懐かしブログ日本のインディーズ特集の第2回は東のピナコテカに対して西のヴァニティと呼ばれたヴァニティ・レコードを中心に関西アンダーグラウンドの音源を紹介しようと思う。地元吉祥寺のピナコテカに比べて大阪のヴァニティ・レコードについては情報が「ロック・マガジン」の広告・記事とレコード店に入荷した商品以外は殆どなく、しかもアーント・サリー以外は匿名性の強いアーティストが多かったので詳しいバイオは不明な点が多いことを予めご承知いただきたい。
ヴァニティ・レコードは、"テクノポップ"という言葉の命名者と言われる、「ロックマガジン」編集長の阿木譲氏主宰のレーベル。1978年の春に設立され第1弾のDADAのLP「浄」が1978年7月1日リリース、ゴジラ・レコードのミラーズの7インチ「衝撃X」が同年9月の発売だから、日本で最初の インディ・レーベルと言っていいだろう。1979年のロックマガジンの増刊号の「MODERN MUSIC」にてヴァニティ・レコードの今後の活動方針として以下の記述がある。『1.エレクトロニクス・ミュージック、2."家具としての音楽"シリーズ(現代音楽)、3.歌謡曲業界への進出、4.実験的な新しいヴィジョンを持つ音楽(パンク、ニューウェイヴ、フリーミュージック、現代音楽等)を追求し、レコード製作していきます』。阿木氏は元々1967年に歌謡曲の歌手としてデビューしたからその歌謡曲指向も理解できる。
1970年代後半の関西アンダーグラウンド・シーンには東京ロッカーズに呼応した「関西NO WAVE」と呼ばれるバンド群がいた。アーント・サリー、INU、ULTRA BIDE、SSの4バンドを中心にパンクの影響を受けたDo It Yourselfの活動を展開した。京都のロック喫茶「どらっぐすとうあ」を中心にプログレ、フリージャズ、現代音楽、パンク等のアングラ音楽の影響が伝播した状況は非常階段のバイオ本「非常階段 A STORY OF THE KING OF NOISE」に詳しい。JOJO広重さんは1984年6月にアルケミー・レコードを設立すると、OriginalシリーズとしてULTRA BIDE、SS、INUの1979年のライヴ音源をレコード化した。
そんな中ヴァニティ・レコードは1979年5月にアーント・サリーのデビューLPをリリース。当時吉祥寺のレコード店ジョージアでこのLPを手にした私はクラッシュの2nd LPとどちらか迷って結局クラッシュを買うという愚挙に出たことは以前書いた通り。その後PASS RECORDSから出たPHEWのソロ作品を聴いてNICOを髣髴させる冷徹なヴォーカルに驚嘆した。アーント・サリーは1980年代半ばにコジマ録音がバンドに無断でリイシューしたLPで初めてその音に接したが、正に鳥肌モノの歴史的傑作だった。2002年にいぬん堂が正規CD化(現在は廃盤)、P-Vineからは未発表ライヴCD「ライヴ 1978-79」がリリースされた。
「ロック・マガジン」は東京の書店には入荷したりしなかったりでヴァニティ・レコードのリリースの全貌は分からなかったが、1980年にEPが3枚一挙リリースされたことを知ったのは「Fool’s Mate」や「Marquee Moon」誌上か佐藤薫さんのFM番組だっただろうか。Mad Tea Party、Sympathy Nervous、Perfect Motherの3アーティストで白いジャケットにポラロイド風の写真を貼り付けたジャケットが印象的だった。新品では買わなかったが後に中古盤で安く手に入れた。その中ではMad Tea Partyのデルタ5やレインコーツを思わせる腰砕けのギター・ロックが気に入った。1990年後半にネットでノイズ系のレコードを買い漁っていた時、ベルギーのレーベルでSympathy Nervousの名前を見つけ「これは日本人のバンドか」と確認したら「そうだ」というのでさっそくオーダーした。音的には当時ありがちなクラブ系テクノだったが、ヴァニティ・レコードの幻のアーティストが健在だったことに感動した。
