A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【共産圏の百円レコード】マート・サール Март Саар/ヤラ Ялла/ラッジ Лазги/ワルシャワ古楽団/革命现代舞剧 白毛女

2020年11月10日 01時52分43秒 | こんな音楽も聴くんです


40数年前、小学生の頃、所属するバレエ団でソ連公演に行った同級生の女子から現地の子供と交換したというバッジをお土産にもらった。70年代半ば、アメリカとソ連が二大国として競い合っていた時代である。アメリカの文化はテレビドラマや漫画でお馴染みだったが、共産国のソ連の情報はほとんどなくて、もらったバッジの見慣れぬ文字を眺めて密かな憧れを抱いたものである。父親の本棚に若い頃かじったらしい露和辞典があったが、そもそもキリル文字の読み方がわからないので役に立たなかった。



「共産主義とは資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制」という百科事典の説明を信じたわけではなかったが、ここではない別の世界に憧れる空想癖のあるガキには十分憧れに値する体制であった。しかし音楽に関しては、クラシックや民族音楽以外はほとんど情報がなくて、謎のベールに包まれていた。80年代になって中国のパンクバンドと噂されるドラゴンズというバンドを聴いて面白いと思ったものの、その魅力は権力体制への反抗心だった(のちに香港のバンドだと判明した)。共産国のレコード会社はすべて国営だから、国が認める音楽しか発売されないこともその時知った。だから政府の弾圧に負けずアンダーグラウンドで活動を続けるチェコスロバキアのThe Plastic People Of The UniversのLP『Egon Bondy's Happy Hearts Club Banned』を聴いたときは本当に興奮した。

The Plastic People Of The Universe - Run Run Run (1971)

反骨精神で40年~The Plastic People Of The Universe

1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊により、旧共産圏の情報が次々公開され、さらにインターネットの普及により文化の伝播に於いては国境が障害ではなくなりつつある現在、殊更に旧共産主義国を特別視する必要はないかもしれないが、例えば度々話題になる肋骨レコードなど、国家統制された社会の歪みが生んだ特殊事情が明らかになることもある。さらに現存する共産主義国が、中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバの5か国しかないことを考えれば、過去の遺物化しつつある共産圏という言葉には、EXPO70(大阪万博)に似た近未来のノスタルジアを感じないだろうか。

Covid-19緊急事態宣言真っただ中に休業せずに営業していたハードオフのジャンクレコード・コーナーで共産圏のレコードたちに出会った。ソ連のレコードが多いのは、ロシアかぶれの愛好家か、それとも日本へ嫁いだロシア人女性の土産物か。いづれにせよ遥か彼方の旧共産圏からはるばる日本へ流れついた挙句の果てに、ペットボトルのお茶より安い税込110円で売られるという数奇な運命を辿った塩化ビニール盤には、他のレコとは異なる哀愁を感じてしまうのは筆者だけではないだろう。

●Mart Saar ‎/ Koorilaulud 1 『マート・サール / 合唱団の歌1』
Мелодия ‎– С10-15791-4(2枚組) / 1981


マート・サール(1882年9月28日/15日説もあり生、1963年10月28日没)はエストニアの作曲家・オルガン奏者。民謡の収集でも知られる。エストニアの伝承音楽に影響を受けた合唱曲で知られる。本作は「女性合唱団のための34の民謡」「混合合唱団のための11曲」を収録した2枚組LP。素朴で静謐な合唱の調べは、最小限の要素で音の成り立ちを描いており、後年のエストニアを代表する作曲家アルヴォ・ペルトの樹木のようなミニマリズムの元祖といえる。大地に根付いた前衛主義の温床であった。

Noore veljo, veeritäge by Mart Saar, Tartu Students' Choir, IBSCC Free Competition



●Ялла ‎– Лицо Возлюбленной Моей 『ヤラ・アンサンブル / 恋人の顔』
USSR : Мелодия ‎– С60 20135—36 000 / 1983


口ひげに出来損ないのパンチパーマが数名、妖しい衣装に妖しい民族楽器。ソ連のマヒナスターズかと思ったら、音はキーボードやシンセを多用したプログレポップス。70年代初頭から91年頃まで活動していたロックバンド「ヤラ」の2ndアルバム。70年代は女性ヴォーカルを含み民族色のあるポップソングを得意としていたが、80年代は男性ヴォーカル西欧歌謡ロック化、国民的ヒットも放つ人気バンドになった。収録曲:カシダ・スプリング教区/ルバイ/ガゼル/最後の詩/君ほど美しい人はいない/比べ物にならない/愁いを晴らしてくれるのは誰?

ВИА "Ялла" - "Учкудук" (1982)



●Лазги ‎– Вокально-Хореографический Ансамбль ‎/ Лазги 『ラッジ - ヴォーカル&振付アンサンブル / ラッジ』
USSR / Мелодия ‎– М30-36645-46 / 1974


女性ダンサーとバックバンドからなるウズベキスタンの民俗舞踊グループ。いかにもなジャケット写真から観光客目当ての商業フォークダンスかと思ったら、ガチな民俗音楽伝承スタイルで嬉しい驚き。ジャケットには英語が一切なくて意味の解読に苦労するが、神を賛美する宗教曲から民話を基にしたコミックソングまで、庶民の生活に密着した民謡のようだ。現在も活動し、大規模なコンサートで観客も一緒に踊る盛り上がりを見せている。

LAZGI Hulkar Abdullayeva/ЛАЗГИ Хулкар Абдуллаева Koncert version2016



●Fistulatores et Tubicinatores Varsovienses ‎/ Fistulatores Et Tubicinatores Varsovienses『ワルシャワのパイパーとトランペッター』
Poland : Polskie Nagrania Muza ‎– SXL 0521 / 1073


1964年にポーランドで舞踊家のカジミエツ・ピウコウスキ Kazimierz Piwkowskiにより結成され、65年11月24日ワルシャワの国立管弦楽ホールでデビューした古楽グループ。グループ名をネット翻訳すると「瘻孔と管状虫歯菌類」という不気味な和訳が出てくるが、中世のポーランドでの木管楽器奏者の呼称「Fistulator」(fistula=pipe)と金管楽器奏者の呼称「Tubicinator」(tuba=trumpet)を組み合わせたものである。リコーダー、角笛、トロンボーン、フィドル、手風琴のルーツとなる古楽器を使ったアンサンブルは、クラシックとエスニックが混然一体としたエレガントな中世音楽を奏でる。紅一点おかっぱ頭の女性パーカッション奏者はピコウスキの奥さんらしい。

Pastoralka Staropolska Wojciech Siemion Fistulatores et Tubicinatores Varsovienses TVP



●上海市舞蹈学校 / 革命现代舞剧 白毛女 The Shanghai School Of Dancing ‎– The White-Haired Girl
China : 中国唱片 ‎– DM-6175, DM-6176, DM-6178(3枚組) / 1971


『白毛女』(はくもうじょ)は、1945年に初演された中国の革命歌劇。貧農の父親の借金の肩に、中国国民党とつながる悪辣な反動地主から暴行を受けた貧農の娘が山奥の洞穴に逃亡、隠れている間に白髪となったものの、解放軍に救い出され、地主を打倒するまでの姿を描く。テーマは、「国民党支配下の旧社会は、人を鬼(妖怪)にするが、共産党による新社会は鬼を人にする」。ブックレットには毛沢東の言葉が引用されている。昔の孫悟空や三国志の映画を思わせる中華オーケストラ演奏に、京劇のようなハイピッチの女声ヴォーカルが乗るスタイルは、西欧や日本とは異なる進化を遂げた中華人民共和国ならでは現代音楽を堪能できる。ジョン・ケージもシュトックハウゼンも勝てない人民思想の力強さに溢れている。

