Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

おろしや国酔夢譚

2017年09月12日 | ロシア旅行2017
今回のロシア旅行に際して、20冊ほどのロシア関連の本を読んだのですが
その中で何といっても面白かったのは「おろしや国酔夢譚」(井上靖)でした。



天明2年(1782年)、伊勢から江戸に向かった光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は、台風に襲われ、8カ月の漂流の後、ロシア帝国領アムチトカ島に漂着。
厳寒の地のそこでは現地人がロシア人に支配され、苦しい生活を送っていた。
漂流中に1人、この島に4年間滞在するうちに、7人の仲間が死亡。
飢えと寒さに苦しめられながら、光太夫はロシア語を習得し、帰国の途を模索。
広大なロシアの、一番右端のアムチトカ島に漂着した光太夫たちは、日本に帰ることを夢見て、10年かけて一番左のサンクトペテルブルクまで行くのです。

(エカテリーナ宮殿)

「俺たちはどんな苦労をしても、帰らなければならぬ」
リーダーの光太夫は仲間を叱咤激励し、異国の文化と言語を習得し、その土地の要人と親交を深め、何度も何度も官庁に帰国願を届け出る。
「いいか、みんな、自分のものは、自分で守れ。自分の鼻も、自分の耳も、自分の手も、自分の足も、みんな自分で守れ。自分の生命も、自分で守るんだ」
これは飢えや凍傷で、命や体の一部を次々に失っていく仲間に言った言葉。
カムチャッカ半島で更に3人が亡くなり、1人は凍傷で片足を切断。

驚いたのは、こんな時代にもロシア帝国は東の果てまで支配し、圧政を敷いていたこと。
こんな時代にも、膨大な数の人たちがシベリア送りになっていたこと。
鉄道も何もない時代、橇や馬や徒歩でシベリアを横断することがどんなに過酷であったことか。
それでも遂に光太夫は、ロシア帝国の首都に辿り着き、時の女帝エカテリーナ2世との謁見が叶うのです。

(光太夫が謁見した鏡の間)

江戸時代の伊勢の船頭だった光太夫がここまで来たのかと、絢爛豪華なエカテリーナ宮殿で、感慨深いものがありました。
光太夫は「白灰色のラシャで仕立てられた礼服を着て、つばの広い毛織の帽子を抱え」大階段を登り、幾つもの大理石の間、琥珀の間を通り、豪壮な大広間で女帝に謁見。
帰国嘆願書を差し出し、女帝に訊かれるままに、自分で漂流以降の来し方を
説明したのだそうです。
女帝は「可哀想なこと」そうつぶやき、彼らの帰国船を用意すると約束。
しかしその時に残っていたのは5人、そのうち2人はロシアに帰化していたので、帰国の途につけたのは3人。
又シベリアを横断し、オホーツクから帰国船に乗るのですが、北海道根室の地でもう1人が死亡。
江戸まで帰って来られたのは、17人中、実に2人。
ところが…

(女帝の衣装)

2人を待ち受けていたのは、もっと残酷な現実だった。
いやもう、下手なスリラーよりも怖い結末です。
ネタバレになるので詳細は書きませんが
帰国だけを夢見て頑張った光太夫、無念であっただろうなあ…

おろしや国酔夢譚 http://tinyurl.com/yb2gd8ef
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ロシア旅行⑰マトリョーシカと春樹

2017年09月08日 | ロシア旅行2017


マトリョーシカも変化するようです。
上は友人からお土産に貰った、20年ほど前のもの。
下は、今年版。
パッと見は、下の方がゴージャスで華やかなのですが
SNSにこの写真を出してみたら、素朴な上の方が意外に評判よかったようです。
ちなみに上のは古すぎて顔が剥げてしまい、
四女と五女の顔は私が描きました。



