前回の日記について意外に反応が薄かったので
こんな風に感じるのは私だけなのかとも思ったのですが
今日になって脱原発ポスター展の事務局ブログに
こんなメッセージを見つけました。
”No Fukushima という表現について
No Fukushima と No More Fukushima という表現について、これまでは「福島で起きた悲劇は繰り返さない」という意味と理解し、問題と考えていませんでした。No More Hiroshima と同じ意味だと考えていたからです。
英語圏の人に聞くと、海外にいる人が聞けば、確かに上のような意味に理解するのが普通だが、福島の人にとっては失礼な言い方になるかもしれない、とのことで した。つまり、「福島お断り」「福島はもう要らない」のような意味になりかねないと。もし自分が No Japan や No More Japan と言われたらどう感じるか?と言われてみると、確かに違和感を覚えます。
広島の人々が、No More Hiroshima という言葉を使っているように、この言葉が「悲劇を繰り返さない」という意味として定着し、福島の人々自身もそれを使う時期が来れば、問題はないでしょ う。しかし、福島から避難した子供たちが、いわれなき差別を受けることが懸念されている段階では、この言葉を使うのは時期尚早なのかもしれません。今、発 せられるべき言葉はむしろ、Save Fukushima のほうではないでしょうか?
したがって、もし事故を繰り返さない、という意味の言葉を使う場合は、No More Nuclear Disasters のような言葉を使うことを推奨します。また、その時期が来るまでの間は、No Fukushima および No More Fukushima の言葉を使っているポスターは表示しないことにします。すでに投稿している方は、修正の上、再度投稿をお願い致します。
この例のように、意図はなくてもその内容が失礼な意味になったり誤解されたりする可能性もあります。特に英文のメッセージを使う場合は、その意味や聞こえ方を十分考慮して、できるだけ分かり易い言い方を選ぶようお薦めします。”
脱原発ポスター展事務局
http://blog.nonukeart.org/post/5784365827/no-fukushima
ああやっぱり…
なんだかホッとする思いです。
最近のタロウと小さなベランダの写真。
以前は季節ごとに花を植え換えていましたが
今はもう面倒で…
多年草で丈夫なゼラニウムやアイビー類に頼っています。
それでも季節毎にささやかに彩ってくれています。