Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

南米旅行⑩ラスト(多分)

2024年11月19日 | 南米旅行2024

アルゼンチン側イグアスの滝から近い街プエルトイグアスには、ブラジルとパラグアイが臨める場所があります。
国境を流れる川が2本あり、この写真の左側がパラグアイ、右側がブラジルであり、写真を撮っているこちら側がアルゼンチンです。
3カ国の国境の場所ということで、こんな巨大なモニュメントがありました。
ここを最後にサンパウロに飛んで一泊、メキシコシティまで9時間、トランジット5時間、そしてモンテレ―経由で成田まで18時間と、気の遠くなるような時間をかけて帰ったのでした。



国境を超える、つまり海外に行くとなると、パスポートが非常に重要となります。
個人で海外に行く時は、いつも緊張を持ってパスポートの携帯を確めますし、ツアーの場合は、添乗員がしつこいくらい確認しろと言って来ます。
日本のパスポートは世界最強であるという記事を、以前読んだことがあります。
ビザなしで渡航できる国の数を比較する「世界パスポートランキング」によると、日本からビザなしで行けるの国の数は、世界一であるということ。
今確認してみたら、2024年現在、多少情勢は変わったようですが、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、シンガポールと共に、日本はやはり一位であると。
世界227カ国・地域のうち194をビザなしで訪れることができるのだそうです。



それなのに、日本のパスポートの保有率は17%なのですって。
6人に1人しか持っていないなんて。

日本人がパスポートを持たない理由について、下の記事では、語学力が低いこと、安全面の不安があること、島国であること、日本発着便の運賃が高いこと、長期休暇が取りにくいこと、日本国内の観光資源が多いことなどが揚げられています。
なるほど。
普段の会話で、海外旅行の話が中々できない筈です。
これはちょっと寂しいな…

世界最強なのに所持率は6人に1人 日本人がパスポートを持たない理由


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南米旅行⑨食事編

2024年11月15日 | 南米旅行2024

ペルーの料理が意外に美味しいのに驚きました。
ものの本によれば、インカ帝国時代から続く伝統料理に、スペイン植民地時代の影響、そして中国や日本、アフリカからの移民がもたらした食文化が融合し、独自の発展を遂げたものであるらしい。
新鮮野菜を多用しているし、何というか日本人の口に合うのです。

例えば、茹でたジャガイモにピリ辛のチーズソースをかけたパパ・ア・ラ・ワンカイーナ、牛肉の細切りに玉ネギやピーマン、フライドポテトを一緒に炒めたロモ・サルタード(右中)、新鮮魚介のマリネのセビーチェ(下中)、鶏肉のイエローペッパー煮込み(右下)など。



飲物で印象的だったのは、ブドウの蒸留酒ピスコに、卵と砂糖、レモンやライムを入れたカクテルピスコ・サワー(左上)。
紫トウモロコシの甘酸っぱい飲み物チチャモラーダや、黄色く甘いインカコーラなど。

マテ茶というのは南米で愛飲されている、マテの葉や小枝から作られたお茶だそうで、ビタミンやミネラルの含有量が高く、「飲むサラダ」とも言われているのだとか。
写真は、国立公園の中の野外テーブルで、隣に座った家族が飲んでいたもの。
それは何かと聞いたら、マテ茶だと。
期待してレストランでも飲み、ティーバッグのマテ茶をお土産に買ってみましたが、味はウーロン茶のようでした。



「ペルー料理」で検索してみたら、リマにあるレストラン「セントラル(Central)」が、2023年の世界的レストランのランキング「The World‘s 50 Best Restaurants」で1位を取っています。
そしてそのレストランを率いるシェフ・マルティネス氏が、2022年7月に東京にレストラン「マス(MAZ)」をオープンしたのですって。
しかも、先日行ったばかりの赤坂クラシックハウスがある東京ガーデンテラス紀尾井町の中に。
喜んでそのサイトを見てみたら、ランチはなくディナーのみ、しかも高い!
これはちょっと悩むところです。


