A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

夏休みのロックンロール~The Birthday『サンバースト』/ザ・クロマニヨンズ『ドライブ GO!』

2021年08月27日 01時29分05秒 | ロッケンロール万歳!


猛暑!あっちぃ~と思ったらゲリラ豪雨で水浸し、このまま秋が来るのかと思ったら再び猛暑のエンドオブサマー。気候の変化は何年かたったら忘れてしまうかもしれないが、コロナやワクチンや五輪や緊急事態宣言云々に翻弄されるよりも、自然界の気紛れに一喜一憂している方が精神衛生上好ましい。とはいえコロナ禍で推しアイドルのイベントが延期や中止になって心が折れそうなときに救ってくれたのは心と身体が踊るロックンロールだった。ライヴ会場ではマスク着用・移動/声出し禁止だが、自宅で楽しむ分には何の制約もない。隣人から苦情が来るギリギリの音量までステレオのつまみを廻して、家具や調度を破壊しない程度にポゴダンスをキメれば、気持ちはいつでも十四歳。心臓の鼓動と同期したビートで呼吸すれば酸素ステーションも必要ない。これから季節は秋から冬へ、そして春から夏へと巡っていくが、ロックンロールはいつも変わらず僕らのそばで転がり続けるだろう。

The Birthdayとザ・クロマニヨンズ、どちらも15年前の2006年にデビューした同期であり、The Birhdayはチバユウスケ(vo,g)とクハラカズユキ(ds)、ザ・クロマニヨンズは甲本ヒロト(vo)と真島昌利(g)と、どちらも以前のバンド時代からタッグを組む二人を中心に結成された、まさに日本のロックンロールの遺伝子を宿した義兄弟バンドと言えるだろう。

●The Birthday『サンバースト』


ファーストシングル「stupid」リリースから15年、フジイケンジ加入10周年を迎えたThe Birthdayの11枚目となるフルアルバム!真骨頂であるライブが制限される世界で、かつてないほど楽曲制作に向き合った末に産まれた作品。近年、改めてバンド界隈からのリスペクトがクローズアップされている中で、しっかり格の違いを感じられる作品に仕上がっている。

チバユウスケのダミ声が叫びをあげるブルージーなギターロックからスタートして、突進するガレージロック、クールなジャズブルース、12弦ギターのフォークロックと音楽性は広がっているが、逆にバンドのイメージは研ぎすまされていく。歌詞の中にセキセイインコ、モモンガ、犬、カモメ、コウモリ、オンドリ、といろんな生き物が登場することに気が付いて嬉しくなった。重量盤2枚組、厚手の見開きジャケットの重みが頼もしい。

The Birthday - 月光



●ザ・クロマニヨンズ『ドライブ GO!』


SIX KICKS ROCK&ROLLと題し、6ヵ月連続でシングルを発売。その第1弾(ザ・クロマニヨンズ通算20枚目のシングル)を8月25日に発売。7inchアナログ盤には、6ヶ月連続シングルをすべて収納できる特製BOX付。

AB面とも初めて聴いてもシンガロング出来る最高のロックンロール。7インチシングルを毎月リリースし、半年後にアルバムとして完成するという、小学館の雑誌の付録のような企画。普通なら1か月後にアルバムが出るのでシングル盤を何度も聴くことはあまりないのだが、この方法ならば毎日何度もターンテーブルに乗せるかもしれない。からっぽの収納BOXを埋めていくのが楽しみでならない。ロックンロールはガキの音楽だから気持ちもガキに戻らなきゃだめだね。

ザ・クロマニヨンズ 『ドライブ GO!』


ロックンロール
聴けばいつでも
夏休み

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【イベントレポート】The Third Mind Vol.3:ケロッピー前田 & 剛田武/脳BRAIN/DJ Rie Fukuda/持田保/DJ TKD@頭バー 2021.8.21sat

2021年08月23日 00時32分14秒 | 素晴らしき変態音楽


ケロッピー前田 presents『The Third Mind』
2021.8.21.Sat
at ZUBAR http://www.zubar.jp

LIVE
ケロッピー前田 & 剛田武(盤魔殿)

DJ
Rie Fukuda
DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
DJ TKD
脳BRAIN

タイムテーブル
16:00 - Rie Fukuda
16:20 - DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
16:40 - DJ TKD
17:30 - ケロッピー前田 & 剛田武
18:00 - Rie Fukuda
18:30 - DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
19:00 - 脳BRAIN



身体改造ジャーナリストとして活躍するとともに、ツァイトリッヒ ・ベルゲルター のドラマーを務めた過去を持つケロッピー前田が主宰し、渋谷・頭バーで開催されているイベント。『The Third Mind』とは、ウィリアム・バロウズとブライオン・ガイシンの共著によるカットアップ・メソッドについての解説書のタイトルだ。朗読、DJ、演奏をフィーチャーし、手法的にも斬新な音表現の極北を目指す。ラインナップは盤魔殿でもお馴染みRie Fukuda、DJ Athmodeus a.k.a. 持田保をはじめ、80年代後半からDJとして活躍するTKD、そして2019年度「第一回盤魔殿レコード大賞」を受賞した脳BRAINをスペシャルゲストとして迎えている。ラインナップとコンセプト的には『盤魔殿』に近いが、比較的広めのクラブ向け音響システムを備えた会場なので、踊れないDJに特化した盤魔殿よりダンサブルな選曲が多いような印象がある。
夏休み最後の週末で第5次感染でロックダウンの声も上がる状況の中、地下クラブに足を運んでくれたお客さんには感謝しかない。地下音楽、インダストリアル、アヴァンギャルドを求める求道者の熱気渦巻く3時間は、リアルでしか体験できない心と魂と第三精神のメルトダウンであった。

●Rie Fukuda


始めはオシャレセット、次はダークサイドセットと言うコンセプト。オシャレセットはロマンチックに、ダークサイドセットはブラックメタルを際立たせる選曲を目指し、最後はレトロにチルアウトした。

☆オシャレセット
狩赤夢/ Rie fukuda
黒のクレール/ 大貫妙子
cool jazz/ Arthur H
k¨oniginnen / Holger Hiller
Cerebral Phenomenon/ DISSECTING TABLE
穴底から恋/ たたらの目
忘却の川を渡る/ 福田理恵+田畑満

☆ダークサイドセット
Too shy/ KAJAGOOGOO
Miss Me Blind/ Culture Club
in the studio/ 直江実樹
Fucking you ghost in chains of ice/Leviathan
Death-pierce me/ Silencer
the boiling cauldrons of the seventh circle/Black communion
Cry from the Sanatrium/ SPK
Baby Blue eyes/ SPK
preparation for death/ DISSECTING TABLE
bloody overture(I am the way...)/ UNDER the SOLAR SIGN
jesu dod/UNDER the SOLAR SIGN
何処へ/ ジャックス
時計を止めて/ Wink


