福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんに護国寺参拝記録を作っていただきました

2019-01-23 | 開催報告/巡礼記録
福聚講護国寺参拝記録

新年おめでとうございます。平成31年、今年は5月に平成の元号が終わりを告げる年になりました。私たち福聚講も平成の時代から新しい年を迎えるにあたり、「神仏一体の信仰」を掲げ信仰一筋に邁進し努めてゆきたいと思います。

この希望溢れる思いを胸に、福聚講(高原耕曻講元)は、1月19日(土)午後2時、東京・文京の大本山・護国寺で今年初の参拝行を行いました。
この日は、好天に恵まれ参詣の人出は何時もより多く感じられました。本堂でお加持を受ける参詣の人も多く、このため講の参拝も何時もの午後3時からを1時間繰り上げ読経も手際よく切り上げました。前日18日にご本尊・如意輪観音さまの初御開帳が行われたことや、19日は大学のセンター試験が行われている日でもあり、合格祈願のお加持を受ける人も多かったように思います。本堂には新年の澄み切った凛とした空気が漂っていました。堂内にはお加持を待つ多くの参詣者が順番を待っていました。私たちがお勤めしている間は、お加持を中断していただいており、参詣者の人たちには、皆思い思いの願いを胸に秘めながら待機していただいていました。参詣者の中には、言葉の分からない黄色の肌のカップルも混じっていました。
本堂のお加持の邪魔にならないように、私たちは早々に退出、薬師堂、大師堂、一言地蔵と巡り、ご真言をお唱えしました。慌ただしい巡拝でしたが、新年ならではの風情でしょう。護国寺を慕ってくる人たちのためには、私たちが邪魔にならないように心がけ、また私たちの巡礼の姿を見て、信心の切っ掛が出来るのなら、こんな有り難いことはありません。

護国寺の参拝行は、高原講元様が、40年の長きに亘り参詣を続けて来られ、数々の数えきれない「お蔭げ」を頂かれたという参拝行なのです。日蓮上人には、「餓鬼は恒河を火とみる。人は水と見。天人は甘露とみる」という人の物の見方の違いを説いた一文があります。人それぞれに、人生の深さや幅があり人間性の違いで見方が違います。福聚講の参拝行も、講員各自が、護国寺参拝中に、ある人は遠い歴史に感動するでしょうし、またある人は切羽詰まった思いを訴えつずける。また、ある人は僧侶の読経から人生の深淵を覗くでしょう。あるいはまた、仏像や曼荼羅の美しさに共鳴するでしょう。このように、人によってアプローチが異なります。が、そこから信心の感情や力が生まれ救いが実感出来るのではないでしょうか。そうしたいものです。

ところで、新年に入り朗報がありました。厚生労働省の発表で2018年の自殺者は前年より、3.4%少ない20598人となり、9年連続で、減少したといいます。21000人を下回るのは、37年ぶりとあり、ピークだった2003年の34427人の60%弱まで減ったそうです。繁栄を誇る日本にあって、年間3万人もの自殺大国であったとは、見過ごしならない残酷な胸詰まる現実ではないでしょうか。
自殺に追い込まれる要素は、いろいろあるのでしょうが、おおもとの原因は、やはり”心の問題“。「こころ」と「いのち」の問題に尽きるのではないかと思います。

私が住んでいる町内に、元外交官として活躍した髙橋利巳という方がいます。最近、ご自身の生涯を回想して、一冊の本を出版されました。「ある外交官の回想・戦中、戦後の真実・激動の昭和に生きて」(展転社・平成30年10月刊)です。高橋さんは、昭和4年(1929)、秋田県で生まれ、今年、90歳です。町内の会合には、和装の端正な出で立ちで、出席し、悠々迫らぬ、矍鑠とした物腰には、とても、90歳の人とは思えません。戦前・戦中・戦後の歴史的現実を、超克して来た人ならではの貫録と品格を見ることが出来ます。
高橋さんは、小学生時代は、皇国史観、八紘一宇、そして、明治天皇から御下賜された「教育勅語」で教育を受け立派な大日本帝国少国民でした。長ずるに至って支那事変、大東亜戦争、東京大空襲、敗戦、玉音放送などを体験、昭和23年明治大学入学。就職難時代に外務省引揚調査室非常勤職員そして、外務省大臣官房文書課に入省したが、一時陸上自衛隊幹部として6年過ごし、再び外務省に戻り、移住局企画課、神戸移住センター、同省大阪連絡事務所、中南米移住局移住課、在ボリビア、在ウルグアイ、在グアテマラ、在キューバ日本大使館員として活躍、そして、日本人が中南米諸国に移住・開拓する人たちの労もとられました。。