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南米旅行⑧イグアスの滝、アルゼンチン側

2024年11月13日 | 南米旅行2024

ブラジル側からは、遊歩道からやヘリコプターで滝を見た他、ボートからも観ました。
ボートはずぶ濡れになるということで、水着とサンダルといういで立ちに。
それは正解だったようで、小さなボートはまともに滝の下に突っ込むのです。
確かに全身ずぶ濡れになりました。



イグアスのホテルに二泊して、翌日はバスでアルゼンチンに。
検問所のような所に差し掛かり、バスは停車、ツアーコンダクターとローカルガイドが私たちのパスポートを集めてそこに持って行きました。
30分程もかかってようやく通過。
ローカルガイドの話では、かの地の公務員は試験ではなくコネでなるのであり、勤労意欲は甚だ低いのだとか。
それは公務員に限らず、空港やスーパーでも感じたことです。
よく言えばのんびり、悪く言えばとってもダラダラ、人によっては同僚とお喋りしながらという仕事ぶり。
ニコニコと非常に感じよい人もいるのですが。



それはとにかく、アルゼンチン側から観たイグアスの滝も素晴らしかった。
ブラジル側もアルゼンチン側も、滝の周りは広大な国立公園となっています。
ジャングルの中をトロッコやジープで進み、そして遊歩道を汗みどろになって2時間ほども歩くと、ようやく滝は出現するのです。



ここはまた蝶の天国でした。
珍しい蝶が、そこかしこに舞っている。
果てしなく続くジャングルの中には本当は蝶だけでなく、ジャガーやイグアナ、サル、オウムなど珍しい熱帯動物が沢山いるということでしたが、それらには中々お目にかかれないようです。
右下はハナグマというアライグマの一種で、この子はよく見かけました。
私がスマホで動画を撮っている指に、小さな蝶が止まってくれました。



イグアスの滝、蝶が止まった動画

イワツバメが飛び交っている動画


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南米旅行⑦イグアスの滝

2024年11月07日 | 南米旅行2024

リマからサンパウロまで飛行機で5時間、そして乗り換えてイグアスまで2時間。
空港でのトランジットもあるし、何よりここは南米、搭乗手続きや荷物が出て来るのに嫌という程時間がかかります。
一日がかりでイグアスに辿り着き、ホテル泊。
翌朝、バスでイグアスの滝国立公園に。
広大なジャングルの国立公園、高温高湿度の中を汗みどろになってどんどん歩くと、次第に滝が見えてきます。



イグアスの滝は、アルゼンチンとブラジルにまたがる世界最大瀑布。
150から300の瀑布があり、中でも最大の「悪魔の喉笛」は高さ82m、幅150mのU字型で長さ700m。
飛び交っているのはイワツバメ、はるか上空にはコンドルも見られました。
これはもう、下手な説明よりも動画をご覧頂きたいと思ったら、動画が貼り付けられなくなっている!
gooブログ、以前はできたのに。
貼り付ける方法をご存知の方がいらしたらお教えください。



ヘリコプターで観るというオプションもあり、10分間で300ドルは高い!と私は文句を言ったのですが、夫の希望で搭乗。
確かに全体図が見渡せました。
アッという間ではありましたが。

(ヘリコプターから撮った写真)

世界中からの観光客がごった返している滝の近くの遊歩道で、ツアー仲間の一人が泣いているのを発見。
そんなにも感動したのかと思ったら、突然アレルギーに襲われたのだそうです。
滝のアレルギーなんてあるのかしらん?



