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天神祭の催(もよおし)太鼓

2005年07月26日 09時12分19秒 | 独り言・社会・ニュース
昨日は、日本三大祭りの一つ天神祭が行われました。
この祭りでは、催太鼓が勇猛果敢で一番盛り上がるもので、特に宮入りの太鼓の乱打は、血湧き、肉踊る勇壮な場面です。

天神祭は、村上天皇の勅命で創建した2年後の591年に始まった「鉾流神事」がもとであると言われています。豊臣秀吉が大阪築城後、船渡御の形が整い、元禄時代には、天下の台所として、浪速の隆盛を極め、享保年間には、「講」の組織が確立しました。
「講」と呼ばれるサポーターは、天神祭りには、欠かせず催太鼓を担当する「太鼓中」、地車を曳く「地車講」、神興を担ぐ「鳳講」「玉神興講」等町内の有志の集まりなど現在でも30もありそれぞれが祭りを支えて活躍しています。

催太鼓を先頭に地車、神興等が日中の陸渡御、夕刻からは船渡御。その先頭の催太鼓の一行は、真っ先に天満宮に帰りますが、その時、門に入る手前で華麗な練り太鼓は、天神祭のクライマックスです。

太鼓の打ち手(願人=がんじ)が6人、担ぎ手が50人、それが6組あり、交代しながら進行していきます。
願人の独特の赤い被りものは、烏帽子の変形したもので、太鼓を打つ度に大きくなびく様は、まさしく勇壮な姿です。

この太鼓は、豊臣秀吉より、大阪城内の陣太鼓を拝領したものと言われています。

今日の写真は、催太鼓が宮入前の勇壮な乱打。