麻生太郎首相の資金源
拙稿「ユーロ通貨の闇」を参照。
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19世紀半ば、中国とのアヘン戦争に勝利し、「自由に中国に麻薬を売り始めた」英国は、中国人を麻薬漬けにし「判断能力を衰えさせた所で」、中国を支配下に置こうと考えた。
香港が100年間、英国の植民地であった歴史の背後には、この英国の「麻薬戦術の勝利」があった。
この英国による「アジアの奴隷支配」の先兵となったのが、麻薬密売会社ジャーディン・マセソンであった。
ジャーディン・マセソンは日本にも乗り込み、麻薬販売を行った。日本人を「麻薬漬け」にし、奴隷支配する事が目的であった。しかしモラル上の問題から日本人は麻薬を受け付けなかった。
そこでジャーディン・マセソンは、日本に兵器を売り付け、日清戦争、日露戦争等を起こさせ、戦争業で「利益を上げる」戦略に転換する。
「日本と中国、ロシアが戦争し」、両方が疲れ果て衰えて行く事が、やがて英国がアジアを支配するためには「最適の戦略」と考えた。しかも、極東の国同士が殺し合えば、その兵器販売でも利益が出る。
こうした「アジアの奴隷支配戦略」の下、日本に兵器販売の営業所を設置したジャーディン・マセソンは、その横浜支店の番頭に、吉田健三を据えた。
明治政府御用達の「兵器調達係=戦争商人」が、ジャーディン・マセソンであり、その日本支店長が吉田であった。
この吉田健三の娘と結婚し後継者となったのが、第二次世界大戦後、60年以上に渡る自民党一党支配の日本の政治体制の基盤を作り上げた、吉田茂である。
吉田茂が第二次世界大戦中、中国で麻薬密売を行い、その麻薬密売の利益で日本軍部の兵器購入資金を作り出す仕事を担当していた背後には、麻薬=兵器販売業者の、吉田一族の「家業」ネットワーク=ジャーディン・マセソンが「存在した」。
吉田は、婿養子として吉田の名前を名乗っているが、実兄・竹内明太郎は、小松製作所の創立者であり、この一族が、日本に原子力発電を導入した「日本の核兵器ビジネスマン」中曽根康弘の、ブレーン=資金源である。
この吉田の末裔が、日本の首相麻生太郎である。
これがジャーディン・マセソンに、サカノボル、日本の売国奴ネットワークである。