Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

王子様は日本人!ジョージア国立バレエ団

2024年12月28日 | 劇、オペラ、コンサート

この年末は、有名な海外バレエ団の来日が目白押しです。
最初は、ウクライナを支援する意味でウクライナ国立バレエの「ジゼル」を観ようと思ったのですが、11月中旬に予約しようとしたら、良い席が全く残ってない!
ということで、ジョージア国立バレエ団の「くるみ割り人形」を予約して、昨日、東京文化会館で観て来ました。


(これはネットから)

ジョージアの首都トビリシを舞台にした、ジョージア国立バレエのオリジナル版。
「くるみ割り人形」は新国立劇場、Kバレエなど何度も観て来ましたが、今回は衣裳や舞台装置など随所にジョージアの趣が感じられ、演出や振り付けも違うのです。
ネズミ軍団をくるみ割り人形が倒すと、王子様に変身するお馴染みのストーリー。
くるみ割り人形の仮面の下から出てきたのは、なんと日本人のダンサー!




後で調べてみたら、湯沢市出身の細谷海斗君、2歳でバレエを初めて中学卒業後にロシアのバレエアカデミーに入学、2年前からジョージア国立バレエに入団したのだそうです。そして最高位のリーディングソリスト・プリンシパルに。
後半の、お菓子の国の王子様も日本人ダンサーでした。
日本人、頑張っているのねえ。
ピアニストの反田恭平氏の本を読んで、ロシア留学時代の環境の劣悪さ(寮のトイレは便座がない、シャワーはお湯が出ない、断水だらけでトイレも流せない、窓は壊れていてマイナス20℃の隙間風がビュービュー入る等)に驚愕したものですが、そんな中で頑張ったのですね。
伝説のプリマ、ニーナ・アナニアシヴィリが芸術監督で、最後に挨拶されたのにも感動しました。



その後、上野のブラッスリー・レカンでプチ忘年会。
なんとか今年も生き延びたねと乾杯しました。



海外の名門バレエ団でトップに!湯沢市出身のバレエダンサー

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晩秋の青山、筋膜剥がし

2024年12月10日 | 劇、オペラ、コンサート

昨日の神宮外苑の銀杏並木は、北側はまだ見頃、南側は殆ど裸木でした。
再開発問題で揺れていますが、外苑の銀杏並木はそのまま残すと施行側は言っているようです。
樹木数も今現在よりも増やすと聞きますが、本当の所どうなのでしょう?
ボストンテリアのオフ会を見ながら、黄色い葉を踏みしめて歩きました。



そこから徒歩20分程の「整体Filament Aoyama」に。
私は日頃ジムでジャズダンスなど踊っているのに、肩凝り腰痛がどうにも酷く、整骨院で毎週マッサージを受けているのです。
が、またその凝りようが酷くなっていたこの頃、評判の良い整体の話を聞いたので、予約してみたのでした。

最初に正面や横向きの立ち姿を特殊なカメラで撮ると、たちどころに私の弱点がiPadの画面に現れます。
ストレートネック、反り腰、右足が左足より1㎝短い等々。
で、それらを治すべく押したり引っ張ったり、「筋膜剥がしマッサージ」を1時間。
滅茶痛かったが効いた!
マッサージが好きで、台湾、香港、タイ、マレーシア、インド、トルコ、そして先のペルーなど、色々な国で受けて来ましたが、昨日の痛さはそのトップ3に入りそうです。
どんなに痛くても、この肩凝りから解放されるのなら我慢しますとも!



