昨日の読売新聞。
芥川喜好氏の「人生の明るい午後へ」と題したコラム。
元雑誌編集長にして70歳の新人作家西村眞氏や
社会学者の加藤秀俊氏(79歳)の言葉を取り上げて
「明るい老後の取り組み方」に触れている。
西村氏の言葉。
「いつまでも若く、ではなく成熟することなんですよ。
若い人についていく必要はない。むしろ時代遅れ的な行き方を
取り入れた方がいいですね。」
加藤氏の言葉。
「マンネリズムを実践しつつ、”うれしくなるほど”物事を忘れる。
それこそが社会的責任から解放された人間の特権である、”忘れる自由”がある。」
”どこか初々しい西村さんの日常も、加藤さんの隠居話も
明るい空気に包まれています。
それは、長く生きて光も陰も通過した人が行き着いた明るさであり、
身につけた軽みであります。
年齢には意味があるのです。”
なんだか随分と励まされる文章です。
加齢というと、加齢臭だの加齢痛だのろくな言葉がない。
美容の世界では、アンチ・エイジングをいかにするかということばかり。
それでは歳を重ねるって何もいいことないのかと思ってしまいがちですが
ここまであっけらかんと開き直られると、力づけられる気がします。
そういえば加藤秀俊氏って、大学の時、母校にいました。
社会学だか比較文化学だかの授業を私も取っていました。
話がすぐあちこちに拡散してしまうが、なんだか勢いがあって面白かったような…
もう80歳近いお歳なのか…
25日クリスマスの夜、高校時代の仲間の集まりがありました。
「クリスマス会」と称した、要するに飲み会なのですが
卒業して30年もたつと、色々と変わっていたり、変わっていなかったり。
それでもそのメンバーが集まると、一瞬にして30年前に戻れてしまう魔力があります。
いきなり高校時代にタイムスリップして、バカなことを言い合ったり。
一人で歳を取るのは嬉しくないが
あの連中と一緒ならそれほど悪くもないかな、と思わせる魔力も。
歳を取ることだけは、抜け駆けもごまかしもできない、
誰にとっても平等なことなのですから…
芥川喜好氏の「人生の明るい午後へ」と題したコラム。
元雑誌編集長にして70歳の新人作家西村眞氏や
社会学者の加藤秀俊氏(79歳)の言葉を取り上げて
「明るい老後の取り組み方」に触れている。
西村氏の言葉。
「いつまでも若く、ではなく成熟することなんですよ。
若い人についていく必要はない。むしろ時代遅れ的な行き方を
取り入れた方がいいですね。」
加藤氏の言葉。
「マンネリズムを実践しつつ、”うれしくなるほど”物事を忘れる。
それこそが社会的責任から解放された人間の特権である、”忘れる自由”がある。」
”どこか初々しい西村さんの日常も、加藤さんの隠居話も
明るい空気に包まれています。
それは、長く生きて光も陰も通過した人が行き着いた明るさであり、
身につけた軽みであります。
年齢には意味があるのです。”
なんだか随分と励まされる文章です。
加齢というと、加齢臭だの加齢痛だのろくな言葉がない。
美容の世界では、アンチ・エイジングをいかにするかということばかり。
それでは歳を重ねるって何もいいことないのかと思ってしまいがちですが
ここまであっけらかんと開き直られると、力づけられる気がします。
そういえば加藤秀俊氏って、大学の時、母校にいました。
社会学だか比較文化学だかの授業を私も取っていました。
話がすぐあちこちに拡散してしまうが、なんだか勢いがあって面白かったような…
もう80歳近いお歳なのか…
25日クリスマスの夜、高校時代の仲間の集まりがありました。
「クリスマス会」と称した、要するに飲み会なのですが
卒業して30年もたつと、色々と変わっていたり、変わっていなかったり。
それでもそのメンバーが集まると、一瞬にして30年前に戻れてしまう魔力があります。
いきなり高校時代にタイムスリップして、バカなことを言い合ったり。
一人で歳を取るのは嬉しくないが
あの連中と一緒ならそれほど悪くもないかな、と思わせる魔力も。
歳を取ることだけは、抜け駆けもごまかしもできない、
誰にとっても平等なことなのですから…