Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ベイビー・ブローカー」(ネタバレあり)

2022年06月30日 | 映画

土砂降りの深夜、黒いフードを目深に被った若い女が、教会へ続く細い階段を登って行く。
おくるみに包んだ赤ん坊を、赤ちゃんポストの前にそっと置く。
それを見ていたクリーニング屋のサンヒョン(ソン・ガンホ)と、教会でバイトしている児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)は、こっそりと赤ん坊を持ち去る。
赤ちゃんポストに預けられた赤ん坊を、子どもを欲しがる親に売り飛ばすことが、彼らの闇稼業だった。
赤ん坊を捨てた母ソヨン(イ・ジウン)もついて行くことになり、ついでに養護施設から逃げ出してきた少年へジンも加わり、クリーニング屋のおんぼろワゴンで養親を探す5人の旅が始まる。
その後ろには、児童売買を現行犯で逮捕しようと追いかけている警察の車があった…



登場人物は全員が訳アリです。
妻子を捨てたサンヒョン、母親に捨てられたドンス、赤ん坊を捨てたソヨン、親に捨てられたヘジン。
最初は警戒し、自我を丸出しにし、責め合っていた彼らだったが、赤ん坊の世話をしながら旅を続けるうちに次第に打ち解け合い、疑似家族のようになっていく。
ことに途中から加わった少年へジンの役割は大きい。
家族を切望していたであろう少年の無邪気な願いは、大人たちの利己的な思惑を吹き飛ばしたのです。



最初から手放すつもりだったせいか、赤ん坊にどうしても声をかけようとしなかった母ソヨン。
物語の終盤でドンスに促されて、初めて声をかけます。
「生まれてきてくれてありがとう」
その言葉を、赤ん坊だけでなく全員に。
あの場面はベタですがうるっと来ました。


祝福されて生命を受ける。
そんな当たり前のことが叶わない人生を、この人たちは生きてきたのだと。
自分は生まれてきてよかったのか?と常に思ってきたのかと。
「生まれてきてくれてありがとう」
その存在を承認されることを、そんなにも渇望していたのかと。


母親ソヨンは実は売春で生活を立て、赤ん坊の父親のヤクザを殺していた。
終盤でソンヒョンも、ヤクザの手下を殺したようでもあるのです。
そんな後ろ暗い人生を送ってきた彼らだからこそ、尚のこと…
始まりでは土砂降り、そしてずっと雨が続いていた画面が、物語の終盤ではカラリと晴れていました。
是枝監督の最新作、ソン・ガンホはカンヌ映画祭で主演男優賞を受賞。
「誰も知らない」や「万引き家族」のような、心がヒリヒリするような痛みはあまり感じられず、ファンタジーのようになった嫌いはありますが、しみじみとした映画でした。


公式HP 

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アクアパッツァ青山店

2022年06月27日 | グルメ
(パサージュ青山、この奥にお店があります)

何年ぶりかの友人とランチをしました。
リストランテ・アクアパッツァ、広尾から青山に移って初訪問でした。
食事中に日高シェフがテーブルに挨拶に来て下さり、YouTubeを始めたので是非見て下さいと。
ふうんと思ったのですが、久しぶりの友人とのお喋りに忙しくてそれっきりに。
帰宅してからネットで検索してみたら、
”コロナのおかげ 伊料理の巨匠、ユーチューバーになる”という記事が出て来ました。

それによると広尾から南青山に移転したのは、キッチンでの油の不始末からぼやを出し、退去を余儀なくされたからなのだそうです。
店は大きく壊れて原状回復に1億2千万円かかり、毎晩アルコールと睡眠薬なしでいられなかったのだと。
ようやく青山に移転してこれからという時に、コロナ襲来。
予約のキャンセルが相次いで、藁をもつかむ思いでYouTubeを始めたのですって。
YouTube「日高良実のACQUAPAZZAチャンネル」は、開設から4カ月で登録数10万超え。
今では”コロナのおかげと言えるくらい、新しい世界に立つことができ、ビジネスとして真剣に取り組んでいます”と。


