Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

エーゲ海からトロイへ

2008年08月31日 | トルコ旅行2008
”エキゾチック”という言葉は、”異国風の”という意味なのですから、本来外国であれば、何処であっても当てはまるのでしょうが、トルコという国は、ことの他そのイメージが強いような気がします。
ボスフォラス海峡、トプカプ宮殿、カッパドキア、ペルガモン、ヒエラポリス…
どの名前をとっても、日常からはるかにかけ離れた神秘的なイメージを持っていて、聞くだけでも私は、茫とした憧れを感じたものです。
かといって、トルコという国について詳しいかといえばまるでそうではなく、今回、旅行に行く直前に、色々と本を集めて読みあさった程度。
そのトルコの駆け足旅行から帰って来ました。

まずイスタンブールからフェリーに乗って、陽光眩しいダーダルネス海峡を渡り、エーゲ海からトロイへ。
ここは、かの有名なホメロスの詩「イリアス」の舞台なのです。
そしてそれだけでなく、この地は、古くからいくつもの都市が栄えては滅び、なんと9層もの遺跡が重層しているのだそうです。
一番古いのは紀元前三千年前の青銅器時代にも及び、一番新しいので紀元前350年前のアレキサンダー大王時代なのだそうです。
なので、どこを掘っても複雑に遺跡に当たるので発掘は非常に難しく、極端なことを言えば、歯ブラシで掘るような感じなのだとか。

ガイドブックにも修復状態は決してよくないと書いてあったので、期待はしていなかったのですが、実際に見てみると、もう無残という一言でした。
トルコ西端の片田舎、見渡す限りの広大な丘の上に草が生い茂り、はるか古代の都市の残骸がそこここに残っている。
上物は殆ど残ってなくて、その根っこの骨組のみ。
案内板の”復元想像図”を見て、こういう建物があったのだと想像するしかない(写真)。「夏草や つわものどもの 夢のあと」といったところか。
入り口に、とってつけたように最近作られた「トロイの木馬」の複製がありますが、現地人の姿すらなく、外人観光客の歓声が聞こえるばかり。

長い間伝説上の都市としか考えられていなかったトロイを、ドイツ人のシュリーマンが発掘したのは1873年。
シュリーマンについては、財宝目当てに乱掘したとか、貴重な遺跡をダイナマイトでぶち壊したとか、財宝をこっそり持ち帰ってしまったとか、非難の声も多いようですが、私が子どもの頃読んだ彼の伝記には、「夢を追い求めた男」のように書いてありました。幼い頃読み聞かされた荒唐無稽な神話を信じ、私財を投げ打ってこんなトルコの田舎に幻の都市を掘り当てた業績は凄いと思うのです。
彼がいなければ、ここは今も草に覆われて静かに眠っているに違いないのですから。

彼は又、語学の天才であったそうです。
一説によれば彼は22ヶ国語に通じ、10ヶ国語は流暢に話せたのだそうです。
やはり努力の人でもあったのでしょうね。
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飛んでイスタンブール

2008年08月21日 | トルコ旅行2008
「ミッドナイト・エクスプレス」という映画があります。
1978年アメリカ映画、アラン・パーカー監督。
70年代のトルコ、ほんの出来心で麻薬を持ち出そうとしたアメリカ人の青年が捕えられ、暴力が横行する陰惨な刑務所に、4年間も投獄される。
折りしもニクソン政権下のアメリカとトルコ政府の関係は最悪で
青年はその生贄とされ、なんとさらに30年間の禁固刑を言い渡される。
青年は何度も絶望し廃人のようになるが、脱獄を決意し、遂に成功する…
「ミッドナイト・エクスプレス」というのは、囚人用語で「脱獄」を意味するのだそうです。驚くべきは、これが実話を元に作られたということです。
「ミッドナイト・エクスプレス」

そして、かの有名な「アラビアのロレンス」。
1962年イギリス映画、ディヴィッド・リーン監督。
この中で、トルコの街を偵察に出かけたロレンスが、トルコ軍に捕まり、好色そうなトルコ将校に拷問を受けるシーンがあります。
激しく鞭打たれる以上は映画では描かれていないのですが、ここでロレンスは性的暴行を受けたのでしょうか?
ロレンスはその後、ボロ雑巾のように外に放り出されるのですが、確か屈辱にまみれて泣いていたような…
(これは長年の私の疑問なので、ご存知の方がいたら教えて下さい)
「アラビアのロレンス」 