●DJ Athmodeus a.k.a. 持田保


前半はズッカレリとオカルティズムに捧ぐフォロフォニック・スタイルで中沢新一や出口王仁三郎を。後半は80年代の自分が高校時代にエアチェックした音源をズタズタに加工したシンナー・ハイスクール・ララバイ・スタイルで、スティックスやイエスをプレイ。自分はノイズとかには甘いけどロックに対しては厳しいからね!という普段のステイトメントを実行したDJだったという。

前半
出口王仁三郎/天津祝詞
ヘンリー川原/原始の愛
中沢新一/翳人見空中華
サイキックTV/ファイナル

後半
アジムス/フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン
ホール&オーツ/アイ・キャント・フォー・ザット
イエス/ロンリー・ハート
ザ・スティックス/ミスター・ロボット
ディス・ヒート/24トラック・ループ
ザ・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド/リラックス
ザ・カーズ/ドライブ

●DJ TKD


インダストリアル/ボディ選曲。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンTシャツに相応しく、ノイエ・ドイチェ・ヴェレの金属臭が漂うが、突然流れたネクロ魔「Psychopomp」がすべてを暗黒に染め上げた。



●DJ TKD & ケロッピー前田


最後2曲でケロッピー前田がコラボ。ウィリアム・バロウズ、ブライオン・ガイシン、ジェネシス・P・オリッジなどが登場するテキストリーディングとインダストリアルビートが第六感(The Sixth Sense)に刺激を与えた。


●ケロッピー前田 & 剛田武


2月に故・近藤等則のスタジオで『Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)』をレコーディングしてから3回目のコラボ・ライヴ。『Electric Tjurunga』のフォルムを踏襲しつつ、より自由度の高い即興演奏をするコツが掴めてきた。進化する即興デュオの今後に期待してほしい。

Keroppy Maeda × Takeshi Goda / ケロッピー前田×剛田武 @ The Third Mind 渋谷・頭バー 2021.8.21 sat



●脳BRAIN


目まぐるしくカットアップされ爆走するブラストビートと歌謡曲が、莫大な情報量を処理できずにシナプスが焼き切れた後に残される白痴状態の桃源郷を疑似体験させるアルタードステイツ。みんな恍惚の人となって頭バーから渋谷の夜に消えて行った。



音楽の
濃度の高さで
頭蓋惚(コツ)


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【本日ライヴあり】ケロッピー前田 x 剛田武『Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)』試聴動画・ライヴ動画・ライヴ音源

2021年08月21日 00時07分02秒 | 素晴らしき変態音楽


Keroppy Maeda x Takeshi Goda ケロッピー前田 x 剛田武 Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)- Digest


盤魔殿レーベル"Les Disques Du Daemonium”第3弾!
『Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)』
Keroppy Maeda x Takeshi Goda

Live Recording @ Kondo Sound Body Laboratory

Turn on / Transmission / Electric Tjurunga I / The man blowed us / Electric Tjurunga II / Immortality / Fly away

Dedicated to Toshinori Kondo (1948 - 2020)

ケロッピー前田: electric didgeridoo, synth, clapstick, gong, sound tube
剛田武: reed-flute, shinobue, folk flute, noise dolls, percussion / produce and mastering

Recorded at 近藤音体研究所 2021年2月14日
Special thanks to 近藤空太、近藤陽太、近藤音体研究所
Visual Art by 宇田川岳夫
Bandcamp
https://lesdisquesdudaemonium.bandcamp.com/album/keroppy-maeda-x-takeshi-goda-electric-tjurunga

(c) 2021 Les Disques Du Daemonium 盤魔-003


Keroppy Maeda +Takeshi Goda / Electric Tjurunga at NEO UNDERGROUND vol.3 @Asagaya TABASA


盤魔殿 presents
NEO UNDERGROUND vol.3

~ケロッピー前田 x 剛田武「Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)」&コンピレーション「盤魔殿 Flashback」Release Party~

2021/4/16 fri.
阿佐ヶ谷TABASA
18:00 Open / Start (20:00終演)

Time Table
18:00 - 18:30 DJ Vaby a.k.a. 大場弘規
18:30 - 19:00 Live Act : Rie Fukuda
19:00 - 19:30 DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
19:30 - 20:00 Live Act : ケロッピー前田 x 剛田武


20210611_2/3 Sound of BURST DAYS@Bar Isshee

2021年6月11日 (金) 東京・千駄木Bar Isshee
【Sound of BURST DAYS】

出演:
ピスケン(曽根賢)+ ケロッピー前田 + DJ TKD
ゲスト:釣崎清隆、剛田武

第二部
Electric Tjurunga
ケロッピー前田 ディジュリドゥ パーカッション 電子音 他
剛田武 リードフルート、ノイズドール 他
Photo : Kazumasa Koike

祷る音
果たして今日は
どんな音



本日開催
The Third Mind Vol.3
8.21.Sat at ZUBAR http://www.zubar.jp

16:00 - 20:00
1st drink 1000 yen

LIVE
ケロッピー前田 & 剛田武(盤魔殿)

DJ
Rie Fukuda
DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
DJ TKD
脳BRAIN

タイムテーブル
16:00 - Rie Fukuda
16:20 - DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
16:40 - DJ TKD
17:30 - ケロッピー前田 & 剛田武
18:00 - Rie Fukuda
18:30 - DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
19:00 - 脳BRAIN

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【私の地下ジャズ愛好癖】偶想破壊ピアニスト、バートン・グリーン私論~第3回:東洋哲学と渡欧『プレゼンティング・バートン・グリーン』『アクエリアーナ』

2021年08月20日 02時27分08秒 | 素晴らしき変態音楽


ESPから2枚のリーダー・アルバム『Burton Greene Quartet』(66)、『The Burton Greene Trio ‎/ On Tour』(68)をリリースし、パティ・ウォーターズの『Patty Waters / Sings』(66)、『College Tour』(66)に参加したバートン・グリーンは、67年にインド哲学の導師スワミ・サッチーダナンダと出会う。1969年のウッドストック・フェスティバルのオープニングに登場して話題になったこの導師は、思うようにライヴが出来ずお金もないと泣き言を言うバートンに“ロウソクに火がついていない”と一言。どういう意味か尋ねると"ロウソクに火がつけば、人々は君のところにやってくる。ここにどれだけの暗闇があり、どれだけの人々が光を必要としているか知っているか?”と諭したという。リベラルなユダヤ人の家庭に生まれ、あらゆる普遍的な考え方に触れて育ったバートンは、導師の洞察力と精神性に心酔し師と仰ぐようになると同時に、東洋哲学やスピリチュアルな世界を探求し音楽に反映するようになる。そんなバートン・グリーンの新たな音楽観を表現した作品が60年代末に制作された2作である。