そんな舞台裏があったとは。
日高シェフといえば、アクアパッツアという料理名を店名に冠し、その料理を日本に広めたと有名な人なのに。
そういえば広尾のお店は、地下一階ながら陽射しが差し込む中庭をガラスで囲むようにしつらえてあるお洒落な作りで、新しくて綺麗だったのに、なんで移転したのだろうと思っていたのでした。
10年ほど前に広尾店に行った日記を見てみたら、バーニャカウダ、パスタ、アクアパッツァ、デザート盛り合わせと食べているのに、今回は前菜とパスタとデザート一品だけでおなかが膨れてしまったのが悲しいですが…
ま、仕方ないですね。


スズキのカルパッチョ、桜エビのパスタ、マンゴーが溺れているデザート。



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この3年の夏

2022年06月26日 | 社会
(昨夜の宴、焼き肉の後)

いきなり暑くなりましたね。
昨日の東京の最高気温は35.9℃で、観測史上最も早い猛暑日だったのだとか。
伊勢崎市では40.2℃、鳩山町では39.2℃。
今日もピーカン、週間予報を見てもずっと晴天の猛暑日が続いているようです。
ええと、まだ6月なんですけど。
梅雨はもう終わっちゃったの?

毎年、暑いの寒いのと大騒ぎするのですが、時期を過ぎれば綺麗に忘れてしまう。
しかし、去年と一昨年の梅雨明けと7月の気象については、ハッキリ覚えています。
なんとなれば私は、東京五輪のボランティアをやることになっていたので、天気が気になって仕方なかったからです。
一昨年の梅雨は長く続き、7月中旬になってもまだ毎日のように降っていました。
東京2020、本当だったら今、五輪が開かれるはずだったのに、この長雨の中では海外から来た選手や観光客には気の毒だけど、ボランティアする側としては暑くなくて楽だろうなあなんて思っていました。

そして去年2021年。
五輪をやるのかやらないのか、有観客か無観客か、児童動員はどうするのか、ワクチンは間に合うのか、会場の飲み物のアルコール類はどうするのかなどとかまびすしい中、梅雨はからりと明け、7月中旬、抜けるような青空の下、五輪は始まったのでした。
蓋を開けてみれば私の所属先は武道館の地下のモニター室だったので、猛暑はあんまり関係なかったのですが…


(下を向いている写真)

今年の梅雨明けは異例に早く、6月下旬にも明けそうだと日本気象会が発表したようです。
さあ、本当にそうなるのかしら?
昨日、我家に家族が集まって食事しました。
チビ姫1才7ヶ月、タロウこの夏15才。
この二人が一緒にいるだけで、なんとなくなごみます。
こうしていつまでも遊べたらいいねえ。

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「ナワリヌイ」

2022年06月23日 | 映画

恐ろしい映画です。
アレクセイ・ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件に迫るドキュメンタリー。
2022年、アメリカ制作。

1976年生まれのナワリヌイ氏はロシアの弁護士であり政治家であり、反汚職キャンペーンを繰り広げて、以前にも何度も投獄されていたといいます。
そして2020年8月、ロシア国内の航空便の中で苦痛にもだえ、昏睡状態となった。
運び込まれたオムスクの病院では毒を盛られた可能性はないとされるが、ベルリンの病院に移り、そこでロシアが開発した猛毒神経剤「ノビチョク」が検出される。



退院したナワリヌイ氏は、イギリスの調査報道機関ベリングキャットの協力のもとに、自分を暗殺しようとした敵の正体を、そしてその方法を突き止めようとする。
毒殺作戦の分析を担当するロシア国家安全保障会議の高官を装って、FSB本部の電話番号(に見えるように細工した)で工作員に電話し、そしてまんまと聞き出すことに成功したのです。
その方法とは、なんと…





