![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/72/aa1e1f5d67498b475906a3d96e1a10cc.jpg)
資本主義の制度に欠陥があるってことはですね、多分、
百年ぐらい前にはもうわかっていたんだと思っています。
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012
【動き出す"気づき工房"】
昨夜の地震で寝不足。義兄が熊本に住んでいるので電話すれど通信不能でやきもき。しばらくすると、どうやら姪
っ子がち早く連絡をとったので安否確認できほっとする。熊本といえば89年に熊本大学に出張の帰りに件の義兄
と再会し、震源地の益城町の熊本空港まで見送ってもらたことや、宿泊したホテルやカラオケを歌ったビルはは大
丈夫だったのかなど思い出していたが、熊本城はひどいことになっていた。余震はいまも続いているが、断層のハ
レーションによる最寄りの断層の群発地震も心配もされる。ところで、この地震研究には興味があり、ノストラダ
ムスの予言のグランドクロスの重力影響とそのヒステリシス地球の共振の影響は1999年を時間軸として±10
年範囲で、大きな地震しとして現れるのではという突拍子もない仮説をたてたものの成果なしにここまできた。
● 最強の八畳工房
そんなていたらくなのだが、この八畳の書斎、作業城、兼寝室でテレビを地震情報みながら、ナショナルトレッキ
ングのアプリ開発の準備のためルームランナーで体力を維持し、スリーディプリンタを立ち上げ――直近作業で、
「アヒルのスマホスタンド」をプリント中で、これは3時間かかる――ているが、そこに、環境情報の調査研究と
ホームページと2つのブログ更新と、かなり結構きつい上に、三次元CADが入ってくる――眼精疲労は半端じゃ
ない。焦りはないと言えば嘘になるるがこの方向性は間違っていなかった。万一、通販業に手を出していたら大失
敗するところだった。ところで、下の写真のように、簡単に三次元出力データが作れる簡易版ハンディスキャナー
(定価で2万円余やすくて1万8千円)で手に入る時代で、自分のデスマスクも石膏なしで作ることができるし、
ブログでも掲載したが靴のオーダーメイド通販事業も可能な時代であり、何度も書いているが、八畳の小さな"環
境工房事業"を可能とさせるのは『デジタル革命渦論』ならではのこと。
● モンベルのトレッキングポールの付録
トレッキングポールをアウトレットでなく通販で注文すると、カタログやカード勧誘や機関誌など盛りだくさん付
録がついてきたので急ぎ目を通す。ことしは8月11日が山の日に制定されていることを知る。シニア世代が多く
なり、トレイルやトレッキングがちょっとしたブームになっているからなんだろう。広報誌の対談で、外国旅行者
が増えたが、山歩きなどディープな楽しみ方が増えるのではという問いかけに、養老孟司が日本は雨が多いので、
雨が降っても大丈夫、雨が降った方が気持ちがいいといったものがあればよいと(モンベル社に商品開発を)提案し
ている件がなるほどと思わせる。それいがいには「山の環境を守るには」(下の切り抜き)で、トイレマナーが取り上げられて
いた。これは重要課題だと再確認することになる。できれば地方創世事業の共通公共事業として知恵を絞って、技術、設備、
費用への支援があれば「国土の価値」を高めることになように思える。
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
マイケル・ピルズベリー 著
野中香方子 訳
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。
【目次】
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第5章 アメリカという巨大な悪魔
夢中生有――夢中に有を生ず
『兵法三十六計』第七計
1990年以降、中国の教科書の、アメリカに関する記述は書き直され、アメリカは150年以上にわたって
中国の繁栄を抑え、中国文明の精神を破壊しようとしてきた悪者として描かれるようになった。この再教育の試
みは、「愛国教育プログラム」という当たりさわりのない名のもとに行われた(中3)。亡命者であるミスター・
ホワイトは、このプログラムによって毛体制の最初期(アメリカとの交渉が始まるはるか昔)以降、封印されて
いた、歪曲されたアメリカ史が再び浮上することを予見していた。おそらくその印象的な一例は、1951年に
刊行された王春による歴史の教科書『美国侵華史話(アメリカによる中国侵略の歴史)』が、2012年に再版
になったことだろう。オンライン上のコメントは、その教訓は時を経ても不変だと主張していた。
「本書はしばらく絶版となっていたが(わたしたちはそれを再版した)……時を経ても、この本に描かれた歴史
