A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

百鬼夜行の回想録~80'sインディーズ特集 第2回「ヴァニティ・レコード編」

2012年06月29日 00時13分24秒 | 素晴らしき変態音楽


懐かしブログ日本のインディーズ特集の第2回は東のピナコテカに対して西のヴァニティと呼ばれたヴァニティ・レコードを中心に関西アンダーグラウンドの音源を紹介しようと思う。地元吉祥寺のピナコテカに比べて大阪のヴァニティ・レコードについては情報が「ロック・マガジン」の広告・記事とレコード店に入荷した商品以外は殆どなく、しかもアーント・サリー以外は匿名性の強いアーティストが多かったので詳しいバイオは不明な点が多いことを予めご承知いただきたい。

ヴァニティ・レコードは、"テクノポップ"という言葉の命名者と言われる、「ロックマガジン」編集長の阿木譲氏主宰のレーベル。1978年の春に設立され第1弾のDADAのLP「浄」が1978年7月1日リリース、ゴジラ・レコードのミラーズの7インチ「衝撃X」が同年9月の発売だから、日本で最初の インディ・レーベルと言っていいだろう。1979年のロックマガジンの増刊号の「MODERN MUSIC」にてヴァニティ・レコードの今後の活動方針として以下の記述がある。『1.エレクトロニクス・ミュージック、2."家具としての音楽"シリーズ(現代音楽)、3.歌謡曲業界への進出、4.実験的な新しいヴィジョンを持つ音楽(パンク、ニューウェイヴ、フリーミュージック、現代音楽等)を追求し、レコード製作していきます』。阿木氏は元々1967年に歌謡曲の歌手としてデビューしたからその歌謡曲指向も理解できる。



1970年代後半の関西アンダーグラウンド・シーンには東京ロッカーズに呼応した「関西NO WAVE」と呼ばれるバンド群がいた。アーント・サリー、INU、ULTRA BIDE、SSの4バンドを中心にパンクの影響を受けたDo It Yourselfの活動を展開した。京都のロック喫茶「どらっぐすとうあ」を中心にプログレ、フリージャズ、現代音楽、パンク等のアングラ音楽の影響が伝播した状況は非常階段のバイオ本「非常階段 A STORY OF THE KING OF NOISE」に詳しい。JOJO広重さんは1984年6月にアルケミー・レコードを設立すると、OriginalシリーズとしてULTRA BIDE、SS、INUの1979年のライヴ音源をレコード化した。







そんな中ヴァニティ・レコードは1979年5月にアーント・サリーのデビューLPをリリース。当時吉祥寺のレコード店ジョージアでこのLPを手にした私はクラッシュの2nd LPとどちらか迷って結局クラッシュを買うという愚挙に出たことは以前書いた通り。その後PASS RECORDSから出たPHEWのソロ作品を聴いてNICOを髣髴させる冷徹なヴォーカルに驚嘆した。アーント・サリーは1980年代半ばにコジマ録音がバンドに無断でリイシューしたLPで初めてその音に接したが、正に鳥肌モノの歴史的傑作だった。2002年にいぬん堂が正規CD化(現在は廃盤)、P-Vineからは未発表ライヴCD「ライヴ 1978-79」がリリースされた。



「ロック・マガジン」は東京の書店には入荷したりしなかったりでヴァニティ・レコードのリリースの全貌は分からなかったが、1980年にEPが3枚一挙リリースされたことを知ったのは「Fool’s Mate」や「Marquee Moon」誌上か佐藤薫さんのFM番組だっただろうか。Mad Tea Party、Sympathy Nervous、Perfect Motherの3アーティストで白いジャケットにポラロイド風の写真を貼り付けたジャケットが印象的だった。新品では買わなかったが後に中古盤で安く手に入れた。その中ではMad Tea Partyのデルタ5やレインコーツを思わせる腰砕けのギター・ロックが気に入った。1990年後半にネットでノイズ系のレコードを買い漁っていた時、ベルギーのレーベルでSympathy Nervousの名前を見つけ「これは日本人のバンドか」と確認したら「そうだ」というのでさっそくオーダーした。音的には当時ありがちなクラブ系テクノだったが、ヴァニティ・レコードの幻のアーティストが健在だったことに感動した。







1980年9月発行の「ロック・マガジン33号」の付録に滋賀の突然変異体ほぶらきんのソノシートが付けられたのは阿木氏の先見の明か。当時彼らのライヴEP「ホームラン」を入手した私はその凄まじさに驚嘆し、さっそくほぶらきんのカヴァー・バンドを結成したほどの衝撃だった。後にアルケミー・レコードからコンピレーションCDやライヴCD/DVDがリリースされたが、このソノシート音源は未CD化である。



ヴァニティ・レコードは1981年まで存続し、その間にいくつかの匿名的アーティストをリリースした。その殆どがエレクトロ/テクノ・ミュージックであり、いくつかは昨年CD化された1981年リリースの佐藤薫さんプロデュースのコンピ2LP「沫 FOAM」に収録されている。









ヴァニティのオリジナルLPは中古盤店をまめに探せば「アーント・サリー」以外はそれほどのプレミアもなく購入できるが、可能であればまとめてCD化を望みたい。昨年阿木氏が主宰するクラブ” nu things JAJOUKA”関連のツイッターで10枚組CD Boxがリリースされらしいとの情報があって胸をときめかせたが、どうもデマだったようだ。

ヴァニティ・レコードの第1弾アーティストDADAの小西健司氏(のちにP-Model)、フュージョン・グループの99.99­(フォー・ナイン)に在籍していた成田忍氏と横川理彦氏(のちにメトロファルス)にイベンターの中垣和也氏の4人組テクノ/エレクトロ・ポップ・ユニットでEP-4と並び称された4-Dは雑誌の付録でソノシートが無料シリーズ化されていたのを覚えている。当時の音源が「Die Rekonstruktion」としてCD化されており、9月には再結成ライヴがあるのを知りビックリ。