●Burton Greene / Presenting Burton Greene(Columbia – CS 9784 / 1968)


バイアード・ランカスター(as, tp)、スティーブ・ティントワイス(b)、シェリー・ラステン(b)とのカルテットでメジャー・レーベル「コロンビア」からリリースされた3rdリーダー作。プロデューサーはカウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、アレサ・フランクリン、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンなどを発掘したことで有名なジョン・ハモンド。バートンによれば「フリー・ジャズは3、4年前から盛り上がっていて、みんながジョン・ハモンドに何枚か出すように圧力をかけていました。彼はヒップになりたかったんだと思います。それを知って彼に電話して売り込んだんです。100回くらい電話してやっとオーディンションをやってくれました」。68年3月~9月にニューヨークでレコーディングされたこのアルバムには全曲バートン・グリーン作曲の6曲が収録されている。ESP時代の破壊力をメインにしたスタイルだけではなく、クラシカルなメロディセンスと現代音楽の実験精神、そして東洋思想の影響を活かしたコンポジションが特徴的なアルバムである。特に印象的なのがバイアード・ランカスターのフリーキーなサックス・プレイで、生ピアノ、電気ハープシコード、ピアノハープ(内部奏法)、プリペアドピアノなどを駆使して理知的なフレーズを紡ぐバートンのプレイと好対照をなしている。さらにモーグ・シンセサイザーのサウンド・エフェクトが飛び交うA2「SLURP!」はアルバムのハイライトとなっている。「カルテットによるレコーディングが一通り終わった後に、ジョン・ハモンドが僕のところに来て“さて、バートン、君はエレクトロニクスをオーバーダビングしなければならない”と言ったんです。てっきりレコードは完成したと思っていたのですが、ジョンは“バートン、ここには30万ドル相当のシンセサイザーがあるんだから、誰かがそれを使わないといけない”と言いました。シンセサイザーを設置したばかりで、当時時給80ドルだったウォルター・シアーズのエンジニアたちが走り回ってパッチを当てようと待っていたのですが、何をパッチすればいいのか誰も情報を持っていなかった、つまり宝の持ち腐れだったのです。“バートン、君にお金を払うからやってもらおう”と魔法の言葉を言われたら断る理由はないでしょう。出来上がったストレンジな音を聴いたドラマーのシェリーが“俺のソロにあんなクソを乗っけるな!”と怒ったのですが、私は“このほうが大脱走のようにパワフルでカッコいいよ”と言いました(笑)」。

Burton Greene - Slurp!


そうやって68年にリリースされたこのアルバムを、コロンビアはほとんど宣伝しなかった。会社のお偉方がジョン・ハモンドの機嫌を取るためにクレイジーなフリージャズを1枚だけ作らせて、それでおしまい、と言う訳だった(実際にバートンの次にサニー・マレイがジョン・ハモンドの為にレコーディングしたといわれるが、リリースされずじまいだった)。レコードを出しても、ほとんどライヴはなかった。ようやく見つけてニューヨークのハンティントン・ハートフォード美術館で土曜日に4、5回ライヴをやったが、主催者はミュージシャンにお金を払わなかった。「土曜日のほとんどの時間帯は、かなりの観客が集まっていました。終演後に私はアンプやマイク、スタンドなどの機材を持って主催者の事務所に行き、せめて帰りのタクシー代だけでも欲しい、と頼みました。すると彼は“君は強くて健康な若者だ。地下鉄を使えばいい”と言ったのです。私はこの男からタクシー代すら得られなかった。もうアメリカじゃ生きていけない、と思いました」。


●Burton Greene Ensemble / Aquariana(BYG Records – 529.308 / 1969)


アメリカでの活動に見切りをつけヨーロッパに渡ったバートン・グリーンが最初に訪れたのはパリだった。バートンだけでなく、64年の「ジャズの10月革命」で世界的な注目を集めたものの、経済的に恵まれることはなく、アメリカでは活動の場も限られていた多くのアメリカのフリージャズ・ミュージシャンが1969年春にパリへ移住していた。その代表格がシカゴのアフリカ系音楽家の自助組織AACMの中心で活動していたレスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン.マラカイ・フェイヴァースからなるアート・アンサンブル・オブ・シカゴである。同じシカゴ出身にもかかわらず、バートンはパリで初めてAACMのミュージシャンと知り合ったという。7月アルジェリアでパン・アフリカ文化フェスティバルが開催され、アーチ―・シェップ(sax)が、サニー・マレイ(ds)、デイヴ・バレル(p)、アラン・シルヴァ(b)、グレイシャン・モンカー3世(tb)を引き連れて渡欧した。翌月彼らが滞在したパリでは、新興レーベルBYGにより数多くのフリージャズのレコーディングが行われた。特に8月11~17日は”前衛ジャズの歴史で最も偉大な1週間”と呼ばれている。「音楽の歴史上稀に見る長期間のレコーディング・セッションだった。一週間に亘って、入れ替わり立ち替わりレコーディングが行われ、毎朝の挨拶代わりに今日は誰のレコーディングに参加する?と尋ねるほどだった。そしてBYGがすべてを記録に残した」(アラン・シルヴァ)。

その2か月前の1969年6月9日にパリのスタジオ・サラヴァ(ピエール・バルーのスタジオ)でレコーディングされたのが、バートン・グリーンの4作目のリーダー作『アクエリアーナ』である。メンバーはアーサー・ジョーンズ(as)、ジャック・コーシル(tp)、クロード・デルクロー(ds)、ベブ・ゲリン(b)、デディエ・ゲウィスラー(b)、デディエ・マレーブ(fl)からなるバートン・グリーン・アンサンブル。サニー・マレイのアコースティカル・スウィング・ユニットのメンバーとして渡欧したアーサー・ジョーンズ以外はフランスのミュージシャン。A面すべてを6章からなる「アクエリアス組曲」が占めている。“音楽、ヨガ、瞑想、交わり、すべてが一つの宇宙であり、自然の摂理、クリシュナ、ラダ、陰陽の精神を反映する”とバートンが解説している通り、スピリチュアル世界を旅する壮大な音の物語を描いている。”ハレクリシュナ、ハレラマ”というバートンの詠唱も聴ける。B1「フロム<アウト・オブ・バルトーク>」は元々弦楽オーケストラのために書かれたというタイトル通りバルトークへのオマージュ。サックスとピアノ、2本のベースがせめぎ合うアルバム中最もスリリングな演奏を聴かせる。続くB2「トゥー・ワン・トゥー・ヴァイブレーションズ」は、バートンが1968年にニューヨークの喧騒を離れて滞在していたウッドストックの「212アーティスト・コロニー」で書かれた曲。ダイナミックな変拍子のリフが一転して静まりリリカルな美メロディに変化し、再びインプロのカオスに回帰する展開は、静と動=陰陽思想の具現化である。西洋音楽(ジャズと現代音楽)と東洋思想が融合されたバートン・グリーンのスタイルを決定づけた作品である。フリー・ジャズ、前衛ロックのアルバムを50作以上世に送り出したBYG Actuelシリーズの中でも最初期のレコーディング作品であり、最も理知的な作品のひとつと言えよう。

