SNSに書いた映画「リアル・ペイン」の記事について、以前アウシュビッツに行ったことがあるという友人が、その思い出を話してくれました。
そちらのコメントの中に、ゲットーから脱走する際に、布にくるんだ一切れのパンを持たされた少年の話が。
その記述を読んだ途端に、胸がキュンとしました。
その話、知ってる。
確かに昔、読んだことがある。
ネットで検索してみたら、出て来ました。
フランチスク・ムンティアヌの「一切れのパン」、中学の光村図書の教科書の中に入っていたのですね。
少年が脱走する際、老いたラビがハンカチに包んだ一切れのパンをくれた、最後の最後までこれは開けないようにと。飢えに苦しみながら長い距離を逃亡し、ようやく安全な所に辿り着いてそれを開けたら、只の木片だったというお話。
「ありがとう、ラビ」と少年はつぶやくのです。
確かにそんな話でした。
みずみずしい感受性を持った十代の心に深く突き刺さったのに、長いことすっかり忘れていたのでした。
小さな希望が、極限状態の少年を助けてくれたのね。
さて、今日描き上げた絵。
お座りをしてこちらを見て笑う、それだけのことが今のタロウにはできないのです。
見えない、聴こえないタロウに、「タロウお座り!」と叫んでも伝わらない。
認知症の今、自分がタロウということすら多分、分かっていない。
せめて絵の中で、明るい南仏調の家の前に置いてみました。
そちらのコメントの中に、ゲットーから脱走する際に、布にくるんだ一切れのパンを持たされた少年の話が。
その記述を読んだ途端に、胸がキュンとしました。
その話、知ってる。
確かに昔、読んだことがある。
ネットで検索してみたら、出て来ました。
フランチスク・ムンティアヌの「一切れのパン」、中学の光村図書の教科書の中に入っていたのですね。
少年が脱走する際、老いたラビがハンカチに包んだ一切れのパンをくれた、最後の最後までこれは開けないようにと。飢えに苦しみながら長い距離を逃亡し、ようやく安全な所に辿り着いてそれを開けたら、只の木片だったというお話。
「ありがとう、ラビ」と少年はつぶやくのです。
確かにそんな話でした。
みずみずしい感受性を持った十代の心に深く突き刺さったのに、長いことすっかり忘れていたのでした。
小さな希望が、極限状態の少年を助けてくれたのね。
さて、今日描き上げた絵。
お座りをしてこちらを見て笑う、それだけのことが今のタロウにはできないのです。
見えない、聴こえないタロウに、「タロウお座り!」と叫んでも伝わらない。
認知症の今、自分がタロウということすら多分、分かっていない。
せめて絵の中で、明るい南仏調の家の前に置いてみました。