モスクワの空港の小さな本屋で
村上春樹の本はないかと大学生風の男の子に訊いたら
教えてくれたのが、これ。
上の大きな赤い字が「HARUKI MURAKAMI」らしいのですが
一体どのタイトルだろう?
とSNSでつぶやいたら、博識な人が教えてくれました。
「女のいない男たち」だそうです。
近年出た、初期の春樹の匂いがちょっとする、私が好きな短編集。
しかしキリル文字、読めないよ…
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ロシア旅行⑯地下鉄

2017年09月03日 | ロシア旅行2017


モスクワの地下鉄は、その利用客の数において、東京に次ぐ世界第二位なのだそうです。
ツアーを抜け出して、地下鉄に何度か乗ってみました。



エスカレーターが長くて速い!
これに乗るには、ちょっと勇気が要ります。
こちらの地下鉄のホームは、有事の時の核シェルターも兼ねているのだそうで
もっとも深い駅は地下84mなのだとか。
ちなみに日本で最も深い駅は、大江戸線六本木駅の42mだそうです。



噂には聞いていましたが、駅名の英語表記がない。
キリル語は我々には読むことも中々できなくて、自分が乗った駅、
行きたい駅の名前をスマホで撮って、それに頼るしかない。
例えばこの、革命戦士の銅像がいっぱいある駅の名前は
Площадь революции(プローシャディ・レヴォリューツィ)といい、
革命広場駅という意味なのだそうです。
ほら、読みにくいでしょう?



駅毎に内装も雰囲気もまるで違い、確かに美術館のようでした。
薄暗くて、写真に綺麗に撮れなかったことが残念です。
こちらの「モスクワの豪華な駅10選」というサイト、見応えがあります。

モスクワの地下鉄が豪華すぎてヤバい!特に豪華な駅10選
http://tinyurl.com/ydgv7y83
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ロシア旅行⑮ダーチャとバケツ

2017年09月02日 | ロシア旅行2017

ロシアの外務省

「世界の日本人妻は見た」というテレビ番組で、先日ロシアが取り上げられていました。
丁度、旅行から帰って来たばかりだったので興味深く見たのですが
笑えたり、驚いたりするところ多々。
嘘はついていないけれども、必ずしも真実ではないというところか。

例えば、ロシアのマヨネーズ。
モスクワ在住という日本人妻の紹介で番組スタッフが巨大なスーパーに行き、
そこのマヨネーズ売り場を紹介していました。
ロシアではバケツでマヨネーズを売っていると。
画面には、10ℓの巨大なバケツ入りマヨネーズが棚にズラリ。



ロシアのマヨネーズ消費量は、世界一なのだそうです。
確かにバケツ入りのマヨネーズが売られているのを、私も見ました。
でもその横には、もっと小さな瓶やチューブ入りのマヨネーズも売られている。
そこは映さないのね。


芸術家のアパート

或いは「ダーチヤ」の紹介。
ダーチャというのは郊外の別荘のようなもので、モスクワ市民の6割が所有しており、
週末毎に家族でそこに移動するのだそうです。
それは本にも書いてあったし、ローカルガイドからも聞きました。
テレビでは、また別の日本人妻がロシアの友人から招待されたという、
立派なダーチャを写していました。
2階建ての贅沢な別荘、広い農園付き。


郊外でよく見かけた、小さなダーチャ

確かにソ連時代、政府が国民にダーチャ用の土地を無償で提供したのだそうです。
ただ、そこにどんな建物を建てるかは個人の勝手で、建築法も殆ど適用されないらしい。
長距離をバスで揺られている間、郊外にかなりの数のダーチャを見ましたが
別荘というよりは、小屋に近いものが多かったような…
丸太を積み上げた上に、トタンをかぶせたようなものも。
そこの小さな菜園で、野菜を育てて食料にするのだそうです。
立派な二階建てのダーチャは、少数の金持ちのものなのでしょうね。