的事実は真実であり、時代が変わろうとも不変である(注4)」
このコメントが掲載されたのは、穏健と見なされている中国社会科学院のウェブサイトだ(注5)。
2013年の秋、中国国家博物館を訪れたわたしは、このプロパガンダの衝撃的な実例を目の当たりにした,
中国共産党のタカ派と自由主義の改革論者は、中国の歴史の解釈と、それをどのように公表するかについて、長
く争ってきたので、もの台頭以降、その博物館は開いている時期より閉まっている時期のほうが長かった。19
61年に、天安門広場のすぐそばに建設され、1966年、文化大革命の始まりとともに閉鎖した。1979年
に中国経済を開放しはじめた小平は、その歴史博物館も再びオープンさせた。しかし2001年、新たな世紀
を迎えてまもなく、再び閉鎖された。そして2011年に中国の指導者が再びその一脈を開くまでに、10年の
歳月と4億ドルの資金が費やされた,指導者たちには二つの目標があった,一つは、その博物館を世界最大のも
のにすること、ルーブル博物館、大英博物館、メトロポリタン美術館より大きくすることだった。エントランス
ホールは壮大で、天井の高さはピルの10階に相当し、サッカー場を三つ並べたくらいの奥行きがある。その上
の展示室には三つの巨大な鼎が飾られていた(迂闊な楚の王とは違って、わたしはその重さを尋ねなかった),
ニつ目の目標は、その博物館に「中国の国民は勤勉、勇敢、聡明で平和を愛し、中国は人類文明の進歩に不滅
の貢献をする」というストーリーを語らせることだった。もちろん、国立の歴史博物館がその国を賞賛しようと
するのは珍しいことではない。しかし、その博物館でわたしが驚いたのは、アメリカを含む諸外国と中国との関
係について、そこで語られていること、そして語られていないことである。
「再生への道」と呼ばれる常設展.小では、中国共産党の視点から見た、1840年から現在までの近代中国史
が紹介されている。その歴史は、「西洋資本主義諸国の大規模な発展と略奪の時代」における中国の「半植民地、
半封建社会への後退」に始まる。これらの「帝国主義の列強(アメリカを含む)」は、「ミツバチの大群のよう
に中国に襲いかかり、われわれの富を略奪し、人民を殺害した]。1900年の義和団の乱(注6)については、
「中国国民は異国の侵略者に対して断固たる攻撃を行った」という歪んだ説明がされている。そして、第二次世
界大戦における日本との戦いでは、「中国国民はその近代史において初めて、外敵の侵略への抵抗、撃退に成功
し、勝利を収めた」。中国はその後、「とるべき進路についての歴史的決断」を迫られ、「反動的」な蒋介石の
「独裁支配」よりも、毛の中国共産党(平和と民主主義のために断固として闘争する党)を選択する。
共産党のリーダーシッブにより、中国国民は「独立心を育み、困難に打ち勝って、他国に頼らない、より包括
的な産業システムと経済システムを創出し、社会主義の近代化のためにきわめて重要な、物質的、技術的基盤を
築いた」。党のおかげで、この「偉大な国家」は、「活気あふれる社会主義市場経済」を建設し、今では「広範
囲にわたる開放」を享受している,将来、中国人は「CCP(中国共産党)中央指導部を中心として密に団結し」
「中国ならではの社会主義の旗印を高く掲げるだろう」。
語られていなかったのは、第二次世界大戦における中国の勝利が、展示が悪者とする「西洋資本主義諸国」の
軍事介入によること、アメリカの投資とアメリカ市場があればこそ、中国の輸出は劇的な急成長を遂げたという
こと、そして中国の技術の進歩はアメリカとの科学技術交換プログラムの、100件近い協定に依存していたこ
とである。その代わりに、わたしが見た唯一の、アメリカ人が写った大きな写真は、100年前、義和団の乱の
時に、数名のアメリカ人が紫禁城の皇帝の玉座に座り、皇帝を侮辱している姿を収めたものだった。なぜそのア
メリカ人が中国にいたのかについての説明はなく、彼らの主な目的は、中国を隷属させ侮辱することだったとい
う印象を来館者に与えている。写真の隣の地図には、義和団の乱の後、アメリカを含む諸外国の軍隊が侵攻した
地域が示されていた。
わたしの招待で、中国国政の外交学院の大学院生が3人、わたしとともにその博物館を訪れた,彼らは外交官
になるための教育を受けているところで、共産党政府の見方を教え込まれていた。彼らは、義和団の乱で10万
人の中国の民間人が殺されたことや、弟一次世界大戦中にアメリカが中国を援助したこと、1959~62年ま
でに毛沢東の大躍進政策とそれがもたらした飢饉のせいで、2000万人以上の国民が死んだことや、国立大
学を閉鎖し中国を引き裂いた1966~78年の文化大革命により、数百万人が死んだことについてはよく知ら
なかった,そして、天安門広場の抗議緊会について聞いたことはあっても、それ以上のことは知らかった。
言うなれば、この大学院生たち自身が、天安門広場の虐殺後に小平が下した決定の産物だった,天安門事件