ボアダムズの山塚EYE氏が1980年代半ばにやっていたユニット、ハナタラシは極端に破壊的なライヴでセンセーションを巻き起こしたが、残した作品はノイズの傑作として楽しめる内容になっている。アルケミーからリリースした1stと2ndは未だ正規CD化されていない。広重さんによれば既にマスターテープはデジタル・リマスター済で、正式にオファーがあればいつでもリリースできる状態とのこと。どなたかEYE氏と交渉して正規リリースして欲しいものだ。



アコーディオンを弾きシャンソン風の歌を聴かせる個性派シンガー・ソングライター須山公美子嬢が在籍していたNO WAVEバンド、変身キリンは「ロック・マガジン」のメンバー募集で結成された。1979年末に限定200枚でリリースされたオムニバスLP「どっきりレコード」にINU、ULTRA BIDE、ALCOHOL 42%、CHINESE clubと共に参加。1982年にEP「8月4日に」をゼロ・レコードからリリース。その唯一のEPにライヴ音源を追加したCD「変身キリン」とそれ以降80年代半ばの音源を集めたCD「その後の変身キリン」がリリースされている。



★読者だけの特別付録:JOJO広重氏(非常階段)、美川俊治氏(非常階段、インキャパシタンツ)、林直樹氏(NG)、八太尚彦氏(ジュラジューム)など関西ノイジシャンによりレコーディングされ、1982年頃ピナコテカ・レコードからカセットでリリースされたユニット「阿部怪異」の音源がココで聴けます。
[6/29お詫び:昨夜アップロードしたはずなのですがリンクが繋がりません。今夜確認しますのでお待ちください→リンク先を訂正しました。これで聴ける筈ですが、もし聴けない場合はコメント欄に記入して下さい]

関西に
うぬぼれ(=vanity)ありと
人は言い

現在も独自のアンダーグラウンド音楽シーンを形成する関西ロックの世界は奥が深く現地にいなければ分からないことも多い。JOJO広重さんや山本精一さん、オシリペンペンズや下山gezanなどを始めとする西からの風から目を離してはいけない。
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エレガントで曖昧な家具の音楽~新生ペンギン・カフェ来日に思う

2012年06月28日 00時34分51秒 | こんな音楽も聴くんです


新生ペンギン・カフェの来日が静かな話題になっている。
1973年にロキシー・ミュージックを脱退し、2作のロック・アルバムをリリースしたブライアン・イーノは、70年代半ばから前衛的な現代音楽、ニューエイジ的な作風を展開するようになり、自らの知名度を活かしてそれまで光の当たらなかった音楽を世に紹介する活動を始めた。その第1弾がOBSCUREレーベルだった。1976年に設立されたこのレーベルは現代音楽、実験音楽界の知られざる作品を集めた個性的なコンセプトのレーベルで、全部で10作のアルバムがある。イーノ自身はもちろん、ギャヴィン・ブライヤーズ、ジョン・ケージ、デヴィッド・トゥープ、ジョン・アダムス、マイケル・ナイマン、ハロルド・バッドといった現代音楽家の作品が、黒地の街の俯瞰写真に一部小窓が開いている統一されたイメージのジャケットに包まれ発表された。一枚買うと他のLPも買いたくなるアナログ時代ならではのジャケット・コンセプトが秀逸だった。その中にサイモン・ジェフズという作曲家を中心としたペンギン・カフェ・オーケストラによる「ペンギン・カフェへようこそ(Music From The Penguin Cafe)」というLPがあった。当初はレーベル・コンセプト通りの黒地のジャケットで何故かこれだけは小窓がなくシリーズの中で最も地味なアートワークだった。イーノ肝入りのシリーズということでサブカル系のリスナーがこぞって買い込んだ10枚の中で最もオシャレでとっつきやすいサウンドを提示していたのが彼らだった。坂本龍一氏と細野晴臣氏が影響を受けイエロー・マジック・オーケストラ結成のヒントになったとも言われている。日本では順番が前後するが2ndアルバムの大ヒットに続いて1982年にペンギン・キャラクターのイラストのジャケットに変更され国内盤がリリースされた。

OBSCUREレーベルはその10作品で任務を終えたが、キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、ELPなどのマネージメント会社EGマネージメントのレコード部門のEditions EGの第1弾として1981年にペンギン・カフェ・オーケストラの2ndアルバム「ペンギン・カフェ・オーケストラ」がリリースされた。ペンギン頭のユニークなキャラクターのポップ性も幸いして、アンビエント、ミニマル、テクノなどの音楽が注目を浴びた80年代に、お洒落な環境音楽/サブカルチャーの旗手として一世を風靡し、多くの先鋭的アーティストから支持され、フォロワーを生んだ。何度か来日し数々の映画や舞台、CMで楽曲が使用された。その影響で吉祥寺や国立、その他日本各地に「Penguin Cafe」という喫茶店がオープンした。また当時日本のアングラ・ミュージシャンが集まり”ペンギン・カメ・オーケストラ”と名乗ってゲリラ活動をしていた覚えがある。誰に尋ねても正体は判らないが確かにいたことは間違いない。アングラ系の駄洒落ネタにされるほどポピュラーな存在だった証である。



1997年にサイモン・ジェフズが脳腫瘍で死去して以来、実質的な活動を中止していたが、イギリスで2007年にジェフズ没後10周年コンサートが行われた。日本では同年に坂本龍一氏のレーベル commmonsより、伊藤ゴロー氏プロデュースのベスト盤と坂本龍一、高橋幸宏、嶺川貴子、Steve Jansen、高野寛など豪華ミュージシャンによるトリビュート盤「PENGUIN CAFE ORCHESTRA-tribute-」がリリースされ再評価が高まった。2009年、サイモンの実子であるアーサー・ジェフズを中心に、メンバーも一新して新生「ペンギン・カフェ」として活動を再開。2011年には18年ぶりとなる新作「ア・マター・オブ・ライフ...」をリリースし、今年10月に来日公演が決定した次第である。

