Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

20年後の恩返し

2011年04月29日 | 社会
以前、クウェートは湾岸戦争の後の感謝広告で何故、
巨額の援助金を出した日本の名前を外したのだろう?と疑問に思ったのですが
ちょっと検索してみても、日本の援助金の殆どをアメリカが猫ババしていたという説あり、
日本から戦地に人を派遣させようとする、アメリカとアメリカ寄りの日本の政治家による
巧妙な罠だったという説あり、
結局どれが本当なのかよく分からなかったのでした。

少なくとも言えるのは
当時このような考え方が喧伝されていたということでしょうか。

”イラク軍をクウェートから撤退させた多国籍軍の活動に感謝する趣旨の全面広告が、その年の三月と五月、米紙ワシントン・ポストなどに掲載された。米国など約三十カ国の国名が並んだが、「日本」はなかった。
二年八月のイラク軍のクウェート侵攻以来、日本が多国籍軍に援助した額は百三十億ドル(約一兆四千億円)。湾岸当事国を除けば最大規模の資金を拠出したにもかかわらず、まったく無視されたのだ。
それが、実際に機雷掃海作業で汗を流すと、クウェート側はていねいに礼を尽くしたのである。この二つのケースの落差をみると、「カネは出すが、人は出さない」という従来型の日本のやり方が、国際社会には通用しないことを浮き彫りにしている。”
産経新聞朝刊 1993/11/17

実際この後、日本は国連にPKOの派遣を行うようになったのですから…


そうしたら昨日の朝日新聞に
”クウェート、復興支援に原油 「湾岸戦争の恩返し」”
という記事が。

”中東の産油国クウェートは27日、東日本大震災からの復興支援で原油500万バレル
(約450億円相当)の無償提供を表明した。湾岸戦争時の恩返しとしてオタイビ
駐日大使が27日、石油相の親書を海江田万里経済産業相に手渡した。
イラクのクウェート侵攻が発端となった1991年の湾岸戦争で、日本は多国籍軍へ
の協力などで130億ドルを出したが、資金だけだとも批判された。
クウェート政府は米紙への広告で30カ国に謝意を示しながら日本を挙げなかった因縁がある。
オタイビ大使は「日本の支援を20年たっても将来も忘れない」とした。”
http://www.asahi.com/international/update/0427/TKY201104270480.html

ここにも理由は語られていない。
真相は藪の中、か。
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9割以上の予約がキャンセルされた

2011年04月28日 | 社会

昨夜ネットのニュースを見ていて驚きました。
湯西川温泉の老舗「伴久ホテル」が破産したって…
ここはほんの半年前、私が泊まったところなのです。
混浴露天風呂のことを日記にも書きました。

”同ホテルは平家の落人の末裔、伴家が1718年に創業したという。
民間旅行関連会社の全国調査でも常に上位にある人気ホテルで、同支店によると、
ピーク時の95~96年には年間20億円台の売り上げを計上した。”

ところが
”不況に東日本大震災と福島第1原発事故に伴う風評被害が追い打ちをかけ、
4月はほぼ「開店休業状態」だったという。負債総額は約30億円。”
自粛ムードで予約のキャンセルが相次ぎ、同ホテルの久盛社長は今月14日、
毎日新聞の電話取材に「9割以上の予約がキャンセルされた」”と。

気の毒に…
山奥の渓流を見下ろす位置にいくつもある露天風呂も気持ちよかったし、
サービスもきめ細かく、十分に満足できるものでした。
震災で施設の被害は出なかったというのだから
保険もおりないだろうし。
でも、間違いなくこの大震災と原発事故の被害者です。
たまたまここは有名な老舗ホテルだからニュースになっただけで
ひっそりとつぶれていく名もない旅館やホテルもきっと無数にあるのでしょうね。
被害は何処まで広がるのか…

伴久ホテルの日記
http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/2c952e5f9078e260d356b528bc7724f7

伴久ホテル:破産手続き
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20110427ddlk09020169000c.html
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誰かが直さなければ。

2011年04月27日 | 社会
あの大地震で、東京タワーのてっぺんがわずかに曲がってしまったということは
見聞きしていました。
その曲がった部分を修理している様子を撮影した動画が
今ネット上で話題になっているのだそうです。

この動画はしかし、あまりにも遠くて小さくて
目を凝らして見てもよく分かりません。
先端部分に、4人の人が2人ずつ向かい合わせにぶら下がっているようです。
これは丁度、庭の花の茎につく小さなアブラムシにそっくり…
時々何か光ったりして、何をどうしているのかわからないままに
曲がった先端が真っ直ぐに直っている。
こんな高くて危ないところで…



