私が、故坂下廉二郎氏と親しくお話ししたのは、去年、帰国したとき、戸田の外語の艇庫前に出して練習されたローイング・マシーンを私も続いて使わしてもらい、エイトを一緒に漕がしていただき、帰りに、国谷という学生時代の昔からなじみの店でビールとそばを注文して食べながら、ボートに関する話題に花咲かした時が最後であった。私より上背もあり、学生時代と変わらないのではないかと思われる力強いローイング・マシーンの漕ぎっぷりは、ちょっと怖い先輩のようだが、実際は、笑顔が子供っぽく、愛らしいので、親しめる存在であった。
他大学も呼応して、5月3日の戸田マスターズレガッタのあとで偲ぶ集いに参ずることになった。
今日も、大学の理事長に電話したが、まだ契約更新の書類は、学長に許可を貰っていないから、出来ていないこれから30分以内に電話で聞くと言って、その後音沙汰なしである。 月曜日に自ら行って催促ということになる。