Burton Greene - From 'Out of Bartok' (1969)


バートン・グリーンはBYG Actuelシリーズのアーチ―・シェップ『ポエム・フォー・マルコム』、ゴング『マジック・ブラザー』、ジャック・コーシル『ブラック・スイート』にも参加している。しかしバートンによると「パリは忙しかったのですが、クリエイティブなダイナミックさはありませんでした。毎日が7月4日のようなニューヨークの本当のエネルギーが恋しくなりました。パリの人たちはまだ印象派の黄金時代を生きているような気がしました。1969年10月のAmougiesフェスティバルで演奏しましたが、仕事はありましたが、お金はありませんでした。15フランのホテルの部屋に滞在していたのですが、文無しでバゲットを注文することもできませんでした。そこから抜け出して、外国語が下手でも人間として受け入れてくれるところに行きたいと思っていました」。パリに6か月間滞在したあと、まずデンマークへ行ってジョン・チカイ等と共演して、そのままアムステルダムへ移りそこを永遠の住処とすることになる。

*バートン・グリーンの発言(太字)は下記インタビューより転載しました:
http://www.paristransatlantic.com/magazine/interviews/greene.html?fbclid=IwAR0XUor4HZ_Ot0msBRmkheAAm943bpUDUqxptGSil4L0LHCf45IlyEkiuNc
https://www.allaboutjazz.com/burton-greene-from-bomb-to-balm-burton-greene?pg=1

海渡り
新たな天地で
ピアノ弾く




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【地下ジャズ愛好癖】偶想破壊ピアニスト、バートン・グリーン私論~第2回『バートン・グリーン事件(The Burton Greene Affair)』の真実。

2021年08月16日 02時10分30秒 | ネコ動画


昨年6月に書いたブログ記事【私の地下ジャズ愛好癖】偶想破壊ピアニスト、バートン・グリーンを論ずる~第1回:ESPの2作『Burton Greene Quartet』『On Tour』、そしてマイナスからのスタート。を英訳してバートン・グリーン本人に送ったところ、すぐに届いた返事には『バートン・グリーン事件』についての説明が書かれていた。アメリカ人が書いた追悼記事の中でも触れられているように、リロイ・ジョーンズ(のちにアミリ・バラカ)による批判的(嘲笑的)な記事は、本国でも物議を醸し、バートン・グリーン本人の活動にも大きな影響を及ぼした。それがアメリカを離れヨーロッパへ移住するきっかけだったという。しかしながら、音楽シーンの革命のひとつとされる60年代半ばのフリージャズの爆発にもかかわらず、ニューヨークで音楽だけで経済的に身を立てることは難しく、60年代後半に多くのフリージャズ・ミュージシャンが自由の天地(聴衆と仕事)を求めてヨーロッパへ渡った事実を考えると、リロイの記事がなかったとしてもバートン・グリーンは渡欧したに違いない。しかしアメリカへ戻ることなく死ぬまでアムステルダムに永住することになった背景には差別体質が残る母国への忸怩たる想いがあるようだ。

今回はバートン・グリーン本人の発言から『バートン・グリーン事件』の真実を探ることにしよう。

Q:60年代半ば、フリージャズはブラックパワーとの関連が強まっていました。それは問題になりましたか?

フリージャズのイノベーターたちから人種差別を受けたことはありません。オーネット・コールマン、アルバート・アイラー、ジュゼッピ・ローガン、セシル・テイラーやサニー・マレイは私に対してそんな雰囲気を感じさせたことはありません。アーチー・シェップも同様で、『ダウンビート』誌で私をシーンのトップ・ピアノプレーヤーの一人だと言ってくれました。問題はリロイ・ジョーンズです。彼はユダヤ系白人の妻と離婚して子供と一緒に置き去りにして、ダシキ(西アフリカの衣装)とサングラスを身につけてニューアークのゲットーに移り住んだのです。彼はどうやら中流階級のいい身分の黒人で、白人の大学で学んだようです。しかし、ある日突然、白いものはすべて嫌悪の対象になり、リロイはサングラスをかけてすべてが黒く見えるようになってしまったのです。

Q:彼は、1966年の『ダウンビート』のコラム「アップル・コア」で、かなり堂々とあなたを攻撃していますね。

「バートン・グリーン事件」ですね(訳注:のちに著書『ブラック・ミュージック』に収録)。本当の話は、ファロア・サンダースとマリオン・ブラウンがニューアークで一緒に演奏しようと誘ってくれたのです。しかし会場にあったのは、鍵盤が少なくとも25個もない(しかもピアノの真ん中の!)めちゃくちゃなピアノで、音を出すためには上も前も下も外して、内部をマレットとドラムスティックで弦を擦ったり叩いたりしなければなりませんでした。それを見たリロイは「バートン・グリーンはピアノを弾くのではなく、拳や棒で叩くだけだ。これがシーンでヒップな若い白人ピアノ奏者と呼ばれる男だ」などと貶したのです。まるで私が第2のビックス・バイダーベックかベニー・グッドマンのように盗みを働いているかのように。私は頭にきて反論を書き始めたのですが、バイアード・ランカスターとサニー・マレイに出会って「代わりに音楽で勝負しろよ」と言われてやめました。

Q:一度は『ダウンビート』のオフィスに火を付けようとしたサニーがそう言うとよほどのことですね。

本当ですか?(笑)まあ、その頃はみんなが、短い導火線と長い爆発(かんしゃく玉)を持っていました。サニー、ミルフォード(グレイブス)、ラシッド(アリ)の3人は、すべてはヴァイブレーション次第だと分かっていたんです。サニーは特に強烈で、私によく言ったものです。「バートン、あそこに壁があるだろう。俺はあの壁に取り組んでるんだ。いつかあのクソッタレ野郎は倒れるだろう」とね。彼は本気でした!とにかく、私は『ダウンビート』に対して何を書けばよかったのでしょうか?白人にも金玉があるとでも?私は苛立っていて、こうした箱庭的な考え方にうんざりしました。私がアメリカを離れた理由の1つはそこにあります。ロウアー・イーストサイドの緊張の高まりが私の神経に障りはじめました。ジャンキーに3回も騙され、大家には家賃を値上げされました。死後硬直が始まったら、移動した方がいい、と歌手のバブス・ゴンザレスがよく言っていました!そういうわけで、1969年に我々は大挙してパリに行ったのです。
(以上、2003年12月22日アムステルダムでのBurton Greene Interview by Dan Warburtonより)

