A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

シューゲ界に捧ぐ~日本のシューゲイザー特集

2012年08月31日 00時40分36秒 | ロッケンロール万歳!


マイブラの紙ジャケ発売~来日決定以来シューゲイザーがマイブームになっており、何度かシューゲ関係のブログ記事も書いた。音楽雑誌のマイブラ&シューゲ特集や2010年に出版された「シューゲイザー・ディスク・ガイド」を読み、90年代当時は決して大きな注目を集めた訳ではないこのスタイルが、21世紀に入り日本を含め世界各国で再評価され、若いリスナーにとってある種神格化されたムーヴメントになっていることを知った。

90年代半ばのブリットポップ・ブームの頃プレイグス、L-R、ヴィーナス・ペーター、ブリッジ、シークレット・ゴールドフィッシュなどUKロックに影響を受けた日本のバンドを観る機会も多かったが、正直言ってイギリスの真似っ子にしか聴こえず小馬鹿にしていた。しかしその流れからサニーデイ・サービスやスピッツなど人気バンドが生まれてきたのだから、UKロック・ムーヴメントが日本のロック界に与えた影響は無視できない。

個人的にテクノやデジロック、ポストロックや音響派には興味を惹かれなかったので、その手のアーティストは名前は知っていてものめり込まなかった。故に2000年代のロック・バンドはたまたまアンテナに引っかかったもの以外はひとつのシーンやジャンルでは捉えていない。シューゲイザーが”ニューゲイザー”と呼ばれ復活していることは知っていたが、毎年100本を超えるライヴへ通い若いバンドも数々観てきたにも拘らずシューゲ系とは一切邂逅しなかったことを考えると根本的に生息地が違うのだろう。

「シューゲイザー・ディスク・ガイド」を参考に日本のシューゲイザーをいくつか聴いてみた。皆さん上手にコピーしてらっしゃるが個人的には余り感慨はない。「お上手ですね」と褒めてやりたい気持ち。オリジナル・シューゲイザーを知らない世代にとっては耳に新しく見てくれもカッコいい憧れの存在なのだろう。こればかりは経験者と未経験者の捉え方の違いであって如何ともしがたいのが事実だ。これ以上書くと批判記事に陥ってしまうので辞めよう。決して良くないと言っている訳ではないので誤解なきよう。どのバンドも研究熱心で感服するばかりだ。ひとつ苦言を呈するとすれば殆どのバンドがヴォーカルが弱過ぎる。確かにシューゲはドリーミーなメロディの朦朧感のあるヴォーカルが特徴ではあるが、それと"魂の抜けた歌"とは次元が違うことを心して欲しい。ってまたもや余計なお世話で失礼。

Coaltar Of The Deepers
1991年5月に結成。シューゲイザー・デスメタル・パンク・テクノ・エレクトロニカ・ネオアコ・ボサノヴァ等々、様々なジャンルが混在したサウンドを見せる。リーダーのNARASAKIは、大槻ケンヂのバンド・特撮でギターとサウンドプロデュースを担当するなど、ディーパーズ以外にもマルチな音楽活動を繰り広げている。



Luminous Orange
ペイル・セインツにインスパイアされ、1992年横浜にて曲を書き溜めた竹内里恵がメンバーを募り、女性4ピースバンドとして結成。 何度かメンバーチェンジを経た後、2002年以降は竹内里恵のソロプロジェクトとなる。サポートミュージシャンを迎え録音やライブを行っている。



cruyff in the bedroom
1998年にハタユウスケを中心に結成される。アメリカのシューゲイザー専門レーベルのclairecordsにより「キング・オブ・シューゲイザー」と名付けられ、最近はバンドサイドでもそう自称している。



●Hartfield
2000年東京にて結成。coaltar of the deepers、cruyff in the bedroom、luminous orangeらと共に「日本のシューゲイザー四天王」の一角と称されている。ダブル・ヴォーカル、ダブル・ギターのノイズの奔流が特徴。



Supercar
1997年にデビューし、2005年2月26日に解散。この中では最もポピュラーなバンドだろう。初期はシューゲ・サウンドだった。現在各メンバーはソロや自己のバンドで活躍中。



dip
鬼才ヤマジカズヒデ率いる1991年結成のサイケデリック・ロック・バンドdipがシューゲイザーと呼ばれているのは意外だったが、若いシューゲ・アーティスト/ファンからリスペクトされている。dip加入前ドラムのナカニシ氏は高円寺20000Vの店員で別のバンドをやっており、私のバンドのイベント「アートロック宣言」に何度か出演してもらった。ある日20000Vにブッキングに行くと「ナカニシは辞めたよ。dipに引き抜かれてさ」と店長が教えてくれた。だから何となく"同期の桜"的イメージ。ヤマジ氏は灰野さんと共演しているので愛着があるし、ヴォーカルの重要性をよく分かっている。



[8/31追記]
ディスク・ガイドには載っていないが90年代半ばに大好きだったバンドを紹介。
PLECTRUM
1992年大阪で結成。バンド名はティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクが命名した。吉本興業所属のロック・バンドという珍しい存在だった。シューゲイザー、UKギターポップ、USインディポップに強く影響を受けたギター・ロック・サウンドと♪君は素晴らしい90年代過ごしているのか♪という衒いのない直球の歌が印象的だった。ポリスターから2枚のアルバムと数枚のシングルをリリースしたあと1999年からインディーに。現在でも活動しているとのこと。



シューゲ海
何だか気持ち
良さそうだ

何故突然この特集なのかといえば、昨日紹介したシャーベッツの最新PVでベンジーがジャズマスターを弾いていたことと、今夜渋谷クラブクアトロでdipトリビュート・アルバムのリリース・パーティがあるからだ。出演アーティストはモーサム、ノーべンバーズ、池畑潤二(元ルースターズ)、ポリシックスのメンバーなどシューゲ系ではないが面白そうなメンツで楽しみである。




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男が惚れるベンジーのロケンロー魂~シャーベッツ「ストライプ・パンサー」

2012年08月30日 00時26分08秒 | ロッケンロール万歳!