どちらも20年以上前に観た映画ですが
あまりにも印象的だったので、いまだに覚えているのです。
何しろ観た時は、衝撃のあまりその晩眠れませんでした。
その頃は今よりもずっと感受性も豊かでしたし…
ことほどさように、トルコという国に対する私の印象は良くないのです。


そのトルコに、明日22日から夫と行って来ます。
イスタンブール、トロイ、パムッカレ、アンカラ、カッパドキア。
月末に戻って来ます。
例によって、トルコ関連の本を毎日読み漁っています…
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官製応援団

2008年08月18日 | 社会
岐阜に帰省していました。
新聞やテレビも中々見られなかったのですが、北京五輪について面白かった記事がひとつ。岐阜新聞から。

”観客の少ない予選では、上の指示で駆け付けた「官製応援団」が、中国以外の国にそろって声援を送る”のだそうです。
例えば十二日に行われたビーチバレー女子、日本対ノルウェーの試合。
”中国人の一般客はまばらだが、代わりに観戦客の7割近くを官製応援団が占めた。「北京職工文明応援団」と印字されたそろいの黄色いTシャツに白のズボン姿。日本組が終始押される展開に、場内放送が「ジャパン」と音頭を取ると、そろって「加油(頑張れ)」と声を張り上げた。”のだそうです(写真)。

応募して当選して初めて、晴れてその「応援団」となり、
その後4カ月の訓練があり、”双方を応援する、試合中は静かにする、ブーイングはしないなどいろいろと制約を受け、試合の2日前に上からどこの試合に行けと、指示がきて終日応援する”のだそうです。


口パクの女の子、CGの花火、漢民族だけで着た56の民族衣装、そして官製応援団!
中国らしいといえばあまりに中国らしい…w


情報元
(これは中国新聞となっていますが、私は岐阜新聞で読みました)
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五輪開幕!なんだか痛い女の子の笑顔

2008年08月09日 | 社会
北京五輪の開会式、昨夜観ました。
といっても集中して観た訳ではなく、新聞読んだり本読んだりしてのながら鑑賞ですが…

全体の感想としては、素晴らしいものだったと思います。
言っちゃなんですが、長野五輪の開会式とは比べ物にならなかったような。
中国映画界の巨匠、チャン・イーモウ監督が総合演出を手がけたといいますが、中国の歴史を絡めながら、未来へ向けたというストーリィ。
さすが中国四千年の歴史というか、世界中に中国の力を見せつけたというか。
マスゲームのような、人海戦術によるあの壮大なパフォーマンスは、他の国の追随を許さないものでしょうね。

ただ、今更言うまでもないことですが
この華やかな開幕式の影には、想像を絶する数の血と涙も隠されている。
チベットや少数民族への弾圧、数々のテロ行為、五輪会場のために家を壊され追い出された貧しい人々…
それを思うと、あまりにも華やかな分、空恐ろしいような気もします。
あのこれでもか!という花火も、凄いCO2排出量なのでしょうね。

式の始まりの方で、赤い服を着た小さな女の子が、五輪の歌だか国歌だかを独唱するシーンがありました。
目鼻立ちのくっきりした、お人形のように可愛い女の子なのですが、その子が、満面に笑みをたたえながら朗々と歌うのです。
あれだけの声量で、顔中で笑いながら歌うって…
どうしたらそんなことができるのか、私には想像できないのですが。
なんだか、北の将軍様の前で歌い踊る子供達を連想してしまいました。
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「ビゴの店」のホスピタリティ

2008年08月07日 | グルメ
我家の近くに「ビゴの店」というお店があります。
本格的なフランスパンを初めて日本に紹介したという、フィリップ・ビゴ氏の店です。
一階に焼き立てパンとケーキが並び、二階はカフェになっていて、軽いランチや、ケーキとお茶が楽しめます。

今日、午前中のトール教室が終わって行ったところ、お店の前に華やかな花飾りと「プレオープン・レセプション」という立て札が。
どうも明日、リニューアル・オープンするらしい…

暑い中せっかく友人を連れて来たのにと思って、今日はお二階使えませんか?と聞いたところ、お店の方一瞬考えてから、どうぞどうぞ、と。
でも、関係者をお呼びしてのパーティなのじゃないのですか?と重ねて聞くと
いいんですよ、どうぞご参加下さい、と。

要領を得ないまま二階に上がると、大きな円卓の上に、美味しそうなカナッペやサンドイッチがいっぱい(写真)。
入り口のところに飲み物のワゴンがあり、お飲み物は何になさいますか?と。
でも私達招待客じゃないんです、と一応言ったのですが、どうぞお好きなのをと。
お酒に弱い私が唯一安心して飲めるシードルのグラスを頂いてテーブル席へ。
そして、円卓の上のごちそうを色々と…