その高橋さんが書かれた著書は、戦争の悲惨、敗戦国日本の自虐史観、日本国憲法の問題など、戦争体験を踏まえて、健筆を揮っている。詳細なデータ、正確な記述は、90歳の人にして、こんなに書けるのかと、私たちを、力ずけて戴くようです。
高橋さんの文章を、少し長いのですが、紹介します。高橋さんが、昭和59年9月から、昭和63年10月まで、4年間、在グアテマラ日本大使館勤務した。グアテマラでは、経済協力と領事も担当した。グアテマラに赴任して、間もなく「日本人の心」と題し、霞関会会報(外務省)に投稿した「合掌」という記事です。実に35年前のものですが今日の心ある日本人を奮い立たせるに十分な素晴らしい記事です。
「合掌・・・先日、私は日本人学校卒業式に来賓として出席し、祝辞を述べる立場にありました。しかし、何を述べたらよいのか迷っていました。式場正面には日の丸の旗が鮮やかに飾られテーブルの横には美しい花が置かれていました。私が小学校の卒業式に出席するのは何十年振りであろうか。長女の時も次女の時も都合で出席できなかった。43年振りに見る卒業式である。それは小さな卒業式であったが、異国において真新しい日の丸を見ているうち、ふと私は小学生のころの日本を思い出し次のような話をした。
『私が小学校のころの日本は海外に多くの植民地を持っておりました。その勢いでアジア人のアジアを作るんだと言って欧米列強をアジアから追い出し、当時の日本人は、小学生にいたるまで民族の誇りと自信にあふれていました。
毎朝学校へ行くと先生が、昨日は香港、今日は、シンガポール、明日はマニラと連日のように勝ち進む日本軍の活躍振りを話してくれたものです。
しかし、日本は戦争に敗けて何もかも失ってしまいました。世界の人々はもう二度と再び日本は立ち上がれないだろうと言いました。島国の日本が世界48ヶ国を相手に戦争をし完全に焼け野原となり、そのうえ原子爆弾まで落とされたのですから世界中の人々がそう思うのは無理の人々ないことです。
けれども今、グアテマラの町を見ていても日本の自動車がいっぱい走っています。また、日本人学校も各地に作られました。自動車、テレビ、ラジオ、船にいたるまで世界第一の生産国になった訳です。私が最初に南米に勤務した20年前には日本製自動車は一台も見ることが出来ませんでした。
このように日本は再び発展したわけです。戦争により住む家もなく、食べるものさえなかった敗戦後の日本、そして資源のない島国日本がこのように発展できたのは何故だと思いますか。それは、日本を取りまく環境が平和であったことも大きな理由でありますが、日本人のエネルギーは戦争に敗けても滅びなかったということです。そのエネルギーの源は、古来から培われた日本の文化すなわち日本人の心だと思います。戦争は日本人の心までも滅ぼすことはできなかったのです。
しかし、戦後、あまりにも物の豊かになった日本、そして経済大国になった日本ですが、精神的には貧しい国であると世界の人々は言うようになりました。
それは何故かと申しますと、これまで外国人が日本人についてのイメージとして持っていた礼儀正しさ、正義感、社会奉仕の心、長幼の序というものが最近の日本人には失われているからです。失われたというよりそれらの道徳観念を敗戦により日本人自身が否定し、教育されることに抵抗したためもあります。そして、戦後教育の重点は個人主義、自由主義となり、道徳により個人を縛ることは悪いことであるとさえ言われました。
その結果として、自分さえよければ、また、金さえもうければ他人はどうでもよい、さらに悪いことをしている人を見てみないふりをする日本人が多くなったことです。
よい社会というのは、他人を尊重し、お互いに協力し、助け合う社会だと思います。どうか皆さんも大きくなったら立派な社会人、国際人になって欲しいとおもいます。それにはまず立派な日本人になることです。
南米の国々あるいはアジア、アフリカでも古来太陽を神として拝んでぉります。それは太陽がなかったら人類は一日として生きてゆけないからです。その太陽を日の丸として、国旗としているのが日本です。南米の人々がよく言うんですが、太陽を国旗としている国とはすばらしいことだと、うらやましがられています。
しかし、現在の一部の日本人はそうは思わないんですね、交通信号のような三色旗または赤旗にしてしまえと言う人さえ居ります。古くてもすばらしいものは良いものとして残して行かなければなりません。そうしないと浅はかな日本人として世界の人々から馬鹿にされます。
皆さんも。これから新学期が始まるまで自分たちの祖国日本とはどんな国なのかよく勉強して欲しいと思います。ただ私は残念に思うのですが、日本は良い国であるのに、戦後そのことを言う人を批判し、(批判する人も本心は良い国だと思っているかも知れませんが)、また、占領政策によりことさら日本のみを悪く書いた教科書が今なおつずけられているということです。
私は何も戦前の日本に戻れと言っているのではありません。いずれの民族にも古来から培った民族の心というものがあります。人を敬い、お互いに助け合い、長幼の序を守った日本人の心を受け継いでほしいのです。しかし、その日本人の心は戦後教育では一般的に教えられなかったかもしれません。また、教えても批判力の強い若い人には聞く耳がなかったかも知れません。けれども今からでも遅くありません。日本人の心を知っている大人たちは、それを折に触れ子供たちに教えるべきだと思います。
古来からの日本の美徳は、そのまま現在の世界にも通ずるものであり、またその心は、世界の人々からも尊敬されるものであると思います。』と話しました。
子供達や若い先生、お母さん方は、目を輝かせて聞いておりました。
とかく戦後の教育は、日本の悪いこと、間違ったことばかりを強調し、子供達に夢や希望を失わせ、小中学生の自殺、校内暴力、家庭内暴力に走らせる原因がそこにあるように思います。
かつての日本人には、大人も若い人も子供も一緒になって、美しい山河を見、静かに語り合う心がありました。しかし今、日本の高年層は寂しく沈黙し、中年はブラブラすることで心の空白を充たし、壮年は会社では窓際、家では粗大ゴミと言われ、青年は好き勝手に振る舞い、そして少年達は夢がなくなったように思えます。
戦後40年、それは、マスコミに駆り立てられた日本人同士のイデオロギーの長い長い闘争の時代でもありました。今、その闘争が無益なものであると日本人が気付いた時、本音で日本人の心について語れる時代がやってきたように思います。」

長々と引用させていただきましたが、如何でしたか。
いま私たちは、「こころ」ばかりでなく、「いのち」についても、熟慮しなければならない時だと思います。
終わりに、御詠歌・相互合掌和讃からの一節。

「如来(ほとけ)のみ手に導かれ
人とし生けるありがたさ
尊き身には曼荼羅の
相互生命(いのち)に合掌を」
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