Chinese Ballet-The White Haired Girl 白毛女 Excerption Pt1


音楽には
ブルジョアも
プロレタリアートも
関係ない

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【100フォークスのススメ】第6回:いにしえの旅路の果てに辿り着く新たな世界~吟遊詩人・長谷川きよしの啓示

2020年05月28日 02時12分43秒 | こんな音楽も聴くんです


緊急事態宣言に伴う外出自粛期間中、ほとんど誰も外出せず自動車も走らない静かな世界で、もしこのまま死にゆくとすれば最後に聴く音楽は何がいいだろうか、と妄想した。世界の静寂を破るけたたましいノイズやフリージャズは言語道断、かといって静謐な讃美歌や中世音楽じゃ宗教的過ぎる。アンビエントやヒーリングミュージックは嘘臭いし、ポール(といえばモーリア)等のラブサウンドでは甘ったるい。もっと優しく、世界の死滅に寄り添う音楽はないものか、と考えながら1年半ほど前に買ったっきり針を落とすのを忘れていた100円レコードをターンテーブルに乗せた。盲目のシンガーソングライターであり、日本版ホセ・フェリシアーナと呼ばれた長谷川きよしのアルバムだった。

長谷川きよし

プロフィール
1949年、東京生まれ。ホセ・フェリシアーノを彷彿とさせる盲目のシンガー・ソングライターで、さまざまな国の音楽をポップスに取り入れた、日本におけるワールド・ミュージックの先駆者的存在。2歳の時に失明し、12歳でクラシック・ギターを始める。69年にシングル「別れのサンバ」でデビュー。71年のシングル「黒の舟歌」がヒットを記録。74年発表の加藤登紀子とのデュエット・シングル「灰色の瞳」はフォルクローレ・ブームの先駆けとなった。エリゼッチ・カルドーゾやピエール・バルーら世界のミュージシャンと共演多数。

●長谷川きよし『いにしえ坂』(Vertigo FX-8601 / 1972)


フォーク・ロックやニュー・ロックの時代に機敏に呼応。アメリカン・フォークにシンパシーを寄せたようなフォーキーなナンバーや、バンド・サウンドを積極的に取り入れたダイナミックなロック調ナンバーにも挑戦したスタジオ4thアルバム。1972年作品。

セピア・グリーンの厚手の見開きジャケットを開くと、廃墟に座るポートレートをはじめ、モノクロのアンダーグラウンド臭漂うフォトグラフがレイアウトされている。バックを務めるのはフリージャズ・ドラマーとして高柳昌行や阿部薫らと共演する山崎弘を中心とするジャズ・セクステット。山崎の他にパーカッションが二人いるのが特徴。レーベル面のVertigoの渦巻き模様を見ただけでブリティッシュ・プログレやフォークの馨しい香りがする。

A面はリリカルなフォークロック「かなしい兵隊」、バンドサウンドを活かしたアメリカン・ロック「コーヒー・ショップ」、得意のボサノヴァ「秋だから」、弦楽カルテット入りのクラシカルなバラード「椅子」、ギター弾き語り「ティ・タイム」、ロッド・スチュワートのカヴァー「Seems Like A Long Time」を収録。フォルクローレSSWというイメージを払しょくするバラエティの豊かさをみせる。

しかし肝心なのはB面。イラン歌謡に日本語訳をつけた「ダリオ・ダリオ(海へ)」は、ジプシー・ヴァイオリンのフリーキーなイントロに続いて、大陸的なワルツのリズムに乗ってオリエンタルなメロディが流れ出す。張りのあるテノールで朗々と歌う声は、コーランの詠唱を掻き消す威風堂々ぶり。サイケなオルガンとエキゾチックなヴァイオリンが宙を舞い、照り付ける黄色い直射日光をサウンドの砂塵で濁らせる。喉の渇きを忘れさせるドラムとパーカッションの土埃が、一転してヴァイオリン・ソロに導かれ2曲目「ハイウェイ」で砂漠の旅が始まる。イコライジングされたロボトミーヴォイスが孤独な旅人を導き、消えた砂漠の民が眠るオアシスの墓場へ歩を進める。死の旅路のBGMだ、と直感した。レコードはそのままアメリカ民謡「Black is the Colour of My True Love's Hair」へ。あのパティ・ウォーターズがESP DISKの1stアルバムのB面すべてを使ってバートン・グリーンのピアノをバックに囁き・喘ぎ・叫び続けたナンバーである。BLACK(黒)をテーマにした長谷川きよしの歌は野坂昭如の「黒の舟歌」が有名だが、「黒が真実の愛の髪の色」と歌うこの曲での深く沈み込む歌も「黒を歌う歌手」としてのきよしの真骨頂である。B面ラストはアルバム・タイトル・ナンバー「古(いにしえ)坂」。曲調がドラマティックに展開するプログレ・フォーク組曲で幕を閉じる。B面を聴き終わり、しばらく放心状態が続いた。長い旅を終えた気分だが、戻ってきた場所は自分の居場所ではなかった。

ダリオ・ダリオ (海よ)



●長谷川きよし『遠く離れたおまえに』(Flash Records ‎– SKS-1030 / 1979)


モロッコ、スペイン、ギリシャの各地でのライヴ・レコーディングを収録した、長谷川きよしの弾き語りアルバム。初の弾き語りアルバムにして、長谷川きよしの"吟遊詩人"のイメージを決定付けた名盤。1979年作。

長谷川きよしは更なる旅に出発した。今度はバンドを従えず、ギター一本持った孤独な旅である。モロッコの街並、アルハンブラ宮殿、エーゲ海を巡り人々の雑踏や自然の中で演奏する旅路は楽しかったようで、封入ブックレットの笑顔がまぶしい。その一方で歌の暗闇はさらに深みを増している。いきなりモロッコで「砂地獄」にハマり、気狂い天気が闇の底から明けて行く(「マラガは港町」)。孤独な闇の中で冷えた体を抱きしめ(「ゆれてる ゆれてる」)、生きてゆくことの苦しさを嘆き(「アモーレ ミオ」)ながら、「あなたの為に死ぬ」覚悟を決める(以上A面)。心の壁を歌が好きなただの人に崩され(「城壁」)、やっと心に愛の火がもえはじめた(「キャティ」)と思ったら、胸のコサージュをひなげしのような赤い血で染め、まどるむがごとあの娘は倒れていた(「小さなひなげしのように」)。傷心の心を「トレドの風」で癒しながら、「遠く離れたおまえに」想いを寄せつつも、俺はこの街を離れない、と決意する(以上B面)。

エピダウロスの「砂地獄」


歌の旅を終えた長谷川きよしは日本へ戻り何事もなかったように音楽活動を続けたが、果たして彼の心はあの街に置き去りにされたままではなかろうか。その秘密を探るために、レコードショップの100円コーナーに長谷川きよしの他のレコードを探しに行かなければならない。

「古坂なんて どこにもない峠 そのくせ みんなが知ってる峠 だってね みんなそれぞれ あなたの中の 古坂を 越えていくのさ」

死滅する世界(古坂)を越えた先に新たな世界が見つかるという吟遊詩人・長谷川きよしの啓示は、100フォークスを探す筆者の終わりなき旅の始まりを告げている。

この旅には
終わりはないと
間章も言っていた

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【華麗なるラブ・サウンドへの招待】第2回:ポール・モーリア vs.日本の歌姫。魅惑のラブ・サウンド名曲日本語カヴァー~森山良子/天地真理/あべ静江/麻丘めぐみ/いしだあゆみ/ザ・ピーナッツ他