動画のコメントの中に、澤木耕太郎の文章が引用されている。
これは確か、東京タワーのてっぺんのチカチカするあの赤い光は
一体誰がどうやって換えているのだろう?と疑問に思った澤木氏が
「彼らの流儀」の中で書いている文章なのです。

”NHKのアンテナがある三百十三メートルから上は、そのハシゴすらなくなってしまうんです。航空障害灯のある三百三十三メートルのところまで行くには、三角定規のような形に­折り曲げられたパイプ状のアンテナをよじ登っていくことになります。もちろん、命綱などつけません。そんなものをつけたら邪魔で登れないからです。

といっても、私たちはトビ職人でもなければ、特別な訓練を施された専門の要員でもありません。放送用のアンテナのメンテナンスを担当している古河電工の普通の社員にすぎないんです。実際、私にしたところで、鉄塔に登るつもりでこの会社に入ったわけではありません。配属されたところがたまたまアンテナ部門だったというにすぎないんです。”
沢木耕太郎「鉄塔を登る男」


曲がったものをそのままにする訳にはいかない。
誰かが直さなければ。
こんな高くて(人間が小さなアブラムシに見えるほどの!)危ない所でそれをしてくれた「誰か」に敬意を表します。
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日本は確かに元気になれる!

2011年04月23日 | 社会
あの大震災以来、「日本」という自分の母国のことを
妙に意識するようになりました。
それまで平和にどっぷり浸っていて考える必要もなかったのが
あれだけの大災害を自国が被って、初めて目が覚めたというところでしょうか。
私は基本的に中道、やや左寄りくらいの位置にいると思うのですが
自分の国を思う気持ちにはなんら恥じるところありません。

とかく日本では愛国心という言葉を使うのに
ヘンな誤解を恐れたり、妙な照れを感じる恐れがあるように思うのです。
そんなのは世界中見ても日本くらいなのではないのか?
アメリカ、ヨーローッパ、アジア、色々な国を旅してきましたが
どこの国の人も堂々と庭先に国旗を飾り、国を愛することを口にして憚らない。
それは人間として当たり前の姿だと思うのですが。

九州新幹線が全線開通したのは3月12日。
”それに伴いTVCMは9日からオンエアされた。しかし、その2日後、東日本大震災が発生。
CM自粛の動きの中で、わずか3日間しか放送されなかった。しかし、JR九州ではホームページ上でCMを配信、その映像が口コミで伝わり大反響を呼んでいる。”
のだそうです。

参加したボランティアは一万人。
必死で新幹線を追いかける子供たち、飛び上がって手を振る大人たち。
その映像が延々と続くだけなのに
泣けてくるのは何故だろう?
この国が被っている大きな悲しみの中で
少しでも元気が貰えるからではないか?



”JR九州ではCM撮影のためH P上で協力を呼びかけた。
「新幹線が来たら元気よく手をふりましょう。
通過後、ちょっと寂しくなるくらい盛り上がりましょう。」"
http://www.hollywood-ch.com/news/11042210.html?cut_page=1

これは九州だけでなく、是非日本全国で流して欲しいものです。
日本は確かに元気になれる!

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『謝謝台湾計画』に謝謝!

2011年04月22日 | 社会

昨日の日記の続き。
感謝広告くらいどうでもいいじゃないかという向きもあるでしょうが
湾岸戦争の際、日本は巨額のお金を出したのに
クウェートが30カ国に謝意を示す広告を米紙に掲載した中に
日本の名前がなかった、
そのことに傷ついた日本人は多かったと思うのです。

それを思い出して、クウェートの感謝広告というのはどういうものだったのだろうと
ネットで検索していたら
「台湾の新聞に日本人としてお礼の広告を出したい」とツィッターで呼びかけた
女性デザイナーがいたという記事を見つけました。

彼女、木坂麻衣子さんの行動は早かった。
『謝謝台湾計画』というサイトを作り、2011年4月18~26日までの期間で
広告掲載のための支援金を募り、そのお金を管理するための事務所を設立、
銀行に口座を開く。(ツィッターでつぶやいてるだけなので、任意団体名義で
口座を開くのが大変だったらしいw)

たった3日間でお金は集まり、
台湾の総合紙『聯合報』と『自由時報』の2紙に出すことに。
新聞社からは広告代をディスカウントして貰え、日本円で240万円。
支援金は20日までで680万円にもなったのだそうです。
広告代の残りは、被災地への義援金にすると。


ああよかった。
だらしない政府の代わりに、義侠心に富む日本人がいる。
謝謝!