滝の動画はこちらになります。


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南米旅行⑥リマ

2024年11月05日 | 南米旅行2024

リマはペルーの首都であり、その旧市街は世界遺産に登録されています。
広々としたアルマス広場の周りには、17世紀に建てられたサンフランシスコ教会や大統領府、リマ市庁舎などが整然と並んでいます。



でも私は本当は、こんな綺麗な所ばかりではなく、例えば「恥の壁」"Wall of Shame"に行ってみたかった。
80年代に造られた、富裕層と貧困層を隔てているという壁。
世界銀行の分析によると、ペルーでは2022年、人口の3分の1弱(30.1%)が貧困ライン以下の生活をしており、1人当たりGDPは1万5048ドルで世界95位。
上部に有刺鉄線を有する壁は治安上の懸念から作られたといい、不平等を物理的に象徴するだけでなく、貧困層がより賃金の高い仕事へのアクセスを妨げているのだと。



壁を挟んで一方は富裕層の住宅街、もう一方はスラム街。
壁はペルーの分断社会の象徴となっているのだそうです。
リンク先の記事は貧困層に同情的であるようですが
「こちらの住民はちゃんと土地を買って税金も払っている。でも向こう側は、不法占拠して税金も何も払っていない。不法占拠だとしてもその場所を10年占拠し続ければ、その土地の所有権を申請できる法律がある」という富裕層の不満も、分かるような気がします。
4年に及ぶ法廷闘争を経て、2023年、その一部が撤去されたそうですが…
世界中のあちこちに「壁」はあるのねえ。



このエラそうな2頭の犬はローカルガイドによると、「警察の野良犬」なのですって。
近くの警察が飼っているので、栄養も毛並みもよく、そこらの野良犬のボスなのだそうです。
犬にも格差社会が厳然と。



今回の旅行ではリマは、マチュピチュからイグアスに行くための乗り換え地点のような位置づけでした。
そんな街外れの危険な壁にまで行けるはずもなく、中心部の綺麗な所だけササッと見て、イグアス行の飛行機に乗り込んだのでした。



ペルーの首都リマで富裕層と貧困層を隔てる「恥の壁」が一部撤去

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南米旅行⑤マチュピチュ村

2024年11月04日 | 南米旅行2024
(駅前)
マチュピチュ村に二泊すると知った時、あんな山奥のマチュピチュにホテルなんかあるの?と驚いたのでした。
ところがどうして、山間列車の終点で降りたマチュピチュ駅からは、小さいながらも商店街が続き、ホテルや飲食店が並んでいます。
細い階段状の道の両脇にお店が並び、台湾の九份にちょっと似たような感じ。
マチュピチュ村の人口は約3千人ですが、年間200万人が世界中から訪れるのですって。



そしてその村を作ったのは、日本人だったのだそうです。
野内与吉、100年ほど前に福島からペルーに渡り、ジャングルを切り開いて村を作り、ホテルを建てて行政官となり、初代村長になったのですって。



マチュピチュのホテル、どんなものかと思いましたが、「EL MAPI」というシティ派ホテル、小さいながら結構お洒落な部屋でした。
お料理もおいしくて驚きました。



ホテルの近くにマッサージ店を見つけ、遺跡を歩き回って疲れた身体をたっぷりとマッサージして貰いました。
インカマッサージとは、"a combination of four type of massages, working end points in the body by relaxing some muscles and avoid stress and recahrge
positive energy"なんだそうな。

 (インカの石)

身体中に香油をぬりたくられ、施術者の全身を使った力強い施術、最後は温めたインカの石迄使って一時間タップリ、至福の思いでした。
日本のスパのような使い捨て紙ショーツなどの気配りはなく、下着はオイルでビッチョリとなりましたが。



マチュピチュ発着の山間列車はこんな感じです。


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南米旅行⑤マチュピチュ

2024年11月01日 | 南米旅行2024

オリャンタイタンボから山間列車に1時間半ほど乗って、マチュピチュ村へ。
駅からほど近いホテルに着いたのが夜9時頃、遅い夕食を取ってその日は就寝。
そして翌朝、バスで山をぐるぐる登り、遂にマチュピチュ遺跡へ。