2020年05月22日 01時30分28秒 | こんな音楽も聴くんです


自粛期間中にますますポール(といえばモーリア)とラブ・サウンドの魅惑に取り憑かれている。24時間ほとんど外出しないで同じ部屋に引き籠って一日ずっと好きな地下音楽やフリージャズやパンクロックや現代音楽ばかり聴いていると、何をしていても音楽しか頭に入ってこないので耳と脳だけが肥大化していく気分になる。そのうち頭が水膨れならぬ”音”膨れになって、破裂してしまうのではないか?と危機感が募るパニック障害のデトックスとして、ポールをはじめとするラブ・サウンド、またの名をムード音楽、またの名をイージーリスニングが大変有効であることに気づいた。それ以来、ポールの13枚組LP各面20分×2(AB面)×13枚=約8時間半を仕事中ずっと流しっぱなしにしている。時折アクセントとしてCBSソニー系のレイ・コニフ・シンガーズ、カラベリときらめくストリングス、パーシー・フェイス・オーケストラをコンパイルした7枚組LPや、フランク・プゥルセルやレイモン・ルフェーブルなどポールのライバルのレコードを聴いたりもするが、さすがにインストばかりだと物足りなくなる。だからと言って、パンクやロックやクラシックのヴォーカル曲は圧が高すぎる。もっとムードがあってイージーに聴ける女性ヴォーカルはないかと思い、YouTube検索したところ、ラブ・サウンドの日本語ヴァージョンが次々見つかった。しかも日本の歌謡ポップス界を象徴する人気歌手が多い。”ラブ・サウンドの王様”ポールの必殺スマイルは、歴代大物女性歌手をも虜にするのだろう。ポールが導いてくれた素敵なご縁に感謝するしかない。愛のメッセージを交換するムッシュ・ポールと日本の歌姫の聴き比べをお楽しみあれ。

●恋はみずいろ L'amour est bleu
1967年発表。ピエール・クール(英語版) (Pierre Cour) 作詞、アンドレ・ポップ (Andre Popp) 作曲。はじめはヨーロッパで、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1967においてヴィッキーの歌唱で発表され4位に入賞。翌年にはポール・モーリア編曲のインストゥルメンタルバージョンがヒットチャート5週連続1位を獲得するなど爆発的にヒットし、数多くのアーティストによってカバーされ、1960年代 - 1970年代に突出した頻度で各メディアで流れた曲であり、また現在でもイージーリスニング音楽やBGMの定番のひとつとして用いられており、世界中の多くの人々に親しまれている曲である。

ポール・モーリアPaul Mauriat /恋はみずいろL'amour est bleu (Love is Blue) (1967年)

 
森山良子 恋はみずいろ 1967


天地真理 恋は水色


あべ静江 恋はみずいろ


由紀さおり 恋は水色


石川ひとみ 恋は水色


Chara - 恋はみずいろ



●オリーブの首飾り El Bimbo
もとはフランスのグループ、ビンボー・ジェット(Bimbo Jet)の70年代ディスコミュージックで、作曲はリーダーのClaude Morgan。日本でも「嘆きのビンボー」として発売された。これをポール・モーリア楽団がカバーし、「オリーブの首飾り」の邦題が付けられた。ビンボー・ジェットはクラビネット、ポール・モーリアはチェンバロでメロディを奏でている。奇術界を代表する女性マジシャン、松旭斎すみえがポール・モーリア版をBGMに起用したために、手品のバックミュージックとして有名になったと言われている。

ポール・モーリア PAUL MAURIAT /オリーブの首飾りEL BIMBO (1975年)


ローレン中野 ゆうわく(オリーブの首飾り)1976 / El Bimbo


石井明美  オリーブの首飾り



●シェルブールの雨傘 Les parapluis de Cherbourg 
1964年フランスのジャック・ドゥミ監督ミュージカル映画。ミェル・ルグランが音楽を担当し、第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。映画中ではダニエル・リカーリが歌った主題歌はスタンダード・ナンバーとして多くの歌手により歌われている。

シェルブールの雨傘 ポール・モーリア  Les parapluis de Cherbourg Paul Mauriat


麻丘めぐみ シェルブールの雨傘 1976 / Les Parapluies De Cherbourg



●愛の賛歌 Hymne à l'amour
フランスのシャンソン歌手:エディット・ピアフの歌。作詞はピアフ、作曲はマルグリット・モノー(フランス語版、英語版)による。シャンソンを代表する楽曲として世界中で親しまれている。

Paul Mauriat --HYMNE A L'AMOUR 愛の賛歌


倍賞千恵子 愛の讃歌 1975 / Hymne a L'amour



●サバの女王 La Reine de Saba
1967年にチュニジア出身の男性歌手ミシェル・ローラン(フランス語版)が作詞・作曲し、フランスで発売されたシャンソンの楽曲。

ポール・モーリア Paul Mauriat/サバの女王 La Reine de Saba(1968年)


ペドロ&カプリシャス シバの女王


今陽子 サバの女王



●白い恋人たち 13 Jours en France
1968年に製作されたクロード・ルルーシュ監督による同名のフランス映画のためにフランシス・レイが作曲したメインテーマ曲。

Paul Mauriat 白い恋人たち


ザ・ピーナッツ 白い恋人たち 1971 / 13 Jours en France


いしだあゆみ 白い恋人たち 1973 / 13 Jours en France



●ある愛の詩 Love Story
数多くの映画音楽を手がけてきたフランシス・レイがアメリカ映画『ある愛の詩』(1970年公開)のテーマ曲として作曲した。同曲は1970年の『アカデミー賞』音楽賞を受賞している。同時にアメリカの男子歌手アンディ・ウイリアムスが「ある愛の詩 (Where Do I Begin) Love Story」として歌いヒットを記録した。
 
Paul Mauriat ある愛の詩


平山三紀  ある愛の詩 1971 / Love Story



●マイ・ウェイ My Way
フランク・シナトラのポピュラー・ソング。作詞はポール・アンカ、作曲はクロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー(英語版)。原曲は1967年のクロード・フランソワのフランス語の歌「Comme d'habitude」で、ポール・アンカが新たに英語の詞を書き、1969年にフランク・シナトラのシングル及び同名のアルバムとして発売された。後にエルヴィス・プレスリーはじめ多くの歌手によりカバーされ、カバーされた回数が史上第2位の曲(第1位はビートルズの「イエスタデイ」)だと言われている。

Paul Mauriat マイ・ウェイ


いとう愛子 マイ・ウェイ 1970's / My Way



●この胸のときめきを Io che non vivo senza te
もともとは1965年のサンレモ音楽祭で歌われたイタリアの楽曲で、原題は『君なしに生きていられない僕(Io che non vivo senza te)』。作曲者のピノ・ドナッジョが創唱した。その後、ダスティ・スプリングフィールドが歌い、のちにエルヴィス・プレスリーもカヴァーした。英語タイトル「You Don't Have to Say You Love Me」。

ポール・モーリアPaul Mauriat/この胸のときめきをIo Che Non Vivo (1966年)


藤圭子 この胸のときめきを



●エマニエル夫人 Emmanuelle
エマニュエル・アルサンのベストセラー小説を映画化した、1974年のフランス映画。シルヴィア・クリステル主演のソフトコア・ポルノとして、特に日本で女性中心に大ヒットした。である。フランスのシンガー・ソングライター、ピエール・バシュレによるテーマ曲もヒットした。

