福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は太政官符で佛名會日付が再度定められた日

2024-10-27 | 法話
  類従三大格「太政官符」 応に諸国に佛名懺悔を行ぜしむること。 右内奥に禮懺の法あり、所以往を改め来るを修し、悪を滅し、善を興す也。人の世に在るは恒に罪を興すなり。己の三業を囙(因・より)て禍を成す。炙六根に従って咎を致す。罪は相縁ずる所、若干無数なり。唯まさに懺悔して我が心を陶出せしむべし。豈に覆蔵して他魔を滋漫(滋生蔓延)合すをや。夫れ万三千の寶号、二十五の尊名、之を聴く者は . . . 本文を読む
コメント

「国家の奉為に修法せんと請ふ表」

2024-10-27 | お大師様のお言葉
大師が任王会を開かれんとされた表です。「国家の奉為に修法せんと請ふ表」(性霊集第四)「沙門空海言す。空海幸に先帝の造雨に沐して遠く海西に遊ぶ。儻灌頂の道場に入て、一百余部の金剛乗の法門を授けらるること得たり。其経は佛の心肝、國の霊宝なり。是の故に大唐開元よりこの己来、一人三公、親り灌頂を授けられて、誦持観念す。近くは四海を安むじ、遠くは菩提を求む。宮中に長生殿を捨て内道場とす。復七日毎に解念誦の僧 . . . 本文を読む
コメント

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の3/9

2024-10-27 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の3/9 三、紙屋川地蔵院 長安城北野大将軍地蔵院(京都市北区大将軍川端町2. 地蔵院(椿寺))の本尊は往昔行基菩薩一刀三礼して御長六尺二分(約182㎝)に刻み給所なり。靈験無双の御佛なり。古は内野と云所にありて堂舎歴々として僧衆群居り明徳の比(1390年から1394年)数度の乱逆により哀しむべし焦土となんぬ。せれども佛の威神の力、火も焼くことあたはず、刀杖も加 . . . 本文を読む
コメント

「平家物語・高野槇」「神皇正統記」「今昔物語」にも高野開扉のことがあります

2024-10-27 | お大師様のお言葉
・「平家物語・高野槇」「瓦に松生ひ垣に苔生むして、星霜久しく思えたり。昔延喜の帝の御時、御夢想の御告げあつて、檜皮色の御衣を参させ給ふに、勅使中納言資澄卿、般若寺の僧正観賢を相具して、この御山に上り、御廟の扉を押し開き、御衣を着せ奉らんとしけるに、霧厚う隔たつて、大師拝させ給はず。ときに観賢深く愁涙して、「我悲母の胎内を出でて、師匠の室に入つしよりこの方、いまだ禁戒を犯ぜず、さればなどか拝み奉らざ . . . 本文を読む
コメント

今日は大師が「国家の為に修法せんと請ふ表」を上表された日

2024-10-27 | お大師様のお言葉
今日弘仁元年810十月二十七日はお大師様(三十七歳)が「国家の奉為に修法せんと請ふ表」を上表された日です。この文の中に在る通り、のち12月1日より勅許を得て高尾山で修法が始まっています。お大師様は「国家の奉為に修法せんと請ふ表」で、佛の教えにより、「国」、「家庭」、「自他」を同時に救う道があると喝破されています。「国家の奉為に修法せんと請ふ表」(性霊集第四)「沙門空海言す。空海幸に先帝の造雨に沐し . . . 本文を読む
コメント

今日は御廟を開扉して大師号を読み上げ御衣をお着せ申し上げた日

2024-10-27 | お大師様のお言葉
今日は御廟を開扉して大師号を読み上げ御衣をお着せ申し上げた日 高野春秋(延喜二十一年921十月)「二十七日、勅使及び観賢座主奥院に詣ず。・・勅使及僧都唐櫃を昇持せしめ御拝殿に著く。観賢僧都座より起ち欽びて廟扉を排し勅衣を備奉る。扶閑宣命を読み上ぐ『勅す。琴絃旣に絕へ、遺音更に淸し。蘭叢(らんそう)凋むと雖も、餘香猶ほ播しく。故贈大僧正法印大和尙位空海、煩惱を鎖弃(しょうき)し、驕貪を抛却して、三 . . . 本文を読む
コメント

10月27日は御大師様に大師号が諡号された日です

2024-10-27 | 頂いた現実の霊験
10月27日は御大師様に大師号が諡号された日です。延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られています(注1)。「弘法」という言葉は大師が久米寺大塔のもとで善無畏三蔵が埋蔵しておいてと伝えられる大日経を感得されたときに「小国片域大機未だ熟せず、仍て此法を此地に止めて、まさに機を待ち時を待たんとす。来葉必ず弘法利生の菩薩来りて、この教を世に恢む . . . 本文を読む
コメント

