Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「たぶん私たち一生最強」、女たちの共同生活

2025年02月02日 | 


”全員揃えばいつだってバイブス最高!
花乃子、百合子、澪、亜希の四人は高校時代からの女友達。バカ話も重ためな恋愛話もマジレス無用の寸劇も、全てが楽しい20代。そろそろ人生の選択を迫られる年齢を迎え、花乃子が思い描くのは「四人で一生一緒にいる」暮らし。でも、男はいらないってわけじゃないし、結婚だって出産だって興味はある。じゃあ、私たちの幸せっていったい何…?”(amazonより)
仲良し女性4人組がルームシェアを始め、試験管ベビーで二人の子供を産み育てる。
R-18文学賞出身の新鋭が圧倒的センスで紡ぐ、自由と決断の物語。
セックスに関するあけすけな会話に少々辟易しながらも、これからの時代こういうのもありかと、テンポの良い文章を面白く読みました。 

「東京在住26歳大卒の4人には選択肢がありすぎて、心もとないほど自由だった。何を選んだって構わないはずなのに、一番大勢の人が乗ってて声がでかい「男と結婚して種案」ってプランがベタに幸せっぽいせいで迷うし苛立つ。女友達と暮らす人生!ってパッケージがAmazonで売ってて、☆5のレビューが百万件ついてたら安心できるのだろうか。幸せっぽさ、ぽさ、ぽさ。ぽさこそがすべて。私たちには幸せと幸せっぽいものの区別がつかない」

しかし、綺麗に描きすぎている嫌いもあるのではないかとも。
この著者は、実際に女友達と共同生活をしたことがあるのか?と思ってしまいます。
ランチや飲み会をするのと、一つ屋根の下で共同生活をするのとは、訳が違う。
それぞれ生まれ育った背景が違う訳だし、箸の上げ下ろしや、お風呂やトイレなど共有スペースの使い方、そういったものに眉を顰めたりすることはないのか?

私は学生時代、私設の女子学生会館という所にいました。
一年目は2人部屋、2年目からは倍のお金を出せば1人部屋可というシステムでしたが、その2人部屋において、どれだけ細かい諍いの話を聞いたことか。
見た目は一部の隙もなくお洒落に着飾った人が、部屋の中はゴミ屋敷なんてよくある話でした。
私が現在通っているスポーツクラブで、長年仲良くしていた数人の女性グループが数日間の旅行に行き、帰って来たら分裂してしまったということも。
ことほど左様に、寝起きを共にするということは難しいのです。

仲良し女性4人組の楽しい共同生活、でも収入や能力や容姿に関する優劣感、実家との関係の温度差、そうしたことに軋轢があるのではないかと思ってしまうのは、オバサンの僻みかしらん?

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「赤と青のガウン」「テムズとともに」

2025年01月27日 | 


故寛仁親王殿下の長女、彬子女王の5年間のオックスフォード大学留学記。
女性皇族として初の博士号を取得した著者の、赤と青のガウンを着用しての博士号授与式までの奮闘ぶりが、実に率直な物言いで書かれています。
イギリスでの苦労話や博士論文を書くことの大変さ、人間関係のエピソードなど。
例えば有名な、洗剤で洗ったお皿をすすがない件について。
”友人の部屋や家に遊びにいって紅茶などを出されると、うっすら表面に洗剤らしきものの膜が張っていることがある。それを発見すると、「ああ〜」と少し涙したくなる気持ちになる。でも「きっとおなかに入ってもそんなに害のない洗剤を使っているに違いない」と自分に言い聞かせ、笑顔で紅茶を頂くのである。よくよく考えてみると、私も英国に行って随分強くなったものだ”という具合。




ついでに、同じくオックスフォード大学に留学された徳仁親王の「テムズとともに」を思い出しました。
やはり英語に苦労されたこと、研究生活、音楽やスポーツ活動、友人との交流が、こちらは実に丁寧に、気遣いに満ちた文章で書かれていました。
もう2年以上前に読んだので記憶もおぼろですが、今も覚えているのは、ジーンズで街を歩いていたらすれ違った日本女性から「ウッソー」と言われたが、当時はその意味が分からなかったということ。
そしてイギリスの国技であるクリケットについての説明。
要するに、ルールは複雑怪奇であんまり面白いとは思えないスポーツだということが、こんな身も蓋もない言い方ではなく、誰をも傷つけないような言い方で書かれていたのでした。具体的に御紹介できないのが残念!