Paul Mauriat - Emmanuelle


アンヌ・アンデルセン エマニエル夫人(日本語)1975 / Emmanuel



●ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン You Keep Me Hangin' On
スプリームスの1966年のシングル。作曲はホーランド=ドジャー=ホーランド。本作はグループの8番目のナンバーワンシングルであり、Billboard Hot 100において1966年11月13日から11月27日まで1位の座を保った。その後もロッド・スチュワート、ヴァニラ・ファッジ、ボックス・トップス、カラーボックス、リーバ・マッキンタイア、キム・ワイルド、アレサ・フランクリンと言った様々なアーティストによってカヴァーされている。

Paul Mauriat - You Keep Me Hangin' On (The Supremes Cover)


キャンディーズ  ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン


Risa Yamamoto (山本理沙) - キープ・ミー・ハンギン・オン (You Keep Me Hangin' On)



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【ブラックメタルの一夜】Worship Pain/SSORC/Begrabnis/Fra Hedensk Tid/haraappa@中野MOON STEP 2020.2.22(sat)

2020年02月24日 02時30分36秒 | こんな音楽も聴くんです


Kaala pre.
The Tower Vol.4
Worship Pain Release Gig

Worship Pain / SSORC / Begrabnis / Fra Hedensk Tid / haraappa / Sungoddess

OP-17:00 / ST-17:30
ADV-2000 / DOOR-2500yen+1drink order

地下アイドル現場は多種多様な音楽の趣味を持った人達が集まっている。特に筆者の主現場のネクロ魔(NECRONOMIDOL)と爆裂女子のファン(ヲタク)は普通以上に深く音楽へ入れ込んだ人が多い。だからこそヲタクDJイベントが単なる身内の宴会ではなく、様々な音楽を楽しむ場として成立するのである。
【特報】3/15魔ヲタ×爆団DJイベント開催決定!『爆裂ネクロ盤魔殿 Disque Daemonium d'NECRONOMIDOL & BURST GIRL』〜地下アイドルヲタクDJシーンの超革命。

また、バンド経験のあるヲタクも多く、現役のミュージシャンも少なくない。爆裂女子の筆者の推しメン都子ちゃんのヲタク(通称みやこん部)のひとりがライヴに出演するというので、2年半前の2017年9月13日に爆裂女子の前身グループ偶想Dropがパジャマライヴ「ゆるっと偶ドロ」を開催した思い出のある中野LIVE & PUB MOON STEPへ出かけることにした。


(Moon Step外観写真はTwitterからの拾い画像です)

「日本は桜、ロボット、芸者、アニメなどで有名だが、実際はアンダーグランド・カルチャーこそ日本の「隠された」資産である。特にBlack, Death, Doom, Grind, Hardcore, Psychedelic, Noiseなど世界で最もエクストリームな音楽が日本に数多く存在する。しかし社会の表面には現れないアンダーグランド・シーンで活動するバンド達を見つけるのは容易くない。そんな日本のエクストリーム・ミュージックを掘り起こし、地下音楽全体の生態系を明らかにするのが我々の目的だ」と宣言する企画組織Kaalaの主催イベント。日本在住の外国人のバンドが2組、日本人のバンドが3組出演。観客も外国人が多く海外のライヴハウスに迷い込んだような不思議な雰囲気。しかし地下極端音楽を楽しむ姿勢に国籍も人種も性別も関係ない。すべてのバンドが初見だったが、それ故に新鮮な喜びを感じ、楽しい時間を過ごした(一番手のSungoddessには間に合わなかった)。

●Harappa


東京をベースに活動するインド系ドローンドゥームメタルバンド。サーランギのSEがずっと流れたままで、インド風のメロディを持ったメタルサウンドを展開する。G/Voの歌はインド社会に関連した政治的な内容の歌詞に聴こえた。サイケデリックの要素もあり、ラーガ・メタルと呼んでみたくなる。

Live Indian Drone Doom Metal - Harappa perform 'Vikas'



●Fra Hedensk Tid


2010年結成。静岡のブラック・メタル・バンド。KAWANA(g)、SIN(vo)を核とする4人組。ひたすらブラストビートを刻む驚異的なドラムとベース、これぞブラックメタル。しかし基本はポップなコード感が貫かれ、ハードコアパンクなサビがあるので飽きることがない。白塗りメイクはAlien Sex FiendかThe Cramps、メタルというよりパンクの香り気に入った。

Fra Hedensk Tid at Full Metal Yakuza



●Worship Pain


この日がレコ発ライヴの日本在住外国人4人組ブラックロックバンド。メンバーそれぞれ別のバンドでも活動しているようだ。ツインギターの重厚なヘヴィロックにペイン(痛み)とファッキン(くそったれ)を歌うパワーヴォーカル。<肉を喰う西洋人に、米を食う日本人は叶わない>という時代錯誤な言葉が頭に浮かぶほど、体力の違いを見せつけるパフォーマンスだった。

Worship Pain Live at Pit Bar in Tokyo (Part I)



●Begräbnis


仙台のfuneral doom deathバンド。メンバーはHarima - 6strings/ Chorus、Kyou - 6strings、Fumika Souzawa - Vocal。オープニングで鈴を鳴らしながら登場する儀式は呪をテーマにしたアイドルユニットじゅじゅを思わせる。二本のギタードローンの中、女性司祭がデスヴォイスで演じるパフォーマンスは、やはりじゅじゅやネクロ魔に通じるゴシックワールドを描き出した。

Begräbnis - Live at Blue Resistance Ishinomaki, Japan 石巻ブルーレジスタンス(2019/3/8)



●SSORC


2000年結成、日本の古参ブラックメタルバンド。ヴォーカルとベースはTokyo Darkcastle等でゴス系DJとしても活動しているらしく、ブラックメタルにゴシックロックのイメージが加わったアーティズム的アンダーグランドの芳香を放つ。後半は客席乱入パフォーマンスで観客も巻き込み暗黒世界を礼賛した。

SSORC live Tokyo Dark Castle


本当の
ブラックメタルは
黒だけじゃない

ネクロ魔のサウンドへのブラックメタルの影響がよく分かった。
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【華麗なるラブ・サウンドへの招待】第1回:『ポール・モーリア・ビートルズの世界』〜Paul Mauriat meets Paul McCartney

2020年01月24日 01時48分57秒 | こんな音楽も聴くんです


『ポール・モーリア / ビートルズの世界』
ポール・モーリア・グランド・オーケストラ
Le Grand Orchestre De Paul Mauriat Joue Les Beatles
Philips ‎– PM-10 / 1973

A1 Michele
A2 Girl
A3 Yesterday
A4 Hey Jude
A5 Get Back
A6 My Sweet Lord
B1 Let It Be
B2 Penny Laine
B3 Ticket To Ride
B4 Lady Madonna
B5 Goodbye
B6 Eleanor Rigby

最近海外で日本の音楽の一部のジャンルに突然注目が集まる現象が起こっている。環境音楽(ニューエイジ/アンビエント/ヒーリング)やシティポップなどがそうだ。それに影響されて日本のレコードヲタクが曾ては百均コーナーでも見向きもされなかった駄盤や、逆に誰にも知られず地下に葬り去られた堕盤を求めて大枚が飛び交う主客転倒が見られる。人の振り見て我が振り直せ、じゃないが誰も知らない珍盤を求めて日々エサ箱やネットショップを掘り続ける盤魔殿DJも大いに反省する必要があるかもしれない。指先を黴と埃で真っ黒にしながら100円レコードコーナーを掘る理由は、奇盤珍盤との予期せぬ出会いを求める気持ちもあるが、寧ろ自分が聴かず嫌いして避けて来たメジャーレコードへの贖罪の旅に近い。彼らを100円の墓場から救い出し、黴と埃を拭って新鮮な聴力でじっくり鑑賞することで、地上を彷徨うレコードの生霊を極楽浄土へ成仏させようとするレコ助けか塩ビエクソシストを気取っているに違いない。