今や元ブランキー・ジェット・シティの肩書きも不要な浅井健一氏(ベンジー)のバンド、シャーベッツの8thアルバムがリリースされた。1996年ブランキーと平行してベンジーのソロ・プロジェクトとしてスタートし、1998年に4人組ロック・バンド、シャーベッツとして本格始動。以来14年に亘りベンジーの活動の核を成すバンドとして活動してきた。

ベンジーは2000年のブランキー解散後UAとのAJICOやJUDE(ユダ)、2年前に結成したPONTIACS、そしてソロと八面六臂の活動を繰り広げてきた。硬派なロケンロール・トライアングルとして90年代を駆け抜けたブランキーの世界を拡大し、よりヴァーサタイルなロケンローラーとして日本のロック界を支える存在として君臨する。自らのインディー・レーベルSEXY STONE RECORDSからリリースされる数多くの作品はどれもひと味凝ったパッケージに包まれ、その時々のベンジーの生き様を克明に描いた高い完成度を持っている。

ブランキーは1990年にイカ天に出演した時から知っていた。1980年代後半に一世を風靡したバンド・ブームも落ち着きを見せ、正直イカ天もマンネリ化し人気が落ち始めた頃に登場した彼らは最後の本格派として有無を言わせぬ存在感を見せつけた。周囲の喧騒もどこ吹く風の飄々とした3人の佇まいはバブル景気に狂乱する世の中に明確な「NO」を叩きつけた。メジャー・デビューしてからも流行とは無関係にソリッドなロケンローを追求。ハイロウズ、ミッシェル・ガン・エレファント、ギターウルフ等と共に時代を超えたロケンロー魂を世に問うてきた。それ故これらのバンドのメンバーたちは21世紀を10年以上過ぎた現在でもシーンの牽引役として活躍しているのであろう。

初めて彼らのライヴを観たのは1998年豊洲で開催された第2回目のフジロック・フェスティバルだった。噂に聴いた最強トリオの叩き付けるような演奏は初の大規模ロック・フェスの聡明期に相応しいエキサイトに溢れていてとても印象的だった。他にミッシェル・ガンやギターウルフ、海外からソニック・ユースやイギー・ポップが出演し、その後のフジロックのロック・サイドの流れが打ち出されたフェスだった。

その頃べンジーはシャーベッツを結成、余りに強いブランキーの呪縛を払拭する活動を始める。2000年にブランキーが解散すると先に挙げた幾つかのプロジェクトを次々にスタートし多彩な才能を開花させるのである。ベンジーのハイトーンの歌がとても個性的なので、どのユニット/ソロでも一聴して彼の世界が濃厚に展開されており、一度のめり込むとどれも最高のロケンローばかりなのだが、その中でも女性キーボード/コーラス福士久美子嬢を加えたシャーベッツは最もカラフルかつ奥の深いサウンドでベンジー・ワールドの神髄を聴かせるバンドだと言えよう。ベンジーもシャーベッツを「宝物」と表現しているほどだ。

1年ぶりの新作「ストライプ・パンサー」の初回限定盤は2枚組・写真集付きブック型の豪華装丁になっており、今まで以上に自信作の風格を感じさせるアルバムである。オープニングのタイトル・ナンバーからどっしりしたミッド・テンポのロケンローに哀愁のメロディーが高らかに歌われ、アコースティックなバラードや久美子嬢のヘヴンリーなファルセットが美しいサイケデリック・ナンバー、骨太でアーシーなナンバー、ドラマチックなプログレッシヴなナンバーと多様な曲想に溢れており、ジャケットや写真集に写る少年の夢や憧れを体現しているようである。ボーナス・ディスクの5曲のレア・トラックも含め映画的ロマンティシズムに満ちたベンジーの独特の歌詞もたっぷり楽しめる21世紀型ロケンローの大傑作であると断言できる。恐ろしく多作なベンジーだがこれから体験する方はまずはこの最新作から聴いてみては如何か。

アルバムからのPV「ストライプ・パンサー」はコチラ

▼原宿で開催された浅井健一×岩佐篤樹 写真展「AROUND BENZIE」。惚れたぜ!


ベンジーが
ジャズマスターを
弾いている

9月下旬に東阪名でレコ発ツアー「STRIPE PANTHER GIGS」が開催される。生で聴くベンジーの歌はまた格別である。




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精神の深淵への旅路~灰野敬二+スティーヴン・オマーリー+オーレン・アンバーチ「なぞらない」

2012年08月28日 00時25分20秒 | 灰野敬二さんのこと


過去3年間続けて1月に来日し、灰野さんとジム・オルークとのトリオを含むライヴをしてきたオーストラリア出身のマルチ・ミュージシャン、オーレン・アンバーチと、アメリカのアンビエント・ドローン系ドゥーム・バンド Sunn O)))のメンバーのスティーヴン・オマーリー、そして灰野さんのトリオは2011年4月にアムステルダムで初共演、同年11月にはベルリンとパリでも共演している。

灰野+オルーク+アンバーチのトリオでは2009年北九州芸術劇場でのライヴ「Tima Formosa」、2010年六本木スーパー・デラックスでのライヴ「またたくまに すべてが ひとつに なる だから 主語は いらない(in a flash everything comes together as one there is no need for a subject)」(2枚組LPのみ)、2011年同じくスーパー・デラックスでのライヴ「いみくずし(Imikuzushi)」(2枚組LPとCD)の3作をリリースしている。1作目「Tima Formosa」はアンバーチがギター、オルークがピアノ、灰野さんがヴォイス、フルート、エレクトロニクス、パーカッションのドローン/アンビエントなサウンドだが、2,3作目は灰野さんがヴォーカル&ギター、オルークがベース、アンバーチがドラムというロック・トリオ編成である。どちらも不失者の別ヴァージョンと呼んでもいいほどの透徹した灰野ROCKを展開している。その2作のジャケット・デザインを担当したのがスティーヴン・オマーリーで、特にLPの豪華な装丁はアナログならではの味わいが素晴らしい。

