浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

卑劣

2025-02-22 20:40:21 | 政治

兵庫・竹内元県議に対する誹謗中傷の拡散 きっかけのひとつの“文書”は誰が作成し、誰が立花孝志氏に渡したのか 証言をもとに検証【報道特集】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

澤田展人「アジアのヴィーナス」

2025-02-22 10:02:14 | 読書

 札幌で『逍遥通信』を発行している澤田さんが、『アジアのヴィーナス』(中西出版)を上梓された。そこには、四つの小説が掲載されているが、「アジアのヴィーナス」が最初に載せられている。

 寄贈を受け、すぐに「アジアのヴィーナス」だけを読み終えた。わたしは、加齢のせいか、小説などは読んでもすぐに内容を忘れるという情けない状況にある。ところが、「アジアのヴィーナス」は、今もよみがえる。その一つの理由は、映画化をすすめられたと言われるほどに、絵になる内容であったからだ。北海道の自然、登場人物の動き、いずれも読みながら、まざまざと情景が浮かび上がるのである。

 もうひとつの理由は、登場する人物がいずれも個性的で、彼らの動きの描写がクリアだからだ。

 主人公はミサキ、父・伊三夫は日本人、飲食店を経営していたが、今は東京に行ったままで何をしているかわからない。右翼的な活動もしている。暴力的で、ウラの世界とも通じている。母・シンシアはフィリピン人であるが、そんな父から家を追い出されている。そして彼女は、定時制高校に通っている。

 高校では、沖縄への修学旅行が計画されている。ミサキは、行きたいけれども、父が東京へ行っていることから金がなく、行けるかどうか分からない。さらに父は、ミサキを東京に連れて行き、カネを稼ごうと画策している。担任の行橋が、カネを貸すと言うが、父はそれを認めず、自分でカネを工面せよという。止むなく、クラスメートから距離を置いている「おっさん」と呼ばれていた28歳の級友・野口に借金を申し出る。

 そして沖縄への修学旅行。彼らはガマに入る。そこで金城さんから、戦時中の体験を聞く。その語りに、澤田さんの沖縄に抱く思いがこめられ、ていねいに語られる。ここも読みどころである。

 野口は、ガマで奇怪な行動をとる。その背景には、彼が育ってきた環境があった。父は炭鉱事故で亡くなった。その後野口は祖父とともに生活する。山の中だ。猟をする。そこで野口がアイヌであることが示される。しかし祖父は亡くなってしまう。野口はひとり、働く。そして定時制に通うことになる。

 修学旅行から帰って、ミサキは父に連れられて東京へ。そして父に命じられるままに、多額のカネをだす男どもに身を任せる。陰惨としかいいようがない情景が綴られる。借金をつくった父がカネを稼ぐために娘を犠牲にするのだ。

 しかしミサキは、ラーメン屋の出前であった正平と逃げる。そして札幌で彼と同棲する。子どもも生まれた。ある日、そこへ瀕死の重傷を負った父がやってくる。ミサキは正平の協力を得て母を探し出す。母がやってきて父を看る。そして父と母は、雪の中に出ていき、父は亡くなる。母は消える。

 のち、ミサキは正平と別れて、新しい生活を始める。そして廃品回収業の男と再婚する。幸せな日々が続く。

 ミサキは、そういう生活のなか、野口に会いに行く。借りた金を返そうとして。そしてそこで野口に抱かれる。

 *******************

 ミサキという現代娘を中心として、そこに個性を持った脇役を配し、ドラマティックに展開する。別にそこから何かを感じさせようとするわけでもなく、読む者は、小説の世界に入り込んで、サスペンスのように話を追っていく。なかなかのストーリーである。

 澤田さんは、その話の中に、アイヌや沖縄を塗り込め、社会的な思いも描き込む。一度読んだら、忘れられないストーリーである。

 あと三作、どんなストーリーなのだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【映画】ヒトラーのための虐殺会議

2025-02-21 20:54:05 | 社会

 アマゾンプライムで、映画「ヒトラーのための虐殺会議」をみた。映画の内容は、

1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15人と秘書1名による会議が開かれた。議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」とはヨーロッパにおける1,100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味するコード名だった。

 83年前の1月20日に、ヨーロッパのユダヤ人殲滅の会議が開かれた。会議の模様は会議録に記され、映画はそれをもとに制作された。

 参加者は、ヒトラーの命令を忠実に、もっとも合理的に、ドイツ人の精神を破壊しない方法でジェノサイドを実行することを議論する。そして提案された、毒ガスで一度に多くのユダヤ人を殺害する方法に賛成する。

