橋本孝之『SIGNAL Harmonica Improvisation Takayuki Hashimoto』
Nomart Editions NOMART 111 定価 ¥2,160(税込)
Takayuki Hashimoto (hca)
1. SIGNAL 1 / 15: 37
2. SIGNAL 2 / 15: 32
Recorded in Akasaka, Tokyo February 14, 2016
Liner notes: 長谷川裕倫 Hirotomo Hasegawa
Produce: Satoshi Hayashi
サバイバルのための幻想曲、そして捻転する呼吸(いき)と口唇(くちびる)の二重唱
以前「サクソフォンほど人間の体内に深く侵入する楽器はない」というようなことを書いたことがあったが、ハーモニカも人体への密着度では引けを取らない。むしろフロイトの言う口唇期、つまり文字通り口と唇による接触によって願望を充足させる期間に相当する、幼児の最初の性衝動が続いているかもしれない。授乳するようにハーモニカに唇を充てて演奏することで「温かみ」「飢えからの解放」などの願望を充足させるのである。それは種の保存のための営みである。
小学校低学年の音楽の時間に与えられたハーモニカに唇を当てて、息を吹いたり吸ったりする行為は、6年前に母親の乳房を貪った温かい記憶を呼び覚ます。最初は冷たい金属の感触も、ねっとりした唾液が滴るほど舐め回した後には、艶やかな曲線と凸凹の吹き込み口が、光の届かぬ海底に棲むにもかかわらず、毛羽毛羽しい極彩色で身を飾った深海生物のグロテスクなシルエットを思わせる背徳的な生温さを舌の表面に伝達する。海底3000メートルに棲息する深海の住人が、自ら発光し餌食となる微生物やプランクトンを誘き寄せるように、唾液の臭いが染みついたハーモニカの裏ブレたメロディは、人生のスタートラインに立ったばかりの6歳児の感情の中に、初めて経験する「ノスタルジー」という理解不能な、しかし決して嫌いではない、不可思議なフィーリングを掻き立てるのである。
しかしながら、なぜだろう。恐らく義務教育もしくは学業重視の弊害に違いないが、小学校中学年に上がるとハーモニカの代わりにリコーダーという名のポール(棒)状の楽器を宛がわれ、先端恐怖症の原因にも成り得る突起を咥えて息を吹くことを強制されることになる。汚れた息を吐いたら新鮮な空気を吸わなければならないが、吸引にも音階が付随したハーモニカではなく、このポール(棒)は吸ってもノート(音)はならず、息継ぎと称する中絶行為は、次のノート(音)を鳴らすための準備でしかない。呼吸が分断された管楽器は、その後の彼の成長過程にでピアニカ/フルート/サクソフォン/トランペットなど続々登場し、彼にとって楽器を演奏することはチューブ(管)を「吹く」ことである、という偏った性癖を刻みつけるのである。「吸う」は「吹く」ための前戯でしかない。「呼」と「吸」の主従関係が成立し、職務分掌(Segregation Of Duty)が明確になる。対等な筈の二者の職責が分割され右と左(上と下)の関係性が当たり前こなることを、世の中では成長(Growth)・社会化(Socialization)・性徴(Sexual Characteristics)と呼ぶらしい。
しかし注意すべきは、生物学的にサバイヴ(生存)する上では、空気を「吐く」ことよりも「吸う」方に高いクオリティを求める傾向がある事実である。ブロー(吹く)至上主義者の胎内では「パフォーム(演奏)」と「サバイヴ(生存)」のフリクション(軋轢)が生じる。音楽のために生きるのか、生きるために音楽があるのか、という永遠の命題は形而上学的には表裏一体であるように見えるが、この場合は大きな隔たりがあることに注目したい。
即興音楽ユニット.es(ドットエス)の橋本孝之によるソロ・アルバム第3弾はハーモニカのソロ演奏が収録されている。否、パフォーム(演奏)では無くリップサービスと呼ぶべきかもしれない。というのはハーモニカのトーン(音)よりも口唇のノイズ(音)の方が多く含まれているからである。そして呼吸のノイズ(音)の含有量も一般基準を遥かに超える。「口唇」と「呼吸」という生命維持の二重唱を過度に含む『SIGNAL』は、人類の生存のための幻想曲に他ならない。
幻想曲
前奏曲と
行進曲
吉祥寺ハモニカ横丁・オリエンタルな風景 Oriental city scape - Kichijoji, Tokyo