そりゃ、バケツ入りのマヨネーズや立派なダーチャを写した方が
絵としては面白いものねえ。
写真は、赤の広場の近くで見かけた新婚さん。
旅行中、幾組もの新婚カップルを見かけましたが、断トツに美しかった花嫁さん。
でもあんなにマヨネーズ食べてたら数十年後には間違いなく、
ビア樽みたいな体型になっちゃうんだからね。
ロシアでは、若い頃はため息が出るほどのスタイルの女性も
経年と共に体型が変わってしまうことも多いようですから(はい、ヒガミです)。
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ロシア旅行⑭リタニノフの便座

2017年08月31日 | ロシア旅行2017


椎名誠の「ロシアにおけるリタニノフの便座について」という本を読んだのは
30年以上も前のことだったか。
そこにはロシアの田舎のおぞましいトイレの様子が
実に詳細に、絶望的なまでに具体的に描写してありました。
私が敬愛する米原万里の「ロシアは今日も荒れ模様」にも
「エルミタージュ美術館のトイレでさえ、便意そのものが雲散霧消してしまうほど迫力のある汚さだった」と。
この本が書かれたのは1998年。
他にも、ロシアで便座のあるトイレを見つけるのは至難の業だとか、
慣れた人はマイ便座を持って行くのだとか、まあ色々な情報を得て
海外旅行は好きなものの、ちょっと汚いトイレに行く度に発狂しそうになっている私は
ある種の覚悟を持って、今回のロシア旅行に臨んだのです。



結論から言うと、随分と改善されていました。
エルミタージュ美術館のトイレも、一カ所便座が壊れている所を見つけましたが
随分綺麗になっていました。
今回の旅行で、洋式でない便器(トルコ式と呼ばれるもので、和式と似ている)に
遭遇したのは、ウラジーミルの寺院でだけ。
そこでさえ、水洗ではありました。
ただ…ロシアでは基本、紙が流せないのです。



東南アジアとか、ごく近くの韓国や台湾であっても、それはよくあることです。
しかし、ロシアというと先進大国というイメージを私は持っていたので(行くまでは)
そこで紙を流せないということに驚いたのでした。



紙を流せないということは、便器の横に大きな箱を置き、
そこに使用済みの紙をどんどん入れていくことになる。
それをせっせと回収して空にしてくれればいいのですが
そんなことはまず望めないので、汚れた紙はどんどん溜まり、
遂にはその辺に溢れかえり…(以下自粛)。



赤の広場にあるグム百貨店は、実に壮大で、宮殿のように美しい建物です。
外には色とりどりの花が咲き乱れ、夜は派手にライトアップ。
中は3列のアーケードになっており、遊園地のようでもあります。
高級ブランドショップが軒を連ねるここは、実際には観光客ばかりで
地元の人は殆ど行かないということですが。
ここのトイレにも、入ってみました。
入口には窓口があって、待ち構えているオバサンに小銭を払うのですが
中はごく普通のトイレで、まったくつまらなかった。
そしてここですら、紙を流せなかったのです。
結局、ロシアで私が紙を流せたのは、ホテルのトイレだけでした。



写真はすべてグム百貨店
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ロシア旅行⑬空港の悲劇

2017年08月29日 | ロシア旅行2017
旅行最終日、9日目。
この日は午前中クレムリン観光、ウスペンスキー寺院や武器庫の中をじっくり鑑賞。
武器庫というのは、ロマノフ王朝代々の宝物館で、豪華絢爛な宝物が山ほど。
エカテリーナ二世の黄金の馬車とか、ダイヤモンドに煌めく王冠とか。
ウスペンスキー大聖堂も、歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われたという
豪華で厳めしい所ですが、どちらも撮影禁止。



その後、少々の自由時間の後、空港に向い、昼食は空港で自由にという予定でした。
フライトは5時15分なのに2時に空港着って早すぎない?と思いましたが
ロシアの空港で時間がかかることは経験済み。
仕方ない、空港のカフェで食事して、余ったルーブルを買い物で使い切ろうと思っていました。

