Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「そして父になる」

2013年10月27日 | 映画


ようやく観て来ました。
カンヌ審査員賞受賞、スタンディング・オベーションを受けたという作品。
「誰も知らない」の是枝裕和監督。

都心の高層マンションに住む、エリートサラリーマンの野々宮(福山雅治)。
地方で小さな電機屋を営む斎木(リリー・フランキー)。
6年間育ててきた息子が病院で取り違えられたということが分かり、
この先どうするか?と悩み、それぞれの苦しみが始まる…



勝ち組の野々宮は、一人息子が今一つ才気煥発でないことに
不甲斐なさを感じていた。
なので取り違えが分かった時に「やはりそういうことか」とつぶやいてしまう。
電気屋の斎木に対しても、最初から上から目線。
弁護士を誰に頼むかという話になると
「大学の同期に親しいヤツがいますから」と。
私の周りにもゴロゴロいます、こういうの。

二家族が会う際の飲食費や、野ノ宮家に来る際の新幹線代を病院につけ、
慰謝料を期待する斎木のセコさも嫌ですが
子どもに対する態度については、圧倒的に斎木に軍配が上がる。
仕事を優先する野々宮は、子供と一緒に過ごす時間がそもそも少なすぎる。
弱者の悲しみというものが分からない。
結果的に野々宮は、実の息子にも育てた息子にも拒否されてしまう。
そうして初めて、野々宮に父としての自覚が生まれるのですが…




今まで育てた息子を取るか、血のつながった息子を取るか。
難しい問題です。
自分だったらどうするか?

6年間という歳月がまた、絶妙。
自分の場合を振り返っても、6歳までの記憶というのは実におぼろげ。
しかし、相反することを言うようですが、
その6年間という年月が、自分という人間を作り上げたような気もするのです。
そしてまた母親の立場になってみれば
6年間毎日一緒に暮らし、抱っこして添い寝して育ててきた子どもを
はい、違いましたかと他人に渡すなんて。
小さな子どもにとっては親が世界のすべて。
あれだけママ、ママと慕ってくる子供を捨てるなんて
そんなことできるものですか…

なので、観る側に答えを委ねたという結末は
すっきりしなくもありますが、ある意味、納得できるものだと思うのです。
この映画、タイトルがすべてを物語っています。
早くもスピルバーグによってリメイクされることが決まったとか。
養子縁組が日本よりもずっと普及しているアメリカにおいて
どんな仕上がりになるのか、楽しみです。

「そして父になる」 http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/
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「偽りなき者」

2013年10月24日 | 映画


この映画を観るのは、勇気が要りました。
冤罪という、どうにも辛く重いテーマ。
しかし、私の大好きな「光のほうへ」を作ったトマス・ヴィンターベアが監督というので
勇気を振り絞って観たのでした。
(そんなに嫌ならやめればいいのに、この性格が悲しい…)

デンマークの小さな町の幼稚園保育士ルーカスは
彼の気を惹きたかった幼いクララの嘘によって
性的変質者、幼児虐待者のレッテルを貼られてしまう。
職を失い、友を失い、恋人にも去られ、町のスーパーでも売って貰えないどころか、
血まみれになるまで殴られる始末。
愛犬ファニーの惨殺死体が戸口に置かれたところでは
私は思わず吐き気を覚えました。

幼いクララは途中で、あれは嘘だったの、と母親に言うが
嫌なことがあると、人はその思い出を頭から追い出そうとするものなのよ、
もう何も言わなくていいの、といなされてしまう。
クララはルーカスの幼馴染で親友テオの娘でもあるのだが
テオも、自分の娘は嘘をついたことがないといって親友を信じない。
愛する息子マルクスだけは信じてくれるものの、
ルーカスは町中から憎悪され、孤立してしまう。

善良な人間の平和な日常が、何気ない一言によって崩壊していく様が
本当に恐ろしい。
相手が悪意のない、幼い子供であるだけに、ルーカスには為す術もない。
集団ヒステリーのようになって彼を責め立てる町の人々。
その絶望感、緊迫感。
そしてこれは誰にでも起こり得ること、というのが怖い。
何処まで苦しめるの?お願い、なんとかしてよと
祈るような思いで観て行くと…





(ネタばれあり)