先日DOMMUNEにアーサー・ジェフズが出演、トーク+パフォーマンスがUstream中継された。仕事の合間に観ていただけだが、落ち着きのある芸術家然としたアーサーの父への愛情の籠った語り口や舞台芸術・映画音楽への思い入れ等サイモンの遺伝子が継承されていることを実感した。後半のパフォーマンスではアーサーのミニマルなピアノと伊藤ゴロー氏のアコギとのエレガントな演奏に10月の来日公演への期待が膨らんだ。



3日間の公演では日替わりで個性派ミュージシャンがサポートするが、何といっても最終日の相対性理論との対バンは売り切れ必至。プロモーターのオフィシャル・サイトで予約できるので興味のある方は今すぐアクセスすることをお勧めする。

エレガント
昔モーリア
今ペンギン

この機会にペンギン・カメ再結成なんて如何か?

▼サイモン・ジェフズが音楽を担当し、ディヴィッド・ビントレーが振付をしたRoyal Ballet Covent Garden公演の映像。


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菊地雅章TRIO@ブルーノート東京 2012.6.25 (mon)

2012年06月27日 00時31分49秒 | 素晴らしき変態音楽


菊地雅章さん=通称POOさんは1950年代末聡明期の日本ジャズ界に登場。1966年に富樫雅彦さんと共に渡辺貞夫カルテットに参加しレコード・デビュー。数々の国内外の大物ジャズ・アーティストとの共演を経て1973年にニューヨークへ移住。以来本場の米国ジャズと日本ジャズの橋渡し役として高い信頼と尊敬を集める孤高のピアニストである。1981年にリリースした「SUSUTO」は1990年代にクラブDJにより再評価され、現在でもクラブ・ジャズのクラシックとしてターンテーブルを賑わせている。

私がPOOさんにのめり込むきっかけは1996年に甥のベーシスト菊地雅晃氏とアヴァンギャルド界の帝王ドラマー吉田達也氏と結成したSLASH TRIOである。ロック的な激しいインター・プレイの連発に一発でヤラれてしまった。横浜Motion Blueにライヴを観に行き、POOさんが息子ほどに歳の離れた二人と対等に渡り合う堂々とした演奏に痺れたものだ。

POOさんは山下洋輔さんや高柳昌行さんとは一線を画してフリー系の人脈ではない。マイルス・デイヴィス、ギル・エヴァンス、富樫雅彦さんといったジャンルに捉われない幅広いマルチな音楽性持つアーティスト性を継承する存在、というのが定評である。今年春ECMからリリースされた「サンライズ」は昨年急逝した人気ドラマー、ポール・モチアンの遺作ということもあり高く評価された。

POOさんがトーマス・モーガン(b/「サンライズ」にも参加)とトッド・ニューフェルド(g)との通称”TPTトリオ”で来日公演を果たした。POOさんの演奏を観るのは10数年ぶり。72歳という高齢でNY注目の新進気鋭のミュージシャンとどのような対話を繰り広げるのだろうか。外見的には15年前と殆ど変っていないPOOさんがステージに上がる。独特の思索するような丁寧な鍵盤さばき。同じピアニストでも洋輔さんの鍵盤上を駆け回る指と肘打ちの動きとは全く違い、鍵盤上に身体を折り曲げるように覆い被さって独特の唸り声を発しながら一音一音選ぶように弾く。そこから生れ出る音の粒が拡散し、トーマスの漂うようなベースとトッドのデレク・ベイリー的な音数の少ないギターと絡み合う。洋輔さんがアクション・ペインティングならPOOさんは点描画である。聴く者は意識的に浮遊する音の粒つぶから自分なりのフレーズを選び出して聴覚を刺激しなければならない。圧倒されるフリージャズの轟音とはまた違った、聴く行為に問題定義するような緊張感溢れる90分間だった。この空間的な演奏はまさにジャズは生じゃなきゃ分からない、ということを如実に証明していた。



POOさんは
ジャズを超えて
空を舞う

洋輔さんより3歳年上のジャズ界の大御所は俯きがちに楽屋へと消えて行った。ジャズ界のシューゲイザーか?
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ザ・クロマニヨンズ@新木場 STUDIO COAST 2012.6.24 (sun)

2012年06月26日 00時49分41秒 | ロッケンロール万歳!



2月9日鹿児島を皮切りにスタートした全国57公演に亘るザ・クロマニヨンズTOUR「ACE ROCKER 2012」も終盤を迎えたSTUDIO COAST公演。このツアーには2月の渋谷AX、5月の渋谷公会堂に続いて3回目の参戦だが、会場が変わると客層もノリも微妙に変わることに気がついた。ツアー初盤のAX公演には発売と同時にニュー・アルバム「ACE ROCKER」を購入したコアなファンが多く、全員ヒロト状態で会場が一体となる。中盤の渋谷公会堂は椅子のあるホールなので比較的年齢層が高く客席も礼節を守ってロケンローに揺れていた。終盤のSTUDIO COASTでは圧倒的に若いファンが多く、クロマニヨンズの快進撃に「突撃ロック!」しようという熱気で満ち溢れている。会場に入って余りのぎゅう詰め状態に驚いた。STADIO COASTでは今まで何度もライヴを観たことがあるが、これほどまでに満員でしかも物理的に熱いライヴは初めて。何とか階段のステージが良く観える位置を確保したが、演奏中前や後ろから押しくら饅頭状態で足元が危うい瞬間もあった。それでも全く気に成らずヒロトの歌に腕を振り上げ大合唱する観客たち。前の方では血の気の多い若者たちが人間サーフィンしている。