その何年か後に、リロイの人種差別な描写は、本人から私に対して直接撤回されました。私が住んでいるアムステルダムで行われたポエトリー・フェスティバルに彼が出演した後、一緒に飲みに行ったのです。そこで彼は、当時ブラックナショナリズムに傾倒していたからそう言っただけだったと話してくれました。後にそれを諦めて仏教に傾倒し、その後は他の「イズム」に傾倒していったそうです。(*)
当時、攻撃を受けた白人のミュージシャンは私だけではありませんでした。例えば、素晴らしいサックス奏者で前衛画家のフランク・スミスは、同じく黒人作家のA・B・スペルマンから同じように攻撃されました。その時私が感じたのは、 60年代半ばから後半にかけての(白人だけでなく黒人の)意識の爆発的な高まりの中で、特に黒人作家たちは、黒人ミュージシャンが正当に評価されることを確実にしたかったのではないか、ということです。
リロイが批評の中で言わなかったのは、私がファロア・サンダースとマリオン・ブラウンに誘われて出演したということです。まるで私がライブに侵入したかのような言い方をしたのです!
誰もが知っている通り、アメリカ(アモリカ)では今も昔も人種差別が行われています。私がうんざりしてヨーロッパ、アムステルダムに移った理由はここにあります。

(以上、2020年6月3日Burton Greeneから筆者への私信)

*詳細はバートン・グリーンの自伝『Memoirs of a musical " pesty mystic " : Or, from the ashcan to the ashram and back again Unknown Binding』(2001 / Cadence Jazz Books)に詳しいとのことだが未読である。



結果的にヨーロッパで生活し活動することにより、自分の好きな音楽を84歳で亡くなるまで続けられたのだから、バートン・グリーンの人生は幸福だったに違いない。本国で活動していたらもしかしたらメジャーな成功もありえたかもしれないが、それにより失うものも大きかったかもしれない。そう考えると、もう一人筆者の敬愛するミュージシャンが頭に浮かぶ。ロック詩人のエリオット・マーフィーである。70年代前半にブルース・スプリングスティーンなどと共に第2のボブ・ディランとして大々的にデビューし、メジャー・レーベルから4枚のアルバムをリリースしたのちパリに移住しヨーロッパのインディレーベルから40作近いアルバムをリリースし現在もマイペースに活動するエリオットも誰に媚びることなく我が道を行く理想のミュージシャン像である。



バートンと
エリオット
共演したらよかったな

なんと、エリオット・マーフィーは80年に『Elliott Murphy / Affairs(エリオット・マーフィー事件)』というミニアルバムをリリースしている。



Elliott Murphy - Extended Affairs 1980 (Full Vinyl 1989)


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【1ヶ月遅れの追悼】2021年6月28日フリージャズ・ピアニストの草分け、バートン・グリーンが84歳で死去(勝手に翻訳)

2021年08月13日 02時09分59秒 | 素晴らしき変態音楽


今朝アメリカから届いたKickstarterのメールの末尾に「Rest in peace Burton Greene and Sonny Simmons.」と書いてあるのを見て一瞬心臓が止まりそうになった。4月にサックス奏者のソニー・シモンズが亡くなったことは知っていたが、ピアニストのバートン・グリーンとは???Twitterで検索すると、6月28日にアムステルダムでグリーンが死去したことを報じるツイートを見つけた。ほとんどが海外のもので、日本語のツイートは少ない。当然Yahooやナタリーが取り上げるはずはないが、JazzTokyoをはじめジャズや即興系のメディアの発表も見つけられなかった。同じころ(奇しくも3人とも6月26日)に作曲家のフレデリック・ジェフスキーと、トランぺッターのジョン・ハッセル、サックス奏者土岐英史が亡くなったことは報道やフォロワ―の投稿で知っていたが。。。全くの不覚であった。

昨年5月末に筆者は『私的バートン・グリーン論』を執筆しようと思い立ち、6月初旬に第1章を書いたものの、その後中断したまま1年以上が過ぎてしまった。その間バートン・グリーン本人とFacebookを通じて何度かやり取りをしたのだが、年が明けてからは連絡するのを忘れていたまま、気が付けば彼は地球を旅立ってしまった。果ての見えない後悔の念に駆られながら、まとめて置いた彼のレコードに針を下ろす。俯き加減に一音一音思案しながら指を下ろすピアノ弦の振動の中から、君の言葉を聴かせてくれ、という呟きが聴こえてくる。彼に伝えるには時すでに遅し、しかし気持ちは言葉にしなければ誰にも伝わらない。というわけで2年越しのグリーン論に着手しようと思案している次第である。
【私の地下ジャズ愛好癖】それはファグスとアイラ―から始まった~ESP DISKとの出会いと私的バートン・グリーン論への序章
【私の地下ジャズ愛好癖】偶想破壊ピアニスト、バートン・グリーンを論ずる~第1回:ESPの2作『Burton Greene Quartet』『On Tour』、そしてマイナスからのスタート。

とはいえ1年かかってもかけない本論に手を付けるには時間がかかる。まずはバートン・グリーン逝去の報をいち早く伝えた米国ニュージャージー州ニューワークの公共ラジオWBGOのサイトの追悼記事を勝手に翻訳するところから始めるとしよう。



【訃報】フリージャズピアニストの草分け、バートン・グリーンが84歳で死去。
WBGO|By Nate Chinen ネイト・チネン
https://www.wbgo.org/music/2021-06-29/burton-greene-pioneering-free-jazz-pianist-dies-at-84
1960年代にピアノによるフリー・インプロヴィゼーションの言語を確立し、後にクレズマー音楽にアヴァンギャルドな感覚をもたらしたバートン・グリーン氏が6月28日月曜日に亡くなった。享年84歳。

1966年の画期的なデビュー作『Burton Greene Quartet』をリリースしたESP-DiskがSNSで死去の報を発表した。死因は明らかにされていない。グリーンは50年以上アムステルダムに住み、主にハウスボートで生活していた。着実に新しい音楽を生み出していたが、アメリカにはたまにしか訪れなかった。

反抗精神と創造性を標榜するグリーンは、アーチー・シェップやマリオン・ブラウンなどの共演者と共に、初期のフリージャズ表現における重要人物だった。ベーシストのアラン・シルヴァとともに、60年代初頭にフリーフォーム・インプロビゼーション・アンサンブルを結成した。このプロジェクトの使命はグループ名に完全に表れている。「リスキーなやり方でした。」2003年に行われたダン・ウォーバートンとのインタビューで、グリーンは語っている。「暗中模索と言ってもいいでしょう。ヒットすればダイナマイト、そうでなければ手探りという具合に。上手くやるためには、本当に正しいムードでいなければなりませんでした」。