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頭を丸めて出直してください

2025年01月10日 | 


最相葉月デビュー30周年記念企画という「母の最終講義」を読みました。
五十代の母親が若年性認知症病となり、以来30年に渡って介護をしてきた著者の最新エッセイ集。
内容は介護のことだけではなく、社会のこと、音楽のこと、多岐に渡りますが。


”五十歳を過ぎて、母に育てられた年数よりも母を介護してきた年数が上回った。私には子どもがいないので、これは自分にとっての子育てのようなもの、運命なのだと言い聞かせた”
”約三十年、介護とそれに伴う諸問題で心身共に限界だった時期もあるが、不思議なことに最近は、母が身をもって私を鍛えてくれていると思えるようになった”


凄いなあ、よくこんな風に思えるなあとつくづく思います。
子育ても大変ですが、なんといっても子どもは可愛いし、小さな子どもは母親を嫌という程慕ってくれるし、光り輝く未来がある。
それに比べて、認知症の老親介護は…
母上はコロナ禍のうちに亡くなられ、著者は今、重病を抱えた御夫君と二人暮らしをされているらしい。
この人は読売新聞の人生相談の回答者をやっておられて、私はその回答も楽しみにしています。
そういえば以前、老親のお金の使い道についての相談に、彼女が実に切れ味の良い回答をしていたのに感動して、簡単にメモしていました。


60代の主婦からの相談で、施設にいる100歳近い母の預金残高が数百万円あるが、ケチな次姉がそのお金を管理していて手が出せない、家族や孫やひ孫も一緒に温泉にでも行きたいと思うのだがどうしたものかというもの。
最相さんの回答。
介護用品の購入や私設の諸費用の手続き、銀行や行政機関とのやり取りなどお金に関するやり取りは次姉がやってきて、感謝されこそすれ非難される筋合いはない筈。
そんな姉をねぎらいもせず、明細を要求し、ケチ呼ばわりした上で蓄えを一族の温泉旅行に使おうなんて、介護を知らない無責任な人の放言でしかない、頭を丸めて出直してください、と。


こんな人生があってこその、この一刀両断の回答だったのだと納得しました。

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所有した唯一の愛「雷と走る」

2024年12月21日 | 

表紙の絵に惹かれたのと、「しろがねの葉」で感動した千早茜の最新作ということで読んでみました。

子供の頃、治安の悪い海外で暮らしていたまどかは、番犬用の仔犬としてローデシアン・リッジバックの「虎」と出会った。まどかと虎は共に愛情を感じ合い、唯一無二の相棒だったが、一家は数年後には帰国しなければならなかった。

「ずっと愛がわからない。示し方も、受け取り方もわからない。わからないのに、あれが、あれこそが愛だったと確信している。虎は、私が所有した唯一の愛だった」
「虎について他人に語る言葉を私はどうしても見つけられない。あれは私の罪だから。虎のかたちの咎がぽっかりと空いていて埋まることがないのだと」

そんな文章から、もっと罪深い何かがあったのかと思いましたが…
本書は短すぎることもあり、ありきたりの別れに少々ガッカリ。
虎への愛情と、大きくなった虎の野生との間に揺れる彼女の戸惑い、そして虎を残してきた哀しみの深さには、胸を締め付けられましたが。
治安の悪い国での高い塀に囲まれた邸宅、防犯の為に大型犬を何匹も飼う生活、インターナショナルスクールでの多国籍のクラスメイト達とのやり取り。
著者は一体どういう経歴の持ち主なのだろうと思って検索してみたら、小学校1年生から4年生までを親の転勤に伴い、アフリカ・ザンビアで過ごしたのだそうです。

彼女の絶対の愛である虎は、ローデシアン・リッジバックという犬種。
この珍しい犬を、私は見かけたことがあります。
2020年の春、犬連れ可のイタリアン・レストラン「Diechi」にタロウと行った時、隣の席にいた大きなワンコがそうだったのです。
見たことのない犬種だったので聞いてみたら、南アフリカ出身という飼い主が、丁寧に説明してくれたのでした。