毎日のようにツアーが続くのでバンドも今どこで演奏しているのか忘れてしまうらしく、ヒロトは目印に東京なら「ト」と書いたマークをステージに貼っているらしい。ツアーの最初の頃は冗談か本気か分からないMCを飛ばしていたが、今回は唯一「スカイツリーは江戸タワーと名前を変えた方がいいな~。火の見やぐらを付けて東京タワーに対抗すればいい。東京の皆さん、石原慎太郎知事に会ったら伝えといて下さい」と語ったのみで、後は「どんどん行くよー」とか「まだまだロッケンロー!」と客を煽る煽る。

アンコールの「メキシコの風」(ミラーボールでギラギラ照明)~「突撃ロック」~「弾丸ロック」の流れが最高過ぎて笑いが止まらない。観客は全員汗だくで幸せな顔をしている。「楽しかったよ!また絶対やろうなロッケンロール!」というヒロトの叫びは本当に演奏を楽しんだ喜びに満ちていた。

[6/28追記]
Set List
1.他には何も
2.欲望ジャック
3.バニシングポイント
4.ゴー・ゲバ・ゴー
5.シャイニング
6.ハル
7.ライオンとサンシャイン
8.ワハハ
9.伝書鳩
10.連結器よ永遠に
11.スピードとナイフ
12.自転車リンリンリン
13.グリセリンクイーン
14.底なしブルー
15.ひらきっぱなし
16.オートバイと皮ジャンパーとカレー
17.紙飛行機
18.エイトビート
19.雷雨決行
20.ナンバーワン野郎!
-----------------------
21.メキシコの星
22.突撃ロック
23.ギリギリガガンガン
24.弾丸ロック







おしまいは
沖縄公演
南国だ

夏フェス出演も続々決まっているが、その合間を縫って新作のレコーディングをするのだろう。来年のツアーが今から楽しみでならない。


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百鬼夜行の回想録~80'sインディーズ特集 第1回「ピナコテカ・レコード編」

2012年06月25日 01時07分39秒 | 素晴らしき変態音楽


Facebookの友人がパブロ・ピカソという1980年代のインディ・バンドの音源を紹介していたのに刺激されて、YouTubeで探してみたら当時の自主制作ソノシートや7インチ/LPの音源を色々発見した。高校時代そんなに小遣いがなかった頃は、吉祥寺や下北沢の輸入・中古レコード店を巡り少しでも安くレコードを手に入れようとエサ箱を漁ったものだが、1枚300円程度のソノシートは金のない高校生にはうってつけで、ジャケットとレコード店員の手書きコメントを参考に買い漁った。無名のバンドでもかなり面白いものも多く、文字通り擦り切れるまで聴いた。「Fool's Mate」「ZOO」「宝島」といったサブカル音楽誌とイラストレーターの八木康夫(現ヤギヤスオ)さんが「Player」誌に書いていた「PIPCO'S」という連載、それに坂本龍一さんや佐藤薫さんが深夜のFMでやっていたインディーズ紹介番組が頼りだった。

その多くは15年くらい前インディーズ・ブームの頃に売り払ってしまったか、段ボールに詰めて押し入れの奥に眠っているかで聴くことが出来ないのでYouTubeはたいへん便利である。また新生PASS RECORDSやテレグラフ・レコードやいぬん堂、PSFなどのレーベルが当時の音源をCDリイシューしてくれるのも嬉しい。そこから再評価されEP-4やアレルギーのようにバンド自体が再活動始めるのも歓迎したい。

中3の時金沢から東京へ引っ越し初めて吉祥寺へ遊びに行った時ジョージアJr.というレコード店で見つけたインディー・レーベルの先駆者ゴジラ・レコードの第1弾シングル。「Player」誌のニュース欄に紹介されていて気になっていたものだったが、そこに「泉谷しげるを思わせる」と書いてあり、当時は泉谷さんはフォークの人というイメージが強かったのでイマイチ買う気にならなかった。後に買っとけば良かったと何度後悔したことか分からない。今ではPASS RECORDSからのコンピレーションCDで音を聴くことが出来る。ミラーズは東京ロッカーズの中では一番好きで何回もライヴハウスへ観に行った。

MIRRORS - Live at 新宿LOFT_1978.3.31


主に吉祥寺でレコード店巡りをしていたこともあり、吉祥寺マイナーの店長佐藤隆史さんが設立したピナコテカ・レコードの作品情報が豊富だった。最初に出たのがオムニバスの「愛欲人民十時劇場」で次が灰野敬二さんの「わたしだけ?」。灰野さんは当時吉祥寺に住んでいたので街中で時々見かけることがあったが、実際のライヴは観たことがなかった。LPは購入せず、当時流行り始めた貸しレコード店で借りてきてカセットにダビングした。黒字に黒い文字で印刷された歌詞をノートに丁寧に書き写した覚えがある。内なる衝動が、音だけじゃ物足りないと駆り立てたのかもしれない。



ピナコテカの特徴的作品に三角ジャケットのEPがあった。具体的には2作品「ANODE/CATHODE」と「コクシネル」である。アメリカの実験音楽ユニットの70年代半ばの極秘セッション音源と紹介されていた「ANODE/CATHODE」にはおまけでメジャーなアーティストのシングル盤が同封されており、私が買った盤には矢沢永吉のシングルが入っていた。友人は演歌のシングルが入っていて「永ちゃんが当たってラッキーだな」と羨ましがられた。このバンドが実は京都のどらっぐすとうあ周辺に活動していた「第五列」だったという真相を知ったのはつい数年前。



「コクシネル」の三角ジャケ、通称「福助ジャケ」はその友人が好きで購入したのをダビングさせてもらった。PHEWのように凛とした存在感のある女性ヴォーカルとヴァイオリンの調べが郷愁を誘う曲調が好きでよく聴いていたが、数年後にメジャー・レーベルからリリースされた12インチ「ボーイズ・トゥリー」では如何にもニューウェイヴ的な単調なビートが主導権を握っていてちょっとガッカリした。両作ともいぬん堂からCD再発済。