 ユダヤ人を殺すことに、何の痛痒も感じない人びとが、国家のリーダーとなり、ジェノサイドを決定する。わたしは、ただ黙って画面を見つめるだけだ。殺される人に、ひとかけらの感情も持たない議論、その議論の展開を、ただ凝視するだけ。

 目的を実現するために、効率的で、費用対効果が最善の策が提案されるのだが、目的を実現することが、どれほど悲惨なことであるかを考えることなく、ただ邁進していく。

 こういう議論は、おそらくどこでも行われているだろう。目的を実現するために、どれほどの人権侵害や不法行為が行われようとも、とにかく効率的な方法を駆使して邁進していく。

 最近も、同じようなことが行われていた、と思った。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「類は友を呼ぶ」

2025-02-20 08:58:31 | 社会

 西田敏行さんのお別れの会があった。あまり芸能界に関心のないのに、ネットで「お別れの会」を見てしまった。西田敏行さんをはじめて見たのは東京・西武劇場だった。劇団青年座のブレヒトの「三文オペラ」を見ていて、ひときわ目立ったのが西田さんで、そのとき西田敏行という名を意識するようになった。とはいっても、彼が出演しているテレビ番組や映画を見ていたわけではない。

 「お別れの会」に関して、西田敏行は喜怒哀楽をオモテに出す人だという声があった。たしかに、西田敏行は、その意味できわめて人間的な人物だと、わたしも思っていた。人間的な人物だからこそ、信用され、愛されるのである。

 さて、西田敏行と対極にあるのが、兵庫県知事である。彼は喜怒哀楽をいっさい見せない。その点で、凄い人物だ。人が死のうと、周辺で謀略が明らかになろうと、顔色を変えない。

 そういう人物のまわりには、不可思議な人たちが集まる。兵庫県の維新の会所属の県会議員、流出させてはならない情報をNHK党の立花某に流したのに、今まで素知らぬ顔をしていた。しかしそれが隠せないとなると、しぶしぶ「自白」する。それまで情報を流したのではないかと疑われても、平然としていた。文書を渡したのは、岸口某音声テープを渡したのは増山某。いずれも、維新の会の議員である。「軽率」であったなどというが、明確に目的をもって渡したのはあきらかなのに。「軽率」ということばを軽率につかってはならない。

 兵庫県知事の周辺にあつまるのは、有象無象の者たちだ。Xに、真偽不明の情報をながしている市議会議員も、兵庫県知事の支援者である。

 まさに、類は友を呼ぶ、である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公明党議員のひどさ

2025-02-19 08:48:43 | 政治

  公明党。いうまでもなく創価学会の政党である。公明党のHPには、「公明党が結党した1960年代当時、日本の政界は保守と革新のイデオロギーによる抗争が激化し、政治の舞台で庶民は置き去りにされていました。そんな中、政治を庶民の手に取り戻し、庶民を守り、地域住民の手足となって働くために結成されたのが、現在の公明党です」と書かれている。

 嘘つくな!である。「政治を庶民の手に取り戻し、庶民を守り、地域住民の手足となって働く」なんてよくも言える。自民党とくっつくために、自民党の悪政を丸呑みして、自民党の悪政を支えてきたのが公明党である。

 その公明党議員、やりました。彼ら国会議員は、無料で新幹線のグリーン車に乗車できる。そこで炭酸水を買って、高いと文句を言っている。

 

「二度と買うことはない」新幹線車内の車内販売にクレームで炎上の公明・副代表 謝罪も「誤解を招く結果」にツッコミ続出…議員はグリーン車に無料乗車の“特権”

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の価値

2025-02-19 08:48:43 | 国際

 国際社会における日本の価値は、下がる一方である。

 まずひとつ。「唯一の被爆国」を自認する日本は、いまだに核兵器禁止条約の締約国に参加していない。それでも少しは核兵器全廃に尽力するのかと思いきや、開催される第3回締約国会議にオブザーバーでも参加しない、ということだ。

 平和問題、核兵器廃止問題などで、日本の国際的信用度はがた落ちであり、「唯一の被爆国」ということばが空しく響く。

 日本政府は、いまもって、先に山本義隆さんの論稿を紹介したが、核兵器をもつことを今も追求しているのであろう。

 次に、アメリカ大統領・トランプが、ICC職員に対して制裁を科すという大統領令に署名したということである。国際司法裁判所(ICC)は、国際社会における「法の支配」、「人権尊重」などを実効化させる国際機関で、日本の拠出金がもっとも多いとされる。所長も、日本人である。多くの国々は、トランプのICCに対する制裁を、厳しく批判したが、日本政府はそれに加わらなかった。これほどまでに、日本国家は、アメリカに隷属しているのである。