1980年9月発行の「ロック・マガジン33号」の付録に滋賀の突然変異体ほぶらきんのソノシートが付けられたのは阿木氏の先見の明か。当時彼らのライヴEP「ホームラン」を入手した私はその凄まじさに驚嘆し、さっそくほぶらきんのカヴァー・バンドを結成したほどの衝撃だった。後にアルケミー・レコードからコンピレーションCDやライヴCD/DVDがリリースされたが、このソノシート音源は未CD化である。
ヴァニティ・レコードは1981年まで存続し、その間にいくつかの匿名的アーティストをリリースした。その殆どがエレクトロ/テクノ・ミュージックであり、いくつかは昨年CD化された1981年リリースの佐藤薫さんプロデュースのコンピ2LP「沫 FOAM」に収録されている。
ヴァニティのオリジナルLPは中古盤店をまめに探せば「アーント・サリー」以外はそれほどのプレミアもなく購入できるが、可能であればまとめてCD化を望みたい。昨年阿木氏が主宰するクラブ” nu things JAJOUKA”関連のツイッターで10枚組CD Boxがリリースされらしいとの情報があって胸をときめかせたが、どうもデマだったようだ。
ヴァニティ・レコードの第1弾アーティストDADAの小西健司氏(のちにP-Model)、フュージョン・グループの99.99(フォー・ナイン)に在籍していた成田忍氏と横川理彦氏(のちにメトロファルス)にイベンターの中垣和也氏の4人組テクノ/エレクトロ・ポップ・ユニットでEP-4と並び称された4-Dは雑誌の付録でソノシートが無料シリーズ化されていたのを覚えている。当時の音源が「Die Rekonstruktion」としてCD化されており、9月には再結成ライヴがあるのを知りビックリ。
ボアダムズの山塚EYE氏が1980年代半ばにやっていたユニット、ハナタラシは極端に破壊的なライヴでセンセーションを巻き起こしたが、残した作品はノイズの傑作として楽しめる内容になっている。アルケミーからリリースした1stと2ndは未だ正規CD化されていない。広重さんによれば既にマスターテープはデジタル・リマスター済で、正式にオファーがあればいつでもリリースできる状態とのこと。どなたかEYE氏と交渉して正規リリースして欲しいものだ。
アコーディオンを弾きシャンソン風の歌を聴かせる個性派シンガー・ソングライター須山公美子嬢が在籍していたNO WAVEバンド、変身キリンは「ロック・マガジン」のメンバー募集で結成された。1979年末に限定200枚でリリースされたオムニバスLP「どっきりレコード」にINU、ULTRA BIDE、ALCOHOL 42%、CHINESE clubと共に参加。1982年にEP「8月4日に」をゼロ・レコードからリリース。その唯一のEPにライヴ音源を追加したCD「変身キリン」とそれ以降80年代半ばの音源を集めたCD「その後の変身キリン」がリリースされている。
★読者だけの特別付録:JOJO広重氏(非常階段)、美川俊治氏(非常階段、インキャパシタンツ)、林直樹氏(NG)、八太尚彦氏(ジュラジューム)など関西ノイジシャンによりレコーディングされ、1982年頃ピナコテカ・レコードからカセットでリリースされたユニット「阿部怪異」の音源がココで聴けます。
[6/29お詫び:昨夜アップロードしたはずなのですがリンクが繋がりません。今夜確認しますのでお待ちください→リンク先を訂正しました。これで聴ける筈ですが、もし聴けない場合はコメント欄に記入して下さい]
関西に
うぬぼれ(=vanity)ありと
人は言い
現在も独自のアンダーグラウンド音楽シーンを形成する関西ロックの世界は奥が深く現地にいなければ分からないことも多い。JOJO広重さんや山本精一さん、オシリペンペンズや下山gezanなどを始めとする西からの風から目を離してはいけない。