オマーリーは以前から灰野フリークとして有名で事あるごとに影響を受けたアーティストとして灰野さんの名前を挙げていた。昨年、長年の夢が叶い初共演が実現し、11月8日パリでのライヴ録音が「なぞらない(Nazoranai)」というタイトルの2枚組LPとCDでリリースされた。アンバーチとの前作のタイトル「いみくずし」は昨年来の灰野さんのライヴでキーワードとして歌われ、今年1月UFO CLUBでの不失者ワンマン・ライヴでは冒頭に灰野さんが「これからまだあり得なかった"いみくずし"という何かを起こしていきます」とMCしたほど。因みにこの日のライヴのためのスタジオ・リハーサル風景は映画「ドキュメント灰野敬二」の中でも印象的なシーンの一つとして描かれている。

そして今回の「なぞらない」は6月の映画前夜祭、8月のFREEDOMMUNE 0<ZERO>の不失者のライヴで披露され、なってるハウスでの吉田隆一氏とのデュオでも歌われた。今年の灰野さんのキーワードはこの言葉のようである。

このアルバムで聴ける演奏は単にベーシストがオルークからオマーリーに変わっただけではなくSunn O)))独特のドゥームな雰囲気を加味した地の底を這うように深いリバーブのかかったヘヴィなサウンドになっている。しかし中心にあるのは「一音を鳴らすことへの強靭な覚悟」という灰野さんの世界の核心をなす意志の力。その世界の実現のためにオマーリーもアンバーチも先人の描いた世界や演奏を"なぞらない"で確信に満ちた演奏を展開している。灰野さんにとってこのトリオも"もうひとつの"不失者であり「まだまだカッコ良くなる」ための存在証明に他ならない。

リリース元はオーストリアのポストロック系レーベルEditions MEGO傘下のオマーリー自身のレーベルIDEOLOGIC OORGAN。実はこのアルバムには「なぞらない」という歌詞は出てこない。またアーティスト表記も「Nazoranai」となっている。



いみくずし
そこから先は
なぞらない

アンバーチはSunn O)))のゲスト・メンバーとしてライヴ等に参加しているが、同郷のオーストラリアのアーティスト、クリス・タウザンドとのデュオの「Sun」というユニットでも活動しており実にややこしい。
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ノイズ電車・ノイズ温泉@福島 飯坂温泉 2012.8.25 (sat)

2012年08月27日 00時45分13秒 | 素晴らしき変態音楽


福島第1原発事故および放射能汚染をきっかけに昨年福島県四季の里+あずま球場でのイベントを中心として開催された世界同時多発フェスティバル「フェスティバルFUKUSHIMA!」今年は8/16~23の12日間に亘り世界各地で様々なイベントが開催された。その中の目玉イベント「ノイズ電車・ノイズ温泉」に参加するため今年も福島へ行ってきた。90名限定のチケットは発売と同時に即日完売したという。ノイズと電車&温泉、全くミスマッチなこの企画は一体どんなことになるのだろうか?

高速バスで5時間、昼過ぎに福島駅へ到着。ノイズ電車出発まで時間があったので市内観光でもしようかと思ったが余りの暑さに諦めて、先に会場兼宿泊先の飯坂温泉の旅館清山にチェックインすることにした。飯坂鉄道は2両編成のローカル線で沿線はのどかな農村風景が続く。束の間旅情を楽しみ旅館へ着くと入り口に「歓迎ノイズ温泉会場」と書いた大きな看板があって笑う。ロビーにJOJO広重さんや美川さんやスタッフがいたので軽く挨拶してチェックイン。由緒ある旅館らしく廊下に今までの宿泊客の書いた色紙がたくさん飾ってある。汗を流しに露天風呂へ。すっきりして福島駅へ戻るため旅館を出る途中、地下のBARではサウンドチェックが始まっていて古風な旅館に似合わぬ轟音が響いていた。


福島駅ビルで喜多方ラーメンを食し集合場所の飯坂鉄道の改札に行くと数十人の若者が並んでいる。ノイズ電車専用改札から入場。「到着の電車は貸切電車、ノイズ電車です」のホームアナウンスで観客爆笑。電車の中ではすでに美川さんがエフェクター・テーブルをセッティングしていた。そこに各駅からミュージシャンが乗り込んで来て加わるという趣向。


ドアが閉まると同時に美川さんが爆音ノイズを開始。観客が取り囲んで歓声を上げる。次の駅でJUNKOさんが乗ってきて隣の車両で叫び始める。次に広瀬淳二さん、大友良英さん、JOJO広重さんの順で最終的に5人のミュージシャンが参加した。観客は車両を移動してそれぞれの演奏を観る。広瀬さんと大友さんがあちこち歩き回り絡む。揺れる電車の中だからたいへんな騒ぎだ。参加ミュージシャンは事前に保険に入ったというが、確かに事故が起ってもおかしくない状況。観客も結構アブナかったかも。車掌さんが楽しそうに写真を撮っていたり、ホームのお客さんが何事かと目を丸くしていたり、面白可笑しくも傍迷惑な電車である。30分の旅だったがとにかく前代未聞の経験だったことは間違いない。



飯坂温泉駅に到着し旅館へ。地下のBARはカラオケ用の学芸会風のステージと大きなTVモニターがある。運良く最前列に座れた。最初に旅館の女将さんの「今日はノイズをゆっくりお楽しみください」という挨拶があり大ウケ。まずはDoraptron=ドラびでお(一楽儀光氏)+伊藤篤宏氏。二人ともヒカリ系電子楽器だからバックスクリーンに映写される映像と共によく映える。眩しく点滅する蛍光灯とテクノイズ・ビートが同期し気持ちよかった。