さて、昭和40年代の小学生にとって一番有名な海外ミュージシャンは、ビートルズやベートーベンではなくポール・モーリアだったと断言したい。給食の時間の放送委員の校内放送で「エーゲ海の真珠」「オリーブの首飾り」「恋はみずいろ」がヘヴィローテーションされたいたし、商店街で流れるNHK第1放送は1時間に数回ポール・モーリアをかけていた。 漫画雑誌の「オバケのQ太郎」か「おそ松くん」か「天才バカボン」に登場したゴージャス気取りのキザ男が、通販で買った合皮のライオンの皮を敷いたソファでネスカフェゴールドを飲みながらポール・モーリアのレコードを聴いて悦に入るエピソードが強烈に記憶に残っている。それほど日常風景に溶け込んだ彼の音楽こそ本当の意味での環境音楽と言えるだろう。逆にいえば当たり前過ぎて語ることが憚られる(語れるほど詳しい人がいない)禁断の存在かもしれない。

Paul Mauriat - Love Is Blue~El Bimbo 恋はみずいろ~オリーブの首飾り


イージーリスニング、ムード音楽、さらにはラブサウンドと言う意味不明なジャンルに於いて「王様」の称号で呼ばれたポール・モーリアだが、実際に聴いてみるとレーモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセル、カラベリときらめくストリングス等他のイージーリスニング・アーティストとはひと味違う個性的なサウンドを持つことがわかる。まずはモーリア自身が弾くチェンバロのエレガントな音色、艶のあるストリングスと生々しいドラムやギターの対比、スキャットとシンセサイザーを同レベルで並べる斬新なアレンジ、ステレオ効果やオーディオ映えを吟味したレコーディングの妙。「Easy Listening=平易な聴きとり」の真逆の「凝りまくった聴取体験」を与えてくれる。。にもかかわらず気楽(Easy)に聴けるのは彼の天賦の才に違いない。つまり安全なドラッグである。それでもキメすぎると命に関わる大事に至るかもしれない。それはつまり、無数に発売された曲順違いのベスト盤を無限に買い続けるしかないポール・モーリア・コレクターと言う名のレコード廃人へと至る道である。

Paul Mauriat — Toccata


昨年100円コーナーで入手した13枚組ボックスセットをその日の気分で流してはキザ男よろしく悦に入っていたが、実のところ一番好きなのはポール(といえばモーリア先生以外に有り得ない)のご尊顔であることに気がついた。トレードマークの口髭と深い灰色の瞳、無造作に整えたヘアスタイルにさり気なくオシャレなパリファッションで優しい微笑みを浮かべるポール様!嗚呼(溜め息)。。。。数多いベスト盤にはポールのアー写ジャケットは以外に少ない。あっても指揮中の似たような写真のクソコラが多い。その中にあってポールの豊かな表情を様々な角度から捕えたポートレートを表4枚、裏4枚もあしらったこのアルバム・ジャケットの贅沢さは彼のリリース作品中、1,2を争う萌えジャケである。しかも天下のビートルズ・ナンバーのコンピレーション。世界一有名なロックバンドを世界一のラブ・サウンドの王様が奏でる。カラヤンのベートーベンを遥かに凌駕するこのアルバムこそ、後世に語り継がれるべきポールの遺産だと考えてみれば、今頃天国のポール(モーリア)がもうひとりのポール(マッカートニー)に「早くおいで」と手招きをしている姿が容易く幻視できるだろう。

Paul Mauriat - Beatles Album (France / Holland 1972) [Full Album]


実はこのジャケットは日本盤のみ、曲順も日本人好みに並べ替えてある。日本人のポール愛と共にポールが大の日本贔屓だった証拠である。 (左上からフランス/イギリス/ベネズエラ/ニュージーランド/日本各国盤)



モーリアも
マーッカートニーも
イニシャルはP.M.

筆者が敬愛する地下音楽家も「ポール・モーリアにはときどきドキッとさせられる」と語っていた。

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【癒しの100円ボックスセット】アルス・ブリタニカ3枚組/グレゴリオ聖歌3枚組/ポール・モーリア13枚組

2019年10月29日 08時41分58秒 | こんな音楽も聴くんです


最近都内中古レコード店での筆者のお目当ては格安セール品、特に100円レコードコーナーになっている。十数年前のようにレア盤セールに早朝からから並び開店と同時に我先にとダッシュして他のコレクターと競争しながらお目当ての魔盤を勝ち取るなんて気力も体力もない。またサイケ/ノイズ/前衛ロック/フリーインプロヴィゼーション/地下音楽といった得意ジャンルに関してはそこそこのレア盤を手に入れてしまい、もはや内容はともかくレア度が高いことしか取り柄のない無名の堕盤しか残っていない気がするのと、それらのジャンルなら初見の盤でも聴く前にある程度内容が想像できてしまう気がして、食指が動かない不感症シンドロームに陥ってしまった。そんな時100円コーナーで出会った日本のフォークソングのレコードを聴いて、これまでにない新鮮な感動に震えた経緯については「100フォークスのススメ」として連載している過去記事に綴ってある。
【100フォークスのススメ】第3回:心の実存を自問するフォーク界のコールドウェイヴ〜佐々木好『心のうちがわかればいいのに』『にんじん』

その出会いは余りにヒットし過ぎたり余りにベタな内容だったりして「聴かず嫌い」してきた魔盤との和解であると共に、知らなかったが故のビギナーズラックでもある。新品の時の値段の20分の1以下の<100円>という価格設定は、持ってけ泥棒!と言う勇ましいものではなく、処刑(廃棄)される前に一度だけ生き残る(買われる)チャンスを与えられた死刑囚(塩化ビニール)の諦めしかない死んだ魚のような目の焦点の定まらない視線が漂白する賽の河原か無名戦士の墓に他ならない。オレは恰も墓掘り人夫のフリをして墓穴を掘り起こし、わらわら湧き出るウジ虫を追い払いながら、ぶっ生きる返す望みに賭けた秘宝を物色する好色なネクロフィリア(死体愛好家)に違いない。何と出会えるか分からないスリルと昂奮は、中1の頃ラジオのチャンネルを回しながらどんな音楽が聴けるか楽しみで胸をドキドキさせていた音楽童貞時代を思い出させる。

そんな堕盤魔盤墓荒らし活動の中で出会った癒しのボックスセットを晒しものにすることにしよう。

●プロ・カンティオーネ・アンティカ『アルス・ブリタニカ』
3LP:キング・レコード K25C-42/4(TELEFUNKEN原盤)定価¥7500 / 2019.10.24 Disk Union 吉祥寺クラシック館にて税込¥100
 

アルス・ブリタニカとは中世イギリスの古楽のこと。LP3枚それぞれ15世紀の「オールド・ホール写本」、16世紀の「マドリガル」、17世紀の「リュート歌曲」が収録されている。カウンター・テノール中心の男声合唱で奏でられるポリフォニーのメロディは、静謐且つ美麗でパンクロックアイドルの激しいライヴで疲れた筆者の心と身体を労ってくれる。これまではピアノや室内楽やミニマルミュージックに癒しを求めて来たが、人間の生声に勝るヒーリングはない。折り重なるヴォイスのバックで慎ましく演奏されるオルガン、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバが野に咲く百合の花のように愛おしい。


●サン・ピエール・ド・ソレーム修道院聖歌隊『グレゴリオ聖歌』
3LP:キング・レコード SLC1541〜3(LONDON原盤)定価¥6,000 /2019.10.26 HMV record shop Shibuyaにて税込¥110