ところが…
ウスペンスキー大聖堂を出た所で、ツアーのメンバーの一人が迷子に。
添乗員とローカルガイドが探し回り、クレムリンの隣の赤の広場の一角で、我々は悄然と待つこと1時間余。
とにかく広い広場で、しかも何万人という観光客で溢れているので
探すのを手伝いたくても、余計に面倒なことになる。
その間にちょっと買い物したいと思っても、迷った人がいつ現れるか分からないし、
日本の観光名所と違って、広大な赤の広場には、屋台一つ出ていないのです。


(赤の広場には何度も行きました、これは夜のライトアップ)

ようやく見つかって急いでバスに乗り込み、幸い道路渋滞もひどくなく、
空港には2時半着。
荷物預け、手荷物検査、身体検査OK。
座席はウエブで予約済み。
後は、出国手続きのみ。
早く済ませて、お昼を食べて買い物しなくちゃ!

ところが、出国手続きゲートには長い長い列ができていて、一向に進まない。
ツアーのメンバー、何列かに別れて並んでいたのですが、何処も似たような状況。
夫と私が並んでいた列、ようやくもう少しという所で、何人もの割り込み客が。
ロシア人の空港職員が有無を言わさず、割り込みさせている。
どういうこと?と思ったら、我々よりも搭乗が早い便の客なのだそうです。


(混み合う出国ゲートの様子)

延々と待たされて、ようやく夫と私の手続きが終わったのは5時少し前。
とにかく搭乗ゲートに駆けつける。
我々が乗るJALの職員が待ち構えていて、申し訳ありませんと平謝りしてくれましたが
いや、あなた方のせいじゃありませんから。
カフェに寄る間もお土産買う間もなく、飛行機に滑り込み。
その日は結局、朝7時にホテルで朝食を取ってから
夜7時頃飛行機の食事が出るまで、何も食べられなかったのでした。
JALのCAがニコニコと、お待たせ致しましたと食事を運んで来てくれた時には
涙が出る思い。



どうしてあんなに時間がかかったのか?
まず、膨大な人数が待ってる割に、窓口が圧倒的に少なすぎる。
最初、我々が行った出国手続きゲートは、何の説明もなくいきなり閉じられて
違う所へ行けと(職員の休憩の為じゃないかと私は睨んでいる、憶測ですが)。
次に、自分の番になって分かったのですが、一人一人に時間かけすぎ、効率悪すぎ。
その窓口の前に立つと、職員はパスポートと照らし合わせながら私の顔を穴が開くほど見つめ、
髪を耳に掛けろとか、額を出せとか、横を向けとか指示してくる。
そんなに正確を期するのであれば、指紋認証とか虹彩認証とか使えばいいのに。

余ったルーブルをそのまま成田で両替したら
出発時に換金した時の、半額ほどになっていました。
手数料にこんなに取られるとは。
何処に旅行しても、大抵最終日に現地通貨を使い切っていたのに…

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ロシア旅行⑫そして事件が

2017年08月28日 | ロシア旅行2017

(ノヴォデヴィッチ修道院を望む湖)

今回のツアーは総勢22名、年齢層は妙に高く、旅慣れた人が多い。
そりゃ初の海外旅行にロシアを選ぶという人は、あまりいないのでしょう。
世界中あちこち廻っているという人も多く、食事の時など旅行談義が弾みました。
それはよかったのだけど、慣れているだけあって、ウルサイ人も多い。
色々な点において。


(救世主キリスト聖堂、1931年スターリンによって爆破、その後再建)

モスクワ第三夜のレストラン。
ローカルガイドの説明によると、日本大使館員も贔屓にしているというお店。
4人掛けのテーブルに適当に座り、なごやかに食事を始めたのですが…

