の長女ポーラ以外、
両親も長男も全員が聴覚障害者。
ポーラは歌の才能を認められ、パリの音楽学校を勧められるものの、
家族の通訳ができるのは自分しかいないと思い悩む。
彼女の歌声を聴くこともできない両親は、自分たちを捨てるのかと大反対。
必死に訓練を続けながらも、一度は夢をあきらめるポーラ。

ポーラ演じるルアンヌ・エメラは、人気オーディション番組で絶賛されて
歌手デビューしたという実力者。
失礼ながらその田舎臭いキュートさが、今回の役にピッタリ。
フランスで4週連続No.1の人気映画というので期待していたのですが…



海外の映画を観るということは、その国の文化や生活を覗くことが
できるという楽しみも含みます。
しかしこの作品では、あまりのギャップにたじろぐことしばしば。
病気による、両親の性生活への指南をその娘に通訳させる医者。
昼間から事に及んで、絶叫を隣室の娘に聞かせる両親。
中学生くらいの長男と簡単に関係を持ってしまう、長女の親友。

いやはや。
無論、映画ですから作り事であるとは分かっていますが
それがフランスで人気No.1となったという事実。
ストーリーがあまりにも王道すぎるので、わざとそういう軽いジョブを
散らしたのか?
あの母親はあまりにも自己中心であり、しかもそれを隠そうともしないので、
私は到底好きになれない。
父親の村長出馬の騒ぎはあの後、どうなったのか?

などという小さな不満を幾つも並べてしまいましたが
爽やかな家族愛を描いた作品です。
ルアンヌの歌は、聴く価値があります。

「エール!」 http://air-cinema.net/
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親の責任って…

2015年11月01日 | 社会
昨日の朝日新聞土曜版の「悩みのるつぼ」。
「明るいニートの息子に悩む」と題して、57歳の母親からの相談。
離婚してから女手一つで育てて来た投稿者の24歳の息子は
インターナショナルスクールを卒業した後、海外ではなく日本の大学に進学したものの
1年で中退し、今はバイトもやめ、一日中テレビやネット漬け。
ニートといっても、ご飯は一緒に機嫌よく食べる。
ただ昼夜逆転生活で、カードの支払いは投稿者。
立ち止まってしまった息子がどう歩き出すか、見守ってやりたいという親心もあるが
私はどうしたらいいのでしょうか、というもの。

これに対して上野千鶴子女子は、結構キツい答えを。
これは絵に描いたような引きこもりであり、そうさせているのはあなたである。
外からの介入なしで引きこもりが自分から動き出した例はきわめて少ないことが
これまでの研究でわかっており、引きこもり生活が長期化すればするほど、
外へ出るのがますます困難になるものである。
「本人の気持ちが定まる」のを待っていたらどんどん長期化するであろうと。
だから心を鬼にして、じっくり息子に向き合い、彼が何を経験してきたのか、
母をどう思っているのか、これからの人生をどう生きたいのかを聞いてやれと。
日本ではレアな、インターナショナルスクールに行かせたというあなたの
負い目や後ろめたさから逃げてはいけない、と。

ううむ。
女史の言わんとするところは分かるような気がしますが
肝心の具体策が抜けているようにも思います。
「じっくり息子に向き合って」問うたところで
息子は、はい、実はボクはこんなことで悩んでいるのです、と答えるものかしら?
心を鬼にしたいのは山々だけど
だからといって、寒空の下に放り出すのも忍びないし、
出て行けと言ったところで息子は中々出て行かないだろうし、
具体的にどうしたらいいのかということが訊きたいのじゃないのかしら?

それにしても子育てって難しいと思います。
インターナショナルスクールはまた、非常に高額の費用がかかるもの。
この投稿者も、息子の将来を思ってこそ無理して入れたのでしょうに。
我家の二人の息子たちは幸い、割と問題なく学校に行き、
すんなりと社会人になってくれたのでありがたいのだけど
それは殆どマグレみたいなものだと思っています。
三十、四十代の引きこもりの息子が事件を起こしたなんてニュースを聞くと
親の責任は何処まで問われるのだろう、と思ってしまいます。


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