続いて今井和雄氏のギター・ソロ。今井氏はセッションで何度か観たことがあるがソロは初めて。2台持ってきたアンプの1台がサウンドチェックで飛んでしまったというが、1台で充分な爆音演奏。フィードバックを使わず絶え間なく激しく弾きまくりの演奏はデレク・ベイリー系インプロの対極にあるパワー即興。余りの激しさに頭が朦朧としてきたところで唐突に終了。エネルギーが凝縮された20分だった。



最後が非常階段=JOJO広重さん+JUNKOさん+T.美川さんに大友良英さんが加わった演奏。非常階段に大友さんが参加するのは初めてとのことで、歴史的なライヴだというが、ノイズ電車もノイズ温泉も滅茶苦茶歴史的な出来事。大友さんは「将来教科書に載るかも」と冗談を飛ばす。今回の企画は大阪での「ノイズ大学」で広重さんと大友さんが対談した時にの冗談半分の話がきっかけだったという。ノイズ電車が大成功だったので次は「ノイズ新幹線」だと笑わせる。演奏は大友さんがかなりキレて激しいプレイ。広重さんは電車の中で暴れ過ぎたのか、比較的大人しく演奏に集中。しかし非常階段の演奏をイスに座ってのんびり観れるのも乙なもの。コサカイ氏が不参加なのでボディ・アタックの恐れもないし安心。



▼照明が暗くてよく分からないが実はこんなトロピカルなステージ


電車~温泉とたっぷりノイズに浸って、終演後は温泉に浸かってこのレアな体験をしっかり楽しんだ。この企画の実現に尽力したdoubtmusicの沼田夫妻、およびフェスティバルFUKUSHIMA!実行委員会の皆さんお疲れさまでした。

翌朝、このイベントとは関係ない年配のお客さんも泊まっていたことを知った。夜中に鳴り響く騒音は相当迷惑だったのではないだろうか。四季の里で開催されるクロージング・イベントにも参加申し込みしたのだが、充分堪能したし疲れたので昼間のバスで東京へ帰った。

何にでも
ノイズと付けりゃ
全てOK

広重さんはブログで「来年もぜひやりましょう」と書いていたが、もしまたあったら是非参加してみてはいかが。9/25のJAZZ非常階段@新宿ピットインも楽しみでならない。
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世界革命戦争宣言よ永遠に~頭脳警察とPANTAさんのこと

2012年08月25日 00時48分37秒 | ロッケンロール万歳!


今まで何度か頭脳警察のことはブログに書いてきたが、先日10年前にリリースされたまま廃盤の7CD+1DVD BOX「頭脳警察 LIVE DOCUMENT 1972-1975」を中古で手に入れ久々にPANTAさんの歌を聴き狂っているので改めて取り上げたいと思う。といっても頭脳警察に関してはPANTAさん本人の著作も出ているし様々な雑誌やサイトで書かれてきたので今更私が説明する必要もあるまい。ここには個人的な頭脳警察の思い出を綴ることにしよう。

私がポップス/ロックを聴き始めたのは1976年頃だから頭脳警察はすでに解散していた。その頃テレビやラジオで流れる日本のロックらしきものは甲斐バンドやダウンタウン・ブギウギ・バンドやアリスみたいな歌謡曲的なものばかりだったのでもっぱら洋楽を聴きまくった。テレビでアマチュア・ロック・バンドが毎週登場する勝ち抜きバンド大会のような番組をやっていた。それを観て自分でもバンドをやりたくなり、最初はクラシック・ギターで「GUTS」という雑誌を見てフォークソングの練習を始めた。エレキ・ギターが欲しかったが親の世代は「エレキ=不良」のイメージが強かったのでなかなか買ってくれとは言えなかった。フォーク雑誌では飽き足らず「プレイヤー」「ロッキンf」といったロック・ギター雑誌を読むようになる。そこには竹田和夫さん(クリエイション)、春日博文さん(カルメン・マキ&OZ)、ジョージ吾妻さん(LAFF)、吾妻光良さん(ジョージ吾妻さんの弟/後にスウィンギン・バッパーズ)など日本人ミュージシャンが原稿を書いていて、日本にも歌謡曲じゃないロックが存在していることを知った。そんな記事やレビューにPANTAさんの名前もしばしば登場し、頭脳警察も存在だけは知っていた。

1977年位から大貫憲章さんや渋谷陽一さんがラジオ番組でパンクを紹介するようになる。音楽雑誌でパンクが特集され、日本でも東京ロッカーズを始めとしてパンク・バンドが活動を始める。その時に日本のパンクのルーツとして語られたのがジャックス、頭脳警察、サンハウス、村八分、外道等だった。早速外道の1stアルバムを買ってみた。確かに他の日本のロックよりもハードで過激だったが、"3分間+ギター・ソロなし=パンク"の潔さに惚れていた私には古臭いハードロックに聴こえイマイチだった。ジャックスは「からっぽの世界」を聴いてパンク云々以前に怨念の籠った歌に震撼した。頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」が一番パンクっぽく大いに気に入った。

高円寺のレンタル・レコード店「パラレルハウス」で借りた頭脳警察とジャックスを録音したカセットを何度も聴き返した。頭脳警察は「誕生」というアルバムで、特に「あなた方の心の中に黒く色どられていない処があったらすぐ電話をして下さい」という前衛的な展開の曲は丁度公開され流行っていた映画「ブレードランナー」の原作のフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をネタにした歌詞が新鮮だった。その頃PANTAさんはHALを率いて活動していたが、やはり頭脳警察の方が断然カッコ良かった。

1989年に1971年三里塚闘争のドキュメント「幻野」のロック・ダイジェストLP「幻野EVIDENCE」がリリースされ、「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」「セクトブギウギ」という政治的な演奏とともに学生運動で緊迫した観客の野次や妨害演奏が明瞭に収録されていて衝撃を感じた。