『謝謝台湾計画』
http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/

謝謝台湾計画についてのロングインタビュー
http://rocketnews24.com/?p=89686
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どう考えてもヘン!!

2011年04月21日 | 社会
台湾からの義援金総額は13日までに140億円に達し、
米国からの104億円、中国3億4千万円、韓国16億円をはるかに上回るというのに
日本が世界7カ国の新聞に感謝広告を出した際、その中に台湾は含まれなかったのだそうです。

世界7カ国というのは米英仏中露韓、それに国際英字紙。
何故!?
金額だけ見たって台湾が一番なのに。
しかも台湾の人口2300万人ということを考えたら
どれだけ感謝してもしきれないのに。

そう不思議に思ったら、やはり
”このことについて日本のネットユーザーからは、不公平だとの声があがり、
外務省に対して「なぜ台湾紙に感謝広告を掲載しなかったのか」と直接尋ねる人も現れた。
外務省からは、「広告は義援金の額で決定したのではなく、
国の規模と近隣諸国への影響を考慮して決定した」と回答があったという。”

台湾紙に感謝広告が掲載されず、日本ネットユーザーが不満=台湾
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0417&f=national_0417_081.shtml


国の規模って何よ?
小さな国にはお礼も要らないって?
近隣諸国への影響って何よ?
中国に遠慮したってか?


しかもそのことに関して台湾は
感謝の気持ちは十分伝わってるとコメントしたのだそうです。
泣けてくる…

「日本からの感謝の気持ちは十分伝わっている」義援金感謝広告に台湾政府がコメント
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1574987&media_id=31
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ボランティアになった暴走族

2011年04月18日 | 社会
茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族が17日解散し、
今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや
浜辺の清掃などを行うボランティアチームとして再出発するのだそうです。
http://t.co/pfDOTMN

「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」という名前が凄い。
”メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、
集団でバイクを乗り回し、爆音を響かせてきた。”
そりゃ長いこと、地域社会の鼻つまみ者だったのでしょうね。

”解散のきっかけは東日本大震災。
避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われ、
「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったという。”

人間って本当に、何がきっかけになるのか分からない。
彼らもきっかけを待っていたのかもしれませんね。
よかった、よかった。
流された家や壊れた家具はいつか直せるけど
人間の曲がった道は、本人がその気にならなきゃ絶対直せないもの。
それにしても
暴走族のリーダーって「総長」っていうんだ。
「族長」じゃないのね…


ついでに
長淵剛の、被災地で働く自衛隊激励ライブ。
これもよかった…

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「ありがとう」などもったいない

2011年04月16日 | 社会

「仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激」
”東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊の
ロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、
被災者が海岸に「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。”
のだそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110416-OYT1T00585.htm

検索してみたら
このロバート・トス米空軍大佐が横田基地のHPに寄せた文章を見つけました。
以下抜粋です。

”「Thank You」 is not necessary; U.S. forces honored to help reopen Sendai
「ありがとう」などもったいない。
米軍にとって仙台空港の運用再開を支援出来たことは光栄です。

3月16日に初めて仙台空港に到着してこれらの地域を目の当たりにした衝撃は、
映像をはるかに超えていた。
何千もの潰れた車両、折れ曲がった飛行機、根こそぎにされた木々、崩壊した家々、
水、砂、魚貝などが散乱し、機能が停止した空港のイメージは、
フィルムに、そして我々の記憶にも記録された。

米軍が24時間態勢で空港運用を行ないながら物資を配送している間、
空港の日本人は重機等を駆使して懸命に空港の整備と修理を行なった。
4月3日に最後の着陸を行なった時、これがほんの19日前には壊滅的な状態だった
空港かと、我が目を疑った。
それよりもさらに驚いたのは、滑走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。
滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、
ふと下を見るとそこに日本語の"ARIGATO"の文字があるのに気がついた。
津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。

我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。
それどころか、我々が去った後も彼らの戦いは続くのだ。
これまでも彼らは、自らが生き残るための戦いと行方不明者の捜索を行なう中、
復興作業に懸命に取り組んできた。
第353特殊作戦群、米国海兵隊富士機動隊、海兵隊第35兵站連隊および
陸軍第35兵站連隊の全隊員、君たちの仙台空港復興に向けた懸命の作業に、
また日本の人々に復興への勇気を与えてくれたことに感謝する。
日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません。”

http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142

津波に襲われた直後の仙台空港の写真も出てきました。
これは凄い…
そして
”「ありがとう」などもったいない”なんて。
本当に感謝です。



写真 仙台空港で津波にのみ込まれた車両や軽飛行機
3月11日午後4時1分、共同通信社ヘリから
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「私を離さないで」