帯付きエンボス加工/ゴールド印刷の美麗ボックスに52ページ解説ブックレット付き。HMV record shop渋谷の100円コーナーでこの箱を見つけたときはまさに天使が舞い降りたかと思った。20年くらい前にブームになったグレゴリオ聖歌は基本的に男声合唱のユニゾンである。ハーモニーがないので単調な分、声の厚みと自然な反響が大きな魅力となる。教会の聖堂でキリスト教の典礼と同じスタイルで録音されるので、神への祈りしかない敬虔な歌声に畏れに似た気持ちが沸き上がる。しかし筆者は宗教観に呑込まれることなく、ひとつの音響として聴き流すことにした。それにより紀元10世紀から歌い継がれて来た単線率から余計な信仰心を蒸発させ、残った反響の本質足る音律だけが聴覚を潤すエンバイロンメンタルムジークに生まれ変わる。


●ポール・モーリア『華麗なるラブ・サウンド・ベスト156』
13LP:Reader's Digest 46PR-1〜13 定価不明 / 2018.9.27 HMV record shop新宿ALTAにて税込¥108


タイトル通りムード音楽/イージーリスニングの第一人者ポール・モーリア率いるグランド・オーケストラの名演を156曲収録した13枚組ボックスセット。発売元のリーダーズダイジェストとは今で言えばディアゴスティーニのように特別編成の商品を企画し、会員向け通販で頒布していた会社である。購入者は特に音楽マニアではなく、百科事典と同じように「文化的家庭の常備品」という感覚だったのだろう。買っただけで安心して殆ど針を下ろしていない新品同様の美盤。各レコードは「ハッピー・ハート」「愛の調べ」「オン・スクリーン」「ワールド・トップ・ヒッツ」等楽曲のテーマ別にコンパイルされている。しかしながらどこから聴いても金太郎飴ならぬポール・モーリア。ゴージャスかつロマンティックなラブ・サウンドをお茶の間で味わえるプチ贅沢に浸ることが出来る。シンセサイザーや電子楽器が主流になる以前の生のストリングスやポール・モーリアの特徴であるチェンバロの生音が素晴らしい。ときどき不思議な音やアレンジが施されており、もしかしたらフランスのザッパはアルベール・マルクールではなくポール・モーリアだったのでは?と信じかけている。ジャッケット写真のモーリア氏の紳士の笑顔も素敵すぎる。ポール・モーリア写真集があったら購入したい。

LP盤
19枚で
318円

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【100フォークスのススメ】第5回:風待ち草のチルアウトフォーキー〜ふきのとう

2019年08月15日 09時22分21秒 | こんな音楽も聴くんです


遅過ぎたフォーク再評価の中で、前回取り上げたN.S.Pと並んで筆者が推しているのが北海道出身のふきのとうという二人組である。出会いは1年4ヶ月前、渋谷HMV Record Shopの100円コーナーで目に留まった『風来坊』というLPだった。何もない草原の真ん中に立つ白い枯れ木の枝にラジカセを置いてヘッドフォンで何かを聴くパーマヘアーと、ジャンパーを脱ごうと(いや着ようと)している長髪の青年ふたり。地平線の先は海だろうか。タイトル通り風来坊のように、ラジカセ一台持って日本中を旅しているのかもしれない。カセットテープには風の音しか録音されていないに違いない。風と共に現れ、風と共に去りぬ。「水色の木もれ陽」「白い霧」「銀杏の木」「それぞれの幸せ灯る頃」「雨はやさしいオルゴール」「夜」。。タイトルだけで景色が目に浮かぶ詩情主義。封入されたポスターには背の高い白樺の木となだらかな丘陵が波打つ壮大な大地に立つちっぽけな二人のポートレート。嗚呼、壮大な大地に比べて、人間とはなんて些細で無力な存在であろうか。風が吹けば飛ぶ砂塵のような人生は、悠久の宇宙に比べるとほんの一瞬だけの命しかないが、それでも一寸の虫にも五分の魂。五分のソウルを5分のフォークソングで歌いましょう。風に吹かれて歌声は、地平線の果てまで届くと信じている。そんな決意が二人の今ひとつ冴えない表情から読み取れるだろうか。



一緒に旅をしているからといって二人の関係は義兄弟でもホモセクシャルでもない。ルパン三世と次元大介のような同志もしくは仕事上のパートナーのイーブンな関係。契約書は必要はない。離れたければ離れ、恊働したければ共に戦う。どちらが欠けても他方は自分で生き残る。しかし一緒にいるからにはお互いの為に全力で使命を全うする意志が溢れている。3年後、5年後がどうなっているかは分からないが、俺たちに明日はないという自暴自棄な気持ちは全くない。夢がなければ作り出せばいい。二人でダメなら一人で考えればいい。目先の損得を考えることなしに本音で語り合えば、時がふたりを分つまで少しだけ理解した気持ちになれるだろう。それを悟ってしまったから二人の表情が冴えないのかもしれない。しかしそれは地獄ではない。かといって天国でもない。春になる前に地面から芽を出すふきのとうは、風を待ちながら陽の光に嫉妬する。呪詛の言葉が愛の歌に聴こえることもある。運命の柵や楔を引き抜いて船に乗せて北国の海の沖へ流してしまおう。歌を聴く時僕はいつも地平線を想像する。その先に何があるのか、風来坊の行方を見極めたい。それまで旅は終わらない筈だから。

ふきのとう/白い霧 (1977年)


音を聴く前に1枚のジャケットだけでこれほどの妄想を抱けるとはまるで夢みがちなティーンエイジャーのようだが、このアルバムが発売された1977年に中学3年生だった筆者は同年リリースされたザ・クラッシュのデビュー・アルバム『白い暴動』のジャケットを眺めながらイギリスの経済・人種問題、天皇制を含む日本の政治問題、そして自分の生きる先にある筈の革命について夜な夜な夢想していた。その時ザ・クラッシュでなくふきのとうと出会っていたなら、髪の毛を切ることも、Tシャツを破くことも、白衣に赤いペンキでTERRORISTとペイントすることもなく、ラジカセを担いで日本一周の旅に出発していたかもしれない。

風来坊 ふきのとう


1972年に北海学園大学にて山木康世と細坪基佳によりふきのとうの前身グループが結成された。山木は 1950年10月22日生まれ、細坪は1952年10月26日生まれ。ザ・クラッシュのジョー・ストラマーは1952年8月21日生まれだからほぼ同世代である。1974年「白い冬」でデビュー。数々のヒットで1970年代のフォーク/ニューミュージックブームの牽引役となった。1987年最初で最後の日本武道館コンサート「緑輝く日々」を行い、1万人を動員。その頃から二人の関係に亀裂が入りはじめ、1992年に解散。その後一度も再結成されていない。

流星ワルツ ふきのとう



抒情派フォークの一方の騎手N.S.Pは青春をテーマにポジティヴィティを拡散したが、ふきのとうのテーマは大自然の中の二人の関係と言っていいだろう。先に考察したように運命の悪戯ではなく、独立した二人の魂の恊働と離別が穏やかな歌声で綴られるサウンドインスタレーションは、聴き手の心をトランキライザーのように沈静化し、大宇宙の中に漂う孤独な魂の淋しさを五分間だけ忘れさせるチルアウト・ミュージックなのである。

春の雨/ふきのとう


しかしながら70年代にリリースされたベスト盤のジャケットが黒一色に統一されていた事実は、実はヴェルヴェット・アンダーグラウンドや阿部薫、さらには不失者といった地下の住人へのシンパシーを持っていたのかと錯覚させる。ふきのとうの歌の中に中に黒く色どられている処があったらすぐ電話をしてほしいものである。



