りそなの会計士はなぜ死亡したか(4)
佐々木実氏は『月刊現代』に寄稿した記事に、相沢英之元衆議院議員の「スケープゴートをつくること、監査法人の手でやらせることの二つがポイントだった」との発言を紹介したが、この言葉が問題の本質を端的に示している。
小泉政権の下で竹中経財相が主導した経済政策は、日本経済を破壊し尽くした。2002年9月30日に金融相を兼務した竹中氏は「大銀行の破綻も辞さない」とのメッセージを発した。株価が暴落したのは当然だった。
2000年4月に2万円を突破していた株価は、2003年4月28日に7607円に暴落した。史上空前の株価大暴落が生じた。日本の金融機関は株式を大量に保有しており、株式評価額の変化が金融機関の自己資本比率変動に直結する。株価暴落は金融機関の自己資本比率急落の主因であった。
2000年度に2%台の実質経済成長を実現し、日本経済は金融危機を克服して景気回復軌道に回帰したが、その回復初期の日本経済を小泉竹中政権の経済政策が木っ端微塵(こっぱみじん)に破壊した。偏向メディアは日本経済を破壊し、悲惨な格差社会を生み出した元凶である竹中氏を頻繁(ひんぱん)にテレビメディアに登場させているが、政権交代実現後に、すべての真相が必ず白日の下に晒(さら)されることになるだろう。
2001年から2003年までの経緯を冷静に観察すると、小泉政権は無理やりに大銀行を自己資本不足に誘導したと見られる。自己資本不足について、金融機関の責任が追及されるが、政府が経済を破壊し、株価暴落を誘導するなら、どれだけ優れた経営を実現しても銀行の財務内容の急激な悪化を回避することは出来ない。
経済を破壊し、株価を暴落させつつ、金融機関の自己資本比率算出方法を突然変更するとの政策は、まさに「悪魔の政策」だった。DCF方式による資産査定は、デフレ進行に連動して不良資産認定が拡大するメカニズムを内包している。また、繰延税金資産計上の圧縮が、銀行の自己資本比率を劇的に低下させることは明白である。
小泉竹中経済政策が実行した経済政策は、日本国民の利益を重視しては決して生まれない政策だった。その背後には、日本の株価暴落とそれに伴う巨大な利益機会獲得を狙う米国資本の強い意図が存在していたのだと推察される。
スケープゴートに選ばれたのは「りそな銀行」だった。りそな銀行の繰延税金資産計上が否認された最大の理由は、りそな銀行の将来の収益見通しの不確実性だった。しかし、りそな銀行の収益見通しが不確実だとするなら、同様に将来の利益計上の不確実性が疑問視される銀行は幾つも存在した。
しかし、繰延税金資産5年計上が否認されたのはりそな銀行だけだった。ここに明らかな恣意を読み取らないわけにはいかない。りそな銀行は狙い撃ちされたのである。りそな銀行の監査は最終的に新日本監査法人が担当したが、新日本監査法人は当初、りそな銀行の繰延税金資産の5年計上を容認する姿勢だったと見られる。
ところが、朝日監査法人がりそな銀行の繰延税金資産計上を否認し、監査受嘱を辞退する決定を示したために、結局、繰延税金資産の5年計上方針を変更した。この過程で重要視されるのが、2003年3月17日に木村剛氏が朝日監査法人の亀岡義一副理事長と会食していることである。
木村氏は2003年2月の日本経済新聞ウェブサイト連載記事で大手行に対する特別検査について言及し、外部監査法人の責任を強調するとともに、「翌年度を超える将来時点の利益計上が難しい場合」には、繰延税金資産計上はゼロないし1年にしかできないことを主張していた。木村氏はこの主張を5月14日付記事においても強調している。
佐々木実氏は、4月16日に朝日監査法人が速報ベースのりそな銀行決算見通しを受け取って以降の朝日監査法人の最高幹部が示した見解が、木村氏の主張と瓜二つであることを指摘している。朝日監査法人は木村剛氏の主張と同一の見解を監査法人として提示し、りそなの監査から辞退したのである。
朝日監査法人は2002年3月にKPMGと提携契約を締結している。また、新日本監査法人の海外提携監査法人もKPMGであった。新日本監査法人は朝日監査法人がりそなの監査を辞退して以降、単独でりそなの監査を担当したが、最終的に繰延税金資産計上を3年とする決定を下した。木村氏はKPMG関連の日本法人の代表を務めていた。
5月12日の金融問題タスクフォースは、「金融庁は監査法人の判断にいっさい介入しない」ことを確認して閉会しているが、この会議は「アリバイ作り」の会合であった疑いが濃厚である。繰延税金資産3年計上は、あまりにも不自然な最終決定であるからだ。
りそな銀行は「救済」された。その結果として、りそな処理を転換点に株価は急騰に転じた。日経平均株価は8月18日には1万円を回復した。
①経済悪化誘導政策による経済崩壊の誘導、②退場すべき企業を市場から退出させる政策推進による株価暴落誘導、③突然のルール変更による金融機関の自己資本比率の意図的な引き下げ、④その延長上での銀行の自己資本不足実現、⑤責任処理を伴わない銀行救済の実行、が一連の経過である。このすべてが合理性を伴っていない。
より正確に表現するなら、政府が日本国民の利益を追求する存在である限り、これらの政策のすべてが、見事に合理性を欠いている。ところが、視点を変えて、米国政府、米国資本が求めてきたこと、そしてこれらの経緯を通じて米国資本が実行したことを踏まえて全体を検証すると、政策のすべてが明確に合理性を備えてくる。
細かな点であるが、竹中金融相は金融機関の不良債権処理を加速させることを念頭に置いて、資産査定の厳格化、繰延税金資産計上根拠の合理性重視の方針を打ち出したとされる。米国では繰延税金資産計上が1年までしか認められていないことを踏まえて、同様のルールを日本の金融機関にも適用しようとした。
しかし、引当金の積み立て、すなわち不良資産の償却に関して、日米で重大な制度の相違が存在した。米国では引当金の積み立てが無税で処理されるのに対し、日本では有税扱いだった。繰延税金資産が計上できることから日本の銀行は有税償却を積極化させていたが、繰延税金資産計上が認められないなら、有税償却のインセンティブは著しく低下する。
繰延税金資産計上の圧縮を提示するなら、同時に引当金積み立ての無税処理を認めなければ、金融機関の不良債権処理は促進されない。竹中氏が提示した「金融再生プログラム」には、このような根幹に関わる初歩的な誤りさえ含まれていた。
大きな謎はりそなの繰延税金資産計上がなぜ、木村氏が強硬に主張したゼロないし1年でなく、3年とされたのかである。竹中金融行政の深い闇は、その後の金融庁による執拗なUFJ銀行追及へと進む。深い闇を丹念に、ひとつずつ解き明かさねばならない。