2011年04月15日 | 映画


英国で最も権威ある文学賞と言われるブッカー賞を受賞した
カズオ・イシグロの同名小説を映画化。

カズオ・イシグロという人は、日本生まれの日本人であるのに(その後イギリスに帰化されたそうですが)
英語で小説を書き、その作品は翻訳物の棚に並べられています。
受賞作「日の名残り」は、没落した貴族の館に住む老執事と女中頭との
恋とも呼べないような淡い感情と、斜陽階級の誇りや伝統、哀れさを絡めた作品。
一体どんな人なのだろうと思っていたら
先日朝日新聞の記事に出ていました。
海洋学者の父親の都合で1歳の時に英国に渡り、いまや英国に帰化したのだそうです。
日本人でも英国人でもなく、いつも自分のアイデンティティを探していたと。
その彼の、目下最高作と言われている「私を離さないで」。

私は以前に本を読み、そして映画を観たのですが
なんとも複雑な感想で、文字にしにくいのです。
英国の郊外にある全寮制の学校「ヘールシャム」。
健康を厳重に管理され、世間から隔離されて育つ子どもたち。
キャシー、トミー、ルースの友情と恋愛と嫉妬が交錯するのですが
彼らは普通の子どもたちではなかった。
クローンとして生まれ、やがて臓器を提供する運命にある。
読みながら味わった、ざわざわと粟立つ不安、鳥肌が立つような恐怖が
映画では早くに理由が説明された分、少なかったような気がします。
でも、なんでそこで怒らないの?なんで逃げてしまわないの?と読みながら抱いた疑問が
映画でもまったく解明されなかった。
いかにクローン人間であるとはいえ、
彼らにも感情があり、怒りも悲しみもあり、当然恋愛もするのに。
しかし彼らは「提供者」「介護人」そして「終了」という運命を
粛々と受け入れている。


「宿命」を「受容」することの「諦念」がテーマか。
それは美しく気高いけれども、なんとも歯がゆく、無残で残酷です。
それでよい筈がないと叫びたい私がいる。
英国の緑深い田舎、船が打ち上げられている灰色の海辺の美しいシーンに重なって
なんとも後味の悪い、切ない気持ちがこみ上げてくるのです。
彼らには「提供者」になる以外、自分のアイデンティティを確かめる術が
なかったのかもしれない。
でも、他に選択肢はなかったのか、他に取る手段はなかったのか、
もっと暴れればよかったのじゃないかと彼らを責めたくもなる。
しかも、今はこんな時期だけに
福島原発の20キロ圏内の、あの荒涼とした景色にも思いが重なってしまう。
これでよい筈がない、と。


本の世界をそのまま映像化することに成功した珍しい作品の
ひとつであると言えると思います。
というより、本を読んだとき私が入り込めなかった世界が
映画の中にもそのまま存在したと言うべきかもしれない。
ギャラリーの存在は、私には最後まで謎でした。


「私を離さないで」 http://movies.foxjapan.com/watahana/
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ありがとう新幹線!

2011年04月12日 | 社会
こんなことを今頃知ったのは私くらいなのかもしれませんが…
今回の地震で新幹線が事故を起こさなかったのは
地震対策がなされた最新車両だったからということは聞いていたのですが
その詳しい理由までは知らなかったのです。

「早期地震検知システム」というものがあったのですね。
これは地震の揺れをいち早く検知するシステムで、
今回は最初の揺れの9秒前、最も大きい揺れが起きる1分10秒前に非常ブレーキをかけて
適切に減速することができたのだそうです。
地震発生当時、東北新幹線は27本の列車が乗客を乗せて走っていたが、
いずれも脱線せず停止したのだそうです。
さすが日本の新幹線!
http://www.sankeibiz.jp/business/news/110322/bsd1103220500001-n1.htm

あの大きな仙台駅でさえ、あんなに酷く壊れたのに。
原発事故では「想定外だったから」という言い訳を繰り返していますが
新幹線に関しては、想定外の地震をも乗り越えた。
2004年の新潟中越地震では、上越新幹線の「とき325号」8両が脱線し、
乗客、乗員にけがなどはなかったが、過去に重大事故を一度も起こしていない
新幹線の「安全神話」に大きな疑問が投げかけられたのだそうです。
その時の反省、技術改革が、今回の快挙をもたらしたのでしょうねえ。
日本人の技術って本当に素晴らしい!
以前見て泣かされた「とき325号」のフラッシュが
また見たくなりました。

上越新幹線「とき325号」のFLASH
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