こんなマイナーな映画を観る人がそうそういるとも思えないし、もう公表されていることであるのでネタバレします。
猛毒ノビチョクは、なんとパンツの内側に塗られていたのです。
「ナワリヌイ ノビチョク パンツ」などで検索すると、いくらでも出て来ます。

オムスクの病院からどうやってベルリンの病院に移ることができたのかとか、
パンツの内側にどうやって毒を塗ることができたのかとか、分からないことも多々あるのですが、何しろこれがドキュメンタリーであるということが恐ろしい。
2012年ウォール・ストリート・ジャーナル紙はナワリヌイを「プーチンが最も恐れる男」と紹介し、米国タイム誌が選ぶ2012年版「世界で最も影響力のある100人」には、ロシア人では只一人ナワリヌイが選ばれたといいます。
その氏は、2021年12月に逮捕され、投獄。
刑期はさらに15年延長の可能性という記事が、今月にも出たようです。


ナワリヌイ氏の刑期、さらに15年延長の可能性


「ナワリヌイ」公式HP 

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真っ赤なディゴの季節

2022年06月22日 | お出かけ

渋谷のNHKのすぐ近くで、ディゴの花を見つけました。
まだ小さな木ですが、真っ赤な花は遠くからも目立ちました。


近年、都心で真っ赤なディゴの花をあちこちで見ました。
日比谷公園、紀尾井町の清水谷公園、恵比寿のアメリカ橋公園、どれも見上げるばかりの大木です。
昔、沖縄で見たディゴの花かと思いましたが、確認してみたらこれらはみなアメリカディゴなのですって。


(2017年アメリカ橋公園のディゴ)

アメリカデイゴとは南アメリカ原産のマメ科の植物で、日本には江戸時代に渡来したのだそうです。
鹿児島県の県木であり、アルゼンチンとウルグアイの国花に指定されていると。


(ディゴ、ネットから)

かたやディゴは沖縄の県花であり、本州では栽培できないらしい。
アメリカデイゴの花は卵型の旗弁が大きく垂れ下がっており、デイゴの花は細長い筒のような花びらをして、突き出すように咲いている。
確かに、並べてみたらこんなに違います。
そうだったのか…



渋谷パルコ1階にあるCafé Marly(カフェマルリー)でお茶を。
白黒タイルの床、大理石調の丸テーブル、壁にはクリムトの絵が。
ルーブル美術館に併設されているカフェ、Le Cafe Marlyと雰囲気が少し似ていますが、どうやら関係はないらしい。
焼きたてのイチゴのミルフィーユは美味しかったけれど、コーヒーとセット価格にならないのがちょと残念。

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想像以上に下剋上

2022年06月20日 | 社会

我家の長男が発案した「下剋上鮎」、先週はYahooニュース、一昨日はまた別のサイトで取り上げられたようです。
ありがたいことです。
そしてSNSの友人が、ネットにこんなの出てたよとそれを教えてくれることは、もっと嬉しいことです。




時々こうした記事が出て、そのせいもあってか今は玉井屋本舗に10分おきにネット注文が入る状態だとか。
他にも色々な商品をプロデュースしていて、それらも結構ヒットしているのだそうです。
長男が広告代理店博〇堂を勝手に辞めて起業した時には心配したものですが、今は他の会社も手伝っていて、そこそこ順調であるらしい。



忙しそうではありますがテレワーク中心なので、やはりテレワークのお嫁さんと二人でおチビを保育園に預けながら、育児を楽しんでいるようです。
コロナは私の人生からかなりの楽しみを奪った憎い存在ですが、育児をとことんできること、冠婚葬祭(特に無駄に派手な葬式、そして法事が我家はやたら多かった)が簡略化されたことだけは、コロナによる数少ない良かった変化ではないかと思います。