PANTAさんを初めて観たのは1990年代半ば新宿ロフトでアナーキーをバックに頭脳警察のレパートリーを歌ったライヴである。「ふざけるんじゃねえよ」「銃をとれ」「さよなら世界夫人よ」といった代表曲に加えアナーキーのリクエストで「前衛劇団<モータープール>」という最高にアヴァンギャルドなナンバーも演奏し、PANTAさんが「30年経ってこんなおバカな曲を演るとは思わなかった」とMCしていたのを覚えている。

その後も何度か再結成頭脳警察を観に行った。すべて新宿ロフトだった。2009年の映画「ドキュメント頭脳警察」は観ていない。

YouTubeに1990年同志社大学での政治集会での頭脳警察の演奏映像が上がっている。90年代に入っても政治運動をしている学生がいるのに驚いたが、PANTAさんの70年代と変わらぬ硬派な演奏が印象的である。





先に上げたBOX SETは70年代全盛期のライヴ記録だが、演奏以上に面白いのが観客の反応である。酷い野次が乱れ飛んだり観客が騒ぎ過ぎて演奏が中断してしまったりして、当時の日本の若者文化の絶好のドキュメントになっている。闘争の時代を生き抜いてきたPANTAさんとトシさんの今後の活動も楽しみである。

頭脳警察を
頼れば
心は満ちる

同じロック伝説にしてもPANTAさんと水谷さんを巡る状況の違いは天国と地獄の差がある。願わくばラリーズ音源の正当な管理者が出てきてくれないものだろうか。
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灰野敬二+吉田隆一@入谷なってるハウス 2012.8.21 (tue)

2012年08月23日 00時42分04秒 | 灰野敬二さんのこと


「やんてらの晩夏の企画」灰野敬二(vo,g)+吉田隆一(bs)

今年3月やはりなってるハウスで灰野さんと外山明氏の共演を企画したやんてら氏とは最近いろんなライヴでお会いする機会があった。月間20本以上のライヴへ通っているという音楽好きである。彼の企画による灰野さんのライヴの2回目は渋さ知らズ、藤井郷子オーケストラ、板橋文夫オーケストラ、SXQ saxquintet等で活動し、現在は後藤篤氏(trombone)、スガダイロー氏(piano)とのトリオBlack Sheepで活躍する”黒いバリサク”吉田隆一氏との初共演。

FREEDOMMUNEでの不失者が素晴らしかったし、前回の外山氏とのライヴは満員盛況だったので気合を入れて開場30分前に行ったらまだ誰も並んでいなかった。暑い中待つこと45分、10数人の列になった頃開場。ステージにはドラムがセットしてある。

吉田氏は今年41歳、油の乗ったマルチリード奏者である。背が高くなかなかのイケメン。オープニングは灰野さんが発振器のスピーカーを床や壁にあてて微妙に音を変化させ、吉田氏はクラリネットを様々な角度に動かしながら微弱音演奏。会場のアコースティック環境を活かした音響パフォーマンス。灰野さんがドラムを叩く。ドラム演奏を観るのは数年ぶり。バシッ!ドカッ!とリズムではなく打撃音の鋭さを聴かせる演奏は、一音一音に魂を込める灰野さんの信念を如実に現している。フルート二重奏をはさみ、吉田氏がバスクラで絞り出すようなロングトーン演奏。次第に激しく吹き始めると灰野さんもギターにスイッチ。最初は指弾きで細かい音を積み重ねる演奏だったが、吉田氏がバリサクに持ち替え野太い咆哮でいななくとギター・プレイもヒートアップ。激しい轟音のクラッシュが空間を満たす。意識が遠のくほどのエクスタシーで第1部終了。約1時間。

物販では最近アメリカでリリースされた灰野さん(vo.g)+スティーヴン・オマーリー(b/Sunn O))))+オーレン・アンバーチ(ds)による「Nazoranai」というアルバムが販売されている。ユニット名も”Nazoranai”らしい。灰野さんとオーレンは今まで3枚の共演アルバムをリリースしているが、どれもジム・オルークとのトリオだったので、スティーヴンとやるとどう変わるのか楽しみ。

第2部は灰野さんがヴォイス、吉田氏がバスクラの演奏でスタート。早速「なぞらない~」という歌詞を歌う。不失者のライヴでも見せたヴォイス・パフォーマンスは凄まじいの一言。パーカッション演奏から再びギター&バリサクの轟音演奏に突入。緩急の流れが素晴らしく吉田氏も流石百戦錬磨の即興演奏家ならではの実力を発揮。50分の本編に続き、アンコールでは灰野さんがプリペアド・ギターでノイジーなエネルギーを放射する。素晴らしい共演に満員の観客も満足。





次のやんてら企画は9/29八丁堀 七針でのグンジョーガクレヨン高岡洋介(ペインティング)。組原さんのギターがたっぷり聴けそうで、これもマストである。

バリサクは
高校の頃
吹いていた

<灰野敬二情報>
●9月18日に不失者の新作「まぶしい いたずらな祈り」リリース。

●レコ発ツアーが決定:
9/19&20 難波 ベアーズ 06-6649-5564
9/21 名古屋 得三 052-733-3709(HPのコメントは私が書きました)
東京公演も予定されている。

映画「ドキュメント灰野敬二」の全国上映が続々決定。

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百鬼夜行の回想録~80'sインディーズ特集 第7回 魑魅魍魎編

2012年08月20日 00時42分47秒 | 素晴らしき変態音楽


今まで6回に亘ってレーベル/ジャンル別に80’sインディーズ音源を紹介してきたが、おそらく最終回となる今回は特定のテーマに分類できない雑多なアーティストをまとめて紹介してしまおう。当時購入したソノシートや7インチやカセットを記憶を頼りに集めてみた。