白い冬
革命夢みて
春の雨

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【100フォークスのススメ】第4回:JOJO-FOLKの頂点を極める北国の加虐性愛桃色世界〜N.S.P(ニュー・サディスティック・ピンク)

2019年06月12日 01時58分58秒 | こんな音楽も聴くんです


1973〜74年小学校高学年の頃、筆者は石川県金沢市に住んでいた。通学路の途中に金沢工業大学の学生寮があり、年に2回ほど寮祭があり一般に開放された。ちょっとした模擬店が出る程度のささやかなイベントで、毎回同じ西遊記か三国志の古臭いアニメ映画が上映されていた。ヒッピーとかフーテンという言葉はもはや廃れていたが、寮の部屋に住むジーパンと褞袍を着た無精髭の大学生は、両親や普段目にする大人たちとは別の人種のような気がした。自由というより暇を持て余した趣味人という印象があった。もしかしたらこのレコードジャケットの3人に似ていたかもしれない。

彼らの名はニュー・サディスティック・ピンク=N.S.P。岩手県一関工業高等専門学校で1972年に結成され、73年ヤマハのポプコンで入賞しデビュー。74年高専卒業を機に上京したというから、筆者が見た金沢の学生とまさに同世代である。1987年の解散までの15年間に28枚のシングル、17枚のアルバムをリリースした多作ぶりは、当時の人気の高さを物語っている。それだけに中古レコード店の100円均一コーナーで遭遇することが多い。フォーク嫌いの筆者でも名前は知っていたが、同じ100均コーナーの王者であるアリス、谷村新司、さだまさし、松山千春、甲斐バンドらに比べると一般的な知名度は正直言って今ひとつ。そんな影の薄いレコードを再評価することこそ筆者が提唱する「100フォークス」の醍醐味であり、このN.S.Pこそ「100フォークス」の最高峰を成すBIG 2のひとつに他ならない。

彼らの魅力はまずそのバンド名である。元々サディスティック・ピンクというバンドを母体にメンバーチェンジでニュー・サディスティック・ピンクを名乗りロック中心に活動していたが、フォークでデビューすることになり、似合わないので頭文字を取ってN.S.Pと改名した、という嗚呼無情なストーリー。しかしそれを逆手に取って「ネコ・サル・ペンギン」という自虐ネタで笑いをとるしたたかぶりは、さすが昭和の趣味人だけある。そしてメンバーのルックスも捨て難い。育ちの良さそうな天野滋(リーダー, g,vo)と長い顔の好青年中村貴之(g,vo)も味があるが、何と言っても平賀和人(b,vo)の口髭が堪らない。45年前の金沢にもこういうチョビ髭の大学生は絶対いた筈。普段はTシャツにジーンズなのに、テレビ出演用のホワイトフレアスーツのお洒落な姿も好印象。

NSP 八十八夜 (Live)


音楽的に筆者が最も好きなのはデビュー・シングル「さよなら」である。霧に煙るギターサウンドに三声のハーモニーが幽玄に漂うアシッドフォークの傑作である。彼らがウッドストック/ヒッピー幻想に憧れを抱いていたかどうかは分からないが、雪国の冬の終わりの別れの切なさを歌う彼らの心に別の世界への憧憬があったことは間違いない。アルバム未収録のこの曲を皮切りに、N.S.PはJOJO-FOLK(叙情派フォーク)の代表格として人気を博する。特に初期のアルバムに描かれた日常風景に溶け込む孤独感の発露は、大人の入口に立った元廚二病の若者の心情として時代を超えてシンパシーを誘うに違いない。ジャケットが横井精二郎や矢吹伸彦のイラスト中心になった78年以降は切なさよりも優しさが強調されるようになり曲調も明るめが多くなる。アレンジもニューミュージック風に洗練されるが、清廉なハーモニーは相変わらず。「さよなら」の霧がかかった冬景色が、コンクリートの都市に降る冷たい雨に流されていく。

NSP さようなら


ベスト盤のタイトル『青春のかけら達』そのままにN.S.Pは青春をテーマに歌い続けたが、彼らの歌詞に「青春の痛み」はあまり登場しない。痛みをいつまでの引き摺るのではなく「もういいよさよなら」と置き去りにして次の出会いへと夢を馳せるポジティヴな姿勢が多くの人の心に届いたのではなかろうか。それは青春時代だけでなく、人生全体を通じてひとつの理想の生き方といってもいいかもしれない。100フォークスの真髄としてじっくり向き合いたい音である。

NSP初期プレイリスト


N:残された
S:素朴な青春
P:プレゼント

NSP NHK FM LIVE


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【クラシックの嗜好錯誤】第三回:箱入レコード純愛論〜リスト/オネゲル/一柳慧

2019年06月05日 01時40分48秒 | こんな音楽も聴くんです


箱に入ったレコードに心惹かれる。幼少の頃、父親のレコード棚に鎮座するワーグナーやプッチーニのオペラのボックスセットの威容に畏れに似た気持ちを抱いたからであろうか。もしくは宮沢賢治全集や森鴎外全集といったシリーズ本の並ぶ本棚の埃臭い空気に咳が止まらなかった苦しみの記憶だろうか。作家のすべてを所有することはできないが、何作かを箱に収納するだけで彼または彼女の人生の頂点の一部を閉じ込めて我がものにした錯覚に陥るのは筆者だけだろうか。かつて高額商品としてレコード店の鍵を掛けた陳列ケースに飾られたボックスセットは、今ではオリジナル盤の粗雑且つ安易なセカンドプレスとして、中古レコード店の安売りコーナーに投げ売りされている。そんな数奇な没落物語を経て筆者の前に現れた箱入レコをどうして放置しておくことが出来るだろう。それに加えて俺はレコードを愛している。出来るだけ多くのお気に入りのレコードを自分の部屋に連れ込むこそ我が歓び。ボックスセットなら一度に複数のレコード盤を手に入れられるし、例え全部が気に入らなくても、必ずガチ恋の1枚/1曲があるに違いない。そんな野望を胸に、今日も我はレコを掘るのであった。

●リスト/オルガン曲全集
クルト・ラップ(リンツ大聖堂ルディギエ・オルガン使用)

LP3枚組 定価 ¥6,000/購入価格 ¥680

フランツ・リスト(ドイツ語: Franz Liszt、ハンガリー語: Liszt Ferenc、1811年10月22日 - 1886年7月31日)は、王政ハンガリー出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活動したピアニスト、作曲家。

リストと言えばピアノの魔術師のイメージが強いので、このボックスを見つけたときは驚いた。エンボス入の黒いアートワークはまるで「ラヴクラフト全集」。主に1860年以降の後期〜僧籍に入った晩年に作曲されたオルガン曲は、深遠な宗教観に貫かれながらも、音色や自然の反響が醸し出すコズミックな音響が、宇宙からの呼び声のように聴き手を包み込む。荘厳な響きにリストの魂の叫びが刻まれている。

F.リスト:「バッハの名による前奏曲とフーガ」より前奏曲



●オネゲル/交響曲全集
セルジュ・ボード指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

LP3枚組 定価 ¥6,600/購入価格 ¥450

アルテュール・オネゲル(フランス語: Arthur Honegger、1892年3月10日 - 1955年11月27日)は、スイスとフランスの二重国籍を持ち、主にフランスで活躍した作曲家である。

