芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

明治維新と大化の改新

2015年04月07日 | Weblog

明治維新の身もふたもない話しを書いてしまったが、私も、明治以後の日本のカクカクたる発展を信じ込まされる教育を受けた一人ではある。江戸時代がいかに封建的で悪かったかという事を学校で教えこまれたのだ。私より少し前の世代は、それに加えて、天皇が神であると教え込まれ、それを否定する者は、不敬罪でブタ箱行きであった。文化が世界的にも極限まで発展していた江戸時代は、明治新政府を興した若い未熟な中心人物達にとって、完全否定されなければならない存在で、江戸時代のものは、全て、封建的と否定して、欧米の猿真似文化を神、天皇の名前で強引に進めた。私も、遠藤周作との会話で、封建的という言葉を否定的に使ってしまって、「封建的という事は悪い事ばかりではないよ、君」と、遠藤周作にたしなめられた事がある。とかくレッテルを貼るのが簡単に理解させやすいものだから犯した過ちである。江戸時代は、蛮書調べ所という役所で、取捨して、欧米文化の必要なものを翻訳してかなりの技術が日本では、発展を見せていた。しかし、政治というのは、武力によって簡単にヒックリ返される。とかく幼児のように、勇ましいのが好きな人たちというのはいるものだ。明治天皇の御前会議で、その若者たちが衣の下に武器を隠して、知恵のある人達の意見を封じたのがそもそもの過ちである。これは、蘇我入鹿が、飛鳥板蓋宮の大極殿において皇極天皇の御前で殺されたという、乙巳の変に似ている。明治維新は、千二百年以上前の大化の改新と同じような轍を踏んでいるのだ。