初めて買ったソノシートはスターリンの「電動こけし」だったと思うが、その次に購入したのがスティグマというバンドのソノシート。なぜ買ったのか定かではないが、黒字に赤青のスクリーンプリントのジャケットは自主制作にしては高級感があった。テクノ・ビートにノイズ・ギター、社会的な歌詞の硬派ニューウェイヴ。リリース元のアスピリン・レコードはゼルダや水玉消防団もリリースしており、後にバルコニー・レコードへ発展、FOOLS、ヒカシュー、暗黒大陸じゃがたら、D-DAY、コクシネルなどをリリースし有力インディー・レーベルとして活躍した。



仙台出身のバグダッド・ハネムーンは当時ぎゃていやラママに出演していた私の即興ユニットOTHER ROOMのパートナーの高島君が同郷で、彼から勧められたのだと思う。時代に先駆けてリズムマシーンTR808を使ったトーキング・ヘッズ風のひねくれたアヴァンポップ。EPもリリースしている。YouTubeには2002年と2007年のライヴ映像があり30年経ってもまだ活動していた(る?)ようである。



イコールというバンドのソノシートは型抜きの段ボールに挟まれていて豪華な作りだった。女性ヴォーカルのNo New York系ポストパンクで結構好きだった。Heat Heart Recordsというレーベルだったが、これ以外の作品はリリースされていないようだ。



こちらもレアなバンド。COMMUNE(コミューヌ)というトリオで私が知る限りではリリースは「REALITY」というカセット1本だけ。Autonomyというレーベルでバンドの連絡先は狛江市になっている。「REALITY」「FUCK」「SYSTEM」「CAPITALISM」という曲名や、ジャケットや歌詞カードに掲載されたアフリカ難民、飢餓、テロ、戦争の新聞記事・写真で判る通りかなり政治的なメッセージを持ったバンドだ。フリクションやミラーズ、PIL、ギャング・オブ・フォーを思わせる無機的なギター・ロックはなかなかカッコ良く、上手く行けばチャンス・オペレーションやパブロ・ピカソのような存在に成っていたかもしれない。



名古屋のなぞなぞ商会は八木康夫さんが「PIPCO’S」で紹介していたザッパ・フリークのバンドで、カセットを数本とLPを1枚リリースしている。東京でも何度かライヴをしたが、奇抜なメイクと衣装がアングラ演劇っぽく、ヴォーカルの遠藤豆千代氏が饂飩を客席に撒いたり、女性客をステージに上げて弄ぶなどの演出が面白かった。1983年に名古屋のライヴハウス、エレクトリック・レディ・ランドがリリースした2枚組LP「From Electric Lady Land」にも参加。聴けば判るが、インディーズとは思えない高い完成度を持った実力派だった。



横浜のロック喫茶“夢音”のレーベル、クラゲイル・レコードの第一弾、陰猟腐厭の「妥協せず」というソノシートは「フールズ・メイト」や「マーキー・ムーン」でも絶賛された。神奈川大学でトニー・コンラッドwithファウストのカヴァーを演奏中に乱入した学生運動家のアジ演説をエフェクトをかけてそのまま実況録音。頭脳警察や山下洋輔トリオもビックリの反体制派サウンド。未聴だがLPもリリースした。クラゲイル・レコードは”夢音”でのライヴ録音を100枚CDRでリリースしており、そこにも彼らの音源がかなり含まれている。とっくに解散したと思っていたら、この7月にキッド・アイラック・ホールに出演していて驚いた。残念ながら都合がつかず見逃したがまだ活動しているようだから観る機会はあるだろう。



インディーズ
辿って行けば
地獄巡り

こうしたインディーズのレア音源は誰かの押し入れにしまい込まれたまま死蔵されているに違いない。是非とも発掘して日の目を見せて欲しいものだ。

★読者限定特別付録:EP-4の1982年の未発表ライヴ音源がココで聴けます。


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川口雅巳&New Rock Syndicate/HALLUCIONZ/marble sheep@四谷アウトブレイク 2012.8.17 (fri)

2012年08月19日 00時44分29秒 | ロッケンロール万歳!


「地下室のメロディ」
mogro/川口雅巳&New Rock Syndicate/Hallucionz/Marble Sheep/DJ:鳥井駕句&川口雅巳

先週末のFREEDOMMUNEで十二分に満足したのと余りの残暑に暫くライヴへ行く気にならなかったが、Facebookで川口雅巳氏からイベントの招待を受け、久しぶりのNew Rock Syndicate、昔お世話になったロック評論家の鳥井駕句氏のバンドHALLUCIONZ、キャプテン・トリップ・レコードの松谷健氏のmarble sheepと東京サイケデリック・シーンの重要バンドが集合するので観に行くことにした。

アウトブレイクは初めてだったが内装が高円寺Mission'sに似てるな、と思ったら同系列のライヴハウスらしい。地味な実力派揃いのイベントなので客は少ないが熱心なファンばかりで全バンド集中して楽しめた。

少し遅れて行くとトップのMOGROが演奏中だった。全く予備知識のないバンドだったが、トリオ編成の福岡の蝉を思わせるサイケなインスト・ロックで悪くなかった。若そうなので経験を積めば演奏の質も深まるだろう。



川口雅巳&New Rock Syndicateはギタリストが参加してツイン・ギターになっていた。新ギタリストはアーム付SGで粘っこいフレーズを紡ぎ出し、川口氏の歌とギターとの相性がとても良い。うねりまくるリズムに乗せて展開されるアシッド・ギターはサイケの王道。演奏に絡み付くような川口氏のヴォーカルに酩酊感を覚える。昨年海外でLPが限定リリースされただけで現在正式な音源は入手できないが、そろそろリリースしてもいいと思うがどうだろうか。川口氏はFREEDOMMUNEは自分のライヴが入っていて観に行けなかったそうだ。不失者のステージを観たかったと嘆いていた。