飲み物のお代わりいかがですか?と聞きに来てくれたので
すみません、ずうずうしくとお断りして
私この近くに住んでいて、ここのパンとケーキのフアンなんですよ、と付け加えると
そういう方にこそ今日はお越し頂きたかったんですよ、と。
でもそういう方には招待状をお送りできなかったので…ごゆっくりどうぞ、と。

いくらなんでも無銭飲食では申し訳ないので、せめて一階のケーキを買おうと思ったら、今日はケーキも無料。お金を払わせては貰えませんでした。

最初に「今日は関係者のみです」と鼻先でドアを閉じられたら、知らずに行った自分が悪いにも関わらず、やっぱり多少気分を害して、当分行く気にはならなかったでしょう。
でもこんなもてなしを受けたら、私などたちまち「ビゴの店宣伝部長」と化して
こうしてブログに書いたり、或いは友人知人に言いふらさずにはいられないじゃないですか…
ビゴの店、美味しいです。
お勧めします!

「ビゴの店」 
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残酷さと救いと…「クラッシュ」

2008年08月06日 | 映画
「クラッシュ」をDVDでようやく観ました。
ポール・ハギス監督、2005年アカデミー賞作品賞、脚本賞、編集賞の3部門受賞。

私はLAには旅行で訪れただけですが、あの乾いた空気、パームツリーが並ぶ広い道、ヨットが浮かぶサンタモニカの綺麗な海岸、華やかなチャイニーズシアター、メキシカン料理屋がひしめく公園などを思い出します。
そこでの、多彩な登場人物が衝突しながら織り成す二日間を描いた群像劇です。

白人の裕福な検事夫婦、ペルシャ人の雑貨店主人とその娘、貧しい黒人の若者、
人種差別主義者の白人警官とそれを嫌がる正義感に燃えた若い白人警官の相棒、
裕福な黒人TVディレクターの夫婦、ヒスパニック系の錠前屋、中国人の夫婦、
そういった人たちが複雑に絡み合うのです。
これだけの登場人物を、共有する一つの面から切り取って鮮やかに描いたポール・ハギスの手腕には、感嘆せずにはいられません。

冒頭から汚い四文字言葉でののしり合いが続き、観ていて気分が悪くなります。
しかし、誰もが100%悪い人間であるのではない。
ある時には許しがたい人間が、ある時には信じられないほど素晴らしい面を見せたりする。
ぶつかり合いながらも、人は分かり合い、いたわり合うこともできる。
怒り、憎しみ、ののしり合い、それでも人は人を愛していく。
現実は残酷で、悲しくてやりきれないけれど、それでも人は生き続ける。

ヒスパニック系の錠前屋と幼い娘の「魔法のマント」のエピソードは、他のすべてを補って余りあるだけの、美しいものでした。
そして、ラストの雪が舞うシーンでは、ある種の希望が垣間見える気がします。
しかし、何もかもが平和に収束した訳ではない。
あの取り返しのつかないことをしてしまった、若いアイリッシュ系白人の警官の
行く末が気になります。
そして、ヤク中の母親を気にかけながらも、母に疎んじられる黒人警官グラハム(ドン・チールド)。
グラハムのこそ泥の弟が殺されて泣き崩れる母親に
「一体誰がこんなことしたのか…僕が必ず…」と彼が言いかけると
母親は、「You did!(お前がしたのさ)」と言うのです。
実の息子にここまで言う母親って…
悲しげなグラハムの表情が忘れられません。
断絶は、人種間のものだけではないのです。

☆4

「クラッシュ」
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リストランテ・アルマーニ

2008年08月05日 | グルメ
銀座にできたリストランテ・アルマーニに行って来ました。

地上12階、地下2階建てのアルマーニ・タワー、外観をはじめすべてのフロアのデザインモチーフは竹であり、全体として竹林を彷彿させるイメージで統一されているのだそうです。
そこの10階のリストランテは、”美食家としても知られるアルマーニ氏がこだわりぬいた食器やカトラリーに、吟味した素材を最大限に生かし、和と伊を融合させた多彩な料理”なのだそうです。
”日本で最も素晴らしいサービスを受けられると言っても過言ではない。
サービススタッフたちも名だたる一流店出身の生え抜きばかり。
料理はもちろんのこと、サービス面でも夢見心地のひとときを演出してくれることだろう。”「Verita」より

確かに黒とゴールドを基調色とした、シックかつモダンなビルでした。
10階のフロアに足を踏み入れると、マネージャーのような人が「ようこそ」と恭しく出迎えてくれます。
広々としたフロアに、大きなテーブルがゆったりと配置してあります。
妙に日本語が上手いイタリア人のウエイターが、陽気にしかし丁寧にメニューを説明してくれます。

