皇居の乾通りが3年ぶりに一般公開されたというので、行って来ました。
乾通りの公開は、上皇陛下の傘寿を祝って2014年(平成26年)の春・秋に実施され、以来、桜と紅葉の時期の風物詩となったそうですが、コロナで2年間中止。
ようやく公開なった今年は、11月26日~12月4日の9日間。
東御苑は何度行ったか分からない位ですが、乾通りは初めて。
坂下門から入り、宮内庁庁舎を横手に見て、色鮮やかな紅葉の中をどんどん進む。
赤いモミジの奥に控え目に咲いているのは、冬ザクラ。
こちらは大奥の女性たちが出入りしていたという「局門」。
時代劇や時代小説に疎い私が、去年骨折して動けなかった時に読んだ「天璋院篤姫」や「和宮様御留」を思い出しました。
薩摩島津家分家に生まれた篤姫は、13代将軍家定の正室として江戸城に送り込まれるも、すぐに未亡人となる。
紀州藩主徳川家茂が14代将軍に就任、公武合体政策で家茂の正室として皇女・和宮を朝廷から迎え入れ、篤姫は10歳下の和宮の姑となり、大奥3千人を取り仕切っていくことになる。
幕末の動乱期、幕府と朝廷の対立と両者を担ぐ勢力のきな臭い争いの中、大奥の世界で篤姫がどのように孤軍奮闘したか。
自分より身分の高い嫁、和宮との確執は…?
皇女和宮「降嫁」の中仙道の大行列は、50Kmの長さになったと。
先頭が江戸城に到着しても、尻尾はまだ八王子にいたということになります。
公家や護衛の武士、荷物を運ぶ人足など2万人の大行列が、京都から江戸まで25日間かけて進んだということです。
なんという無駄な贅沢をしたことか。
そんなことを思い出しながら歩いた乾通りは、皇居のほんの一部です。
そして皇居は、江戸城のほんの一部。
どれだけ広かったのだ!?江戸城。
乾通りに入る前のランチは、有楽町ビルディングにある万世で。
万世と言ったらパーコー麺!ということで食べてみましたが、私にはボリュームあり過ぎて、パーコーも麺も完食ならず。
乾通りの公開は、上皇陛下の傘寿を祝って2014年(平成26年)の春・秋に実施され、以来、桜と紅葉の時期の風物詩となったそうですが、コロナで2年間中止。
ようやく公開なった今年は、11月26日~12月4日の9日間。
東御苑は何度行ったか分からない位ですが、乾通りは初めて。
坂下門から入り、宮内庁庁舎を横手に見て、色鮮やかな紅葉の中をどんどん進む。
赤いモミジの奥に控え目に咲いているのは、冬ザクラ。
こちらは大奥の女性たちが出入りしていたという「局門」。
時代劇や時代小説に疎い私が、去年骨折して動けなかった時に読んだ「天璋院篤姫」や「和宮様御留」を思い出しました。
薩摩島津家分家に生まれた篤姫は、13代将軍家定の正室として江戸城に送り込まれるも、すぐに未亡人となる。
紀州藩主徳川家茂が14代将軍に就任、公武合体政策で家茂の正室として皇女・和宮を朝廷から迎え入れ、篤姫は10歳下の和宮の姑となり、大奥3千人を取り仕切っていくことになる。
幕末の動乱期、幕府と朝廷の対立と両者を担ぐ勢力のきな臭い争いの中、大奥の世界で篤姫がどのように孤軍奮闘したか。
自分より身分の高い嫁、和宮との確執は…?
皇女和宮「降嫁」の中仙道の大行列は、50Kmの長さになったと。
先頭が江戸城に到着しても、尻尾はまだ八王子にいたということになります。
公家や護衛の武士、荷物を運ぶ人足など2万人の大行列が、京都から江戸まで25日間かけて進んだということです。
なんという無駄な贅沢をしたことか。
そんなことを思い出しながら歩いた乾通りは、皇居のほんの一部です。
そして皇居は、江戸城のほんの一部。
どれだけ広かったのだ!?江戸城。
乾通りに入る前のランチは、有楽町ビルディングにある万世で。
万世と言ったらパーコー麺!ということで食べてみましたが、私にはボリュームあり過ぎて、パーコーも麺も完食ならず。