池上彰が自民党のテレ朝・ NHK聴取を真っ向批判!「放送法違反は政権与党の
ほうだ」
伊勢崎馨
2015.04.25Litera
http://lite-ra.com/2015/04/post-1052.html
元経産官 僚・古賀茂明の『報道ステーション』(テ レビ朝日系)での発言以
降、自民党の暴挙が続いている。自民党情報通信戦略調査会がテレビ朝日と『ク
ローズアップ現代』のヤラセが指摘されたNHKを 呼びつけ事情聴取を行ったが、
それだけでは飽き足らず、BPOへの申し立ての検討、さらには政府自身がBPOに関
与する仕組みを作る とぶち上げたのだ。
表現の自由が剥奪され、政府からの言論統制が敷かれるという恐るべき事態が進
行しているわけだが、しかし、マ スコミの動きは鈍い。
リテラは一貫して、安倍官邸の圧力とメディアの弱腰を批判してきたが、残念な
がら弱小メディアがいくら叫んでも、相手にはしても らえない。「報道 の自
由」をきちんと主張する影響力のあるメディア、言論人はいないのか。そう思っ
ていたら、あの池上サンがこの問題について、かなり 踏み込んだ発言をし た。
4月24日、朝日新聞の連載「新聞ななめ読み」で「自民党こそ放送法違反だ」と
政権与党への批判を展開したのだ。
〈これが欧米の民主主義国で起きたら、どんな騒動になることやら。放送局の放
送内容に関して、政権与党が事情聴取のために放送局の幹部を呼び出 す。言論
の 自由・表現の自由に対する権力のあからさまな介入であるとして、政権基盤
を揺るがしかねない事件になるはずです。〉
池上はいきなり、こう断じたうえで、その理由を述べる。
〈では、なぜ自民党の行動は問題なのか。自民党が呼び出した理由は、放送法に
違反した疑いがあるから。放送法の第4条第3項に「報道は事実をまげ ないです
ること」とあるからです。
しかし、実は放送法は、権力の介入を防ぐための法律なのです。
放送法の目的は第1条に書かれ、第2項は次のようになっています。「放送の不
偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送に よる表現の自由を確保
すること」
つまり、「表現の自由」を確保するためのもの。放送局が自らを律すること
で、権力の介入を防ぐ仕組みなのです。〉
放送法の本来の理念は権力の介入を防ぎ、表現の自由を確保するもの。池上はそ
う明確に指摘する。そして同法は戦前の言論統制の反 省から、権力から独立す
るためのもので、自民党の行為こそが、放送法違反だと批判するのだ。
だが、注目すべきは、池上が言論に介入する自民党を批判する一方で、メディア
の対応をも批判していることだ。池上は新聞各紙の論 調を取り上げながらこう
指摘する。
〈いつもは論調に大きな違いのある新聞各紙が、この問題に関しては、自民党に
批判的な立場で歩調を揃えています。それだけ重大な問題であるとの認 識では
共 通しているのでしょう。〉
その上で、毎日新聞の〈放送は自主・自立が原則であり、放送局を萎縮させるよ
うな政治介入は控えなければならない〉(4月17日付 社説)という主張につい
て、こう疑問を呈するのだ。
〈ただ、毎日の社説を読むと、「放送局を萎縮させるような政治介入は控えなけ
ればならない」と書いています。では、萎縮させないよ うな政治介入ならいい
のか、と突っ込みを入れたくなる文章です。〉
池上は「政治介入は控えなければならない」ときっぱりと書くべきだったと指
摘。そんな毎日新聞の態度が妙に微温的だとして、〈ま さか萎縮なんか、して
いませんよね?〉と皮肉る。
読売新聞に対しても同様だ。同紙はやはり社説で〈放送免許の許認可権は、総務
省が持っている。意見聴取は、政権側による 「圧力」や「介入」との疑念を持
たれかねない〉(4月18日付社説)という主張を、〈「本当はそうではないけれ
ど」という文意が垣間 見えます。〉と批判する。
確かに池上の指摘は本質をついたものだ。大手マ スコミは表向き、批判のポー
ズをとっているが、実は完全に腰が引けている。
そもそも、古賀問題の本質は官邸から『報ステ』への圧力だ。菅義偉官房長官
は、古賀が1月23日の放送で安倍首相のイスラム国問 題への対応を批判した後、
