メキシコといえばサボテンのある暑い国というイメージでしたが
メキシコシティは意外に寒いということを、準備の段階で知りました。
標高2250mと高いので、11月の平均最高気温は21.3℃、最低気温は12.3℃。
日本の10月くらいの気温か。
昼は半袖、夜は薄手の革ジャンを羽織って丁度いいくらいでした。
その中心にあるソカロ(中央広場)はメキシコの政治的・宗教的な中心地でもあり、
240㎡の正方形の大広場を囲むように、メトロポリターナ大聖堂や国立宮殿などの歴史的建造物が立ち並んでいます。
私が行った時は革命記念日のイベントとかで、大聖堂の前に蒸気機関車がありました。
メキシコシティは意外に寒いということを、準備の段階で知りました。
標高2250mと高いので、11月の平均最高気温は21.3℃、最低気温は12.3℃。
日本の10月くらいの気温か。
昼は半袖、夜は薄手の革ジャンを羽織って丁度いいくらいでした。
その中心にあるソカロ(中央広場)はメキシコの政治的・宗教的な中心地でもあり、
240㎡の正方形の大広場を囲むように、メトロポリターナ大聖堂や国立宮殿などの歴史的建造物が立ち並んでいます。
私が行った時は革命記念日のイベントとかで、大聖堂の前に蒸気機関車がありました。
(Wikipedeiaからの写真)
そしてここには、アステカ文明の中心都市テノチティトランの神殿跡地もあるのです。
かつてアステカの時代には、メキシコシティは大きな湖に浮かぶ都市だったのだそうです。
それを侵略してきたスペイン人たちが埋め立ててしまった。
それだけでなく、彼らは残虐の限りを尽くして原住民を抹殺したのですね。
カトリックの聖職者であるラス・カサスが、16世紀半ば、これは自分の見聞きしたことであって真実である、とスペイン国王に報告した「インディアスの破壊について簡潔な報告」によると
「1518年にヌエバ・エスパーニャに侵入してから1530年にいたる12年の間ずっと、スペイン人たちはメキシコの町とその周縁部で、この450レグワの領域で老若男女を問わずすべてのインディオを短刀や槍で突き刺したり、生きたまま火あぶりにしたりした。結局、彼らは400万以上の人々を虐殺した」と。
(大聖堂の内部)
1492年にコロンブスがアメリカ大陸に上陸して、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服が始まった。
1519年にコルテスがメキシコに上陸して、アステカ帝国を滅ぼした。
ソカロにあるテノチティトランの神殿跡と壮麗なメトロポリターナ大聖堂は
その悲しい歴史を物語ってくれました。
参考文献
「インディアスの破壊について簡潔な報告」 ラス・カサス
「メキシコに学ぶ60歳からの外国語修業」 青山南