ダリウス・ミヨーやフランシス・プーランクとともにフランス6人組と呼ばれたオネゲルは、オンド・マルトノの為の「呪文」という曲で知っていたが、実のところあまり聴いたことはない。日本での人気・知名度もあまり高くはないと思われるので、彼の全5作の交響曲を網羅したこのボックスセットは貴重かもしれない。特に気に入った交響曲2番・3番はストラヴィンスキーの影響が色濃いフォービズム(野獣派)作品で、何かに取り憑かれたかのように速いテンポで疾走する第一楽章は新古典主義のパンクスでありRIOT(暴動)に他ならない。

オネゲル: 交響曲第3番「典礼風」:第1楽章



●日本の現代管弦楽作品集
外山雄三指揮 NHK交響楽団 数住岸子(vln) 中村紘子(p) 堤剛(cello) 木村かおり(p)

LP4枚組 定価 ¥10,000/購入価格 ¥1,200

1982年3月に行なわれたN響の尾高賞30周年記念コンサートのライヴ。山田耕筰, 近衛秀麿, 伊福部昭, 早坂文雄, 小山清茂, 尾高尚忠, 小倉朗, 芥川也寸志, 外山雄三, 三善晃, 尾高惇忠, 吉松隆, 一柳慧の13人の作曲家の管弦楽曲を収録。

「現代」とは言っても戦前から80年代までの幅広いタイムスパンの作曲作品なので、筆者の好む前衛的作品は後半のLP1枚半ほど。山田耕筰, 近衛秀麿, 伊福部昭といった古典的な作曲家の作品に満ちあふれた国民讃歌の響きに酔うと共に、吉松隆, 一柳慧, 三善晃等の異質感・異物感に頬が弛む。現代音楽界に於ける『インピレーション&パワー』と思って聴くと、近・現代日本の激動の時代に斬新な演奏/解釈/作曲を求めて鍛錬を続けたクラシック音楽家の先取性が実感できる。

外山/N響:一柳慧:ピアノとオーケストラのための「空間の記憶」


箱の中
レコと解説
黴の臭い

▼内田裕也さんっぽいフランツ・リスト氏
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【100フォークス (One Hundred Folks)のススメ】第2回:青春の鈍痛を忘れないスウィートヴォイス〜佐藤公彦(ケメ)『片便り』

2018年12月08日 09時47分05秒 | こんな音楽も聴くんです


11月11日の盤魔殿vol.19でのDJ Paimonによる日本のアシッドなフォークを中心にしたDJプレイは秀逸だった。南正人、浅川マキ、休みの国、溶け出したガラス箱 、遠藤賢司、ガロ、裸のラリーズ、早川義夫。これらのアーティストは80年代末〜90年代にかけてのCD再発ブームの中で「再発見」され「日本にこんなにヤバい音楽があった」と一部で話題になったものだ。それは丁度、米英ヨーロッパを中心にB級どころかプレス枚数100枚以下の誰も知らないサイケやプログレのレコードまでもがCD化され、新譜以上に新鮮なトキメキを与えてくれた時代にシンクロした流れだった。

Tokedashita Garasubako — Anmari Fukasugite

【完全セットリスト+MIX音源公開】盤魔殿 Disque Daemonium 圓盤を廻す會 vol.19

同じ時期にPSFレコードで新録が次々リリースされた三上寛と友川カズキ、非常階段のJOJO広重らがスラップ・ハッピー・ハンフリー名義でカバーした森田童子や、同じく広重がブログで熱烈に推薦した佐井好子など、地下音楽愛好家の心をくすぐるフォーク歌手が紹介された。渚にてやマヘル・シャラル・ハシュ・バズ、朝生愛といったアコースティック系地下音楽家も活動した90年代地下音楽シーンは明らかに昭和フォークのリベンジがあった。だから、フォークと名のつくものをすべて毛嫌いしていた80年代に比べ、90年代には筆者のフォークアレルギーがある程度治癒されたのは確かである。しかし、それはあくまでモダーンミュージックに置いてあるようなアンダーグラウンドなフォークに限ってであり、例えば当時ヒットしていた渋谷系、特にサニーデイ・サービスのルーツとして再評価されたはっぴいえんど等には興味はなかった(サニーデイは好きだったが)。ましてやかぐや姫やグレープ他のメジャー系フォークには敵意もない代わりに一切関心も持たなかった。

Slap Happy Humphrey - みんな夢でありました


21世紀に入り、2002年に深夜のカラオケまでの時間つぶしのつもりで高円寺ショーボートに観に行った不失者(灰野敬二+小沢靖)に、衝撃というより鈍痛のような疑問と好奇心に取り憑かれ、地下音楽現場に再び通いはじめた。それに伴い音楽的嗜好は、サイケ/ガレージロック/フリーミュージック/エクスペリメンタル/コンテンポラリーミュージックetc.と先鋭化する一方。中古レコード店のノイズアヴァンギャルドセールに早朝から並び、ヤフオクやebayでアヴァンギャルドのレア盤を万単位で競り落とした。そのうちにガールズガレージや地下アイドルの世界に親しむようになったが、好みは電波系、暗黒系、ニューエイジ・ポップやシューゲイザーやメロディック・エレクトロニカ、さらに暴れまくりPunkRockアイドルといった極端な傾向を賛美するばかり。

Maison book girl / 夢 / MV


そんなカタワ音楽愛好家の筆者が「100フォークス」を提唱するに至ったきっかけは、今年2月に吉祥寺ココナッツディスクで見つけた『片便り』というLPだった。厚紙の見開きジャケットに大判カラーポスターが封入された豪華な装丁の、ちょっと寂しげな美少年の風貌と「落ち葉に綴る」というおとめちっくなキャッチコピーに高校時代密かに愛読した雑誌『りぼん』に掲載されていた小椋冬美の純愛漫画を思い出した。1952年生まれのシンガーソングライター佐藤公彦(愛称ケメ)が1975年にリリースした6作目のスタジオ・アルバム。アメリカ旅行の印象を歌った1曲目『西海岸へ続く道』の洗練されたウェストコーストロックに男の哀愁を感じる。薄く流れるストリングスはメロトロンのように聴こえる。アイドル風のルックスに似合う甘い声が、アルバム全体の落ち着いた曲調とブルージーなメロディに不釣り合いで異端な味わいを加えている。それは性徴する身体を持て余す少年の憂鬱であり、思春期を過ぎてから廚二病を患ったピーターパンの手掻きの絵日記帳である。

Nishikaigae tsuzuku michi


俯いた瞳の先に見つめるのは、ゲーテ著『若きウェルテルの悩み(Die Leiden des jungen Werthers)』か、はたまたアポリネール著『若きドン・ジュアンの冒険(Les exploits d'un jeune Don Juan)』だろうか。かたや禁断の恋に絶望した自殺者、かたや奔放な性の快楽の追求者、いったいどちらを選ぶのか?しかしこのアルバムでのケメは、常に浮かない表情で独り言を呟き続けるだけ。心に秘めた本当の欲望を隠し通す決意をしている。その意味で本作は歌い手と聴き手それぞれからの「片便り」であり「片思い」だと言えるだろう。両者の心がすれ違うからこそ、相手に投影する欲望に限界はない。高校時代に小椋冬美を読んで夢精した運命の長い髪の美少女との出会いが、未だに訪れないまま30余年を過ごしてきた筆者の人生に、救いの光と影をもたらしてくれる歌との運命の出会いだった。他のアルバムには本作ほどの鈍痛を覚えることはないが、どれもケメの耳障りのいいスウィートヴォイスが、心と身体が濡れるような潤いを与えてくれる。こんな出会いこそ「100フォークス」の醍醐味なのである。

メリーゴーランド 佐藤公彦


次回から
自分語りを
減らします


【100フォークス (One Hundred Folks)のススメ】第1回:パンクとフォークの発火点〜かつての敵・フォークソングを巡る自分語り。
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