は、それについて言及していないこの博物館からわずか200ヤードのところで起きた(注7)、1989年以
降、男は党の支配をより強固にするため、李鵬をはじめとするタカ派と手を結ぶことにした。そして彼らは、も
う一度と中国の学生が自由の女神を建てることも、独立宣言を引き合いに出すことも、アメリカの価値観を中国
共産党のそれより優れたものと見なすこともないだろう、と明言した。1年とたたないうちに、教科書はアメリ
カを「大悪党」と潜き直し、今後、中国の学校や図書館では、アメリカについてはこの唯一の公式見解に沿って
教えられ諸られることになった。
John Tyler (March 29, 1790 – January 18, 1862)
最新の中国版の歴史では、ジョン・タイラー大統領がアメリカの悪人の筆頭に挙げられている,1844年の
望厦条約で、タイラーは中国に、毛が「アメリカの中国侵略の結果として初めて締結された不平等条約」と呼ぶ
ものを押しつけた(注8)とされる。中国の学生に与えられた教科書によれば、アメリカにとってその条約は、
「中国を搾取するための不法行為一ヘの門戸を開くものだった,タイラーとアメリカ人は「敵が働いているとき
は、ゆっくりと侍つ」(『戦国策』の言葉)ことを選んだ。アメリカはまだ中国を支配する力を持っておらず、
その好機を待つつもりだった。中国タカ派にとって、タイラーは邪悪な天才であり、アメリカが中国を完全に支
配するための台を築いた人物とされている(注9),
タイラーに続いて中国に大鉈を打ち込んだのは、反中国の首謀者、エイブラハム・リンカーンである。もちろ
んアメリカでは、リンカーンは丸太小屋で育ち、合衆国を統一し、奴隷を解放し、その信条ゆえに生命を奪われ
た高潔な大統領として記憶されている.、しかし中国では、冷厳で残忍な、アメリカの帝国主義者でしかない,
人民大学の国際関係学教授、時殷弘は、リンカーンは「中国が国際社会の中で支配され、搾取されることさえ望
んだ」と述べている(注10)。
この中国版の歴史によれば、リンカーンが中国と西洋社会との関係を正常化するために太平洋を越えて外交官
アンソン・バーリゲームを送り込んだのも、真の動機はそこにあった。北京外国語学院、アメリカ研究センタ
ーの梅仁毅によれば、1868年に締結されたバーリンゲーム条約は、中国に「西洋文明の基準に従う」ことを
強いるものだった(注11)。つまり、西洋の外交流儀に合うよう中国のしきたりや礼儀作法を破壊し、アメリカ
による太平洋の支配というリンカーンの夢の実現を助けた、と言うのだ。
20世紀初頭、アメリカはさらに本性を露わにした,1900年の義和団の乱では、愛国心の強い反乱軍(義
和団)が中国を西洋の支配から解放するために戦ったが、アメリカはこの反乱軍を制圧しようとする8カ国連合
軍に加わった。連合軍は中国を破壊、略奪し、勝利を収めると、中国に610億ドルの賠償金(現在のドルに換
算)を課した。アメリカは、他の国々をだまして中国を攻撃させ、趙火打劫(火事につけこんで泥棒をはたらく、
「兵法三十六計』第五計)と、借刀殺人(同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける、「兵法三十六計』第一
二計)を図ったとしている(注12)。
義和団の乱の後、中国の勢いは、衰えはしたが、消えたわけではなかった。中国は第一次世界大戦で連合軍を
助け、勝ち組の大統領、ウッドロウ・ウィルソンがヴェルサイユ条約で人権尊重と民族自決を約束した時、中国
にとって事態は好転しつつあった。しかし中国に言わせれば、ウィルソンが掲げた、平和を守るための自由と世
界の軍事協力という夢は、世界を欺き、覇権を狙うアメリカの侵略行為を認めさせるための巧みな謀略だった。
郵蜀生の影響力ある教科書『美国歴史与英国人(アメリカの歴史とアメリカ人)』によると、ウィルソンは「
中国のすべてをアメリカの支配下におく」ことを狙っていたそうだ(注13)。そのため肢は、山東省のドイツ租
借地を中国政府に戻すのではなく、日本へ譲渡することを約束し、条約でそれを保証した。戦国時代に二枚舌を
駆使した覇権国と同じく、ウィルソンは密かに、戦いで疲弊した中国の息の根をとめようとしたのだ。悲劇的に
も、この「裏切り」は1919年に五四運動と呼ばれる抗議運動を引き起こした。それが近代中国のナショナリ
ズムを触発し、1921年、ついに中国共産党が結成された。
中国のアナリストは、第二次大戦中の日本による1931年の満州侵攻と、1937年の中国本上への侵攻も
アメリカの戦略の一部だと主張する。日中両国が西太平洋地域でアメリカの覇権を脅かす存在に成長するのを阻
むため、互いに反目させて、終わりのない戦いに陥れようとした、というのだ。済南大学の歴史家、ターン・チ
ーンは、フランクリン・ルーズベルト大統領がいかにして「抵抗運動において中国人が大きな犠牲を払うように
仕向けたか」を説明する。