もうひとつ印象的だったのはノイズ・ユニットNORDのLPである。当時イギリスではスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールなどがインダストリアル・ミュージックとして話題になっており、アメリカでもロサンゼルスのLAFMSの活動が伝えられ、ノイズや電子音楽への興味が刺激されていた。そこへ日本からの回答としてリリースされたのがNORDだった。これも最初は貸しレコードで聴いたのだが想像以上の刺激的ノイズに痺れまくった。特にB面全体を占める「Utopie」という曲のノンメロディで展開されるドラマチックなサウンドスケープにはそれまで聴いてきたプログレ・バンドの組曲よりも遥かに感動した。未CD化。この頃のNORDは片山智氏と及川洋氏のデュオだったが、その後片山NORDと及川NORDに分裂し、片山NORDに伊藤まく氏が参加、メルツバウやKK NULLと共演を重ね活躍した。伊藤まく氏はjapanoise.netを主催、日本のノイズの普及に尽力する重要人物である。



ピナコテカ最大のヒットは山崎春美さんの「タコ」だろう。当時春美さんはいろんな名前のユニットで活動していたので、私が果たしてタコを観たことがあるかは判然としないが、このアルバムは「タコ」の名前を使いつつ、坂本龍一さんをはじめ当時のサブカル系を代表する多数のゲストを集めたプロジェクト作品である。初回盤には歌詞カードが入っていたが、差別用語問題でセカンド・プレスからは入っていない。私が買ったものも歌詞カードのないLPだったので貸しレコード店で借りてきて歌詞カードをコピーした。昨年セカンド12インチと一緒に紙ジャケ再発され詳細な関係者の証言を収めた解説書で当時の事情が明らかにされた。



「PUNGO」は八木康夫さんの連載で知った。パンク+タンゴ=パンゴ、というこれまた不定形ユニットで、菅波ゆり子(accordion)、 篠田昌巳(as)、佐藤隆史(ds)、 佐藤幸雄(g)、 今井次郎(b)、 石渡明廣(g) 、久下恵生(ds)など故・篠田さん以外は今なお現役で活躍中のミュージシャン中心。レコードのレーベル面は1枚毎に違う模様の壁紙が貼られていて10数ページの写真集が付いている。これも「WALTZ」というタイトルでCD化されている。

PUNGO - 新テーマ( New Theme / 1981)


ピナコテカから出す予定だったのがある理由で別の自主レーベルからリリースされた竹田賢一さん率いるA-Musik(アームジーク)の「E Ku Iroju」も忘れがたい。チリの有名なプロテスト・ソング「不屈の民」をはじめ世界各国の革命歌・大衆歌を収録した重厚な存在感のある作品で、楽曲解説や各地の抵抗運動の写真を掲載した豪華なブックレット付。何故ピナコテカから出さないか、ということについてはピナコテカ発行のフリーペーパー「アマルガム」に佐藤隆史氏が長文の声明文を書いていた。CD化が望まれる名作である。



残念ながらYouTubeでもニコニコ動画でも音源が見つからなかったが、芳賀隆夫氏の「Piyo Piyo」というサックス・ソロのLPには同じサックス吹きとして大きな影響を受けた。阿部薫さんの弟子とのことで、1980年代は時々ライヴハウスで名前を見かけたがそれ以降全く見なくなってしまった。「芳賀隆夫」で検索したら、1979年11月4日明大"駿台祭"に於けるVedda Music Workshop(竹田賢一, 鈴木健雄, 風巻 隆, 河原淳一, 臼井弘之, 大里俊晴, 園田佐登志 ほか)の貴重な音源がSoundcloudに上がっていたのでリンクしておく→ココ

まだまだ紹介したい音源は残っているのだが、ピナコテカで字数を使い過ぎた。続きはまた後日。

ピナコテカ
雑貨屋さんも
ありまする

懐かしブログの連発だな~。

[6/28追記]
▼ピナコテカ・レコードのフリーペーパー「アマルガム」


▼ぎゃていの機関誌「GATTY通信」


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CAN未発表音源集発売記念~西独逸流星群「クラウトロック特集」

2012年06月24日 00時51分52秒 | 素晴らしき変態音楽


クラウト(酢漬けキャベツ)ロック=1960年代末~70年代ジャーマン・プログレ/エレクトロ・ミュージックが注目を浴びている。

クラウトロックの代名詞CANの3枚組未発表音源集「The Lost Tapes」がリリースされた。ドイツ・ヴァイラースヴィストにあるCANのスタジオで最近見つかったという30時間以上のテープから編集。1968年から77年にかけてレコーディングされたスタジオ・セッションやライヴ、そして映画のサントラ用に制作した未発表曲など、いずれもこれまで正式にリリースされていなかった音源を収めている。収録曲30曲のうち10曲がコチラでフル試聴可能。
7月半ばから1ヶ月間CANの2代目ヴォーカリストのダモ鈴木さんの日本ツアーが決定。北は旭川、南は大阪まで全12公演予定、各地の様々なミュージシャンとセッションを行う。



3月にはノイ!の4枚のアルバムが紙ジャケCD化され「I'll Be Your Mirror」フェスティバルでオリジナル・メンバーのミヒャエル・ローターが来日する予定だったが、残念ながらイベントが延期になってしまった。アッパーな多幸感に満ちたハンマービートはまさにサイケデリック・テクノの元祖。秋に来日公演が決まったポール・ウェラーの新作「ソニック・キックス」はノイ!の影響を受けているとウェラー自身が語っている。



7月上旬にはクラフトワークが反原発イベント「NO NUKES 2012」に参加のため7年ぶりに来日する。YMOに先んじたリズムマシーン+シンセの多用でテクノポップの創始者として知られる彼らだが、結成当初はフルートとギターのインプロヴィゼーションを核にしたアンビエント・トランス・サウンドだった。