反体制的な風は正しい方向に吹いており、グリーンはいくつかの重なるシーンを航海することになった。1964年に、彼はトランペット奏者のビル・ディクソンが設立したジャズ・コンポーザー・ギルドに参加した。このギルドには、グリーンのピアノ仲間のセシル・テイラーやポール・ブレイをはじめ、シェップ、トロンボーン奏者のロズウェル・ラッド、作曲家でありバンドリーダーでもある鍵盤奏者のサン・ラやカーラ・ブレイなどが所属していた。

グリーンのエネルギッシュなアタックと全方位的な流れが十分に発揮されたのは、アルトサックスのマリオン・ブラウン、ベースのヘンリー・グライムス、ドラムのデイブ・グラントおよびトム・プライスが参加した『Burton Greene Quartet』だった。冒頭の「Cluster Quartet」では、ゆるいスイング調で始まるが、すぐに抽象的な表現を解放し、グリーンがリードしていく。2分後には、彼はピアノに手を伸ばして弦を擦ったり叩いたりしている。これは”ピアノ・ハープ”と呼ばれる拡張テクニックであり、彼がこのイディオムの先駆者となった。

Cluster Quartet


グリーンは、ヘンリー・カウエルやジョン・ケージが、プリペアード・ピアノや、ピアノ弦を手で鳴らす奏法について、すでに先例を作っていたことを認める。しかし、彼は躊躇することなく旗を揚げる。「フリージャズで、ピアノの内部奏法をしたのは私が初めてです」とウォーバートンに語っている。「完全にランダムで、自然発生的にプレイしたかったのです。ピアノの中にゴルフボールを入れたり、チューニングハンマーで弦を擦ったり。ヒューストン・ストリートのデリカテッセンの裏路地で見つけたゴミ箱の蓋を使ったりもしました」。

グリーンの "ピアノ・ハープ "の手法が見事に成果を上げた作品としては、ESP-Diskからリリースされたパティ・ウォーターズの1966年のアルバム『Sings』が挙げられる。フォーク・バラード「Black is the Color of My True Love's Hair」では、明らかにニーナ・シモンにインスパイアされたウォーターズが、取り憑かれたような脱構築を発揮しているが、それを扇動するのは、注意深い正確さを持つグリーンのプレイであり、まるで無邪気なコミュニケーションのようだった。

Patty Waters - Black is the Color of My True Love's Hair


当時「ニュー・シング」と呼ばれていたスタイルは、人種意識の高まりと共に生まれたものだったので、白人のミュージシャンであるグリーンは、少なくとも1人の大物から非難された。アミリ・バラカ(当時はリロイ・ジョーンズ)が「バートン・グリーン事件」と題したエッセイを書き、出世作となった著書『ブラック・ミュージック』に収録したのだ。

ニュージャージー州ニューアークで行われたファロア・サンダースとマリオン・ブラウンとの共演を舞台として、バラカはグリーンをジャズ界の権威から過大評価されている「白人の超ヒップな(MoDErN)ピアニスト」と皮肉り貶している。ブラウンやサンダースのスピリット・ミュージックを前にして、グリーンは「自分では使いこなせない、適切に同化できない力に押し潰されて」芝居がかったバカげたしぐさを展開したとバラカは論じている。

最高裁の判例のように、還元的に黒人音楽は黒人ミュージシャンでなければ真の演奏ができないという、拡大解釈を導く意図的な挑発行為として、「バートン・グリーン事件」は長く論争の絶えない遺産となっている。著名な文化理論家であるフレッド・モーテンは、その大規模な学術書『In the Break: The Aesthetics Of The Black Radical Tradition』(2003年刊)で、このエッセイを検証の対象とした。(『バートン・グリーン事件』は弁証法的で方言的などもりを生んでいる」とモーテンは指摘する。「それは人種による相違を安直に決めつけ分断するあからさまな表現である」。)

グリーンは批判に耐えていたが、それは彼がヨーロッパに渡ることを決意した理由のひとつに違いない。メジャーレーベルでの唯一のアルバムである『Presenting Burton Greene』は、アルト・サックスとトランペットにバイアード・ランカスター、ベースにスティーブ・ティントワイス、ドラムにシェリー・ラステンを迎え、ジョン・ハモンドがプロデュースし、コロンビア・レコードから1968年にリリースされた。同年に『ブラック・ミュージック』が出版されている。69年末には、グリーンは追放されるよう海外に移住していた。『Presenting Burton Greene』はレーベルに葬られ、現在も絶版となっている。(グリーンによれば、モーグ・シンセサイザーが初めて登場したジャズ・アルバムだという。グリーンは発明者であるロバート・モーグと63年に出会っている。)

Burton Greene - Slurp!


バートングリーンは1937年6月14日にシカゴで生まれた。美術アカデミーでオーストリア人のピアノ教師、イサドール・ブハルターにクラシック音楽を学んだ。後にピアニストの編曲家ディック・マークスと知り合い、ジャズのハーモニーと理論を学ぶ。

10代の頃、グリーンはビバップに夢中になり、バド・パウエルを真似ようと必死だった。しかしシカゴのシーンで演奏を始めたとき、そのままでは行き止まりであることに気づいた。「ライヴ現場で、特にシカゴの黒人ミュージシャンからの教訓は“自分らしくあれ、誰もコピーするな”というものでした」と2017年にナッシュビル・シーンとのインタビューで回想している。「彼らはとても怒りました。演奏した音符の数や、フォームの正確さなどを気にしませんでした。彼らはとにかく自分自身であることを望んだのです」。

その要望には、皮肉なことにグリーンをシカゴからニューヨークに追いやることとなった。1962年にNYに着いて6か月経たないうちにグリーンはシルヴァと出会った。彼らのフリーフォーム・インプロヴィゼーション・アンサンブルの唯一の公に手に入る録音は、1964年にジャドソン・ホールでのジャズ・コンポ―ザーズ・ギルドのコンサートでのものである。 90年代後半にケイデンスがCDでリリースするまで未発表だった。

グリーンは約100枚のアルバムをリリースしたが、その多くはほとんど知られていない。しかし彼は、ユダヤ人のクレズマーとフリージャズの自由を融合させたプロジェクトであるKlez-Edge(クレズエッジ)、別名Klezmokum(クレズモクム)で大きな支持を得た。彼は、この分野での彼の仕事が、フランク・ロンドン(クレズマティックス)とジョン・ゾーン(マサダ)といったより有名な試みに匹敵することを指摘するのが常だった。2008年、Klez-Edgeはジョン・ゾーンのTzadikレーベルからレギュラー・ゲストにクラリネット奏者ペリー・ロビンソンを迎えた『Ancestors, Mindreles, Nagila Monsters』をリリースした。

