昨年12月末にアナログ盤蒐集癖が完全復活した筆者はCD不要論を公表した。
整理するとCD離れの理由は、
1)複製可能
2)面替え
3)データ化可能
4)悪操作性
5)不可知感
結論)CDよりアナログ盤に惹かれる理由は、裏切らないし楽しいから。
筆者のブログ記事から4ヶ月経って、アメリカのギズモードの記者が同様の分析記事を発表した。最近話題の細胞論文のように剽窃をした訳ではなかろうが、筆者の論点をより判り易く裏付けしている。
★「体験」する音楽。レコードが注目される理由とは (⇒記事全文はコチラ)
逆剽窃のようだが、この記事がいつ削除されるか判らないので、コピペしつつ筆者のコメントを併記したい。
90年代、僕は火曜日になると放課後レコードショップに走って、新譜の棚をチェックしていた。たまにCDを買うと、家に帰って急いで開けてラジカセにセット、宿題をやるふりをしながら聞き入っていた。なんと素晴らしい経験だったか。しかし今、あの経験に価値が見出されることはない。あれは、古くさい話なのだ。
まず、マリオ記者は90年代高校生の頃音楽にハマったという。90年代CDは売り上げを伸ばしアナログ盤を市場から駆逐。永遠に劣化せず手軽で扱い易いCDこそ究極の記録媒体だと信じていた。新譜はもちろん、過去の知られざる音楽の発掘CDにもワクワクした。一方でレコード盤を扱う中古レコード店も各地に存在し、レア盤コレクターやDJ志望者に人気だった。仕事で海外出張が多かったので、どこヘ行っても空き時間はレコード漁りに費やした。大都市じゃなくても必ず地元のレコード屋があり、探せば必ず未知の秘宝に巡り会った。
マリオ記者もそんなワクワク感を共有していたのだ。そのワクワク感が今は無い、古臭いと言う。その原因はデジタル時代の音楽の聴き方の変化だと言う。しかしレコードにはカムバックの流れが来ている。
レコードの時代は1度終り、今この再ブームの訪れに注目しているのは何も僕だけではない。何故か? その理由は一概には言いにくい。レコードを買う必要がない時代において、人々は敢えてレコードを選んでいる。CDは古くさくて、デジタル音楽は実態がない、そんな時代で、人々がお金を払って手に入れる物理的な価値がレコードにはあるようだ。
デジタル時代の変化とは単に媒体が不要になっただけでは無く、所有せず好きな音楽を聴けるという、概念的な変革だった。デジタル音楽の入れ物としての役割しかないCDには当然需要がない。
SpotifyやRdio、Beats Music等のより手軽で安価な音楽ストリーミングサービスの台頭によって、「音楽を所有する」ということは、ただ好きな時に好きな場所で好きな端末で音楽を聞くという単純なものではなくなってしまった。複雑化したのだ。
よく音質に関して「アナログ盤>CD>デジタル」という比較が口にされるが、リスナーにとって音質は二の次である。オーディオマニアが高価なオーディオ装置で防音された部屋で聴くなら兎も角、PCに接続したミニスピーカーやヘッドフォンで音楽を聴く多くのリスナーは、些細な音質の差は気づかない。マリオ記者は「アナログ盤の方がデジタル、CDより音がいい」というよく言われる幻想も「彼らはただレコードの表面を針がひっかくあの音が好きなだけじゃなかろうか。」と看破する。
その大きいフォーマットにまずはずしりとした実のある重みを感じ、カバーデザインに満足する。CDではこうはいかないのではないか。レコードをセットして片面聞いひっくり返してもう片面を聞く、この面倒とも言える流れには、なんともインタラクティブな趣がある。聞くという経験に、常に自分が物理的に、そして感情的に巻き込まれている気持ちになる。
レコードの脆さも魅力のひとつ。傷がついたり針が飛んだりすることも体験の証だから。持ち歩けない不便さというCDやデジタルに比べて最大の欠点も、無料のデジタル版ダウンロードで解決する。つまり、音楽を手軽に聴くだけではなく、個人的な体験、ある種儀式や宗教にも似た霊的体験が得られることがアナログ盤の魔法なのである。
人々がレコードに注目する理由、それは単純にレコードの方が楽しめるからだ。
所有するという体験に重きをおく人々は、どんどんレコードへと舞い戻っている。そこには、ただCDを買うのより、もっと満たされる物理的な体験があるからだ。カムバックの理由はいくつかあるにしても、突き詰めていけばすべて体験という言葉にたどり着く。レコードを買うことで得られる、暖かくて胸騒ぎがするなんとも幸せな気持ち、これは他の音楽の在り方では手に入らない。
レコードは、ただの音楽ではない。レコードは体験である。そして、それはお金を払う価値があるものだろう。
レコードを通しての究極の音楽体験、それは筆者にとってはデレク・ベイリーのソロLPである。バンドのレコードは、爆発しそうな衝動で落ち着かなくなることはあるが、「個」と「個」で真っ向から対峙出来るのはソロ演奏である。ライヴではオーディエンスは自分ひとりではないので、一対一で語り合うのは難しい。筆者がなるべく最前列を確保するのは、演奏者と自分の間に他人を入れず、マンツーマンの関係に近づける為である。近づけるだけで、実際には幻想に過ぎない。
しかしレコードなら間違いなく「個」対「個」の関係を結べる。やり方には決まりがある。素敵な写真をあしらった30cmのジャケットからLPを取り出し、指紋を付けないように気をつけてターンテーブルに乗せる。アームをレコードの外周に下ろすと、針が落ちてプツンと音を立てる。溝を擦るプチノイズの中から立上がる孤独な魂。デレクと私の会話が始まる。20分前後神経を集中させると、会話が一旦終わりプチっと針が上がる。レコード盤を裏返して最初から繰り返し。まさに人間ならではのややこしい営みである。
体験としてのレコードとデレク・ベイリー。どちらもシンプルな思考とこんがらがった手続きがあるから面白い。私が人間性を取り戻す為には欠かせない儀式・祈り・哲学なのである。
レコードを
聴くときは
部屋の電気を
消すのです
エヴァン・パーカー、阿部薫、灰野敬二も同じ体験が出来る。