著者は新疆ウイグル自治区にカザフ人として1976年に生まれ、医師であり、教師であり、2人の子供を持つ母親。
子供の頃は豊かであった故郷が中国にどんどん侵略され、搾取され、監視体制が強化する中、ある日突然、強制収容所に連行される。
命がけで国から脱出した彼女によって、そこでの地獄のような実態が詳細に書かれています。
表向きは「職業技能教育訓練センター」という名前で、「先住民が資格を得て卒業する学校」と中国が位置付けている強制収容所。
2017年11月、武装警官にいきなり家に押し入られ、著者は頭巾を被され収容所に連れて行かれる。
そこで彼女は中国語教師として働かされるので、一般の収容者よりは遥かにマシな扱いであったらしいが、それでも読むにも辛い日々。
一般の収容者は手錠足錠を嵌められ、16㎡に20人詰め込まれる。
トイレは一房にバケツ一つ、それは一日に一回しか空にされないので、それが満杯になったら、膀胱が破裂しようとも我慢しなければならない。
食事は「煮崩れしたような蒸しパン一つと、数粒の米が浮いた僅かな量の重湯」。
そして朝から晩まで、収容者たちは自己批判させられ、中国語と中国政府の理想と信念を叩き込まれる。
少しでも姿勢を崩したり、反抗的な態度を取ろうものなら、拷問部屋に連行される。
そして彼女もある日、拷問部屋に連れて行かれ、電気椅子に座らせられ、電気ショックと殴打で気を失うまで責められるのです。
収容所での残虐行為は、書き写すのもおぞましいことばかりですが、そのひとつ。
ある日、20歳位の娘が収容者100人程の前で、自己批判をさせられた。
「私は初級中学3年生の時、祝日を祝おうと携帯電話でメールを送りました。それは宗教行事に関する行為であり、犯罪でもあります。もう二度としません」
職員がいきなり彼女を押し倒し、彼女のズボンを引き裂いて、上に覆いかぶさった。彼女は狂ったように泣き叫び、周囲に助けを求めたが、誰も助けることはできない。
男性収容者の一人が耐え切れなくなり、「何故こんな酷いことをするのだ?おまえたちにも娘はいるだろう!」と叫んだが、男は直ちに拷問室に引きずられて行った。そして何人もの職員が、娘の血まみれの太腿を割ってのしかかって行ったと。
公開レイプだけではない、おぞましい拷問が山ほど。
収容者たちは怪し気な「予防接種」をされたり、薬を毎日強制的に飲まされる。
それを飲むと気分が悪くなり、収容女性の大半に生理が来なくなったと。
2018年3月、著者は唐突に釈放されるが、監視体制は厳しくなるばかり。
そして自分が今度は教師としてではなく、収容者として連行されることを知って、命がけで脱出し、奇跡的にカザフスタンに逃れることができたのです。
中国寄りのカザフスタン政府によって彼女は逮捕され、裁判にかけられ、亡命申請を却下されるが、その状況をSNSで世界に発信されたことから国連がとりなし、2019年からスゥエーデンに家族で移住。
しかしそこで暮らす今も、毎日のように中国語で脅迫電話がかかって来るといいます。
若い頃、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、ユン・チアンの「ワイルドスワン」、そして北朝鮮の脱北者の手記などを読んで、その度に驚愕して来ました。
人間は何処まで残酷になれるのだろうと思います。
著者が収容所でさせられたことの一つが、中国の公敵の第一位であるアメリカを中傷することだったと。
そして公敵第二位は、日本であったそうです。