戸川純という不思議系歌手を知ったのは1982年にYMOの主宰するYENレーベルからリリースされたゲルニカの「改造への躍動」というアルバムだった。上野耕路の作る奇矯なエレクトロニック・サウンドに乗せて昭和初期歌謡もしくは上海ボードビル風に演劇的なヴォーカルを聴かせる。太田螢一作詞の歌詞の内容は戦後日本の復興をテーマにし、アートワークも旧字体を用いたりしてこれまたレトロなもの。その実サウンドは未来的で、昭和初期に夢見た未来を描き出したパラレル・ワールドといえるものだった。
当時渋谷のライヴハウス、ラ・ママにてゲルニカとEP-4のジョイント・ライヴを観た。チャイナ・ドレスに身を包み妖しい踊りを交えてパフォーマンスする戸川純は眩しかった。それを録音したカセットが部屋のどこかにあるばずだ。
その後彼女はソロ・デビュー、「宝島」などのサブカル誌に大きく取り上げられてテレビにも出演し、一大ブームを巻き起こした。「ウォシュレット」のCMの"おしりだって洗ってほしい"というせりふは流行語にもなった。さらにヤプーズを結成。積極的な活動でPHEWと並んで当時のアングラ系女性ヴォーカルの代表格と呼ばれた。最近YouTubeで知り合った灰野敬二好きのフランス人が好きな日本の女性歌手として戸川純とPHEWの名前を挙げていたのが印象深い。
90年代半ばに自殺未遂を起こし第一線から離れたが、21世紀になってまたヤプーズを再結成し活動しているようだ。過去の作品がCD化されもし、80'sのアングラ・ヒロインが蘇った。ゲルニカの再結成はないのだろうか。
ゲルニカは
レトロ・モダンの
薫りする
今日は戸川純の47歳の誕生日である。
当時渋谷のライヴハウス、ラ・ママにてゲルニカとEP-4のジョイント・ライヴを観た。チャイナ・ドレスに身を包み妖しい踊りを交えてパフォーマンスする戸川純は眩しかった。それを録音したカセットが部屋のどこかにあるばずだ。
その後彼女はソロ・デビュー、「宝島」などのサブカル誌に大きく取り上げられてテレビにも出演し、一大ブームを巻き起こした。「ウォシュレット」のCMの"おしりだって洗ってほしい"というせりふは流行語にもなった。さらにヤプーズを結成。積極的な活動でPHEWと並んで当時のアングラ系女性ヴォーカルの代表格と呼ばれた。最近YouTubeで知り合った灰野敬二好きのフランス人が好きな日本の女性歌手として戸川純とPHEWの名前を挙げていたのが印象深い。
90年代半ばに自殺未遂を起こし第一線から離れたが、21世紀になってまたヤプーズを再結成し活動しているようだ。過去の作品がCD化されもし、80'sのアングラ・ヒロインが蘇った。ゲルニカの再結成はないのだろうか。
ゲルニカは
レトロ・モダンの
薫りする
今日は戸川純の47歳の誕生日である。