ことの歴史的確度はともかくとして、清王朝末期は欧米の多国籍軍(日本も含む)にひどい犠牲を強いられたことも、
そして、その犠牲の規模において、大躍進や文化大革命犠牲での犠牲は遙かにそれを上回ったことも事実と考えるの
は妥当なんだろう――個人的には時間があれば関連資料を集めてみたい――と思える。
注4.この本が再版されるという主張のソースは、CASSのウェブサイトである。 Wang Chun,A Histrory of the U.s. Aggression
in China (Beijing Worker's Press, 1951).さらなる詳細はAndrew J. Nathan and Andrew Scobell. “How China Sees Ame-
rica: The Sum of Beijing's Fears," Foreign Affairs (September/October 2012) を参照。以下のサイトで人手可能。
http://www.foreignaffairs.com/articles/138009/andrewj-nathan-and-andrcw-scobcll/how-china-sccs-amcrica.
注5. CASS ウェブサイトの中国版は、以下のサイトで人手可能。httP://www.cssn.cn/.英語版はこちら。 http://english.cass.cn/.
注6. 義和団の乱についてさらなる詳細は、Larry Clinton Thonlpson,William Scott Ament and the Boxer Rebellion: Heroism,
Hubris, and the "Ideal Missionary" (Jefferson, NC: MCFarland, 2009)を参照。
注7. 鄭の規定の影響についてより幅広く知りたい場合は、Vogal, Deng Xiooping and the Transformation of Chine を参照。
注8. Secret Works of Mao Tes-Tse-tung, Volume iv (Beijing: Foreign Lunguages Press, 1961)、450.
注9. Xiong Zhiyong. “A Diplomatic Encounter between China and America Reviewed from the Signing of the Treaty of Wan-
gxia,” Modern Chinese History Studies. no. 5(1989): Qiao Mingshun, First Page in Chinese-U.S. Relations, 200, 33-34,
38, 147, 171; Li Jikui, "Chinnese Republican Revolutions," 41-42, in Tao Wenzhao and Liang Biyin, eds., The United
States and Modern and Contemprary Chinaj(Beijing CASS Press, 1996).
注10. Shi Yinhong, Lu Lei, “U.S.Attitude toward China and China’s Entrancc to thc lntcmational Conlnlunity,” 6.
注11. Mci Renyi,Centcr for American Studics, Bcijing Foreign Languages Univcrsity, “Amcrican Reporting on China’s
Reform and Opening up.” 422 (Beijing Foreign Languages University Press,1995).
注12 The Thirty-SIx Stratagems (兵法三十六計)、第1章、以下のサイトで人手可能。
http://wengu.tartarie.com/wg/wengu.php?1=36ji&&no=3.
注13. Deng Shusheng,Malguo Lishi yu Meiguo Ren American History and Americans(Beijig: Peoples’ Press, 1993)、55.
注14. Tang Qing, “U.S. Policy Toward Japan Before the Outbreak of the Pacific War,” in Jianghandaxue Xuebao {Jianghand
University ournal}(April 1997):105-9
この項つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます