福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・第9回板東33観音霊場巡礼(2009/12/06)の記録

2009-12-08 | 開催報告/巡礼記録
福聚講・第9回板東33観音霊場巡礼(2009/12/06)の記録

昨日の冷たい雨とはうって変わって、今日は快晴。一行は、JR水戸線「岩瀬駅」改札口に10時20分に集合。今回の巡礼先は、第24番札所・雨引山楽法寺(雨引観音)と第23番札所・佐白山観世音寺。
24番札所は岩瀬駅からかなり遠く、他に交通手段もないため、タクシーに分乗し、雨引観音下の黒門へ(凡そ15分)。この黒門(薬医門。黒門は通称。真壁城遺構を移設)から木々が両側に続く石段を登っていくと、朱塗りの仁王門が立つ。右手前には鐘楼堂。左手は、城郭のような大石垣が高く築かれ、そこを越えると境内。山の上にしては広い境内に、庫裡、観音堂、東照山王社殿、多宝塔が建ち並ぶ。木々は既に紅葉の時期を過ぎていたが、丈の高い公孫樹が、葉も落ちずに輝くような黄色で、私達を迎えてくれた。ここは安産、子育ての祈願所としても有名な寺で、お宮参りや、七五三の衣装を身につけた子供連れで賑わい、冬にしては暖かな日を浴びて、皆明るく輝いて見えた。
この雨引山楽法寺(雨引観音)は、寺伝によると西暦578年、法輪独守居士によって創建されたという真言宗の古刹。納経帳を庫裡に預け、観音堂に上がる。本尊の延命観世音菩薩(聖観音・国指定重文)にお参り。堂内には既に多くの方がおられたので、堂を降り、外の堂脇で般若心経、観音経をそれぞれ三巻。堂内の太鼓と般若心経にあわせて、般若心経をもう一巻、納経。

雨引観音を後に、再び岩瀬駅へとタクシーで戻り、駅で昼食。12時15分発の列車で4駅先の笠間駅(乗車時間16分)へ。笠間駅から徒歩で佐白山観世音寺へ。笠間焼きで知られる笠間は、鎌倉時代から江戸にかけて城下町として栄えたという。また、佐白山の麓には、武家町だった名残も見られた。笠間藩校「時習館」跡、大石邸跡(内蔵助の曾祖父と祖父が居住していた)の邸跡を始め、石垣や生け垣の立派な家が、昔日の面影をしのばせていた。残りの紅葉が、赤や黄色の色を艶めかせて光っている景色を眺めながら30分ほど歩いて23番札所観世音寺着。ツツジやシャクナゲが植え込まれた参道を上がると、境内正面に本堂が建っている。本尊は、十一面千手観世音菩薩。開基は粒浦氏、西暦651年という。往時は100余坊を擁する大寺であったが、幾多の戦乱と明治維新の廃仏毀釈で、現在は近代に建てられた本堂のみ。福聚講一行は、本堂で般若心経、観音経をそれぞれ三巻納経。皆の心が一つになり、読経の声が唱和して、堂内に気持ちよく響いた。

佐白山観世音寺からの帰路は、笠間稲荷へ。般若心経一巻を納経。再び笠間駅に戻り、15時5分の列車、友部経由で上野駅へ。

参加者:高原講元、高橋、岡村、鈴木、細田、米田、菊池、佐竹、有薗夫妻、関口夫妻
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