結局ルーカスの「何があっても逃げない」態度が
かつて親友だったテオの心を動かしたということか。
彼の芯の強さが、すべてに勝利したということか。
しかし、その過程については詳細が描かれないのがちょっと不満。
そしてラストの、ルーカスの頭をかすめた一発の銃弾。
あれについては解釈が分かれるでしょうが
不気味な余韻を残すことだけは確かです。
原題は"Jagten"、これは英語で"Hunt"であるらしい。
鹿などの「狩り」を楽しんでいた主人公ルーカスが一転、
魔女狩りのように狩られることを意味しているのでしょうか。

「偽りなき者」 http://itsuwarinaki-movie.com/
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損な役回り

2013年10月23日 | 社会


ブロガー仲間のYさんの記事を読んで
思わず笑ってしまいました。

先月の、東京オリンピック開催決定というニュースを
彼女は旅先の海外で聞いたのだそうです。
彼女は私と同年代の方なのですが、以前、大病を患われたこともあって
7年後、どうか元気でいられるようにと涙を浮かべて祈られたのだそうです。
隣にいらした70代の母君も、同じような神妙な面持ちで祈ってらしたと。
ところが後日帰国なさってから、夫君の御両親の、それを聞いた瞬間の様子を
夫君から聞いてずっこけたとのこと。
85歳の義理の御両親は、まったく、何の疑いもなく、その日を楽しみにしていたと。
長寿の秘密はこれだ!この呑気さだ!と彼女は断言しています。

そうなんですよね…
しかしこういう性格って、変えようと思っても変えられるものじゃないんですよね。
呑気で楽天的でマイペースな性格の方が
生きて行く上でいいに決まっている。
だけどネクラで落ち込みやすい性格を、簡単に変えられるものではない。
(本が好きな人間なんて基本ネクラだと私は決めつけています)

私はとりあえず大きな病気を経験したこともないし、
今のところ家族も健康だし、ありがたいことに日々気ままに楽しく生きている。
それでも、経年劣化なんだか更年期なんだか
これだけスポーツクラブに通って踊っていても
肩凝りや腰痛を抱えたり、頭痛や肉離れを起こしたり。
精神的にも妙に落ち込んだりしている。
ごく小さなことに傷ついたり、クヨクヨしたりなんてしょっちゅうです。
7年後のオリンピックについては、涙を浮かべるとまではいかなくても
やはりどうか何事もなく、無事に迎えられるようにと思ってしまいます。

そして、呑気でマイペースな性格の人が身近にいると
羨ましいと思いながら、結局その人のペースに振り回されている。
どうも分が悪いなあと思いながら。
そういう役回りなのでしょうね、きっと。
ということが、最近になって分かってきたのでした。


近所の花屋さん

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「おまえの話はつまらん!」

2013年10月21日 | 社会
今朝、天野祐吉氏の訃報に驚きました。
間質性肺炎のため20日に死去されたのだそうです。
享年80歳。
朝日新聞に連載されているこの人の「CM天気図」を楽しみにしていたのに。
確か最近も読んだばかりだと思って確認してみたら
先週16日の新聞には「ささやかなアンチ広告」という題名の記事が載っている。
20日にお亡くなりになったなんて…

彼の歯切れのよいコラムが私は好きで
確か日記にも取り上げたことがある筈、と検索してみたら
いくつか出て来ました。
中でもこれ。
2008年11月の、選挙の前の自民党(その頃は麻生さんが首相だった)のCMを
「つまらん!お前の話はつまらん!」というキンチョウのCMを使って
あっさり断罪しているのです。
http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/75cfa6158bcd7afad5359cef36a382c1

この先、首相が出ているようなCMに対して
一体誰が「お前の話はつまらん!」と斬ってくれるのか?


つい先日、ヤナセタカシ氏もお亡くなりに。
ツィッターで、彼を見送るようなアンパンマン雲の写真が出ていて
涙を誘われました。
重ねて御冥福をお祈り致します。




「アンパンマンのかたちの雲」
https://twitter.com/katoa2c/status/390293581992173568/photo/1
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小さな涙

2013年10月18日 | 社会


新聞広告クリエーティブコンテストの今年度の入賞作が発表されました。
今回のテーマは「しあわせ」なのだそうです。

最優秀賞作品「めでたし、めでたし?」。
大きな白いページの下の方に小さく、鬼の子どもの絵。
涙をポロポロと流している。
「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」
というキャプションがたどたどしい字で。
博報堂の山崎博司氏の作品だそうです。