我々の担当の若いウエイトレスの態度が、異様に悪い。
微笑むどころか睨むような顔をして、お皿やグラスなどドスン!と置く。
まあロシアの接客の悪さにはもう慣れっこになってしまっていて、驚くことでもない。
我々のテーブルは食後の飲み物、4人とも紅茶を頼んだのですが
コーヒー2杯だけ持って来て、ずっと放置。
やれやれ、と思っていたら…



隣のテーブルで、苛立った声が上がりました。
70歳位の、前は何処かで重役をしていたような男性(勝手な憶測)が
添乗員に抗議している。
ウエイトレスの態度が余りに悪いので、謝らせろと言っているらしい。
添乗員、旅行後のアンケートにお書き下さい、私からも社に申し伝えますと言うも
いやそんなんじゃ駄目だ、今すぐこの店の責任者をここに呼び出せと。

押し問答の末、かなりの時間待たされて、現れました、店の責任者。
店長と副店長、そして件のウエイトレス、3人並んで頭を下げました。
店長が、お詫びの気持ちとして、全員の飲み物代をサービスさせてくれと。
シニア男性、それではタカリになる、私はそんなつもりでクレームしたのではないと。
店長、この国ではそうやって形としてお詫びを表すことになっている、そうさせて欲しい。
男性、いやいや我々は断じて払わせて頂く。


(無音アプリを使ってスマホでこっそり撮ったもの、手前がそのウエイトレスさん)

こうして書くと簡単ですが、抗議をして、ここまでに1時間以上。
我々夫婦、早く食事を終わらせて夜の街に繰り出そうと思っているのに
なんでもいいから早く終わらせてよ~!

後でそのシニア男性の奥方に訊いたら、そのウエイトレス、
やはり間違った飲物を彼の前に置いたのだそうです。
で、男性がそれを指摘したら、間違えられた人の飲み物と自分で代えろと
指先で乱暴に指示し、それで男性は切れたのですと。
結局、我々全員、飲物代をキッチリ払い、その店を後にしたのでした。
その翌日、更なる事件が待っているとも知らずに。

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ロシア旅行⑪ウォッカ

2017年08月26日 | ロシア旅行2017


「理想的な人間像とは?」
「イギリス人のように料理がうまく、フランス人のように外国人を尊敬し、
ドイツ人のようにユーモアにたけ、スペイン人のように働き者で、
イタリア人のように自制心に優れ、アメリカ人のように外国語が得意で、
中国人のように高い給料を貰い、日本人のように個性豊かで、
ロシア人のように酒を控え目に飲む人のことです。」
(ロシア小咄集「独裁者たちへ!」名越健朗訳より)



有名な民族ジョークです。
ロシアといえばウォッカ。
先日のテレビ番組で、最近のロシア人はウォッカ離れが進んでいるというようなことを
言っていましたが、それはあくまで限られた都市部の若者の話であって
まだまだウォッカは飲まれているという説の方が強いようです。



男性の平均寿命が64歳とあまりにも短いのも飲酒のせいだというので
ウォッカの値段を二倍にしたりと、政府も色々と対策を講じたのだそうです。
お蔭で、今は平均寿命が少し延びて来たのだとか。

お酒に弱い私と違って飲める夫は、色々なレストランでウォッカを注文。
注文すると、日本のように水割り?ロック?なんて一度も訊かれないで
小さなグラスでそのまま出されました。
アルコール度数40度以上もあるけれど、ロシアではストレートが当たり前なのね。



ウォッカにまつわるジョークを、もう一つだけ。
「ロシア人はウォッカのためなら、どんなことでもできる。
 唯一できないことは、そのウォッカを飲まないことだ。」
(「独裁者たちへ!」より)

写真はクレムリン(城塞)。
ロシアの権力の中枢と言われるクレムリン、いくつもの大聖堂や宮殿、武器庫(宝物庫)、
大統領府などが集まっています。
この日は丁度、軍隊のパレードが行われていました。