ジミヘンとフリージャズに影響されたアシッドなギター・ロックを聴かせるグル・グルのドラマー、マニ・ノイマイヤーはダモさん同様毎年のように来日し日本のアンダーグラウンド系ミュージシャンとセッションを繰り広げる。特にアシッド・マザーズ・テンプルと共演したアシッド・マザーズ・グル・グルは海外でも知られる。グル・グルとしても現役でドイツを中心にヨーロッパで精力的にツアーしている。



今年になってからの逃亡犯逮捕劇で再び記憶に蘇るオウム事件の当時のTV報道のBGMで流れてプログレ好きの間で密かにブームになったタンジェリン・ドリームは昨年のフジロックに出演予定だったがキャンセルになりファンを失望させたが、彼らも精力的にCDリリース/ツアーを行っている。



1970年代4枚のアルバムを発表して忽然と姿を隠し長年謎の存在だったファウストは1990年代に復活し97年には初来日を果たし、新宿リキッドルームで発煙筒を炊いて煙の充満した会場から観客が避難するという騒動を起こした。現在でも活動中だが、サウンド的にはB級オルタナに成り下がってしまったとも囁かれている。



1967年ミュンヘンで結成されたコミューン・バンド、アモン・デュールは翌年には政治的姿勢を貫いたアモン・デュールIとミュージシャン志向のアモン・デュールIIに分裂し、女性ヴォーカル、レーナテ・クナウプを擁するIIの方が人気を博し、ドイツを代表するロック・バンドとして活躍。1996年に来日し往年のサイケデリック・ロックを聴かせてくれた。



ハンス・ホアキム・ローデリウスとディーター・メビウスのデュオ、クラスターは70年代後半ブライアン・イーノとのコラボレーションを経てエレクトロ・ミュージックの元祖として現在でも活躍中。2010年に代官山ユニットの6周年パーティーで来日した。



ジャーマン・エレクトロを代表するクラウス・シュルツェは一貫して電子楽器/シンセサイザーによる実験音楽を追求、世界的電子音楽家として高い評価を得ている。2010年に来日公演を観たが、喜多郎を思わせるニューエイジ・ミュージックに堕してしてガッカリした。



ギタリスト、マニュエル・ゲッチングを中心とするアシュ・ラ・テンペルは初期のドラッグ・ミュージックから70年代半ばにミニマル・ミュージックをいち早く取り入れ、ロックのミニマル化の祖となった。2008年にはマニュエル・ゲッチング & アシュラ名義で来日し、テクノフェスティバルMETAMORPHOSEでライブを披露した。ここでは最初期のマニュエル(g)、クラウス・シュルツェ(key/ds)、ハルトムート・エンケ(b)による1971年の54分に亘るライヴ音源を紹介。



独逸から
吹き続ける風
お酢っぽい

現代の自覚的ロックやクラブ・ミュージックにクラウトロックの影響は色濃く引き継がれている。


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アーバンギャルド/AYABIE/真空ホロウ@渋谷クラブクアトロ 2012.6.20 (wed)

2012年06月22日 00時22分37秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


東名阪・病めるアイドルを探せ!ツアー。
6/2名古屋ell.FITS ALL、6/3大阪心斎橋 Pangeaと続いたアーバンギャルドの「病めるアイドルを探せ!ツアー」の東京公演が、新世代アイドルぱすぽ☆との共演曲「萌えてろよ」も収録して話題のニュー・シングル「病めるアイドル」、DVD+CD「アーバンギャルドのSHIBUYA-AXは、病気。」の発売日に渋谷で開催された。

開演が6時半と早かったので、終業時刻すぐに出て最初のバンドのAYABIE(アヤビエ)のエンディングにギリギリ間に合った。扇子を振ってアゲアゲの歌を聴かせるチャラ男キャラのヴォーカリストが率いるヴィジュアル系バンドで、10~20代女性中心に満員の客席でもたくさんの扇子が揺れている。何者かと思ったら、ヴィジュアル系の人気バンド、彩冷えるの元メンバーが2010年に結成したバンドだった。道理で人気があるわけだ。ヴィジュアル系のライヴを観るのはYOHIO以来だが、アーバンギャルド自主企画のイベントなのでヴィジュアル系以外のファンが多い中かなりの盛り上がりを見せたのは実力故か。なかなか面白いステージだった。



2番目は真空ホロウ。今どき珍しいくらい真摯なギター・ロックを聴かせる3人組だが、茨城弁丸出しの朴訥としたMCが微笑ましくて好感が持てる。結成3年目の若手だが既に「Rock In Japan」や「Countdown Japan」といったフェスにも出演経験のある注目株である。会場を埋めたアーバンギャルも温かい拍手で迎えいい感じでクアトロが温まってきた。



最後がお待ちかねのアーバンギャルド。客電が落ちると無数の赤い水玉の旗が宙を舞い黄色い歓声が上がる。黒地に白の水玉模様のシャツに色違いのネクタイを締めた松永天馬氏(Vo)、瀬々信氏(G)、谷地村啓氏(Key)、鍵山喬一氏(Ds)の男性陣と、赤の水玉ワンピースに真っ赤なカーディガンを羽織った浜崎容子嬢(Vo/以下よこたん)がステージに登場。「こんにちはアーバンギャルドです」と挨拶すると、そのまま楽器を持たずよこたんを先頭に一列に並ぶ。なんとカラオケ振り付きで新曲「病めるアイドル」。YouTubeで公開中の”「病めるアイドル」本人だけど踊ってみた”の動画そのままのパフォーマンス。それが終わると戦隊モノ風に色分けしたメンバー紹介に続き「アーバンギャルドでした。どうもありがとうございました」と退場してしまった。え~もう終わり?マゾンナか!と驚く間もなく会場から巻き起こる「アンコール!アンコール!」のかけ声。1曲でアンコールなんて前代未聞じゃない?