3番目に鳥井駕句氏のHALLUCIONZ。鳥井氏はもうひとつ女性メンバーを含むPeacock Babiesというバンドもやっていて、前から気になっていた。1970年代末東京ロッカーズ時代にPAINというバンドで活動していて、その演奏はオムニバスLP「東京New Wave」で聴ける。文学的な歌詞とテレヴィジョンを思わせるNYパンク系の曲調が好きだった。鳥井氏には1980年代末から色々お付き合いさせていただき、彼が渋谷の青い部屋で企画したイベントへ遊びに行ったり、2002年にRed Warriorsの木暮"SHAKE"武彦氏らと結成した鳥井駕句&ブラックリストのCDを聴いたりしたが、生で歌うのを観るのは初めて。知り合ってから20年余り経っての初ライヴである。ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトが使っている”エアライン”というヴィンテージ・ギター のレフトハンド・モデルを構え歪んだ音色を鳴らしながら歌うスタイルはニール・ヤングやルー・リードを思わせる。バック・メンバーもかなりのベテランらしく腰の据わったロックンロールを奏でる。歌の上手さはさすが活動歴35年だけあり素晴らしい。PAIN時代の曲も演奏したがMCで「最近PAINの音源を出したいとインディーズ・レーベルから打診が多いけど、ギターのヤツと仲が悪いからオレが生きているうちは出さない」とコチラが訊きたかったことを先に言われてしまった。Peacock Babiesはもっと歌謡サイケっぽいというから観てみたいものだ。



トリはmarble sheep。1987年に松谷氏がマーブル・シープ&ザ・ランダウン・サンズ・チルドレンとして結成しアシッドなライトショーを取り入れトリッピーな長時間演奏を繰り広げていた彼らは海外で「日本のアモデュール」と評価された日本のサイケ・リバイバルの代表バンドである。当時私のバンドFlower Tripが主催していたシリーズ・ギグ「アートロック宣言」に参加依頼したこともある結成25周年のベテランである。昔のカオス的な音からストレートなハードロック寄りのサウンドに変わっていた。女性ベーシストは最近ライヴ会場でよく会う宮崎リエ嬢かと思ってたら違う女性だった。かなりセクシーな衣装にドキドキ。豪快な爆音ギターが疾走する演奏はロックのヤバいスリルがたっぷり。



地下室に
隠花植物
咲いていた

どのバンドも”サイケデリック”という命題を共有しており統一感のあるイベントだった。

押し入れにフラワープリントやタイダイのシャツ、フレアジーンズなど二度と着れないおサイケな衣装が詰まっているのだが、誰か引き取ってくれないだろうか?

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ニュー・オーダー最新ライヴ映像と男性聖歌隊の「ブルー・マンデイ」カヴァー

2012年08月18日 00時53分24秒 | ロッケンロール万歳!


サマーソニック2012で来日中の新生ニュー・オーダー。中心人物ピーター・フック抜きのラインナップが物議を醸しているが、海外フェスの映像を観る限り、80年代の切れ味はさすがに無いものの、演奏力の高さとテクノロジーの進歩により往年の輝きを取り戻したように思える。

▼2012年6月ベルリンでのライヴTV映像44分



彼らの最大のヒット曲「ブルー・マンデイ」を英国ウェールズの男性聖歌隊Brythoniad Welsh Male Voice Choirがカヴァーし、ニュー・オーダーがヘッドライナーで出演する北ウェールズのポートメイリオンでのイベントFestival No.6用に制作された映像が公開された。イギリス音楽界ではポップスとクラシックを融合したクロスオーヴァーが盛んだが、この聖歌隊のアレンジはピアノに乗せてお馴染みのメロディが重厚なコーラスで響く素晴らしい出来になっている。ビデオの作りもハイセンスである。



英国の威信をかけたロンドン五輪の開会式と閉会式で英国ロック/ポップスの名曲がBGMに使われたり演奏されたりしたが、かの地ではポップ・ミュージックとシリアス・ミュージックの垣根が低いのが羨ましい。

新秩序
我が祖国にも
欲しいもの

この国の政治家には余り期待できないけど、もう少しポップ・カルチャーを真剣に考えて欲しいものだ。

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21世紀に蘇る栄光の英国ロック~ブリットポップ特集 第2回

2012年08月16日 00時43分12秒 | ロッケンロール万歳!


シンコー・ミュージックから「CROSSBEAT presents ブリットポップ・ディスクガイド」というムックが発売された。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのリマスター紙ジャケCDリリースと単独来日決定、フジロックではストーン・ローゼズが復活し、元オアシスのリアム&ノエル・ギャラガーがそれぞれ出演、ロンドン・オリンピック閉会記念コンサートにはブラー、ニューオーダーが出演、さらにブラーの22枚組BOXリリースと、今年は80~90年代UKロックの話題満載だ。そこへタイミングよく「ブリットポップ」という90年代英国の一大ムーヴメントのガイドブックが登場した。読んでいてこんなバンドいたよな~と懐かしくなったので、昨年書いたブリットポップ特集の続編をお贈りしよう。第1回はコチラ。今回はブリットポップに拘らず90年代前半の英国ロック・シーンで私が愛聴していたバンドも紹介する。

世代的には80年代の方が身近だが、90年代の英国ロックにもかなり入れ込んだ。アメリカから世界を席巻したグランジに今ひとつ馴染めなかったので、必然的にイギリス贔屓になる。一方でクラウトロックや前衛音楽への傾倒もあったが。1988年頃話題になった「マッドチェスター」ムーヴメントにはワクワクした。音楽的な面もあるが、心惹かれたのは「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれた60年代ヒッピー・カルチャーへの憧憬だった。アシッドやエクスタシーをキメてダンスビートとサイケなライティングで朝まで踊り明かすライフスタイルは何にも囚われない自由な精神を象徴し来るべき20世紀の最後のディケイドへの希望に溢れていた。

ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズなどおマンチェ勢以外にも個人的には1stアルバムが最高なプライマル・スクリーム、ロングヘアー・パンクスと呼ぶべきワンダー・スタッフやティーンエイジ・ファンクラブ、美メロ+ノイズ・ギターが信条のマイブラやライド等当時「ハッピー・ヴァレー」と呼ばれたシューゲイザー一派。特に好きだったのはグラスゴーのスープ・ドラゴンズ。流行に合わせてサウンドを変えるカメレオン・バンドと揶揄されたが、バブリーな時代を象徴するやりたい放題のスタイルはある意味極めつけだったと思う。