正義の味方の桃太郎が、犬やキジやサルを引き連れて鬼ヶ島に行って
苦難の末に鬼を成敗した。
めでたしめでたしで話は終わった。
こんな見方なんて、考えたこともなかった。
鬼は極悪非道な悪者だったのかもしれないけれど
この子にとっては、いいお父さんだったのだろうなあ。
だからといって、鬼の罪が軽くなるわけではないけれども
この絵には胸が痛む。
これは極端な例だろうけれども、このようなことは形を変えて、
世界中のあちこちで起きているのでしょうね。
小さな小さな鬼の子どもの涙が、なんとも悲しい。

新聞広告クリエーティブコンテスト
http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013.html
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話が長すぎ!

2013年10月14日 | 家庭


名古屋勤務であった長男が3年半ぶりに東京本社に転勤となり、
この週末に帰って来ました。
と言っても、もう自宅に住む気は更々なく、
もう少し都心に近い所にマンションを探してさっさと契約。
昨日、荷物を出して今日搬入、本人だけ昨夜、我家に泊りに来たのでした。

その前日金曜日、私は高校時代のいつもの集まりに。
同級生の一人が、国立新美術館の自由美術展に作品を出展したので
皆でそれを観賞、その後六本木の飲み屋へと移動。
ほろ酔い気分で飲み屋を出て、みんなでわいわい写真を撮ったりしていると
ひょろ長い青年が通りかかって
私の隣にいた同級生H君が、ありゃこんな所で、と驚いている。
聞くと、その青年はH君のシナリオ講座の受講生だと。
そうだ、H君は我々の前ではアホな顔しか見せませんが
名の知れた脚本家だったのでした。

若者キタノ君は、ひょろ長くてお洒落で、ちょっと長男に感じが似てる。
そう思って見ていると、長男と同じ会社だというのです。
まさかと思いながら息子の名前を言ってみると
ああよく知ってます、同期ですと。
まあ、なんて偶然!
本当に○○君のお母さんなんですか?H先生顔が広いですね、なんて言っている。
ついでにその彼に写真撮影を頼んだり、大騒ぎして一次会はお開き。
昨夜の夕食時に私がその話を
お母さんがね、昨日同級生と美術館に行ってね、と嬉し気に一通りすると…

我家の男たち、へえと言ったきり、黙って食べている。
もうちょっと驚くとかなんとかしてよ、と私が言うと
長すぎるんだよ、話が、と長男。
しかもエラそうだし、と次男。
今の話、三分の一の時間で話せるな、と夫。
六本木でキタノに会った、共通の知り合いがいたんでオレの友達だと分かった、
でいいじゃん、と長男。



それじゃあ何にも面白くないでしょうが!
他愛ないことをあれこれ話して聞いてくれる相手が欲しかった…と
タロウを抱いて私は思ったのでした。

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金木犀とボランティア

2013年10月10日 | 社会


10月なのに30度を超したりと驚かせられたりはしますが
それでも金木犀が香る、散歩に最適な季節となりました。
この花はすぐ終わっちゃうのですけどね…
今日の朝日新聞の「私の視点」に
ロンドン五輪のボランティアに参加されたという女性の経験談が載っていました。
彼女は在英40年になる日本女性なのだそうです。

記事によると
ロンドン五輪のボランティアには24万人以上が応募し、選ばれたのは7万人。
”はるばる飛行機で北アイルランドから来た会社員、
ロンドン近郊のPR会社勤務の女性、
イングランド北部からキャンピングカーでやってきた退職者夫婦など”
様々なボランティア仲間との会話が楽しかったそうです。
”支給されるのはロンドンのバス・地下鉄パスと日に一食だけ。
勤め人なら有給休暇をすべて使い、ロンドンまでの交通費や期間中の滞在費は自己負担”
なのだそうです。

”それでも喜んで参加するのは、学生なら就活に、勤め人なら昇格に、
それぞれ大きな力を発揮するからだ。
管理職を目指す人なら、五輪ボランティアのチームリーダーを務めた経験が
ものを言うという”と。
日本ではどうだろうか、
仕事を2週間休んでボランティアをしたいと言って、会社が快く許してくれるだろうか。
仕事へのプラス評価につながるだろうか、と筆者は言っています。