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の2/9

2024-10-26 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の2/9 二、六地蔵の権興(起こり) 大相国禅門浄戒(平清盛)は位進み家榮へて一天を掌の中にし、四海泰平を吟じければ此の間の兵乱に罪障のほども怖ろしく思はれければ、御長六尺(182㎝)の地蔵を造立し奉り六十六箇國の亡魂を弔ひ、同じく相応の寺を立て軍類兵難の苦患を助ばやと思立玉ひけるが亦打ち反して思惟し玉ひけるは、其の寄附の地は王土なり。入道の私領にはあらず。世の . . . 本文を読む
コメント

加持祈祷の原点

2024-10-26 | 頂いた現実の霊験
お大師様は『三教指帰』で「支離懸鶉を見ては因果の哀しみ休せず。だれかよく風を繋がん(現世で不条理な運命に泣いている人々を見れば因果の哀れさに心が休まる時がない。出家の志は風を止めることができないように誰も止めることはできない)」と述べて出家され過酷なご修行の結果ついに真言密教を始められ、奥之院に「虚空尽き、衆生つき、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん]と入定されているのです。しかれば御大師のすべての . . . 本文を読む
コメント

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の1/9

2024-10-25 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の1/9 地蔵菩薩三国霊験記巻十三 一親の為に身を賣事 二六地蔵の権興(起こり) 三紙屋川地蔵院 四祇園仲源寺の像 五汁谷福田寺の像 六光勝寺の像 七清和院の像 八清水寺、将軍地蔵の事 九満米法師の事   地蔵菩薩三国霊験記巻十三 一、親の為に身を賣事 平の京五條坊門大宮の旁に藤原源五之任とて俗一人ありき。親の譲り抜群にして家具 . . . 本文を読む
コメント

今日は奥の院に法然上人供養の五輪塔を建てた日

2024-10-25 | 法話
  「高野春秋」「(建暦二年1212)玆年十月二十五日。浄土宗開祖法然上人遷化し(注1)末資等五輪石塔を奥の院に創立す(注2)。案ずるに、別所社友内に法然往来して住す。蓋し社友等師恩報謝の為に之を建つか。熊谷入道蓮性の石塔も亦之を建つ。未だ其の施主を考へず。」   (注1)法然上人は建暦二年(1212年)一月二十五日、京都東山大谷(京都市東山区)で遷化されています。享年八 . . . 本文を読む
コメント

増延山籠の入滅の日

2024-10-25 | 法話
「高野山往生伝」「増延山籠は和泉の国の人也。良幸の室入り、出家学道。精進之を行ひ勇猛怠らず。一字三禮 経を書し、毎夜千遍禮を致す。諸尊秘法を伝へ、遂に入壇灌頂す。毎朝大仏頂・理趣経・尊勝陀羅尼二千遍、不動慈救呪一万遍。即ち臨終に至るまで永く退転せず。爰に永満二年(永万二年は1166)十月廿二日、弟子に告げて云く『我入滅の後、仏事を催す勿れ。極楽中品中に生ず、敢て疑を成すべからず』と。同廿五日巳刻( . . . 本文を読む
コメント

積極的十善戒(行善)と消極的十善戒(止善)

2024-10-25 | 諸経
止善とは悪を止める善。行善とは善をおこなう善。 . . . 本文を読む
コメント

今日は守覚法親王が建礼門院の為に孔雀経法を修した日です

2024-10-25 | 法話
・今日治承二年1178、10月25日は守覚法親王が建礼門院お産の為に六波羅蜜寺において孔雀経法を修した日です。これにより安徳天皇が無事生れています。 守覚法親王は仁和寺諸師年譜には「喜多院御室法親王守覚。後白河院第二皇子なり。永暦元年1160,二月十七日年十一、紫金臺寺御室覚性に随って出家。同十月五日東大寺戒壇院に於いて受戒。於仁安三年二十七日観音院受灌頂紫金臺寺御室。経年、廣澤の淵源を究め尽く . . . 本文を読む
コメント

地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の6/6

2024-10-24 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の6/6 六、印佛利益の事 古近江國蒲生と申す所に(滋賀県東近江市)京四条東洞院よりくだりて住みける女房あり。心賢くなさけもふかければ國中には名を得たる女人なり。されば夫にをくれて尼となりければ四条の尼公とぞ申し呼びける。徳孤ならず(「論語」里仁)して人皆かしずき侍る。世に隠れ無き地蔵信者なりき。家中の人にも地蔵を信ずる人をばありがたきこととに思て大方の科もゆる . . . 本文を読む
コメント