芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

『死霊』の第五章サブタイトル「夢魔の世界」

2015年04月05日 | Weblog

埴谷雄高という人は、深遠な哲学小説を書くかと思えば、世俗的な事も良く知っていて、博覧強記であった。かなりの酒豪であり、私がお邪魔した時は、奥さんの作った酒の肴で、呑みながら、宇宙論から卑近な話題迄、お喋りが止まらないといった態で、お邪魔するのが楽しみであった。だから、私は、インド旅行の帰りに免税店で買ったコニャックを持参して飲んでいただいたが、晩年、彼は、ハンガリーのトカイワインを飲む事が多かった。
この『死霊』の第五章が「群像」に載ったとき、江藤淳という文芸評論家が、そのサブタイトル「夢魔の世界」をもじって、読んでいるうちに、睡魔に襲われたと記した。この評論家は、当時新聞で毎月文芸評論を担当していて、読解力がある人だと思われたが、明治維新の佐賀の子孫で右翼であり、左翼嫌いであったため、 埴谷雄高が左翼に人気があったのが気に入らなかったので、その作品を眠気を誘うだけと否定のための否定を強くしたと思われる。しかし、彼は、講談社からかなりの借金をして、四谷に2軒繋がりのマンションを買い、講談社には、恩義があったのだが、敢えて、講談社の『群像」の代表的作品を眠くなって読めないと、批評ではなく気分的に全面否定したことが、これを『死霊全五章』という本にした時、返って売れることに通じたようだ。それが本になった時は、あらゆる媒体で肯定的批評が出た。当時、私が、飲み屋で埴谷雄高の『死霊全五章』を担当したと言うと、見知らぬ新左翼の青年から羨ましがられたので、その様な人達が相当買ってくれたようだ。