Yiddish Blues


グリーンは、40年以上にわたってインドの宗教教師スリ・スワミ・サッチダナンダの弟子としてナラダ・バートン・グリーンという宗教名を名乗り、生活でスピリチュアリティを実践してきた。

近年はドイツ生まれのシンガー、シルケ・レリグなどと幅広く活動していた。また、自分が生まれた国(アメリカ)へ何度か実りある帰還を果たしている。2017年のツアーでは、ニューヨーク州ニューバーグ(AtlasのElysium Furnace Worksコンサート)やマサチューセッツ州ケンブリッジ(Lily Pad)で公演した。Lily Padでは、ベースのデイモン・スミス、ドラムのラ・カラム・ボブ・モーゼスとのトリオ演奏でで、2年後にAstral Spiritsからアルバム『Life's Intense Mystery』としてリリースされた。

2019年のツアーでは、フィラデルフィアで開催された「October Revolution」フェスティバルで、パティ・ウォーターズ、ベーシストのアダム・レーン、ドラマーのイガル・フォニと共演した。グリーンとウォーターズの間の深い絆は、パフォーマンス全体を通して明らかだった。たとえ(あるいは特に)パフォーマンスのすべてが交渉の対象になっているようなときでも。

また、グリーンはこの1年間、隠遁生活のように制作活動を続けていた。「コロナの影響で孤立していた間、幸運なことに、アムステルダムのハウスボートでヤマハの高級グランドピアノでたくさんの新作を録音しました」とウェブサイトに記されている。

最新作は『For Burty - 10 Etudes』と題されたアルバムで、フルート奏者のティロ・バウムヘイアーとのデュオの3曲を除いて、すべてソロ・ピアノで演奏されている。また、10月にはコンサートDVD『Live at the Center for New Music』のリリースも予定されている。

https://www.klezmokum.com/burtongreene/
http://www.paristransatlantic.com/magazine/interviews/greene.html?fbclid=IwAR0XUor4HZ_Ot0msBRmkheAAm943bpUDUqxptGSil4L0LHCf45IlyEkiuNc
https://www.allaboutjazz.com/burton-greene-from-bomb-to-balm-burton-greene?pg=1

いつの日か
涅槃でピアノ
弾いてくれ

Burton Greene's MOLDAVIAN BLUES
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【イベント情報】8/21(sat)ケロッピー前田 pre.『The Third Mind』@渋谷・頭バー~前田+剛田武 / Rie Fukuda / 持田保 / DJ TKD / 脳BRAIN

2021年08月08日 00時08分39秒 | 素晴らしき変態音楽


ケロッピー前田 presents『The Third Mind』@渋谷・頭バー

「The Third Mind」とは、ウィリアム・バロウズとブライオン・ガイシンの共著によるカットアップ・メソッドについての解説書のタイトルだ。朗読、DJ、演奏をフィーチャーし、手法的にも斬新な音表現の極北を目指し、スペシャルゲストに「第一回盤魔殿レコード大賞」を受賞した脳BRAINを迎えている。
第3回目となる今回は、今年春に新譜『エレクトリック・チューリンガ』(盤魔殿レーベル)をリリースしたケロッピー前田&剛田武がライブセットで登場する。また、Rie Fukuda はDJでの出演となる。
ご期待ください!



The Third Mind Vol.3
8.21.Sat at ZUBAR http://www.zubar.jp

16:00 - 20:00
1st drink 1000 yen

LIVE
ケロッピー前田 & 剛田武(盤魔殿)

DJ
Rie Fukuda
DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
DJ TKD
脳BRAIN

タイムテーブル(予定)
16:00 - Rie Fukuda
16:50 - DJ TKD
17:40 - ケロッピー前田 & 剛田武
18:10 - DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
19:00 - 脳BRAIN

【出演者プロフィール】
Rie Fukuda



2005年1月より朗読家としての活動を開始。2009年2月に自主企画"騒音天獄"をスタート。その間、様々な演奏家との共演を経て、朗読のSEをシンセサイザーで演奏するスタイルが定着する。同時に即興セッションにも多数参加。2018年、田畑満とのデュオ作品"precog"をオースチンレコードよりリリース、2019年ノイズ演奏家i,eternalとのスプリットをスウェーデンskitnaste recordよりデジタルリリース。またDJとして主に盤魔殿へ参加。

DJ TKD


DJ、音楽ライター、漫画原作者。80年代後半より下北沢ZOO、恵比寿MILKなどでレギュラーDJとして活躍。2000年からコミックビームを中心に漫画原作者として『LAZREZ』などを上梓。得意ジャンルはロックとノイズなど。

ケロッピー前田&剛田武


身体改造ジャーナリストとして活躍するとともに、ツァイトリッヒ ・ベルゲルター のドラマーを務めた過去を持ち、現在もディジュリドゥを吹き、電子音や打楽器でストイックな演奏を聴かせるケロッピー前田と、異端DJイベント盤魔殿の企画者にして、リード楽器やフルート、ノイズドール等ガジェットを巧みに操る地下音楽家・剛田武による異色のデュオ。故・近藤等則氏のプライベート・スタジオ「近藤音体研究所」にてライヴ・レコーディングされた『Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)』を盤魔殿レーベル"Les Disques Du Daemonium"第3弾としてリリース。ライヴ・パフォーマンスは2021/4/16 fri. 盤魔殿 presents NEO UNDERGROUND vol.3(阿佐ヶ谷TABASA)、2021年6月11日 (金)Sound of BURST DAYS(千駄木Bar Isshee)に続き3度目。

DJ Athmodeus a.k.a. 持田保


音楽と変性意識の関わりを探求するトークイベント「あなたの聴かない世界」代表。「INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE!!!」著者。惑星詩人協会在籍。地下音楽DJイベント「盤魔殿」レギュラーDJ。

脳BRAIN


東京都在住。78年生まれ。10代後半から現代音楽、実験音楽の音盤収集と同時にカセットMTRにて宅録を始める。1stコラージュカセット作品「Cock Sucking Freaks」をLos Apson?、Niceshop Suにて発売中。現在は幡ヶ谷ForestlimitにてK/A/T/O MASSACRE、idealaを中心にDJを行なう。

第三の
精神世界の
五輪祭

Keroppy Maeda x Takeshi Goda ケロッピー前田 x 剛田武 Electric Tjurunga(エレクトリック・チューリンガ)- Digest


盤魔殿レーベル
Les Disques Du Daemonium
https://lesdisquesdudaemonium.bandcamp.com/music
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【地下ジャズDisc Review】Chris Pitsiokos, Javier Areal Velez, Kevin Murray / first blush~一期一会NY即興トリオの記録

2021年08月06日 01時29分27秒 | 素晴らしき変態音楽


Chris Pitsiokos, Javier Areal Velez, Kevin Murray / first blush
CD: 1039 Records 1039-001. limited edition of 100 copies
Cassette: Lurker Bias