ついでに教えて貰った、肩凝りの為の自宅でやるべき簡単なストレッチ。
忘れないように書いておきます。
右手の平を肘から上、壁にぴったりつけ、右足を一歩前に出して、前かがみになって30秒静止。それを両肩、最低3回。
それから、脇の下をグリッと掴んで(痛い位)その肩を回す、それも最低3回。



マッサージが終わって外に出ると、外はとっぷりと暮れていました。
表参道のライトアップを観ながら、夫と待ち合わせたブルーノートに。
昨夜は、カウントベーシー楽団を引き継いだという「THE LEGENDARY COUNT BASIE ORCHESTRA」のライブでした。
ビッグバンドはうるさくて私はそれほど好きではないのですが、クリスマスソングのジャズアレンジもあって楽しめました。
これはDayBreaksという名前の、八朔、キウイ、アールグレイ、モヒート等のカクテル。


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「ライオンキング」、素敵な個室

2024年10月04日 | 劇、オペラ、コンサート

劇団四季のミュージカル「ライオンキング」を観て来ました。
ライオンやキリンやハイエナを、人間の身体であんな風に表現するとは。
そしてエルトン・ジョンが作った曲「サークル・オブ・ライフ」は、アフリカの大地の熱い息吹を伝えてくれるようです。


(舞台写真はネットから)
アメリカの舞台芸術家ジュリー・テイモアは、アフリカの動物たちを人間が演じるという難題を、アフリカンアートに加え日本の文楽や歌舞伎、インドネシアの影絵といったアジアの伝統芸能を融合したマスクやパペットを使用するといったユーモラスな手法で見事に表したようです。
私の下手な説明よりも、短い動画をご覧ください。


劇団四季のミュージカルは演目によって場所が違い、今回は有明の劇場でした。
都心から少々離れた不便な場所で建物も特別なものではありませんが、しかしトイレは素晴らしい。
個室が20室以上も通路を挟んで両側に並び、新しい施設のトイレでよくあるように、一方通行になっていて入口はこちら、手を洗う場所と出口はあちらと。
休憩時間には山のような人が押し寄せましたが、それほど待つこともなく、綺麗に捌けました。



NYやロンドンで、「CATS」「レミゼラブル」「オペラ座の怪人」など幾つものミュージカルを観ましたが、石造りの歴史ある建物は素晴らしいものの、そのトイレのお粗末なことといったら。
個室はほんの数室しかなく、休憩時間が終わっても間に合わないことも。
しかも座席は古く狭く、観客の身体は大きくふくよか、中ほどの席に座っているとその列の人達全員に立って貰わないと戻ることもできず、申し訳ない思いをしたことも。
日本の劇場ではそんな心配はありません。


(ロンドンのHerMajestyTheater)

「ライオンキング」の前の腹拵え、「築地食堂源ちゃん」の海鮮丼@有明ガーデン。



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80年代、あの頃の

2024年08月15日 | 劇、オペラ、コンサート

「ゴーストバスターズ」で80年代に大ヒットしたレイ・パーカー・Jrのライブ@東京ビルボード。
レイ・パーカー御年70歳、髪の毛は僅かに残存。
懐かしいノリノリのディスコ調の曲が主体でしたが、もうお爺ちゃんになったんだと、孫に聞かせるという「くるみ割り人形」などの優しい曲も、アコースティックで聴かせてくれました。
「A woman needs love」を歌いながらステージから降り、前の方にいた観客と握手したり、ハグしたり(しっかりして貰った!)。ライブハウスはこれだから楽しい。
「ゴーズトバスターズ」を観客と共に歌い、アンコール曲は「Its Time To Party Now」。



80年代の前半は私は大学生で怖いもの知らず、世の中はバブルに浮き立っていました。
「Best・Hit・USA」の曲をテープに入れて、ウォークマンで繰り返し聴いていました。
あの頃は見た目は華やかだったかもしれないが、その実私は色々悩んでいて、屈折した時期でもありました。
まあ若い頃なんて、そんなものなのかもしれませんが。
85年にニューヨークに行った時は、向うの人もみんなSonyのウォークマン、そして大きなカセットデッキを持ち歩いていたことに驚いたものです。
映画「ゴーストバスターズ」の中のマシュマロマンが好きだったなあ。



ビルボードライブの後、東京ミッドタウンの中の、北イタリア料理の「KNOCK」
右上は、こちらの定番、マスカルポーネとこんがりレーズンパネ・パンナ。
メインの骨付きラムのローストはぼけてしまいましたが、凄いボリューム!



