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「奇兵隊」はどうして出来たのか!!

2006年12月18日 11時19分02秒 | 日本人のDNA

高杉晋作が作ったとされる「奇兵隊」はどうして出来たのでしょうか?
これには、恩師吉田松陰の死後、高杉晋作の転機となったのが24歳の時に上海に行ったことでした。(1862年)

当時の清は、アヘン戦争敗戦後、南京条約(1842年)により香港をイギリスの租借地として失い、続いてアロー戦争(1856・60年)の時、北方の領土をロシアに奪われ、殖民地化が一段と進行していました。

      

こうした背景の下におきたのが、シナ歴史有数の大乱である「太平天国の乱」です。
満州族の王朝たる清を倒し、漢族による政府をつくることを目指した太平天国の内乱は1850年に始まり1864年まで続くが、これが清の衰退にいっそう拍車をかけました。

この乱を自力で鎮められない清国政府は、あろう事か英仏の軍隊に依存してこれを鎮圧しようという致命的なあやまちを犯しました。
シナ伝来の「夷を以って夷を制する」という術策ですが、そのような権謀が、わが身に跳ね返ることが分からなかったのです。

高杉が到着した時には、西洋各国の軍艦、商船が無数に停泊し、シナ人はことごとく押さえ込まれており、実に上海は西洋各国の属地化されていました。

西洋諸国の植民地と化した清国の窮状をみた高杉は、いかにして外国の侵略に抗しうる強い国防力を備えるのかが、大きな課題でした。
折りしも長州藩は攘夷を藩是に掲げ、下関で外国船を砲撃するが敗北し、正規軍の無力を知った高杉は、身分を問わず力量ある者で構成する強力な軍隊を発案しました。 これが長州最強の軍隊「奇兵隊」が誕生した経緯です。

 



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