地元のホッテントット族が古くから猟犬として飼育していたホッテントット・ドッグとヨーロッパのマスティフタイプの犬のミックスで、カバ、ゾウ、ライオンなどの猛獣を狩るのに使われていた勇猛な犬であり、日本には数頭しかいないのですって。
麻布にいたその犬はまだ仔犬であったこともあり、こんな可愛い顔で、その本来のどう猛さは想像もできないのですが…

リッジバックに会った時の日記

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「重要証人 ウイグルの強制収容所を逃れて」

2024年11月30日 | 


著者は新疆ウイグル自治区にカザフ人として1976年に生まれ、医師であり、教師であり、2人の子供を持つ母親。
子供の頃は豊かであった故郷が中国にどんどん侵略され、搾取され、監視体制が強化する中、ある日突然、強制収容所に連行される。
命がけで国から脱出した彼女によって、そこでの地獄のような実態が詳細に書かれています。

表向きは「職業技能教育訓練センター」という名前で、「先住民が資格を得て卒業する学校」と中国が位置付けている強制収容所。
2017年11月、武装警官にいきなり家に押し入られ、著者は頭巾を被され収容所に連れて行かれる。
そこで彼女は中国語教師として働かされるので、一般の収容者よりは遥かにマシな扱いであったらしいが、それでも読むにも辛い日々。
一般の収容者は手錠足錠を嵌められ、16㎡に20人詰め込まれる。
トイレは一房にバケツ一つ、それは一日に一回しか空にされないので、それが満杯になったら、膀胱が破裂しようとも我慢しなければならない。
食事は「煮崩れしたような蒸しパン一つと、数粒の米が浮いた僅かな量の重湯」。
そして朝から晩まで、収容者たちは自己批判させられ、中国語と中国政府の理想と信念を叩き込まれる。
少しでも姿勢を崩したり、反抗的な態度を取ろうものなら、拷問部屋に連行される。
そして彼女もある日、拷問部屋に連れて行かれ、電気椅子に座らせられ、電気ショックと殴打で気を失うまで責められるのです。

収容所での残虐行為は、書き写すのもおぞましいことばかりですが、そのひとつ。
ある日、20歳位の娘が収容者100人程の前で、自己批判をさせられた。
「私は初級中学3年生の時、祝日を祝おうと携帯電話でメールを送りました。それは宗教行事に関する行為であり、犯罪でもあります。もう二度としません」
職員がいきなり彼女を押し倒し、彼女のズボンを引き裂いて、上に覆いかぶさった。彼女は狂ったように泣き叫び、周囲に助けを求めたが、誰も助けることはできない。
男性収容者の一人が耐え切れなくなり、「何故こんな酷いことをするのだ?おまえたちにも娘はいるだろう!」と叫んだが、男は直ちに拷問室に引きずられて行った。そして何人もの職員が、娘の血まみれの太腿を割ってのしかかって行ったと。
公開レイプだけではない、おぞましい拷問が山ほど。
収容者たちは怪し気な「予防接種」をされたり、薬を毎日強制的に飲まされる。
それを飲むと気分が悪くなり、収容女性の大半に生理が来なくなったと。

2018年3月、著者は唐突に釈放されるが、監視体制は厳しくなるばかり。
そして自分が今度は教師としてではなく、収容者として連行されることを知って、命がけで脱出し、奇跡的にカザフスタンに逃れることができたのです。
中国寄りのカザフスタン政府によって彼女は逮捕され、裁判にかけられ、亡命申請を却下されるが、その状況をSNSで世界に発信されたことから国連がとりなし、2019年からスゥエーデンに家族で移住。
しかしそこで暮らす今も、毎日のように中国語で脅迫電話がかかって来るといいます。

若い頃、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、ユン・チアンの「ワイルドスワン」、そして北朝鮮の脱北者の手記などを読んで、その度に驚愕して来ました。
人間は何処まで残酷になれるのだろうと思います。
著者が収容所でさせられたことの一つが、中国の公敵の第一位であるアメリカを中傷することだったと。
そして公敵第二位は、日本であったそうです。