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「おそロシアに行ってきた」「ヴィオラ母さん」

2022年06月18日 | 

ウラジオストック、サハリン、カリーニングラード、モスクワ、サンクトペテルブルク、イルクーツクの旅行記、帯には面白過ぎる国だったと。
しかし…本文を読む限りでは、何処がそんなに面白いのか伝わってこない。
本書に出てくるロシア人は殆どが不愛想で、中にはいきなり怒鳴りつけてくる「鉄仮面女」も。
そして、書き方が少々表面的。
例えば、サンクトペテルブルクの食料品店に入った時。
”ビールと水を購入しようとしたが、2人の女性店員は露骨に差別的な態度で電卓に金額を打ち込み、それを見せてくれる”とありますが、愛想の良い店員に慣れている日本人に、どんな風に差別的なのかたやすく想像できるのかしら?
私は実際ロシアであの酷い接客を経験しているので、情景が浮かぶのですが…
所々にジョークを交えたやり取りが出て来ますが、それは同行者(日本人)との会話。
それなのに後書きでは、旅行をしてロシアが好きになったと言っている。
ロシア人は一見、不愛想だけど実は優しい人が多い、あまり干渉して来ないのに困ったときは助けてくれると。
でもそんなに助けて貰ったシーンあったかなあ?
ちょっと説得力がありませんが、写真が豊富で色々な蘊蓄もあり、旅行のガイドブックとしてはよくできていると思います。



「テルマエロマエ」の著者ヤマザキマリの自伝的な著作を読む度に出てくる、破天荒な御母堂。
14歳の著者をいきなり欧州に一人旅させた母親ってどんな人だろうと、興味を持っていました。

昭和三十五年、深窓の令嬢だったリョウコは二十七歳の時に会計事務所を辞め、オーケストラで音楽をやるため実家を飛び出す。
新設の札幌交響楽団の団員となり、その指揮者と恋に落ちて結婚する。
しかし著者が生まれて間もなく早逝され、次に出会った建築技師と再婚して二人目の娘が誕生するものの、相手は仕事で中東に赴任、結局まもなく離婚。
そして二人の娘のシングルマザーとしての生活が始まる。
まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代に、ヴィオラの演奏家をしながらなりふり構わず子どもたちを育て上げる。
著者が結婚もせずに赤ん坊を連れて、留学先のイタリアから帰国した際にも、
一言も責めず、「仕方ない、孫の代までアタシの責任だ」と。

音楽と娘たちと自分の人生を愛し、彼女が辿った道は決して平坦なものではなかった。
そして娘たちは、そんな彼女に振り回される。
娘たちはいつも夜遅くまで子供だけで留守番を強いられたし、演奏旅行となると長期間知り合いの家に預けられた。
食パンにマーガリンと砂糖を塗っただけ、あるいはトウモロコシだけのお弁当の日も。
それでも「生きることって結局は楽しいんだよ」と言い切る母の姿は、すがすがしい。
この本を書いている時点で85歳の彼女は、体調を崩しながらも今もヴァイオリンを教えているらしい。
あっぱれです、ヴィオラ母さん。

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行き倒れの図

2022年06月16日 | 社会

福岡市教委は黙食をやめて「大声でなければ会話をしてもよい」と、市内の小中学校に通知したのだそうです。
市教委によると、給食時に机は向かい合わせにはせず、従来通り正面を向いたままとする。
ただ机の間隔を空けた状態であれば、横を向いて話してもよいと。
黙食を巡っては、子どもの発育への影響を心配する声が保護者から上がっていたのだそうです。

そうか、今は机をグループごとに向かい合わせたりしないで、授業時と同じようにみんな前を向いたままで、黙って食べているのね。
なんとも寒々しい光景が頭に浮かびます。
しかも、これがニュースになる位なんだから、全国的にはまだまだ黙食のままの学校が多いのでしょうね。


今日もチビ姫のお守を頼まれました。
昨日、熱を出したというので、保育園から帰されたらしい。
今日はもう元気なのですが、私は今週、腰の調子がいつもにまして悪くて、あんまり長時間抱っこできない。
抱っこしないで寝かそうとすれば、もうとことん遊びに付き合うしかない。
子どもってなんで睡魔に抗おうとするのでしょう?
遊び疲れて力尽き、熟睡してるの図です。
この子がマスクしないで遊べる世の中が、早く来ますように…


