芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

大東亜戦争もしくは、太平洋戦争での敗戦

2015年04月06日 | Weblog

その借金の返済は、原稿料の高い「週刊現代」に延々と、毒にも薬にもならない長文の随筆を多年にわたって連載する事で払われた。その時の編集長には気の毒だったが、評論家というのがそもそも売れない執筆者であるから、やむを得ない仕儀であった。同じ慶応出身で、ベストセラー作家の遠藤周作を私は、文芸時代に担当していたが、江藤淳は誰か他の担当であった。週刊現代は週刊現代で独立していたから、誰か担当を決めていたのではあろう。
しかし、三田文学の仲間を大事にする傾向は強く、執筆者同士がお互いにかばい合っていた。だから、売れない評論家に借金をさせる時に、三田文学の誰かが、言葉だけでも保証していたかも知れない。いずれにしろ私の与り知らぬ事ではある。
失敗した明治維新政府に入らず、慶応大学を興した福沢諭吉や早稲田大学を興した大隈重信は、教育会に身を置いたのが正解だったと言える。 ここで、失敗だったというのは、端的に言うと、大東亜戦争もしくは、太平洋戦争での敗戦が、日本の植民地化を決定的にしたことを云う。それが、現在の、民主主義とは似ても似つかぬ官僚と政財学の戦後一貫した植民地政権を可能にしている。慶応大学には、金子勝のような骨のある教授がいるかと思うと、小泉内閣の金融相だった米国宗主国の巾着、竹中も雇われている。今の政権には、その腰巾着しかいないところが問題である。国民は、選んでしまったから、仕方なく、那須がママである。
明治維新が国民的に見ると失敗だったのに、あたかも他の後進国を圧して富国強兵に酔って列強の仲間入りしたかのような錯覚を与えられて、搾取され続けたのは、搾取する側が、武器を売れたからである。そもそもが、明治維新で得をしたのは、長州の田布施の連中であり、現政権の首相もその出身である。以前にも書いたが、土佐の坂本龍馬にしろ、岩崎弥太郎にしろ、武器商人グラバーの三下であったのであり、その時の長州の若者たちは、グラバーに英国留学をさせられ、徳川幕府を討つ役割りをさせられたのである。時は、丁度、米国南北戦争が終わり、不要になった武器の売り先にぴったりであった。日清戦争に続き、日露戦争に勝つと、国民は提灯行列をさせられ、一等国のように錯覚して、大戦に突き進ませられたのだ。敗戦後も武器と原発を売りつけられ、死の商人に支配され続けているというのが、少し詳しい失敗談である。