(入口)

マチュピチュ遺跡の標高は、2400m。
1532年、インカ帝国はスペイン人によって徹底的に滅ぼされたが、山の奥深くにあるマチュピチュは見つからなかったようです。
長らく世界から忘れられていたここを1911年に発見したのは、アメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガム。
この人は映画インディ・ジョーンズのモデルでもあるらしい。



裕福な家に生まれた長身の優男、ハーバード大を出てイエール大学で南米史を教える。
ティファニーの創業者の孫と結婚し、嫁の実家に援助して貰って南米の発掘調査にのめり込む。
そしてマチュピチュ遺跡を発見する訳ですが、この人、発掘調査の際にパートナーや現地の労働者に置き去りにされたりしているようです。
どうも性格的に問題があったような。
世紀の発見で有名になった後も、離婚して3か月後に再婚したり、パイロットになったり、州知事や上院議員になったりと、まあ多彩な人生を送ったよう。
でもこの自己顕示欲の強いビンガムが発見したが故に、彼の著書「インカの失われた都市」がベストセラーとなり、マチュピチュはここまで有名になったようです。



こちらの建造は15~16世紀頃、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの離宮として造られたという説が有力視されているようです。
遺跡の中の草地では、リャマがのんびり草を食んでいました。



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南米旅行④クスコの犬

2024年10月31日 | 南米旅行2024

クスコでもう一つ驚いたのは、そこら中に犬がいること。
中心地のアルマス広場にも裏通りにも住宅街にも、何処を見ても犬だらけ。
首輪もリードもない犬が、あっちにもこっちにもウロウロ。
この一番下の写真には、なんと6匹の犬が映っています。



ローカルガイドのアルさんに、これで問題はないのかとお聞きしたら、ありませんと。
餌はどうしているのかと聞いたら、飲食店のゴミ箱を漁ったり、住人が残飯を上げたりしているのだそうです。
日本では、野良犬が一匹いても大騒ぎになるのですけどと食い下がってみましたが、こちらでは平和に共存しているのですと言い切られてしまいました。
そうは言っても、ドロドロに汚れた犬や、痩せこけた犬、ビッコを引いている犬もよく見かけたのですが。
犬を嫌いな人もいるでしょうに。



クスコからバスで、オリャンタイタンボへ。
その途中でアルさんが、面白いものがありますとバスを止めてくれました。
切り立った崖のはるか上の方に、小さな白いものが数個、微かに見える。
これ、「Skylodge Adventure Suites」という名の、カプセルホテルなのだそうです。



ここに辿り着くには、ケーブルや鉄の梯子を使って400mも崖を登らなければいけない。
しかもガラス張り、しかも一泊500ドル以上。
考えるだけでゾッとしますが、予約がかなり先までいっぱいなのですって。
世の中には色々な人がいるのねえ。

 (これはネットから)

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南米旅行③クスコ

2024年10月29日 | 南米旅行2024
メキシコシティから飛行機を乗り換えて6時間、現地23時過ぎにリマ着。
ホテルに一泊して翌朝、国内線でクスコに飛びました。
クスコはかつてのインカ帝国の首都。
モノの本によると、当時、クスコの都に行ったというだけで尊敬され、鼻高々になれたのだそうです。
が、16世紀スペイン人によって徹底的に破壊された跡がそこら中に。



例えばこのサントドミンゴ教会は、インカ帝国の神殿を破壊した後に建造。
インカ時代には全面黄金に飾られ、光り輝く神殿だったそうですが、スペイン人が略奪し尽くし、残るは石のみ。
ところが1650年の大地震で教会部分は崩壊し(その後再建)、インカ時代の石組は残ったのだそうです。
そんな所が、クスコの街には至る所で見受けられました。

(こんな黄金が壁中に。これはレプリカ)

インカの石組というのは特殊な構造となっていて、地震が多いかの地においてもビクともしないのだそうです。
地震が起こると、インカの建物は「踊り出す」と言われていて、つまり地震の揺れによって石が互いに衝突し合い、最終的に元の位置に収まるのですって。



“カミソリの刃すら通らない”精巧さで有名な石組。
これは有名な「12角の石」で、最長部の底辺は1.5mほどもあります。
鉄器も車輪も使わなかったというインカで、これらをどうやって組み立てたのか?