ディスクガイドによれば1993年のスウェードのデビューがブリットポップの先鞭をつけたとある。英国ではそうだったかも知れないが、日本のロック・ファンがブリットポップという言葉を強烈に意識したのは1994年のオアシスのデビュー作とブラーの3rd「パークライフ」であろう。ビートルズやザ・フーやキンクスなどの60年代英国ロックの影響を全開にしたメロディー主導型の楽天的なサウンドは、退廃的で過激なグランジに付いていけない人々の大きな支持を集めた。

根っからのB級好きの私にとっては有名バンドよりもブームの中で花火のようにパッと咲いて忘却の彼方に消えていったバンドの方に愛着がある。第1回でも書いたが、最も好きだったのはロンドン出身のトリオ、ドッジー。レイヴ禁止法案クリミナル・ジャスティス・ビルへの抗議活動やマリファナ合法化運動を打ち出した社会派でありながら、ロンドンいちのパーティー好きバンドとしてタブロイド紙を賑わせた彼らの楽天的なサウンドには素晴らしいメロディーと美しいハーモニー、ブリティッシュ・ビート伝統のギター・ロックが溢れていて心を躍らせてくれた。昨年リリースされた再結成アルバムが素晴らし過ぎる。今週末のサマソニに再結成したキャスト来日するが、ドッジーも来日してほしいものだ。



デビュー当時はシューゲイザーだったブー・ラドリーズはギター・ノイズを排してキャッチーなメロディーを打ち出した「ウェイク・アップ・ブー!」の大ヒットで人気バンドの仲間入り。確かに時代を超えた名曲(今でもその印税で食えていけるかも)だが、逆にそのヒットのせいで一発屋のイメージがまとわりつくのは残念。



現在でも活躍する北アイルランドのアッシュは、現在は脱退してしまった女性ギタリスト、シャーロットの凛とした佇まいが好きだった。「トレインスポッティング」のダニー・ボイル監督、ユアン・マクレガーとキャメロン・ディアス主演映画「普通じゃない」の主題歌「ライフ・レス・オーディナリー」から参加したシャーロットは2006年に脱退するまでツイン・ギターとコーラスの要として活躍した。



ブリットポップは男性主導型のムーヴメントという印象があるが、シャーロットのように女の子も多く活躍した。シューゲの生き残りラッシュやガールズ・パンクのエラスティカ、ブリットポップ最高のフィメール・スターを自称するルイーズ率いるスリーパーなどがいた。個人的に好きだった(今も大好き!)なのは元キックボクサーという経歴のインド系コケティッシュ・シンガー、ソニア率いるエコーベリー。「女モリッシー」と呼ばれたソニアの健気な歌声には励まされた。マドンナやR.E.M.のお気に入りだったが2004年に解散。ソニアは現在ギターのグレンと二人でCalm of Zeroとして活動中。



ブリットポップには括られないが、同時代にグランジに影響された過激なサウンドを聴かせたのが元祖ガールズ・ゴシック・ヒロイン、ケイティ・ジェーン・ガーサイドを擁するデイジー・チェインソー。グラムとパンクを融合した名前通りノコギリのようなハードなギター・ロックに過激なファッション&アクションで歌うケイティはセンセーショナルだった。ブリットポップ勃興前にケイティは脱退してしまうが、後にクイーンアドリーナを結成、日本のヴィジュアル系ロックにも影響を与えた。



同様にグランジやハードコアに影響を受けた北アイルランドのトリオ、セラピー?はタイトでスピーディーなロックでブリットポップなどどこ吹く風の硬派スタイルを貫き通した。ギター&ヴォーカルのアンディ・ケアンズの鋭い眼光が忘れられない。現在も現役で活動中。



ブリットポップの裏でもいくつかのムーヴメントが発生した。ひとつは「トラヴェラー」と呼ばれた定住地を持たないジプシー風ライフスタイルを送る若者たち。レイヴ・カルチャーやネオ・ヒッピーと深い接点を持ち独特のコミュニティを形成していた。最も有名なのはレヴェラーズだろうが、ここではラップ+ハードコアのセンサーというバンドを紹介。来日公演は新宿リキッドルームで動員50人という最低記録を樹立、しかもラッパーが病気で声が出ずインスト演奏に終始したというトホホなバンドだったがサウンドはレッチリの英国版風で悪くない。現在でもしぶとく活動している。



ブリットポップの中心地はカムデンだったが、ノッティングヒル・ゲイトを中心に80年代から地下シーンで密かに盛り上がったプログレ/サイケ・リバイバルについても触れておこう。「Strange Things Are Happening」「Ptolemaic Terrascope」「Freakbeat」などのミニコミ誌が60~70年代のマイナーなプログレ/サイケを発掘すると共にポーキュパイン・トゥリー、サン・ダイアル、マジック・マッシュルーム・バンド、オズリック・テンタクルズなどコンテンポラリーなバンドを紹介した。特にオズリック・テンタクルズはゴングやソフト・マシーン、ホークウィンドなどを継承するトリップ感たっぷりの演奏を展開し日本のマニアックなプログレ・ファンにも高く評価された。彼らも現在でも精力的に活動している。



ブリットポップの隆盛によりロック界が「メロディー重視」「万人に判りやすいポピュラリティ」というポップ音楽の基本を再認識したという利点はあったが、過剰な商業主義により実験的だったシューゲイザーやインダストリアルなどのアーティストの活動が停滞したという功罪があったことも事実だ。それはともかく「ブリットポップ・ディスクガイド」は90年代に青春を過ごした方にはおススメの一冊である。

英国の
威信をかけた
五輪終わり

英国ロックの深き森はさらに鬱蒼と生い茂る。
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