アンコールに応えて登場した5人は今度はバンド編成でお馴染みの曲を次々披露。大歓声と一斉に振られる赤い水玉フラッグ。お約束の「セックスはお好きですか~」のコール&レスポンスに続きDVD「アーバンギャルドのSHIBUYA-AXは、病気。」のBonus Track CD「不良少女のアーバンギャルド」収録の新曲「コスプレイヤー」も披露。よこたんがしっとりと歌う「生まれてみたい」ではアーバンギャル&アーバンギャルソン達が水を打ったように静かに聴き入る様が面白い。あとはノリノリのトラウマテクノポップで一気に盛り上がる。60分の”アンコール”が終わり、2度目のアンコール。「スカイツリー」と「コスプレイヤー」絡みの下ネタに話を持って行こうとする天馬氏とそれを軽くいなすよこたんのやり取りが最高に笑える。ワル乗りが過ぎてMCが長びき予定演奏時間を大幅に越えてしまったようだ。ラストは「堕天使ポップ」のパワフルな演奏で90分のステージは終了。





6/20渋谷クアトロセットリスト
[6/23追記:オフィシャルブログ「浜崎容子の普通の恋」より]
病めるOPSE
01.病めるアイドル
(アンコール1)
02.プリント・クラブ
03.スカート革命
いつものアレ
04.ベビーブーム
朗読
05.ファッションパンク
「私になって、生まれてみたい」
06.生まれてみたい
くどくどMC
07.コスプレイヤー(新)
08.ときめきに死す
(アンコール2)
09.堕天使ポップ

この日は発売日ということでCDおよびDVD購入者に握手会&サイン会の大サービス。生アーバンギャルドに会えて大感激のファンの顔はみんな笑顔で輝いていた。時計を見たらもう10時半。3組とも毛色の変わったバンド揃いのユニークで楽しいイベントだった。

わかってる
アーバンギャルは
楽しみ方の天才だ

7月の『病めるアイドル』リリースパーティ 「アーバンギャルドの病めるアイドル五番勝負!!!!!」の最初の4公演はほぼソールド・アウトだが、7月23日の恵比寿リキッドルームでの「アーバンギャルド VS ぱすぽ☆」公演は若干チケットが残っているらしい。今すぐチケットGETに走れ!
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アーバンギャルド、ニュー・シングル&DVDリリース

2012年06月21日 01時23分00秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


昨日6月20日はアーバンギャルドのニュー・シングル「病めるアイドル」とDVD+CD「アーバンギャルドのSHIBUYA-AXは病気」の発売日。渋谷クラブクアトロで「病めるアイドルを探せ!ツアー」の東京公演が開催された。会場を埋めた10~20代のセーラー服や水玉模様に身を包んだアーバンギャル&アーバンギャルソンにとっては目の前のバンドの演奏こそがすべてなのである。彼らの姿勢は100%正しい。詳しいレイヴレポは明日のブログに書くが、明朝までにNatalie用の原稿を書かなければならない。共演バンドも含めしっかりライヴを楽しんだのでいい文章が書けそうだ。[6/21全面改定]

▼ファンの自作メッセージを集めた愛のあるPV



前衛都市
遊んだ夜には
夢を見る

いつか天馬氏とじっくり音楽談義をしたいものである。








コメント (2)
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ネコ動画64:この穴気になるニャ…… ギターの中に入りたいネコ

2012年06月20日 01時18分33秒 | ネコ動画


鍋や紙袋など、変なところに入りたがるネコは多いですが、今度はギターの中に入りたいネコが現れました。

ネコちゃんが入りたいのは、飼い主さんのアコースティックギターの中。弦が張られていないことに気付いたのでしょうか。何度か中を覗き込んだり周りをウロウロした後、ベッドの上から頭をグイッ! ちょっと無理な体勢ですが見事にギターの中に全身がおさまってしまいました。

しかし、こんなに狭くて暗い場所に入ってどうしようというのか……。ネコちゃんも少し慌てたのかもしれません。せっかく苦労して入ったのにすぐにあたふたと出てきています。

ネコは頭さえ通ればどこにでも入ることができる、と言いますが、そのポテンシャルをいかんなく発揮しているこの動画。現在では22万回以上再生されています。
(ねこらぼ)


ギターネコ
ニャンコギター
どんな音?

穴があったら入りたい。
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アルトー・ビーツ「スペシャル全席かぶりつきライヴ」@渋谷 Bar Isshee 2012.6.17 (sun)

2012年06月19日 00時10分59秒 | 素晴らしき変態音楽


アルトー・ビーツ日本最終公演はBar Issheeでの20名限定「スペシャル全席かぶりつきライブ+パーティ」。

行ったことのある方ならご存知の通り、Bar Issheeはただでさえ20名もお客さんが入ると満席という狭いスペースである。そこにドラム、ベース、シンセ、キーボード+マル秘ゲストの5人のミュージシャンの機材をセッティングするのだから、否応なくかぶりつき状態になる。前日のワークショップの参加者や、タケダさんをはじめライヴに来ていた方もチラホラ。Bar Issheeが初めての方も多く会場狭しとセットされた機材に驚いている。早めに入場したのでど真ん中前列の最高の席を確保。この会場は狭さ故にお客同士すぐに仲良くなる。後ろに座っていた方が「吉祥寺Gattyみたいだな~」と話していたのを耳にはさみ「私そこでカウンターやってました」と話しかけしばしGatty話に花が咲く。というかGattyを知っている人に会う事自体滅多にないレアな出来事なので嬉しくて溜まらなかった。折しも6月17日は雑誌「フールズ・メイト」の編集長でレコメン系ロックを日本に広く紹介した北村昌士氏の命日。その日に元ヘンリー・カウのメンバーのライヴを観ることになるとは不思議な因縁を感じる。

