格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

特捜改ざん事件・全面可視化に背を向ける菅首相

2010-10-22 21:14:39 | 植草一秀氏の『知られざる真実』
特捜改ざん事件・全面可視化に背を向ける菅首相
大阪地検特捜部を舞台にした捜査資料改ざん・隠ぺい事件で最高検察庁は、10月21日、前特捜部長大坪弘道容疑者、前特捜副部長佐賀元明容疑者を犯人隠避罪で起訴するとともに、両名を懲戒免職にした。
 
 また、小林敬大阪地検検事正、玉井英章前大阪地検次席検事、三浦正晴前大阪地検検事正など6名を懲戒処分し、このうち上記3名が辞職することになった。
 
 天地を揺るがす大ニュースである。
 
 事案そのものは、日常茶飯事の日本の検察体質の氷山の一角に過ぎないが、これまで闇に包まれ、隠蔽されてきた悪行の一端が白日の下に晒された意味は限りなく大きい。
 
 検察が総力を結集して強制捜査を繰り返し、なおかつ犯罪を立証できなかった小沢一郎氏に対して、素人の一般市民が起訴すべきとか起訴すべきでないとかを議決する検察審査会の決定をトップニュースとして報道し、「小沢氏の説明責任」と呪文のように唱え続けるメディアが、その感覚で報道するなら、検察不祥事はその千倍、あるいは万倍の時間をかけて報道しなければおかしい事案だ。
 
 刑事裁判の最重要の鉄則は「無辜の不処罰」である。
 
「十人の真犯人を取り逃がしても、一人の無辜を罰するなかれ」
 
 この「無辜の不処罰」こそ、刑事裁判の大原則である。
 
 無実の人間を犯罪者に仕立て上げることほど深刻な人権侵害はない。この惨事を回避するために、刑事事件の取り扱いにおいては、「疑わしきは被告の利益に」の原則が採用されているのである。
 
 ところが、現実の検察は、真実を明らかにすることを目的に行動しない。
 
 とりわけ、政治的目的を背景とした捜査は、真実の究明ではなく、犯罪者への仕立て上げが、捜査の目的になる。
 
 そして、目的のためには手段を選ばぬ手法が用いられるのである。
 
 前田恒彦被告は、証拠を改ざんしながら、改ざん前のデータを記載した資料を検察官開示記録として提示してしまっていた。この初歩的なミスが存在したために改ざんの事実が明るみに出た。
 
 裁判そのものも、衆人環視の下で行われ、また法廷に証人として出廷した関係者が真実を述べたことによって、冤罪の立証が可能になった。
 
 しかし、このような事例はレアである。
 
 通常は、犯罪を仕立て上げる工作が尻尾を出さないことが多い。あるいは、尻尾を出したとしても、衆人が監視しておらず、裁判所が目をつむることも少なくないのだ。明らかな矛盾がありながら、裁判所が検察の不正をそのまま容認することも多いのが現状である。
 
 犯罪の仕立て上げは、密室で行われる。
 
 被害者と現場にたまたま居合わせた人がいたとする。居合わせた人は犯行を目撃していない。警察や検察は、この人物を利用してしまうのだ。たまたま居合わせた人を目撃者に仕立て上げ、犯行の模様を、辻褄が合うように作り変えてしまう。
 
 被害者が当初供述していた犯行態様と異なる犯行態様を創作し、当初の被害者供述を記した取り調べメモが廃棄され、警察が創作した犯行態様に併せて被害者供述が作成され、供述調書の日付も時間を遡って記載される。
 
 これらの措置は、密室の作業によって可能になる。誰も見ることのできないブラックボックスのなかでは、この手の創作は文字通り、やりたい放題なのである。



 あるいは、事件に関係者が複数いたとする。業者が政治家に金品を渡したとする。金品は一種の献金で、賄賂ではなかったとしよう。
 
 警察や検察は、関係証拠から関係者を追い詰める。
 
 警察や検察のストーリーに同意すれば保釈、裁判では執行猶予と迫るのだ。政治家が絡む贈収賄事案では、メディアの報道は政治家本人に集中する。
 
 警察や検察は、否認すればメディアを使って大々的に報道すると脅す。
 
 否認すれば、長期勾留、メディアの総攻撃、挙げ句の果ての実刑だと脅して、認めることを促す。
 
 多くの被疑者は、否認を押し通しても無罪を得られる確率が1%以下である現実を知り、不本意な同意に進む。
 
 関係者が犯罪を認める供述を行えば、それだけで犯罪の立証が可能になり、無実の政治家が有罪に持ち込まれる。この手の冤罪事件も後を絶たないと思われる。
 
 こうした冤罪を防ぐにはどうしたらよいのか。
 
 もっとも有効な方法は、取り調べ過程の全面可視化である。
 
 全面可視化は「全面」でなければ意味がなくなる。
 
 完全な可視化である。勾留されている間のすべての可視化である。同時に、被害者、目撃者、逮捕者、その他の関係者全員について、完全な可視化を実行しなければ意味はない。
 
 捜査当局のねつ造、隠蔽、口裏合わせ、これらのすべてを排除する必要があるのだ。
 
 検察官が恫喝、脅迫、強要しての供述はその任意性に疑いが生じることになる。全面可視化が実行されれば、自白の任意性についての判断が圧倒的に容易になる。
 
 検察の巨大犯罪の報道を拡大して、取り調べ過程の全面可視化の論議を高めることが求められているのに、マスゴミ各社は、ほとんどまともな取り組みを示さない。
 
 NHKも民放も、「その他ニュース」の取り扱いである。
 
 本当にマスゴミは腐っている。腐って腐臭が一面に立ち込めている。
 
 この国を立て直さなければ、国ごと、根から腐ってしまう。
 
 取り調べ過程の全面可視化は世界の常識である。菅直人政権はこの問題にまったく取り組む姿勢を示さない。検察と結託して、日本を暗黒特高警察国家のままにしようと考えているのだろう。
 
 心ある国会議員が動かねばならない。この臨時国会中にでも、全面可視化法を整備するべきだ。
 
 現状に暗澹たる気持ちになるのは私だけではないと思う。

コメント
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