「オフレコ懇談」で「俺なら放送法に違反してると言ってやるところだけど」と
放送法を使って恫喝をかけてい る。
また、放送中、菅官房長官の秘書官から『報ステ』の編集長あてに「古賀は万死
に価する」という内容のショートメールが送りつけら れてきたことも明らかに
なっている。
ところが、新聞・テレビはこうした圧力の明確な証拠があるにもかかわらず、一
切報じようとしないのだ。
「各社ともそのときのオフレコメモはもっているんですが、官邸と癒着する政治
部が絶対に記事にさせないんです。だから、当たり障りのない批判を書 いてお
茶 を濁している」(全国紙社会部記者)
それでも、新聞は社説として主張を掲載するだけ、まだましかもしれない。最も
直接的な当事者であるはずのテレビは、自ら論評する ことなく、事実と野党で
ある民主党議員や学者のコメントをアリバイ的に垂れ流すのみだ。
特に呼び出された当の『報道ステーション』の惨状は目を覆うばかりだ。各社が
事情聴取について報じるなか、この問題にようやく触 れたのは事情聴取 の当
日。しかも民主党の細野豪志政調会長のコメントを紹介しただけで、司会の古舘
伊知郎にいたっては「視聴者にまっすぐ向いてニュー スを伝える」と腰砕け ぶ
りを見せつけるしまつだった。
メディアだけではない。比較的、リベラルだと思われていたジャーナリストや評
論家も同様だ。例えばジャーナリストの江川紹子は局側 から制約を受けたこと
がないとして、古賀をこう批判している。
「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に
使っている」
衆院議員でジャーナリストでもある有田芳生もいち早く江川に賛同するかたちで
違和感を表明。また経済評論家の森永卓郎も「古賀さ んは番組を壊して しまっ
た」と批判し、社会学者の古市憲寿は「僕の知ってる限りでは(圧力は)ない」
として「古賀さん自体は勝手なこと言ってるだけだ と思うんですね」と断 じ
た。『モーニングバード』(テ レビ朝日系)のコメンテーターなどをつとめな
がら、反権力的姿勢をつらぬいているジャーナリストの青木理も「基本的に楽
屋の話でしょう」と古賀批判を口にしている。
繰り返すが、古賀が告発したのは『報ステ』への圧力であり、「個人的恨み」な
どではない。また、政権からの圧力は出演者に対して 直接加えられるよ うなわ
かりやすいものでもない。彼らはこの騒動を古賀個人の問題に矮小化すること
で、結果的に政権による報道への圧力を正当化してし まっている。
そんななか、ジャーナリストとしてもっともメジャーな存在である池上彰が誰よ
りも踏み込んで、政権与党を批判したというのは、さ すがという他はないだろ
う。実際、今回に限らず、池上はこれまでも一貫して報道の自由を守るための主
張を展開してきた。
たとえば朝日新聞慰 安婦報道に関しては、「週 刊文春」(文藝春秋)14年9月
25日号の連載コラムで、朝日バッシングに走るメディアをこう牽制した。
〈朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購買するように勧誘す
る他社のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい 報道を
求 めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読
者を生み出すことを懸念します。〉
さらに、メディアは「売国」などという言葉を使うべきではない、「国益」にと
らわれるべきではないとも主張した。
〈メディアが「国益」と言い始めたらおしまいだと思います。(略)私は、国益
がどうこうと考えずに事実を伝えるべきで、結果的に国益も損ねること になっ
た とすれば、その政権がおかしなことをやっていたに過ぎないと思います。〉
(「世界」岩波書店/14年12月号)
ほとんどのメディアが政権からの圧力を恐れ、批判を封印するなか、池上だけが
正論を吐き続けているのだ。
しかし、その池上は、もともと左翼でもなんでもないニュートラルな解説者だっ
たはずだ。そんな池上がいつのまにか一番リベラルな ポジションにいるという
事実が、日本の言論状況の危うさを証明しているというべきだろう。
(伊勢崎馨)