ピサロは謁見するふりをしながら突然攻撃して皇帝アタウワルパを捕まえ、助けると嘘をついて大量の金銀をせしめた挙句、あっさり殺してしまった。
ピサロ以下、暴虐の限りを尽くしてインカ帝国を滅ぼしたスペイン人も、インカの石組の知恵には敵わなかったのね。


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南米旅行②メキシコシティ

2024年10月27日 | 南米旅行2024

無事、帰国しました。
南米は遠かった。
往路、成田からメキシコシティまで13時間、そこから乗り換えてリマまで6時間。
しかもメキシコシティでの乗り継ぎ時間、なんと8時間。
南米の空港は手続きに時間がかかるということで、搭乗3時間前には戻らなければならないとしても、5時間もある。
これは空港でじっとしていては勿体ないと、夫とタクシーで市街に出ました。


(青いタイルの家)

通常なら30分程の距離ということでしたが、朝のラッシュアワーで道路は渋滞、1時間程かかってサンファン市場へ。
夥しい食物で溢れた、朝から活気づいている市場をササッと見て、近くの「青いタイルの家」へ。
こちらは16世紀に造られた侯爵の館で、伊達正宗が派遣した支倉常長の遣欧使節団一行が泊ったのだそうです。
思ったよりも地味でしたが、メキシコシティで最も美しい建物の一つとして数えられているのだとか。



そこから歩いて、10時のオープンと同時に、ジャスアルテス宮殿へ。
ここは1900年初め、「パリのオペラ座に匹敵する大劇場を」という当時の施政者の命によって作られた、メキシコ一番のオペラハウスなのだそうです。
建物外観はアールヌーボー様式、内装はアール・デコ様式、大理石でできた壮麗な建物でしたが、解説によると、竣工以来その重量により年々数cmずつ地面へ沈下しているのですって。

(ジャスアルテス宮殿の中)

そういや「青いタイルの家」の床も斜めに傾いていて、中を歩くとなんとも不安定な感じでした。
そもそもメキシコシティは、かつては湖の中にあったアステカ文明の古代都市をスペイン人が徹底的に破壊し、暴虐の限りを尽くし、埋め立てて造った所。
その怨念と恨みが現れ出ているのではないかと思ってしまいます。



更に歩いて、中央郵便局や古い教会など観ながら、ソカロ(中央広場、トップ画像)へ。
メトロポリターナ大聖堂や国立宮殿などの歴史的建造物が周りに建ち並び、メキシコの政治的宗教的な中心地である広大な広場。
ここにはコロナ前の2019年に訪れたのでした。
前回と違って、巨大な羽根飾りにを頭に付け、奇抜な衣装を全身に纏った人が大聖堂の前に何人もいる。
踊ったり唸ったりしながら、緑の葉っぱを束ねたモノを持って観光客の身体を撫で廻したりしている。
アステカインディアンの衣装を纏ったストリート祈祷師が、お祓いをしているのですって。



こんな奇妙なことをして御利益があるのかと思ってしまいますが…
そういえば先月鎌倉をドイツ人と歩いた時、鶴岡八幡宮で神主さんがお経を唱えながら、ワサワサした白い紙が付いた棒を振り立ててお祓いしているのを見て、あれは何だと驚かれました。
同じようなものなのかもと言ったら、怒られるかしらん?
あちこち一万歩ほど歩き廻って、帰りのタクシーはスムーズに走り、空港に想定時間内に戻ることができました。

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