Chris Pitsiokos, alto saxophone
Javier Areal Vélez, guitar and objects
Kevin Murray, drums and objects

1. First Blush 21:11

recorded live at Downtown Music Gallery, NYC on January 12th, 2020
mastered by Nate Sherman
art by Nicholas D. Ross

Bandcamp

ビフォア・コロナの赤裸々なニューヨーク即興ドキュメント
2020年1月12日、まだ新型コロナウィルスの脅威の欠片もないニューヨークの名物音楽ショップDowntown Music Gallery(DMG)で録音された21分の即興ドキュメント。元々はクリス・ピッツィオコスのソロアルバム『Speaking in Tongues』(2020)のリリースイベントとしてソロライヴが予定されていたが、急遽アルゼンチン生まれのギタリスト、ジャビエ・アリアル・ベレツとニューヨークっ子ドラマー、ケヴィン・マレイとの初顔合わせのトリオによる即興ライヴになった。ニューヨークのみならず全米でも有数のImprovised Musicのメッカとして知られるDMGでは、これまで数多くの異端音楽家が集い交流してきたが、その伝統に新たな足跡を残す激烈な演奏記録がまたひとつ誕生した。

最近ではChris Pitsiokos Trio, CP Unit, 今年のメールス音楽祭に参加したStrictly Missionaryといった自己のバンドを率いて複雑なコンポジションを聴かせるピッツィオコスだが、9年前の2012年にブルックリンの即興シーンに登場したころはアルトを抱えた一匹狼として様々なミュージシャンと即興セッションを重ね、自己研鑽に励んでいた。エリオット・シャープ、ウィーゼル・ウォルター、フィリップ・ホワイト、ヘンリー・カイザーといったベテラン・ミュージシャンから学んだものは大きかったに違いない。30歳を過ぎ、音楽面の進化だけでなく、演奏家としての姿勢や、音楽の場を作る精神を身に付けたピッツィオコスの活動は、現在のポスト・コロナのニューヨーク・シーンの流れを支えている。

このCDで聴ける演奏は、かつてのNO WAVE的な「個」「孤」の美学を保ち続けつつ、「和」「集」の真心を兼ね備えた包容力に満ちたインプロヴィゼーションで、三つの心のハーモニーを重視したサウンドを聴かせる。メクラ滅法に暴走するように聴こえるサックスのフリークトーンは、プレペアド・ギターの疑似メロディと、ドラムの振動で金切り声を上げるメタル片の波動と共振し、クラスターとなって未知の音のアマルガムをリスナーの心の襞に投射する。聴き手は初めての聴覚的快感に赤面するしかあるまい。おそらく演奏する三人も上気し顔を赤らめていたに違いない。此処に在るのは文字通り即興演奏の『初めての赤面(First Blush)』体験に他ならない。

Javier Areal Vélez, Chris Pitsiokos, Kevin Murray @ Downtown Music Gallery


このCDは2019年にブルックリンでスタートした即興音楽シリーズ「POOL」が2020年に設立したレーベル1039 Recordsの第一弾のリリースでもある。ポスト・コロナ時代の不要不急の即興音楽の担い手として、注目すべき地下レーベルである。
https://1039pool.wordpress.com/

赤面必至
三者のリアル
インプロ魂

Pool 24 | Nebbia/Santos Silva ~ Nick Neuburg ~ Ivan Trujillo

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【イベントレポート】盤魔殿スピリチュアルラウンジvol.2@四谷三丁目CON TON TON VIVO 2021.7.29thu~夏の夜の静寂を愛撫する瞑想音楽の風

2021年08月04日 00時00分44秒 | 素晴らしき変態音楽


『盤魔殿SPIRITUAL LOUNGE vol.2』
DISQUE DAEMONIUM SPIRITUAL LOUNGE vol.2

~瞑想しながら意識を変革しチャクラを開くディープリスニング覚醒イベント~

7月29日(木) 四谷三丁目CON TON TON VIVO

18:00 DJ Qliphoth a.k.a.宇田川岳夫
18:30 DJ ASTERIX!
19:00 DJ SubRosa a.k.a.由良瓏砂
19:30 LIVE : Takeshi Goda+Tanao(INIBURA)+Aura Noir AMBIENT UNIT



踊れないDJに特化したクラブイベント『盤魔殿 Disque Daemonium 圓盤を廻す會』とから派生したスピンオフイベント『盤魔殿Spritual Lounge』のVol.2が開催された。パンデミックの緊急事態宣言下でオリンピックが開催されるという前代未聞の荒唐無稽な東京の夜は、スペシャルライブアクトを迎えこれまでになくディープで催眠的な一夜となった。

●DJ Qliphoth a.k.a.宇田川岳夫


NEO FOLKの革命宣言の如き雷鳴響く怒涛の音響の波動で地軸が9.99度傾いた。

1 Tales from Europe / The Revolutionary Army Of Infant Jesus


2 Ich habe Die Nacht Geträumet / Hekate


3 Jenseits Von Hier / Orplid


4 Filava Melis / Ataraxia


5 Amongst The Ruins / Sol Invictus


6 Beauty’s Decay / Lady Morphia


7 Balkan Comerade / Svarrogh



●DJ ASTERIX!


鳥の囀りとお囃子の嬌声の狭間で蛇行するダークアンビエントな音と映像のランデブー。

モミの木園地周辺2/ネイチャー・サウンド・ギャラリー(自然音)
Naina Laagey/MIDIval PunditZ
Acier/Art & Technique
Mark Ernestus Meets BBC/Mark Ernestus
Prelude/Hmgnc
青葉/京都長刀鉾囃子方連中(祇園囃子)
Patrick/Goblin
Bombay/Computerjockeys
Gavati/Suns Of Arqa


●DJ SubRosa a.k.a.由良瓏砂


少女病をテーマにしたフェミニンな選曲はオルカティズムの庭に咲く哲学者の薔薇の花弁のように散る。

Neither/Neither World”Alone”
靜香”妄想の楽園”
谷山浩子”流星少年”
Mylène Farmer”Psychiatric”
ALI PROJECT”病める薔薇”
ヰタ・スピリチュアリス”Loveless”
NICO”Chelsea Girl”
Mauve Sideshow”Jet Girl Talks In Her Sleep”
千葉節子”午睡の午後”
黒色すみれ”チェックメイト”




●Takeshi Goda+Tanao(INIBURA)+Aura Noir AMBIENT UNIT


異端トリオが奏でる残響が、噎せ返る夏の夜の夢の静寂(しじま)をやさしく吹き抜けた。

Takeshi Goda+Tanao(INIBURA)+Aura Noir AMBIENT UNIT @Con Ton Ton Vivo / Thu. July 29,2021


この世から
音楽だけが
生き残る


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