 「多くの国々」には、フランス、ドイツ、英国など約80カ国で、「国際的な法の支配を脅かすものだ」と非難する共同声明を出したのに、日本は加わらなかった。日本に対する国際的信用はがた落ちである。

 経済的地位でも下がりっぱなしの日本。こうした自民党・公明党政権の政策が、国際政治面でも評価を下げ続けている。

 いい加減に、こうした政権を崩壊させなければならないと思う。ほんとうに情けない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表現するため?

2025-02-18 15:08:03 | 社会

伊藤詩織氏ドキュメンタリー作に「承諾が取れていないのであれば人権上問題」「事前に確認なく公開」かつて共に闘った弁護士たちが警鐘の裏で何が…

伊藤詩織氏『Black Box Diaries』が日本劇場公開できていない背景にあるもの…「公益性」から“防犯カメラの無断使用”を問う

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矛盾のこと~「伊藤詩織」問題

2025-02-18 09:13:00 | 社会

 矛盾には、敵対的矛盾と非敵対的矛盾とがある。後者は矛盾ではあるけれども、その矛盾が決定的に決裂を招くものではない。

 他者との関係はなかなか複雑であって、それまで仲よく足並みを揃えて、あるいは手を取り合っていろいろな活動をしていた他者との間に、突然矛盾(問題)が生じてしまうことがある。しかしそのように発生する矛盾は、基本的には非敵対的な矛盾であって、話し合えば解決する。両者のあいだには、いままで培ってきた信頼関係が存在しているからだ。

 ところが、本来非敵対的な矛盾であったもの、それが敵対的矛盾に転化する場合はどのような場合か。

 今までいろいろな市民運動に関わってきたが、ときにたいしたことでもないことが原因で敵対的な矛盾となって関係が決裂し、足並みを揃えることができず、今までの両者の関係が切れてしまう、あるいは対立してしまうことが何度かあった。原因となったことは何であったかを振り返ると、ひとつは、協調するよりも自分自身が抜きん出ていきたいという欲望をもち、それにともなった行動を起こすことであった。これは個人でもあったし、政党でもあった。今までの信頼関係を台無しにする裏切りをおこなう、ということである。

 そういうことをされた場合、わたしはその他者を攻撃することはせずに、まったく関係を絶つ、できるだけ顔を合わさないようにする。その後は、一緒の行動は一切しない。一度裏切った者は、同じことをする信頼できない人物だからである。

 裏切りを行う者は、じつはたいした人間、あるいは集団ではない。そういう人間、集団であるからこそ、他者を裏切ることができるのである。たいした人間(集団)でもないのに、奢りを持ち始めるのである。

 奢りは、人間にとって、集団にとって、もっとも戒めなければならないことだ。奢りをもち、それを外面に表している者、集団は、実はもとから信頼に値しないのである。そうはいっても、今までの関係から、他者に奢りを感じていても、関係はすぐに断たれることはない。しかし残念ながら、一度頭をもたげたその奢りは徐々に増幅して、非敵対的な矛盾から敵対的な矛盾へと急速に転化していく。その転化の引き金を引くのは、もちろん驕り高ぶる側で、あるいは奢りをもって自分だけをより高みへ引き上げようとする者(集団)である。その意味では、彼(彼ら)は利己的である。

 今まで多くの人、集団と協調してきたが、時としてそういう人(集団)にでくわすことがあった。よくよく見つめてみれば、その人(集団)は、ほんとうには力がない、にわか仕込みであった。

 ほんとうに力がある人(集団)は、常に謙虚である。みずからが敵対的矛盾に転化させるようなことをすることもない。わたしはそういう謙虚な人たちと交流し、そこから多くのことを学んだ。

 最近は、できるだけ人間関係を広めないようにし、精神の安定を乱されないようにしているが、ニュースでそういう事例をみると、ここにも奢る者がいたのか、それに振り回される人びとはたいへんだなあと同情するばかりである。