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「ある一生」ローベルト・ゼーターラー著

2024年10月06日 | 


先月この映画を観て、アルプスの素晴らしい景色に感動はしたものの、主人公のエッガーがあれだけ苦しい人生を通してどうして幸せだと思えたのか、どうにも納得できなくて、原作を読んでみました。
20世紀初頭、私生児として生まれ、引き取られた農場主から奴隷のようにこき使われ、虐待によって生涯足を引きずることになり、愛妻は新婚の内に雪崩で亡くなり、戦争でロシア軍の捕虜となり、その後アルプスの麓で一人で生きた男。
それでも何故、彼は幸せだと思えたのか?

本国オーストリアはじめ、80万部を越えるベストセラーになり、37ヵ国で翻訳されたとは思えないほど、薄い本であり、淡々とした小説でした。
映画では分からなかった発見も幾つか。
エッガーがロシアの捕虜となったのは8年もの間であり、その間シベリヤで強制労働をさせられていた(戦争が終わってもそうさせられたのは日本兵だけではなかったのね)。
後年、突然出て来た氷の中のミイラは、ヤギハネスであった。

”実のところ、村人たちの意見や怒りなど、エッガーにはどうでもよかった。彼らにとって、エッガーは穴倉に住み、独り言を言い、朝には氷のような冷たい小川にしゃがんで顔を洗う老人に過ぎない。だがエッガー自身は、なんとかここまで無事に生きて来たと感じており、それゆえ、満ち足りた気持ちになる理由はいくらでもあった”

結局、エッガーは、自分の人生を恨むということがなかったのでしょうね。
人と比べるということもなく、あるがままのすべてを受け入れている。
その我欲のあまりのなさは、映画「Perfectdays」の主人公にも通じるものがあるような気がします。
そういった姿に、自分には無理だけどそうなれたらという憧れのようなものを感じ、そこが支持された理由かとも思います。


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「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」

2024年09月02日 | 


このタイトルを見たら、読まずにはいられない。
著者は1992年千葉に生まれ、大学受験に失敗し、受かった大学に通うものの、サークルで失恋。鬱になり、就活に失敗、コロナの襲来を経てひきこもりに。21年以降クローン病という腸の難病に罹り、安静が求められる身となったという。
しかし彼は、元々、半端でない映画オタクであった。
大学時代から大量の映画を観ては批評文を書きまくっていたが、あるルーマニア映画に出会って衝撃を受ける。
そこからルーマニア愛が始まり、ルーマニア映画を観まくり、ルーマニア語に溺れ、ルーマニア語の参考書を買う。そして彼がしたことは、FaceBookでルーマニア人の友人を何千人と作るということ。そして彼らとやり取りをしながらルーマニア語を磨き、遂にはルーマニア語で小説を書くようになった、ということです。

”ルーマニアのルの字も聞こえやしない、千葉のどっか。住んでる町には地下鉄は通っているけども、マクドナルドもなければ牛丼屋も一軒たりとも存在しない。そのくせ、歯医者だけは何でだか4,5件くらいある陸の孤島みたいなところ。そんな町の片隅にある何の変哲もない家、その二階で俺は殆どの日本人が理解できないルーマニア語をタブレットに向かって叩きつけている。下の階では両親が普通に飯とか食ってる。つまり実家暮らし。しかも生まれてこの方三十年、ろくに外の世界に出たことがないんだ。
いわゆるアレだよ、引きこもりってやつ。生まれついての引きこもり体質。”

その引きこもりがどのようにルーマニア語を習得し、ルーマニアで認められるだけの小説家になったかということが具体的に書いてある訳ですが、しかしこの著者、元々タダ者ではなかったのですね。
私も映画が好きな方で毎週映画館に通い、ミニシアターで東欧や中東のマイナーな映画を観たと言っては周りに呆れられる口ですが、その私が聞いたことがないルーマニア映画が羅列されている。
引きこもり時代に観まくっていたという映画についての記録ノートがあるというのですが、2011年から今までに44冊、1ページ1本分というのですから…
しかもこの人は、その映画についての批評文をネットに書きまくり、ついでに小説も書いていたらしい。