トリコローレのサラダ トマトヴィネガードレッシングとパルミジャーノチーズで
前菜 牛・ブタ・トリのミートボール カボチャのソース添え
パスタ“カゼレッチ”とローストした川俣軍鶏のソース ローズマリー風味
デザート ラズベリー風味のシュークリーム、ライチ・シャーベット入り
コーヒー
小菓子

しかし…
サラダ、前菜まではよかったのですが、この日のパスタはちょっと…
わざと素朴な味わいを狙ったのかな、とも思ったのですが…

イタリア料理に詳しくもない私が、「リストランテ・アルマーニ」のお料理、
しかもメイン料理が入っていないコースを食べて文句を言うなんて、身の程知らずという向きもあるでしょう。
でも、どんなに無知な人間が食べようが、美味しいものは美味しいのじゃないかしら?
一緒に食べた友人も、首をかしげていました。
私はパスタをかなり残してしまいました。

値段に見合った美味しさだったら、何の文句もないのですけど。
あれは場所代・雰囲気料だったのだと思うことにします。
そしてそれだけを楽しむのは、私には分不相応でした。

リストランテ・アルマーニ
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北杜夫氏の動画

2008年08月02日 | Weblog
昨日、北杜夫氏がまだご健在で、今年5月に「徹子の部屋」に出演したそうなのに見損なって残念だったということを書いたら、友人がYouTubeの動画を教えてくれました。

YouTube 

いや、驚きました。
「徹子の部屋」のサイトも見てみたのですが、バックナンバーは2ヶ月前までしかないし、どちらにしても写真すら置いてないし…
YouTube、便利ですね!
なんと30年前の故輝子さんの動画まで観られます。
杜夫氏はすっかり穏やかなおじいさんになられて…
子どもの頃夢中になって読んだ本の著者を、こうして自分のPCで見られるなんて…
便利な世の中です。
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娘から見たドクトル・マンボウ

2008年08月01日 | 
「Wendy」という生活情報誌7月号の「今月の顔」に、北杜夫氏の娘、斉藤由香さんが大きな写真入りで出ていました。
自分の生まれ育った家のこと、父北杜夫のこと、祖父茂太のこと、祖母輝子のこと、自分のエッセイのことなど々、軽妙な口調で語られています。

北杜夫の小説『どくとるマンボウ』シリーズ、『船乗りクプクプの冒険』、『怪盗ジバコ』などは子どもの頃好きでよく読みました。
高校生の頃『楡家の人びと』を読んで、この人真面目なものも書いていたんだ!とヘンに感動したものです。
考えてみれば『夜と霧の隅で』で芥川賞も取っているのですから、本末転倒なのでしょうが…
狐狸庵先生こと遠藤周作との掛け合いも面白かった。
その家族から見た北杜夫という人についての言葉を、私は初めて読んだのです。

その著書の中でも、自分の躁うつ病のことを面白おかしく書いているので、彼の病気のことはよく知っていたつもりでしたが、やはり一緒に暮らす家族にとっては大変だったようです。
学習院育ちの祖母輝子に育てられた杜夫は、「母や私に対してもごきげんようと言う上品な優しい人だった」のに、娘が小学校に入った時突然発病、躁状態のときには、妻と娘に出て行け!と言って、半年ほど別居を余儀なくされたり、株を買いまくって破産してしまったり。
家の門に、「当家の主人発狂中!万人注意!」という大きな立て看板を出したこともあったそうです。
「うつ病」という言葉が広く浸透した今と違って、高度経済成長期のその頃はそんな病気誰も知らず、説明するのに散々苦労したとか…

猛女と呼ばれた杜夫の母輝子が、スーパーおばあちゃんで世界中を飛び回っていたことは有名ですが、「64歳で海外旅行に目覚め、79歳で南極、80歳でエベレスト、89歳で亡くなるまでに旅した国は108ヵ国」とまでは知りませんでした。
その祖母・輝子の評伝を、最近由香さんが書かれたそうなのです。
読んでみたくなりました。

狐狸庵先生は亡くなってしまったけれど、どくとる・マンボウは81歳の今もご健在なのだそうです。
「今でも躁うつ病を繰り返しているけど、もうすかっり大人しくなって母に怒られてばかりいる」のだそうです。
今年の5月には、由香さんと一緒に「徹子の部屋」にも出られたのだとか。
見たかったな…

写真はメゾン・ポール・ボキューズの料理
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