最相葉月デビュー30周年記念企画という「母の最終講義」を読みました。
五十代の母親が若年性認知症病となり、以来30年に渡って介護をしてきた著者の最新エッセイ集。
内容は介護のことだけではなく、社会のこと、音楽のこと、多岐に渡りますが。
”五十歳を過ぎて、母に育てられた年数よりも母を介護してきた年数が上回った。私には子どもがいないので、これは自分にとっての子育てのようなもの、運命なのだと言い聞かせた”
”約三十年、介護とそれに伴う諸問題で心身共に限界だった時期もあるが、不思議なことに最近は、母が身をもって私を鍛えてくれていると思えるようになった”
凄いなあ、よくこんな風に思えるなあとつくづく思います。
子育ても大変ですが、なんといっても子どもは可愛いし、小さな子どもは母親を嫌という程慕ってくれるし、光り輝く未来がある。
それに比べて、認知症の老親介護は…
母上はコロナ禍のうちに亡くなられ、著者は今、重病を抱えた御夫君と二人暮らしをされているらしい。
この人は読売新聞の人生相談の回答者をやっておられて、私はその回答も楽しみにしています。
そういえば以前、老親のお金の使い道についての相談に、彼女が実に切れ味の良い回答をしていたのに感動して、簡単にメモしていました。
60代の主婦からの相談で、施設にいる100歳近い母の預金残高が数百万円あるが、ケチな次姉がそのお金を管理していて手が出せない、家族や孫やひ孫も一緒に温泉にでも行きたいと思うのだがどうしたものかというもの。
最相さんの回答。
介護用品の購入や私設の諸費用の手続き、銀行や行政機関とのやり取りなどお金に関するやり取りは次姉がやってきて、感謝されこそすれ非難される筋合いはない筈。
そんな姉をねぎらいもせず、明細を要求し、ケチ呼ばわりした上で蓄えを一族の温泉旅行に使おうなんて、介護を知らない無責任な人の放言でしかない、頭を丸めて出直してください、と。
こんな人生があってこその、この一刀両断の回答だったのだと納得しました。