”エキゾチック”という言葉は、”異国風の”という意味なのですから、本来外国であれば、何処であっても当てはまるのでしょうが、トルコという国は、ことの他そのイメージが強いような気がします。
ボスフォラス海峡、トプカプ宮殿、カッパドキア、ペルガモン、ヒエラポリス…
どの名前をとっても、日常からはるかにかけ離れた神秘的なイメージを持っていて、聞くだけでも私は、茫とした憧れを感じたものです。
かといって、トルコという国について詳しいかといえばまるでそうではなく、今回、旅行に行く直前に、色々と本を集めて読みあさった程度。
そのトルコの駆け足旅行から帰って来ました。
まずイスタンブールからフェリーに乗って、陽光眩しいダーダルネス海峡を渡り、エーゲ海からトロイへ。
ここは、かの有名なホメロスの詩「イリアス」の舞台なのです。
そしてそれだけでなく、この地は、古くからいくつもの都市が栄えては滅び、なんと9層もの遺跡が重層しているのだそうです。
一番古いのは紀元前三千年前の青銅器時代にも及び、一番新しいので紀元前350年前のアレキサンダー大王時代なのだそうです。
なので、どこを掘っても複雑に遺跡に当たるので発掘は非常に難しく、極端なことを言えば、歯ブラシで掘るような感じなのだとか。
ガイドブックにも修復状態は決してよくないと書いてあったので、期待はしていなかったのですが、実際に見てみると、もう無残という一言でした。
トルコ西端の片田舎、見渡す限りの広大な丘の上に草が生い茂り、はるか古代の都市の残骸がそこここに残っている。
上物は殆ど残ってなくて、その根っこの骨組のみ。
案内板の”復元想像図”を見て、こういう建物があったのだと想像するしかない(写真)。「夏草や つわものどもの 夢のあと」といったところか。
入り口に、とってつけたように最近作られた「トロイの木馬」の複製がありますが、現地人の姿すらなく、外人観光客の歓声が聞こえるばかり。
長い間伝説上の都市としか考えられていなかったトロイを、ドイツ人のシュリーマンが発掘したのは1873年。
シュリーマンについては、財宝目当てに乱掘したとか、貴重な遺跡をダイナマイトでぶち壊したとか、財宝をこっそり持ち帰ってしまったとか、非難の声も多いようですが、私が子どもの頃読んだ彼の伝記には、「夢を追い求めた男」のように書いてありました。幼い頃読み聞かされた荒唐無稽な神話を信じ、私財を投げ打ってこんなトルコの田舎に幻の都市を掘り当てた業績は凄いと思うのです。
彼がいなければ、ここは今も草に覆われて静かに眠っているに違いないのですから。
彼は又、語学の天才であったそうです。
一説によれば彼は22ヶ国語に通じ、10ヶ国語は流暢に話せたのだそうです。
やはり努力の人でもあったのでしょうね。
ボスフォラス海峡、トプカプ宮殿、カッパドキア、ペルガモン、ヒエラポリス…
どの名前をとっても、日常からはるかにかけ離れた神秘的なイメージを持っていて、聞くだけでも私は、茫とした憧れを感じたものです。
かといって、トルコという国について詳しいかといえばまるでそうではなく、今回、旅行に行く直前に、色々と本を集めて読みあさった程度。
そのトルコの駆け足旅行から帰って来ました。
まずイスタンブールからフェリーに乗って、陽光眩しいダーダルネス海峡を渡り、エーゲ海からトロイへ。
ここは、かの有名なホメロスの詩「イリアス」の舞台なのです。
そしてそれだけでなく、この地は、古くからいくつもの都市が栄えては滅び、なんと9層もの遺跡が重層しているのだそうです。
一番古いのは紀元前三千年前の青銅器時代にも及び、一番新しいので紀元前350年前のアレキサンダー大王時代なのだそうです。
なので、どこを掘っても複雑に遺跡に当たるので発掘は非常に難しく、極端なことを言えば、歯ブラシで掘るような感じなのだとか。
ガイドブックにも修復状態は決してよくないと書いてあったので、期待はしていなかったのですが、実際に見てみると、もう無残という一言でした。
トルコ西端の片田舎、見渡す限りの広大な丘の上に草が生い茂り、はるか古代の都市の残骸がそこここに残っている。
上物は殆ど残ってなくて、その根っこの骨組のみ。
案内板の”復元想像図”を見て、こういう建物があったのだと想像するしかない(写真)。「夏草や つわものどもの 夢のあと」といったところか。
入り口に、とってつけたように最近作られた「トロイの木馬」の複製がありますが、現地人の姿すらなく、外人観光客の歓声が聞こえるばかり。
長い間伝説上の都市としか考えられていなかったトロイを、ドイツ人のシュリーマンが発掘したのは1873年。
シュリーマンについては、財宝目当てに乱掘したとか、貴重な遺跡をダイナマイトでぶち壊したとか、財宝をこっそり持ち帰ってしまったとか、非難の声も多いようですが、私が子どもの頃読んだ彼の伝記には、「夢を追い求めた男」のように書いてありました。幼い頃読み聞かされた荒唐無稽な神話を信じ、私財を投げ打ってこんなトルコの田舎に幻の都市を掘り当てた業績は凄いと思うのです。
彼がいなければ、ここは今も草に覆われて静かに眠っているに違いないのですから。
彼は又、語学の天才であったそうです。
一説によれば彼は22ヶ国語に通じ、10ヶ国語は流暢に話せたのだそうです。
やはり努力の人でもあったのでしょうね。