是枝裕和監督、坂元裕二脚本、この春に亡くなった坂本龍一音楽の話題の作品。
先頃のカンヌ映画祭で脚本賞受賞。
ネタバレありますので、未見の方はご注意ください。
郊外の町でシングルマザーの早織(安藤サクラ)は、クリーニング店で働きながら一人息子を育てている。
小学校5年生の息子、湊の様子がどうもおかしく、ある日耳から血を流して帰って来た。
湊から担任の保利(瑛太)にやられたと聞き、学校に乗り込んで訴えるが、保利は挙動不審で形だけの謝罪をし、校長(田中裕子)はもっと酷く、事なかれ主義に終始する。
これだけを観たら、息子を持つ母としての私は、こんな学校や教師は許せない!と怒りに震えます。
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ところが教師、保利の視点から捉えると、話はまるで違って来る。
保利は少々不器用だが子供思いの優しい教師で、勿論子供に暴力などふるっていない。
しかし早織が抗議してくると、その場を収めるためにとにかく謝罪しろと周りに言われ、不本意ながらそうする。
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そして湊。
同じクラスの依里がいじめられていることを知っているが、自分が次の標的になることを恐れ、表立って庇うことができない。
しかし学校の外ではどんどん親しくなり、廃電車を秘密基地として、二人だけの世界を作る。
ある日湊は自分の中の感情に気づき、依里も同種であり、そのことから父親に虐待されていることも知る。
一つの時系列を、3人の視点によって3度繰り返す。
同じ事象が、視点が変わることによってこんなにも違って来るのかと、観る側は驚く。
「怪物だ~れだ」のフレーズが、全編に渡って低く重く、繰り返される。
悪気はなくても思い込みや先入観が、誰かにとっての怪物を作り上げてしまう。
早織は子どもを愛する母親であるが、男は男らしく、ラガーマンだった父親のようになれと、息子を追い詰めているというように。
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脚本賞を取っただけあって、緻密に練られたストーリーだとは思いますが、小さな疑問も幾つかあります。
保利が早織に謝罪するあの場面で、飴を食べるかな?
依里の父親は息子を虐待していますが、10歳やそこらの息子の性的志向が分かるものなのか?
保利は依里の作文の鏡文字から依里と湊の関係を察しますが、あれだけでそこまで分かるものなのかな?
等々小さな不満はありますが、人間の嫌な部分、できたら気が付きたくない部分をぐりぐり抉り出した感動作だと思います。
ラストの草原を走るシーンの解釈は観る側に委ねられているのでしょうが、私は、二人が土砂に埋められて亡くなって、あちらの世界で自由に駆けているのかと思いました。
亡き教授の静かな音楽に彩られたあのシーン、輝いていました。
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