テラス席から神宮の試合の合間の花火が見えました。

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真夏のメサイア

2024年06月16日 | 劇、オペラ、コンサート

友人に誘われて、東京バロック合唱団の定期演奏会「メサイア」に行って来ました。
勝どき、トリトンスクエアの第一生命ホールは初めて。
埋立地にこんな大きな商業施設や立派なホールがあったのね。
ロビーからの眺めは広々と、こんな感じでした。



クラシック音楽が好きな友人、その御長男夫婦、その友人とお嬢さんというメンバーと御一緒に。
トリトンスクエアの台湾料理のお店でランチを頂き、色々とお喋り。
仲が良い親子とお喋りするのは、なんとも楽しいものです。
我家の息子たちはこんな風にクラシックの音楽会に付き合い、母親(私)の友人と食事するなんて、まずあり得ないだろうなあと考えてしまいました。

メサイアは、一年半前のクリスマスイヴにサントリーホールで聴いて以来。
私以外のメンバーはみなミッション系の学校で、聴き馴染み、或いは歌い馴染みのある懐かしい曲なのですって。
私には全くその素養はないが、クリスチャンでもないのに長年アメリカ人牧師さんの翻訳のお手伝いで聖書をよく読んでいたので、懐かしい単語が幾つも出て来ました。
第二部の終わりにようやく出て来た「ハレルヤ」は、そんな私ですら鳥肌立つ感じでした。



まだ6月なので、単衣の薄緑色の紬を。
友人は、シックなグレーの紬。
しかし昨日は30℃の真夏日で、まあ暑かった。
何故今頃メサイアなのかという疑問はさておき、誘ってくれた友人に感謝です。

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コットンクラブ、NYの伝説の

2024年05月30日 | 劇、オペラ、コンサート

ジャズ好きの夫と、コットンクラブ東京に行って来ました。
我家はジャズライブといったらブルーノートに行くことが多いので、こちらはとても珍しい。
東京駅丸の内口のすぐ隣の、高層ビルの中にあります。



エントランスに行き着くまでの壁に、白黒の大きな写真が何枚も。
これは1920年代にNY・ハーレムで人気を博したナイトクラブ、CottonClubの写真であり、その再現を目指して東京店が作られたらしい。
経営者と客はすべて白人、ミュージシャンは黒人というNYの伝説のクラブの写真が、なんだか懐かしい。
NYのブルーノートには行きましたが、こちらは勿論行ったことないのに。
何故?と考えてみたら、そうだ、80年代に「コットンクラブ」という映画を観たのでした。



フランシス・コッポラ監督の、禁酒法時代にギャングやその情婦が活躍する映画としか覚えていませんが、リチャード・ギアやダイアン・レインが若くて初々しかった。
そりゃ40年前ですものねえ。
でも私は、リチャード・ギアやショーン・コネリーなど、高齢になって枯れた感じの方が好きだったりします。
結局イイ男は幾つになってもイイ男なのか。



ちなみに今回は、NYで活躍している森智大という若手のドラマーとその仲間たちとの演奏でした。
マイルス・デイビス特集ということで、マイルス好きの夫は惹かれたらしいのです。
その場で掛け合ってのアドリブの連続、ジャズはこういう所が楽しい。

動画や写真の撮影どうぞどうぞ、SNSで広めて下さいと。
撮影厳禁のブルーノートとはえらい違い。
ラインナップを見た限りでは、ブルーノートはジャズの大御所が多く、コットンクラブの方が幅広く、若手やポップス歌手の出演もあるようです。
でも赤いカーペットや豪華なシャンデリア、席の配置など、内装がどうも似ていると思ったら、どちらも「ブルーノートジャパン」が運営しているのでした。

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五月大歌舞伎夜の部、みずみずしい初夏の

2024年05月24日 | 劇、オペラ、コンサート

「五月大歌舞伎團菊祭」夜の部は、歌舞伎初心者にはなんとも理解しづらい内容でした。
20年来毎週映画を観ている者として私は、どうしても歌舞伎もひとつの演劇物として観てしまう。
その伝で行けば、今回はもう滅茶苦茶。

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)。
我が子を殺されながらも忠義を尽くす乳人政岡(菊之助)の苦衷を描く「御殿」。
ストーリーとしては、子を持つ母として大概イライラさせられる。
毒饅頭で千松を殺した栄午前は、何故あんなに平然としているのか?
八汐は何故いたいけな子供を嬲り殺しにしたのか?
いやエンタメとは分かっていますが、話に整合性がなさすぎる。
「床下」では最後に仁木弾正(團十郎)が現れるのですが、見栄も切らず、一言も発することもなく、スーッと花道を引っ込んでゆくだけ。
あれ?これって團菊祭だよね!?