という訳ですから素養はあったのでしょうが、それにしても凄い。
今ではルーマニア語で詩と小説を書き、ルーマニアの有名な文芸誌に掲載されており、ルーマニアでルーマニア語の本を出版することが、直近の目標なのだそうです。
「おわりに」と題した最終章で、様々な人への感謝の言葉が書き綴られる中、
「親へ。正直、今はまだ感謝も謝罪も語る勇気がない。だがこれだけは言わせてくれ。これから改めて、共に生きて行こうと。」という文が。
ここから、親御さんとは、言葉に尽くせない程の葛藤があったのだろうと想像してしまいました。

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「ヒルビリー・エレジー」クリーンな尿をくれ!

2024年08月31日 | 


来るアメリカ大統領選挙において、トランプ氏が副大統領候補として指名したJ.D.ヴァンス氏。
弁護士であり投資会社の社長である40歳のヴァンス氏の回顧録が、本書です。

「ラストベルト」(錆びついた工業地帯)と呼ばれ、貧しい労働者階級の白人たちが多く住んでいるアパラチア山脈の北側あたりに生まれた彼は、母と祖父母の家を行ったり来たりして育った。
つまり、きちんと子供を教育する両親には恵まれなかったとうことです。
父は早くに彼の前から去り、母は薬物に溺れ、次から次へと男を変え、暴力をふるう。
時に錯乱して警察が来て、逮捕される。
まだ著者が小さい時に、母親から殺される!と必死に逃げて、知らない人の家に助けを求める場面もあります

母親がそんな酷い状況なので、彼は母方の祖父母の家で過ごすことが多かったのですが、その祖父母というのも大概暴力的なのです。
”祖母のボニー自身も、恐ろしい性格の持ち主として知られていた。数十年経ってから、私は海兵隊の新卒採用担当者から、「君の場合は、自宅にいるより新兵訓練所(ブートキャンプ)にいる方がましだと思う」と言われたほどだ。「海兵隊の新兵訓練教官は手ごわい」と、彼は私に言った。「でも、君のおばあさんほどじゃない」”

薬物中毒の母親が看護師免許を更新するために、高校生であった著者に「クリーンな尿」をくれというくだりには、言葉を失くしました。
”私はついに怒りを爆発させた。「クリーンな小便が欲しいんなら、つまらないことはやめて、自分の膀胱からとれ」そう言ってやった。祖母にも、「祖母ちゃんが甘やかすからいけないんだ、30年前にちゃんとやめておけば、自分の息子にクリーンな小便をせがむようなやつにはならなかったんじゃないのか」と言った。母には「クソみてえな親だ」と言い、祖母にも、「おまえもクソみてえな母親だ」と言い放った。”

「ヒルビリー」とは、「プア・ホワイト」「ホワイト・トラッシュ」「レッド・ネック」あたりと同異義語であるらしい。
そうした人々をテーマにした映画を、随分観て来ました。
近年では「ウィンド・リバー」「スリー・ビルボード」「ガラスの城の約束」など。
それを考えても、ヴァンス氏の育った環境は、想像に絶するものです。
そんな所から、海軍を経てイエール大学のロー・スクールに行った彼は、まさしくアメリカン・ドリームを体現したと言えるのでしょう。
そしてこれだけ華々しく出世したにも関わらず、こうした生い立ちを包み隠さず書き出したということは、多くの同じような境遇の人々にどれだけの勇気と希望を与えたか分からないのでしょうが…
私は、どうにもこの人のナルシズムが鼻についてしまったのでした。
自分はヒルビリー出身でこんなにも苦労したが、これだけの立身出世を果たした、だからヒルビリーは否定できないのだ、といったような。
400ページ強の本書全編において。

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「屋根をかける人」

2024年08月24日 | 

門井慶喜という著者の名前、何処かで見たと思ったら「銀河鉄道の父」を書いた人だったのですね。
これは、明治末期にキリスト教布教のために来日したアメリカ人建築家、メレル・ヴォーリズの物語。

