怖いもの見たさで行って来ました。
私は「ノルウェイの森」は、村上春樹が大衆受け狙いで書いたものだと決め付けているので
村上作品の中ではあまり好きではない。
が、そう言いながら何度読み返したか分からない。
その私が映像化を観ればどうなるか分かっていたようなものですが…
やはり駄目でした。
これは人の愛と生(あるいは性)、それに関する喪失と再生の物語である筈なのに
それを浮かび上がらせるまでの大事なエピソードがことごとく無視され、
人物像はぼやけ、コンセプトは消えてなくなってしまっている。
例えば終盤で、ワタナベがレイコと寝るところ、
あれは直子の死を乗り越えるための、二人の一種の葬儀であった筈なのに
あれじゃ単なる劣情のもとのセックスです。
小説の導入部に出てくる、直子がおびえる深い井戸の話、
(何処にあるかも分からない、いつ落ちるかも分からない、
落ちたら絶対に助からないという深く暗い野井戸)
あれもかなり象徴的なものであったと思うのにまったく無視されていたし…
残念です。
ヒロインのキャスティングについて。
直子は、ストレートのロングヘアの、はかなげで繊細な少女にやってもらいたかった。
ワタナベが一緒に歩くとき後ろからそっと見ていた、右の耳の上の髪留めをつけて欲しかった。
菊地凛子は演技は凄いと思うけれど、髪がボリュームありすぎ、我(俗)が強すぎ。
緑は、これは”みんなに小学生みたいとか強制収容所だとか言われる”坊主頭じゃなくちゃ。
髪型が全然違うし、モデルだという水原希子 、可愛いというだけで台詞棒読み。
小説に形容されている、ワタナベを圧倒しながら惹きつける躍動感、
あふれる生命力がまったく表現できていない…
突撃隊のエピソードも省略(ラジオ体操の件や、地理オタクであることくらいは触れて欲しかった)、
永沢さんのエピソードも省略(ナメクジ事件もなかった)、
直子の姉の死も省略(これは直子の人格形成に大きく影響していると思う)、
レイコが精神病院に入った経緯も省略。
勿論、限られた時間では限界があるし、全部を網羅しろと言うつもりはないが
これでは単に、心を病む少女(直子)と元気すぎる少女(緑)の間を
所在無げにウロウロする欲求不満の男(ワタナベ)の痴話話のようです。
ただ、どんなに特別な事情を秘めて、どんなに深遠な哲学に悩んでいるように装っても
若い頃の愛と生(あるいは性)の悩みなんて
最大公約数にまとめてしまえばこんなものなのだということを
トラン・アン・ユン監督が言いたかったのだとしたら
それは成功しています。
☆2
「ノルウェイの森」http://www.norway-mori.com/index.html