なぜロシア人男性の寿命は短い? https://entabe.jp/news/article/3870

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ロシア旅行⑩赤の広場

2017年08月25日 | ロシア旅行2017

モスクワの赤の広場は大きい。
別に赤い訳ではなく、ロシア語の「赤い」という言葉は「美しい」をも意味するのだそうです。
広大な広場の周りに、聖ワシリー寺院、レーニン廟、歴史博物館、カザン大聖堂、グム百貨店などがぐるりと囲んでいる。


レーニン廟は、あのレーニンの遺体が、今も特殊な方法で保存されているのです。
公開される時間が非常に限られていて、私は中には入れませんでしたが。
その保存には非常に費用がかかるので、埋葬するべきかどうか今も議論されていると。


ロシアの街を観光して驚いたことは、そこら中にレーニンの像が立っていたこと。
モスクワに限らず、サンクトペテルブルクやスズダリでも、あちこちに。
ソ連が崩壊した時に壊されたんじゃなかったの?
レーニンやスターリンって、この国で一体どういう立ち位置なの?
今も尊敬されてるの?嫌われてるの?
(子どもがサスペンスドラマなんか見ていて訊く、この人いい者?悪者?のレベルです)


こんな不躾な質問に対する三都市三人のローカルガイドは困った顔をして、
その答えは微妙に違っていたけれど、要するに
「それは簡単には答えられない、複雑な質問です」
というものでした。
彼らは悪いこともしたけれど、ロシアをここまでにしてくれたのだからと。
あんな「大粛清」をしたのに?
(若い頃読んだソルジェニーツィンの「収容所群島」があまりにも衝撃的だった)
レーニンとスターリンを一緒くたにして訊くというのも無茶な話でしょうが。
そりゃ一見の旅行者に、本音なんか漏らさないか…

聖ワシリー寺院
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ロシア旅行⑨処刑された鐘

2017年08月21日 | ロシア旅行2017


「黄金の輪」というのは、モスクワの北北東に位置する、
「首飾りが円を描くようにいくつもの古い都市が点在するエリア」のことです。
スズダリに一泊して、4日目、5日目、こちらを廻りました。
教会や修道院を中心にした、中世のおとぎの国のような世界が今も残っていました。


セルギエフ・ポサートのトロイツェ・セルギエフ大修道院。



スズダリのスパソ・エフフィミエフ修道院。
ここに行った時、丁度、鐘楼の鐘が鳴り出しました。
9日間のロシア旅行中、あちこちで鐘の音を聞きましたが
日本のお寺の鐘のように「ゴ~ン、ゴ~ン」と単調なのではなく、
時として重低音が加わったり、なんだか複雑なのです。
どうやって鳴らしているのだろう?と不思議だったのですが
こちらで、その様子を子細に見ることができました。


(この右側の建物が鐘楼です)

大きな鐘の前に幾つもの大きさの違う鐘が並び、一人の男性が鳴らすのですが、
両手両足を使って紐を引っ張ったり、ペダルを踏んだり、まあ忙しそうなこと。
動画を撮ればよかったな…
ロシアの鐘は、ロシア人の生活に深く密着しているようで
色々な絵や小説や、歴史的シーンに出てくるようです。
16世紀末、イワン雷帝の息子ドミトリーが死んだ時、
それは殺人ではなくナイフ遊びでの事故だったと時の体制側は発表。
ドミトリーが殺されたと偽情報を流したとして、ウーグリチ教会の鐘が「処刑」されたのだそうです。
哀れな鐘は群衆が見守る中、鐘楼から落とされ、12回鞭打たれ、舌を抜かれ、
耳(吊り下げ用のでっぱり)を片方切断されて、シベリヤ送りになったのですと。
(「ロマノフ家12の物語」中野京子著より)
そんなこと、本気でしたのかロシア人…

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