そして四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)。
江戸城から4千両という大金を盗み出した富蔵(松緑)と藤十郎(梅玉)。
二人がその謀をするシーンに始まって、次にはもう4千両を手に入れてホクホクしている。4千両って今の3億円に当たるそうですが、その御金蔵破りのシーンはない。
次には、加賀で捕まって江戸に護送される富蔵が、妻子と泣き別れをするシーン。
そして伝馬町の牢の中に場面は移り、牢名主以下、何十人という罪人がずらりと並んで座り、新人を呼び出して尋問したり、ツル(現金)を取り上げたりが延々と。
そして富蔵と藤十郎が白洲に引き出されて市中たらい回しの上、磔という刑を言い渡されて話は終わる。
肝心の場面は一つも描かず、その前後のみを描いて想像させる、こんな演出があるのね。
明治18年に初演された本作は、牢内の様子が鮮明に描かれたことで大評判になったそうですが、いや牢のシーン退屈だし、長すぎるし。
という訳で、昨夜は疑問符だらけの舞台でした。



私は青磁色のベースに白い小花をあしらった訪問着。
これも古いものですが数年前に見て、みずみずしい初夏のワクワクした気分を何と見事に表してくれるのだろうと感動して、以来着物を着始めたのでした。



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ビックリ!神田明神薪能

2024年05月15日 | 劇、オペラ、コンサート

昨夜の神田明神の薪能「幽玄の花」は、一夜限りのものでした。
神田のビル街の真ん中にある神田明神のお社の前に、巨大なテントがしつらえてありました。
雅楽演奏に始まって、金剛流の金剛龍謹(こんごうたつのり)氏と書家の根本知(ねもとさとし)氏(大河ドラマ「光る君へ」の題字を書かれた人)との対談。
お二人とも意外にお若く(失礼!)、「光る君へ」の制作裏話など色々聞けて楽しいものでした。
そして、素謡「神歌」、狂言「貰聟(もらいむこ)」、能「葵上」。



驚いたのは、テントの入口に日本語と英語の字幕アプリが展示してあったこと。
スマホでQRコードを読み取ると、演目中にそのアプリが解説してくれるのです。
コロナ前は叔母の付き合いでよく宝生流の能楽堂に行ったものですが、そんなものは一切なかった。
一応予習して行っても、あの独特な節回しで、舞台で何を言っているのかサッパリわからない。
歌舞伎は丁寧な解説付きのイヤホンを貸し出してくれる(有料ですが)のに、能というものは大衆に歩み寄る気がまるでないのかとずっと思っていました。
これはありがたい。


(字幕アプリの画面はこんな感じ)

もう一つ驚いたこと。
昨夜はS席で1万2千円と、薪能としては少々お高い料金であったのに、テントは満席でした。
能楽堂に行っても、満席になることは中々ないのに。
神田明神という親しみやすい場所であること、字幕アプリのせいかしらん?