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「水金地火木」

2022年06月14日 | 社会

”学校で暗記したもので、大人になった今は使うことがないのに、数十年経った今もスラスラ暗唱できるものはありますか”

はい、あります。
文系人間の私は、やはり古典の冒頭文などが好きでした。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす」(平家物語)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(方丈記)
「あり、おり、はべり、いまそかり」という、ラ行変格活用も。
何の役にも立たないのに、ね。

学校で習った訳ではありませんが、子供の頃に家庭で遊んだ百人一首は、かなり覚えています。
好きな歌は沢山ありますが、例えば
「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」
庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の中で、主人公の薫君が、幼馴染の由美はこの歌が一番好きだと僕には分かる、彼女からそう聞いた訳ではないのだけどというくだりがあったのです。
そんな風に思われたらいいなあと、中学生の頃、激しく思ったことを覚えています。
この本は手元にないので未確認ですが…

それから「水金地火木土天海冥」(すいきんちかもくどってんかいめい)。
太陽系の9惑星の名前。
でも近年、冥王星は惑星とは認められなくなって、8惑星になっちゃったのだとか。
理系が壊滅的に駄目だった私が、珍しく覚えていたのに。



写真は、玉川高島屋で展示されている富田菜摘氏の廃材利用の作品。
こんなに沢山、無料で見せてくれるなんて、高島屋太っ腹!
少しずつアップします。

「学生時代に暗記してまだ覚えているものはある?」


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「戻ってきた娘」「チョウセンアサガオの咲く夏」

2022年06月13日 | 

「戻ってきた娘」 ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオ著

イタリアでベストセラーとなり、二大文学賞のひとつカンピエッロ賞を受賞、28か国に翻訳され、映画化も進行しているのだそうです。
13歳の時にそれまで育った裕福な家庭から、実の親と兄妹が暮らす田舎の貧しい家庭に突然戻されてしまった「わたし」。
優しく愛に包んで育ててくれた養親は、その理由も説明してくれなかった。
何故?どうして私はこんな目に遭うの!?
13年間育ててくれた養親とは、中々連絡を取ることもできない。
劣悪な住環境、粗暴な実の親、好色な目を向ける兄たち、食べるものにも事欠く暮しで、何故急に戻ってきたのだと厄介者扱いされる。
大人達の事情で「まるで荷物のように」住む家を移され、嘆き悲しむ 多感な年頃の「わたし」。
その理由が最後に明らかになった時、その残酷さに言葉を無くしました。
唯一の救いは、繊細な姉に何くれと教えてくれる、逞しい実の妹との愛情だった。
「わたしの妹。岩にへばりついたわずかな土くれから芽を出した、思いもかけない花。わたしは彼女から、抗うことを教わった」。
訳者後書きによると、この小説の舞台となった1960年代のイタリアでは、親同士の合意だけで、子沢山の家庭から子供のいない家庭に乳幼児が引き取られるということが、頻繁に起こっていたのだそうです。


「チョウセンアサガオの咲く夏」柚月裕子著

柚月裕子の短編集。
この中で私には、表題作が印象的でした。

母が倒れ、娘は仕事も辞めて故郷に戻り、献身的に介護する。
認知症で半分寝たきりの母の介護は重労働で、往診に来る医師の賞賛と慰めの言葉だけが救いであった。母はよく下痢や嘔吐などして体調を崩し、その度に医師が往診に来るのだった。
今日も娘は庭に花を植える。
”庭にはキョウチクトウやジンチョウゲ、シャクナゲ、スズランなどが植えられていた。全て毒性がある花だ。美津子は縁側の奥の部屋で、布団に横たわっている芳江を見つめた。母さん、私は母さんを恨まないよ。今ならあなたの気持ちがわかる。だから、私の気持ちもわかるよね。ねえ、母さん。”
「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉の意味が、分かりやすく理解出来ました。

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