急遽立ち見の当日券を出したから、入口からカウンター前にかけてはトイレに行くのも一苦労の激混み状態。出演者ですら人と機材を掻き分けないとステージに辿りつけない有様。開演時間になるとユミさんが登場し撮影・録音に関しての注意事項~基本的に自由に撮影・録音していいが、そのデータをバンドに提供すること~を告げる。

1stセットはジョン・グリーヴスのピアノ弾き語り。ヘンリー・カウではベーシストの印象が強いが、ソロ・アルバムやコラボ作では流麗なピアノと味のあるヴォーカルを聴かせる。ピアノの最初のフレーズと歌い出しを聴いた途端に「うわ~カンタベリーだ」と思った。ロバート・ワイアットやソロ公演が素晴らしかったピーター・ハミルなどを髣髴させる英国らしい陰影に溢れた心に滲みるメロディーと感情表現豊かなヴォーカルに夢心地になる。フランス在住のジョンは詩人ヴェルレーヌの詩に曲をつけたアルバムを発表しており、そこからフランス語の曲も披露。前日物販で「Verlaine」というタイトルのCDを見て元テレヴィジョンのトム・ヴァーレインと共演してるのかなと勘違いしていた(汗。50分近くに亘るセットの最後の曲にジェフ・レイがフルートで参加。フルート好きには堪えられない感動的な演奏だった。



休憩中に知り合いの音楽評論家の佐藤英輔さんやdoubt musicの沼田さんと話し込む。ユミさんがマイクを持って物販CDの紹介をして、売れる度に「○○さんお買い上げ~」と拍手が起こりまるでホストクラブ状態。この家庭的な雰囲気が彼らの最終公演に相応しかった。

2ndセットはアルトー・ビーツの演奏。前日は自分の出演を控えており落ち着いて聴けなかったので、今回は集中してじっくりと耳を傾ける。眼の先50cmのところでジョンがベースを弾いている。その左奥にクリス・カトラーのドラム、正面にはジェフがシンセやエフェクターを乗せたテーブルを前に座っている。ユミさんのピアノは右手奥の照明が当たらない場所。かぶりつきというより演奏者に取り囲まれる状態。前日のワークショップでも気がついたが、彼らの演奏においてはヴォーカル・パフォーマンスがかなりの比重を占める。ヘンリー・カウ後期~アート・ベアーズでもダグマー・クラウゼを核とした「歌」に重きを置いていたが、ユミさん、ジョン、ジェフの3人がそれぞれ別々の歌/言葉を同時に発するスタイルはアルトー・ビーツならではの個性を形造っている。そしてその演奏の素晴らしさといったら!前日の演奏が小手調べに思えるような超絶なテクニックの応酬と技を超えた高次元の感性の発露。ワークショップで彼らが語っていた「即興演奏の本質」がその言葉通りに実践されていて今になって心と頭の中に収まり処を見い出す。各自がバラバラの方向に進んでいるうちに自然にグルーヴが生まれ一点を目指して駆け上がり、登り詰めたところで一気に拡散し無限大の世界に旅立つ。いくら拙い言葉で説明しても体験した者にしか分からない、サウンドに玩ばれるような感覚。まるで孫悟空が釈迦の手の上から抜け出せないように聴く者を包んで離さない広大な音の宇宙。これ以上語るのは止めよう。



約1時間の怒涛の演奏が終わり割れるような拍手。「普通なら一旦引っ込んで再登場する処ですが、スペース的に身動きが取れないので」とそのままアンコールに突入。前日のステージでチラッと話していた「ヨーロッパ在住の日本人演奏家」をゲストに呼び込む。アルタード・ステーツのギタリスト内橋和久氏だった。ウィーン在住の内橋氏は舞台音楽の仕事でちょうど来日中でこの日が落日だったが、打ち上げを抜け出して駆け付けたという。クリスとは何度も共演しているが、ジョンとは10数年ぶり、ユミさんとジェフとは初共演。エフェクターをテーブルにぎっしり並べてサウンドを変調する独特の奏法はアルトー・ビーツの演奏と見事な親和性を持つ。約15分のセッションだったが前日の梅津さんとの共演とは全く違う表情の演奏が聴けて貴重な体験だった。

ユミさんの感極まった感謝の挨拶が終わり、そのまま打ち上げを兼ねたパーティー。クリスと暫く話し込む。日本から戻ったら自己のレーベルReR Recordsの仕事が待っているという。月並みな質問で申し訳ないがと前置きしてヘンリー・カウ再結成の可能性を尋ねると、リンゼイ・クーパーが体調悪化のため演奏出来ないという現実的問題もあるが、クリスをはじめ他のメンバーも全く再結成の意思は無いとのこと。この場にメンバー3人が集まっている事自体が奇跡的。全員が同意しているのはとにかく毎回違った演奏、新しい演奏をするということである。よくある昔のバンドの再結成ツアーのように過去の曲を再演することは決してあり得ない、と強調していた。灰野さんが海外公演について、お客さんはCDやレコードの再現を求めているのではなく、今まで観たことのない/聴いたたことのないパフォーマンスを求めてライヴに来る、と話していたが、正にクリス達も同じことを考えていた。これこそ真の"進歩的=プログレッシヴ"な姿勢であると実感。クリスが65歳、ジョンが66歳、ジェフが67歳と年子のような彼らだが[8/1訂正:ユミさんからの情報でジョンは62歳、ジェフは66歳とのことでした]
、まだまだ長生きして進歩し続けて欲しい。

かなりお酒も進みメンバーを始め色んな人と話が尽きないまま終電ギリギリまで騒いだ後、いそいそと家路に着く。この素晴らしい二日間を忘れることは一生ないだろう。

▼クリスがBar Issheeの壁に逆さに書いたサイン。


プログレッシヴと
懐メロは
全く別のもの

ヘンリー・カウ組は翌日ヨーロッパへ帰るが、ユミさんは暫く日本に残ってライヴやワークショップを続ける。
コメント (6)
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