明治38年、メレル・ヴォーリズはアメリカから来日、滋賀県近江八幡の商業学校の英語の教師として来日、教職の傍ら熱心にキリスト教を布教した。メレルは建築にも才能を発揮して建築事務所を興し、次々と有名建築物を造る。更に商才もあって、米国から取り寄せたメンソレータムを売り出し、今日の近江兄弟社グループを築いた。

 (明治学院大学礼拝堂)

世の中には本当に凄い人がいるなあと思います。
建築は殆ど独学ながら(コロラドカレッジでは哲学専攻)次々と建築設計をし、メレルが残した建築物は1500に達するのだそうです。
明治期の有名な建築家、あの東京駅を造った辰野金吾の作品数は200だったというのに。
私が知っているヴォーリズの建築物は、例えば明治学院大学の礼拝堂、山の上ホテル、関西学院大学など。

 (山の上ホテル)

メレルは39歳の時に華族令嬢一柳真喜子と結婚し、戦争の最中に敵国人として追放され企業を没収されるのを防ぐために、日本に帰化します。
あれだけキリスト教に身を捧げた宣教師であったのに、その為に神道に改宗までして。
真喜子とは終生仲の良い夫婦であったらしいのですが、日本国籍を取得するために、一旦離婚して真喜子の養子となるという、苦肉の策を取ったと。

 (関西学院大学)

戦後彼は、日本に進駐したマッカーサーと近衛文麿との仲介工作を行ったとされ、その労の為か、昭和22年、天皇と謁見することになります。
”天皇はちょっと目を伏せ、また上げて、
「あなたは橋ですね」
「橋?」
「日本とアメリカを結ぶ橋。どちらにも属さず、どちらにも属する」
メレルは、思わず破顔した。
「違います」
「え?」
「橋ではありません。建築家ですから、私は、双方に、大きな屋根をかけたのです」”

 (一柳夫妻)

タイトルは、ここから取ったと思われます。
ひとつ気になるのは、後書きに、これは事実に基づいたフィクションであるという文言があること。
天皇との会話は、何処までが本当なのか?
メレルは自叙伝を書いているというので、もしかしたらそこから取ったのかもしれません。

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ひまわりと天丼、ハロルド・フライ

2024年08月23日 | 

帝国ホテルの建て替えはいよいよ始まったようで、後ろのインペリアルタワーはもう閉館となっていました。
本館の建て替えは2031年からというので、まだまだ先のようですが。
欧州では何百年もの古い建物が使われているのに、ほんの50年程で建て替えなければいけないのか。
なんとももったいない気がしますが、地震国である以上仕方ないのかな…
ロビーの第一園芸の花は、今回も豪華でした。



映画の前のランチは「銀座天あさ」の天丼を。
カウンター8席しかない、小さな落ち着いたお店です。



先月観た映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」の原作本を読んでみました。
レイチェル・ジョイス著「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」。
「The Unlikely Pilgrimage of Harold Fly」、原題は同じなのですが。
淡々とした筆致の、ナショナル・ブック・アワード新人賞受賞の400ページ程の本です。 
ハロルドの、子供の頃に彼を捨てて出て行った母親への思いや、彼と妻との、出会った頃の感情の盛り上がり、息子を亡くしてからの不毛なやり取り、絶望的な軋轢について、映画より遥かに詳細に書いてあります。

ハロルドは旧友の見舞いのために突然家を出て歩き出し、途中で小さな犬がついてくるのですが、映画では唐突に離れてしまう。
愛犬家としてそこがどうにも納得できなかったのですが、本の中でも同じでした。
”バスが停まり、少女が乗り来んだ。犬も少女の後に続いた。(中略)
犬は自分決断したのだ、と思って納得することにした。しばらくおれに同行し、そのあと歩くことをやめてあの少女と一緒に行こうと決めたのだ、と。この世とはそうしたものだ。とはいいながら、最後の同行者をなくした今、皮膚をまた一枚剥がされたような気がする。次に何が起きるか心配だ。これ以上何かを受け入れる余裕はない。”

とてもそんなことをしそうには見えないハロルドが突然、千キロの道を歩き出す、その意外性と全般のテイストは、映画も本も同じでした。

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