そうだったのか…
よその国の五輪のボランティアの姿をテレビなどで見る度に
あれはどういう人がどういう条件でやっているのだろう?と思っていました。
とりあえず下手な英語を話す私。
たまに、外国人の東京案内などしています。
以前、アメリカ人の主婦グループに頼まれて、
簡単な日本の家庭料理の教室をしていたこともあります。
現在も、アメリカ人の牧師さんの翻訳のお手伝いをしています。
7年先にもしできたら、五輪のボランティアもしたいと思っています。
そんなに高い競争率では、できるかどうか分かりませんが…

私は暇な主婦ですから、応募するのに問題はないのですが
日本の忙しい会社員が、イギリスのように気軽に参加することができるのだろうか?
ボランティアの価値が認められ、評価されるようになっているだろうか?
誰もが気易く参加できるような、フレシキブルな社会になればいいと
切に願います。
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「ヴェネツィアの宿」

2013年10月06日 | 


近々イタリアに旅行するという友人に、(イタリアに関連する本だったら)須賀敦子が
いいよと勧めて、自分でも久しぶりに読み返してみました。
別に旅行記というわけではないのですが
若い頃に長くイタリアに住んでいたという著者の本には、イタリアのあちこちの風景と
それにまつわる彼女の想いが散りばめられているのです。

そして須賀敦子の文章は、何処か悲しい。
同じイタリア関連でも例えば塩野七生の、論理的で歯切れのよい文章に比べると、
控え目で上品で、線が細いような気がするのです。
塩野七生が今もイタリア在住、第一線で活躍中の歴史研究家であること、
須賀敦子がイタリアに留学したのは今から半世紀以上も前であること、
そして彼女が本を書き出したのは帰国後20年以上も経ってからであること、
そして幾つかの美しい著書を残して急逝してしまったことも
関係しているかもしれません。
だから須賀敦子の描くイタリアは、どれもこれも
彼女の記憶の中でうっすらと霧に包まれたような感じなのです。

須賀敦子の数少ない著書は、どれも珠玉の宝石のようですが
その中でも、自伝的な要素を多く含んだ短編集「ヴェネツィアの宿」が私は好きです。
たった6年連れ添った夫君ペッピーノが死んでゆく夏を描いた「アスフォデロの野をわたって」
亡き父君の思い出とやはりその別れの場面を描いた「オリエント・エクスプレス」は
あまりにも悲しい。

死の床にある著者の父が「ワゴン・リ社の客車の模型とオリエント・エクスプレスのコーヒー・カップ」
をお土産に求めるのです。
模型はともかく、コーヒー・カップを一体どうやって入手できるのか、途方に暮れた著者は
ミラノの中央駅に駆けつけ、オリエント・エクスプレスの車掌長に事情を説明するのです。
”ヨーロッパの急行列車でも稀になりつつある、威厳たっぷりだが人の好さがにじみ出ている、
恰幅のいいその車掌長に、私は、日本にいる父が重病で、近々彼に会うため私が東京に帰ること、
そしてその父が若い時、正確に言えば1936年に、パリからシンプロン峠を越えてイスタンブールを旅したこと、
そのオリエント・エクスプレスの車内で使っていたコーヒー・カップを持って帰って欲しいと、
人づてに頼んできたことなどを手短に話した。
ひとつだけ、カップだけでいいから欲しいんだけど、分けて頂けるかしら、と”(中略)

すると車掌長はおもむろに客車にとってかえすと、
一つのコーヒー・カップを白いリネンに包んで持たせてくれるのです。
それを持って日本に急ぎ帰国した筆者に、父君はもう焦点の定まらなくなった目を向け、
「オリエント・エクスプレス・・・・・・は?」とささやきます。

”翌日の早朝に父は死んだ。
あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、
戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わたしてくれた。
これを最後まで、見ておいででしたのよ、あいつが帰ってきたら、
ヨーロッパの話をするんだとおっしゃって。”


60歳を越えて書き始めたという彼女が
たった8年間の創作活動の末に近年、急逝してしまったことが惜しまれてなりません。

「ヴェネツィアの宿」 http://tinyurl.com/k432wbg
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NYの朝食の女王「サラべス」

