東寺と石清水八幡宮が合同祈願会を開催しました。私も東日本大震災のあと石清水八幡にお参りして「国家安穏」を祈願し、神仏習合の昔の日本の信仰を取り戻せるように願いましたが、関西では神仏霊場会も発足し、徐々にそういう方向にむかっており嬉しさ限りありません。。東寺と石清水八幡宮が合同祈願会
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十一月二十一日
早起、すぐ上の四十四番に拝登する、老杉しんしんとして霧がふかい、よいお寺である。
同宿の同行から餅を御馳走になったので、お賽銭を少々あげたら、また餅を頂戴した、田舎餅はうまい、近来にないおせったいであった、宿のおばさんからも月々の慣例として一銭いただいた。八時から九時まで久万町行乞、銭十三銭米二合、霧の中を二里ちかく歩いてゆくと三坂峠、手足の不自由な同行と道連れになり、ゆっく . . . 本文を読む
第四七課 利己主義
利己主義ということは、人間の生きて行く上において是非必要なことでありますが、それを余り強調拡大させると、隣人はもちろん、社会にまで迷惑を及ぼします。ですから今では殆んど吝嗇しわんぼうとか、欲張りの代名詞になっています。これは誠に残念に思います。正当に利己主義を使うことが日本ではまだ実行されていないようにさえ思います。そのために随分無駄をし過ぎたり、お互いに邪魔をし合っ . . . 本文を読む
今朝いつものように理趣法を修しているとある想念が浮かび上がってきました。
世界中で苦しみ悩んでいる人々がなぜなくならないのか、いままでも古今東西、聖人・名僧と謂われる人々がでても人々の苦悩は尽きないのはなぜか?ということです。そしてどこかで読んだ「空だからこそ愛おしい」という言葉を改めて思いおこしました。般若心経にも「照見五蘊皆空 度一切苦厄」とありました。一切は実体がないと覚れば苦厄はないという . . . 本文を読む
第四六課 他愛
他を愛することばかりが美挙の全部だと思っている人があります。他を愛する気持ちにばかり酔っている人があります。
なるほど、他を愛し、他よりよろこばれ、他のためになって自分の心の満足を味わうということは実に美しいよろこびです。
しかし、それがため、自分をすっかり失くす人があります。失くすだけならまだ好い、失くして今度は他人にねだらなければならないとしたら、だらしがない . . . 本文を読む
十一月二十日 晴、好晴、行程六里、久万町、札所下、とみや。
やっと夜が明けはじめた、いちめんの霧である、寒い寒い、手足が冷える(さすがに土佐は温かく伊予は寒いと思う)、瀬の音が高い、霧がうすらぐにつれて前面の山のよさがあらわれる、すぐそばの桜紅葉がほろほろ散りしく、焼香読経、冥想黙祷。
そこへ村の信心老人――この堂の世話人らしい――が詣でで来て、何かと聞かされた、遍路にもいろいろあって、め . . . 本文を読む
第四五課 賞める・叱る
他に対し、賞めるべきか叱るべきかは、その相手により、場合により、事情により決定されるものであります。
この賞める方を仏教では摂受門しょうじゅもんと言って、養い育てる方法です。例えば朝寝坊の青年に向っても、無暗と朝寝を叱らずに、
「随分よく睡眠を取ったね。感心感心。これでは今日の昼は、さぞ勉強が出来るでしょう」
そう言って、勉強に精出させるのです。しかし、 . . . 本文を読む
第四四課 人間の味
ある料理通が次のような経験談を致しました。「だんだん料理を食べて行くと料理の手を余り加えたものより少く加えたもの、少く加えたものより全く加えないもの、結局、自然の味そのものが美味うまくなってしまう。芋や大根なども、煮たり焼いたりするより、生のままの方がどのくらい、よい味か知れない」と。
この言葉は、私たち素人にはちょっと直ぐにはその妙味が解しかねますが、多少の察し . . . 本文を読む
十一月十八日 好晴、往復四里、おなじく。
山のよろしさ、水のよろしさ、人のよろしさ、主人に教えられて、二里ちかく奥にある池川町へ出かけて行乞、九時から十二時まで、いろいろの点で、よい町であった(行きちがう小学生がお辞儀する)。(この光景は何十年後の今も四国では続いていて有難い限りです。)
行乞成績は銭七十九銭、米一升三合、もったいなかった(留守は多かったけれど、お通りは殆んどなかった、奥の町 . . . 本文を読む
十一月十七日 曇――時雨、行程四里、川口在善根宿。
おもわず寝すごして、のこのこ出かけるところを家人に見つけられたらしいが、何ともいわれなかった、お世話になりました。
七時から十時まで越智町行乞、しぐれだしたがしぐれるままに行乞しつづけた(薯、餅、菓子、柿、密ママ柑、――そのまま食べられるものが今朝はうれしかった、何しろ腹が空っては読経が出来ない!)、それから行けるところまで行く心がまえで。 . . . 本文を読む
第四三課 時計と椅子と袴
ここにちょっとした面白い話があります。一人の青年がありました。ある紳士の邸宅の応接間に、面会時間と定きまっている午前中に、着物を着て、袴をはいて、椅子に腰掛けております。するとこの青年はどう見ても面会人のお客さんです。ところが、もしこの青年が夜中の十二時過ぎに、シャツ一枚で、応接間の窓から半身入れて室内を覗き込んでいたら、これは何に当るでしょうか。盗賊どろぼうと . . . 本文を読む
・御誕生
宝亀5年(774)6月15日、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(香川県善通寺市)、佐伯直田、玉依御前の間に弘法大師空海、幼名真魚(まお)様はお生まれになりました。
丁度この日、唐で不空三蔵が入滅されます。不空は真言密教第六祖です。大師は不空の生まれ変わりであるとされています。
・捨身誓願
七歳になられた大師は「衆生済度」を祈願され捨身ヶ嶽より身を投げられました。このとき天女が抱き留め、お . . . 本文を読む
第四二課 虚栄
虚栄はその字の示すとおり、むなしい栄えをのぞむことです。
もとより虚しいことです、ほんとうに手にも取り得ず、わが身を徒らに吹き過ぎる風のようなものです。これを捉えようとするものは労つかれるだけです。
労れはやがて生命をほろぼすものです。しかも虚栄の姿は、もっとも甘やかに華やかに人々を誘惑の手で手招くのです。
ほんとうの栄えは仏神を念じて、生命の底から湧き上る力 . . . 本文を読む