そして一番驚いたのは、狂言に、御歳92歳の和泉流野村万作氏が出演されたこと。
小柄な万作氏、活舌は少々よくないものの、堂々と演じておられました。
凄いなあ…

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五月大歌舞伎、ぐれいぷじゅうす

2024年05月04日 | 劇、オペラ、コンサート

五月大歌舞伎團菊祭、昼の部。
なんといっても、三幕目の「極付幡随長兵衛」が面白かった。
任侠の親分の長兵衛(團十郎)、殺されると分かっていて敵陣からの誘いを受けるのはどうにも切ない。
「いかにも命は差し上げましょう。殺されるのを合点で来るのはこれまで町奴で、男を売った長兵衛が命惜しむと言われては、末代までの名折れゆえ、熨斗を付けて進ぜるから、度胸の据わったこの胸をすっぱりと突かっせえ」
と言って長兵衛は、敵方武士の水野の槍を胸に受けるのです。
一等席の5列目、花道のすぐ隣という席で、丁度花道のその辺りで役者が立ち回りをしてくれるので、老眼にはありがたい限り。



私は水浅黄色の大島に、亡き義母が染めてくれたアヤメの帯を締めました。
義母は紅型染が趣味で、素人の手習いとはいえ個展を開くほどでした。
お昼は、お食事処「花籠」でのお弁当。



幕がはねた後、歌舞伎座のすぐ隣の「茜屋珈琲店」でお茶を。
このお店は私が若かった頃には、赤坂、六本木、目白とあちこちにあり、特に学校があった目白店には何度か行きました。
数年前に旧軽井沢でも見かけたなあと思いながらマスターにお聞きしたら、銀座店は40年前にできたのですって。
私は冷たい「ぐれいぷじゅうす」を。
甘酸っぱく濃いこちらのジュース、懐かしい!



お店のHPを見たら、日本初の高級珈琲専門店として1966年に神戸でオープンということです。
世界中の有名陶磁器のカップを多数取り揃え、炭火焙煎したコーヒーを出してくれるのは嬉しいが、いかんせん、昭和の喫茶店ということで喫煙可。
この煙モウモウはちょっと耐えられないねと、友人とすぐに出てしまいました。




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新春歌舞伎、團十郎だらけ!

2024年01月14日 | 劇、オペラ、コンサート

新橋演舞場の初春歌舞伎公演、市川團十郎の親子三人競演というので、楽しみに行って来ました。



近松門左衛門歿後三百年と銘打った「平家女護嶋(へいけにょごのしま)」は、平家への謀反を企んで失敗し、鬼界ヶ島(きかいがしま)に流された俊寛・成経・康頼の話。
ボロボロの服を着てなんとか生きている三人の所にある日大きな船が来て、恩赦が下って帰郷を許すと。抱き合って狂喜するが、赦免状には俊寛の名前だけがなかった。絶望に泣く俊寛にもその後、恩赦の情けが届くが、同時に妻が殺されたことを知ってもう帰る理由もないと、成経が島で契った女に乗船権を譲ってしまう。しかしいよいよ船が行ってしまうと、俊寛はよろよろと岩山に登って泣き叫ぶのだった…

  

この話は子供の頃にも読んで胸を痛めたものですが、今だともっと胸に迫ってきます。
三人だからこそ助け合ってなんとか生きて来たのに、たった一人孤島でどうやって生きていくのか。そんな孤独に苦しむくらいなら、私だったら死んだ方がどんなにマシか。
この哀れな俊寛、気丈な常盤御前、剛健な斎藤実盛の3役を團十郎が演じ、つまり團十郎の独擅場。
「恩愛麻絲央源平(おやこのきずななかもげんぺい)」、この副題には亡き麻央さんの名前が入れられているのですって。
ぼたんちゃん(12歳)のひな鶴、新之助君(10歳)の牛若丸の可愛いらしいこと!
麻央さんが生きてらしたらどんなにお喜びかと、ついオバちゃんは涙腺が緩むのでした。


(これはネットから)

私は初春ということで、薄ピンクの観世水に壺の絵柄の付け下げ。
これには同じ絵柄の薄ベージュの帯が誂えてあったのですが、壺の柄が上手く出ず、時間切れで断念。
またリベンジしなくっちゃ。
舞台の後、銀座風月堂の2階でお茶をしたら、奥の小さな個室に案内されました。
ゆっくり友人と話ができて喜んでいたのですが、夕方外に出たら、何と雪が降っている!
個室には窓がなくて外が見えなかったのでした。
雪から霙に変わり、勢いが衰えるのを待ち、這々の体で地下鉄通路に逃げ込みましたとさ。



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