2013年10月05日 | グルメ


普段オペラ観賞は、週末に夫と行くことが多いのです。
その際は自宅から車で行くのですが
今回は平日の夜だったので、会社帰りの夫と現地で待ち合わせ。
私は電車で少し早目に行って、オペラシティで軽く食べようと思っていたのですが
新宿で乗り換えた際に、ふと思いついて「サラべス」を覗いてみたら
カウンターならすぐに座れる、というではありませんか。

「サラべス」は”ニューヨークの朝食の女王”という触れ込みの店で
去年、東京1号店が新宿ルミネにできたのです。
”ザガット・サーベイでは「ニューヨークNO.1 デザートレストラン」にも選出され、
New York Magazineは 文句なしのニューヨークの朝食の女王と賛美”と(店のHPより)。
しかし、私が見る度にまだ並んでいたのです。
週末には整理券を配って4時間待ちだとか。
それがすぐ座れるとなったら、入るしかない!

殆ど女性客で埋まる、白を基調色とした小さな可愛いお店。
ここの看板メニューの一つというレモンリコッタパンケーキとカフェラテを注文。
やがて運ばれてきたパンケーキは…
うん?そんなにフワフワじゃない。
もっととろけるように、天使の羽のように軽いかと思っていたのですが。
パサパサしていて、これなら自宅で作れるんじゃないの、という程度。
レモンとナツメグ味のパンケーキなので甘くないというのは了解済みとして
レモンの皮のほろ苦さとリコッタチーズの濃厚な味がもっと効いているかと思いきや、
少々甘く少々酸っぱく、なんとも中途半端な味。
添えられているバターとベリージャムをつけても、どうにも単調。
果物も、ブルーベリーとラズベリーがそのまま付いているだけ。

結局私は4枚のパンケーキのうち、2枚を残してしまいました。
こんな単調な味で、とても4枚の完食はできません。
私のような小食の人間が一人で入ること自体、無謀だったのかも。
誰かと一緒に入って、エッグ・ベネディクトなどとシェアしたら
もっと美味しく頂けたのでしょうが。
しかしあの味で、飲み物入れて1900円は…
ちょっと残念。

「サラべス」 http://www.sarabethsrestaurants.jp/
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醜い男の涙「リゴレット」

2013年10月04日 | 劇、オペラ、コンサート


このところ、新国立劇場でオペラを聴く機会が増えました。
この一年ほどで「トスカ」「魔笛」「ナブッコ」など楽しんで来ましたが
オペラ初心者の私には、何と言っても昨夜の「リゴレット」が面白かった。

リゴレットとは醜い道化師の名前。
背中に大きな瘤がある彼は、世を呪い人を呪って生きて来たが
一人娘の美しいジルダを溺愛していた。
世間知らずのジルダは、女たらしのマントヴァ侯爵に出会って恋に落ち、
身も心ももてあそばれてしまう。
それを知ったリゴレットは激怒し、殺し屋に侯爵の殺害を頼むが
騙されたと知っても侯爵を愛しているジルダは、彼の身代わりとなる。
殺し屋が運んできた麻袋の中に
最愛の娘の瀕死の姿を見つけたリゴレットの嘆き…



簡単に言えば、こんな話です。
ヴィクトル・ユーゴー原作、ヴェルディの作品であるこのオペラ、
ドイツ人の演出家クリ―ゲンブルクによる今回の舞台は、現代的なホテルでした。
上の写真はパーティ・シーンなので皆着飾っていますが
別のシーンでは、男たちは黒っぽいスーツ姿、女たちはワンピースや下着姿など。
最初は驚きましたが
考えてみれば上記の内容は、今の時代に置き換えてもそれほど違和感がない。
貧富の差、上流階級と下層階級に生きる人間の格差、
醜いものと美しいものの相反、そして恋愛と裏切り。
現代ホテルは、都市の暗部の比喩か。
ヴェルディの時代も今も、人間のすることって変わらないのですねえ。



第三幕の初め、居酒屋で侯爵が酒場の女を甘く口説き、
女はそれを巧みにあしらい、
その様子をジルダが見て嘆き悲しみ、
リゴレットはそんな娘に復讐が必要なのだと説く。、
テノール、メゾソプラノ、ソプラノ、バリトンの美しい四重唱によって
4人のまるで別々の出張が同時に理解できる場面は見事です。
そういう場面はここだけではないのですが…

新国立劇場「リゴレット」 http://www.atre.jp/13rigoletto/
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