 敵対的な矛盾に転化させる行動をとる者は、みずからが利己的人間であることを自覚せず、自省の念をもつこともない。その人がなんらかの問題を起こしていたとしたら、それはみずからを奢り、みずからをよりぬきんださせたいという利己的な行動により引き起こしたものである。その問題を、実は彼は、あくまでも自己の問題としてのみ捉え、自己の名誉を回復させる手段としてのみ位置づけていたのであり、その問題がもつ社会的な性質については、どうでもよかったのである。だから、その問題に、善意で手を差し伸べてきた人たちを、切りすてることは、彼にとっては難しいことではなかったのである。

 君子危うきに近寄らず、である。年令を重ねた者の経験からの警句である。

〈追記〉なぜこれを書いたかというと、伊藤詩織という人の行動に強い疑問をもったからである。伊藤詩織という人は山口某による被害者で、わたしも同情し、山口某の犯罪、そして山口某の犯罪を見逃した政治の力に怒りを感じたひとりである。

 しかし今回のドキュメンタリーに関する情報を集めてみると、この人の本質は、ドキュメンタリー制作の過程で起きたいろいろなこと、善意の方々によりそれらの問題性が指摘されたにもかかわらず、それを無視し、強引に制作・上映したこと、こちらのほうにあると思った。

 わたしも信頼していた人(集団)から裏切られたことが何度かあるが、その構図とよく似ていると思った。裏切られたとき、なぜ?と思ったが、裏切った者のその後の行動を見ていると、他人を出し抜いても、みずからの立場を有利にしたい、他人に認められたい、地位・名誉を得たいということで一貫していた。

 伊藤詩織という人も、そういう人物なのだと思った。外国から、彼女が制作したドキュメンタリーが高く評価されても、良識ある人びとは離れていくことだろう。彼女みずからが招いた結果である。しかし彼女は、何があっても、有名人になる階梯をのぼっていくことだろう。それが彼女の本性だからだと、わたしは思う。

 今思うと、なぜ彼女は安倍晋三と関係が深い山口と会ったのだろうか?TBSなら、なぜ金平さんと会わなかったのだろうか。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米の価格が高い!!

2025-02-15 08:22:28 | 政治

 名古屋のCBCが米価格の暴騰に関する解説をしている。

 この問題の背景には、日本政府の政策がある。それは端的にいえば、日本農業の切り捨てである。自民党・公明党政権は、一貫して日本の農業を潰す政策を展開してきた。日本農業を破壊して、アメリカの農産物を輸入して、それに日本人の食をまかなうような方向に仕向けてきたのである。すべては、アメリカのために、である。その一方で、日本政府は、自動車などの工業製品を輸出して、それでもうける、その犠牲とされたのが日本農業である。

 いま、田畑で農作業をしているのはほとんどが高齢者である。高齢者は年金を得ているから、それで生活をしているが、それがなければとても農業などしておれない。しかしその高齢者も、この世を去っている。するとどうなるか。当地方では、田畑を埋め立てて、運送業者の拠点となっているところがどんどん増えている。

 農業だけでは食えない、生活費、生産費用、農業収入だけではとてもやっていけない。それが現実で、それはずっと続いている。だから、農家の子女は農業をやらない。退職してから農業に従事する人は少しはいるが、ほとんどはやらない。結局、農地は売られて埋め立てられる。

 お米が足りない。だから価格が上昇する。あたりまえである。政府・農水省は減反政策をずっと展開し、お米の生産量を減らしてきた。だから少しでも天候不順などが勃発すると、米は足りなくなる。一昨年は猛暑であった。米の収量が減った。昨年はどうだったか。昨年夏も猛暑であった。米作では、水田の水は出したり入れたりする。あまりに暑く、水田の水は熱水となった。水を引く時期になっても、あまりに暑いために、水を入れたままにしていた。だから、当地方の米の収量は平年並以下であった。米粒が小さい。東日本など他の地域では作柄がよいところもあったようだが、当地方は出来が悪かった。

 自民党・公明党政権、日本政府は、国民のための政治を少しでもやってことはあるだろうか。まったくない。コロナワクチンを無償で接種したのは、アメリカの製薬資本を儲けさせるためであったと、わたしは考えている。国民は税金を払っているが、そのカネは、企業を儲けさせるためだけに、むだにつかわれている。今日も、東京のフジテレビ近くに、26億円をかけて巨大噴水をつくろうとしている(完成した場合、その維持費はさらに年間2億円)というニュースがあった。フジテレビ案件だという。しかし巨大噴水は海水をつかう。噴水の高さは150メートル、海水に巣くう大腸菌をまき散らすという代物である。このような東京都の政策をみるだけでも、税金は企業のためにつかわれているのだ。

 そんな自民党・公明党政権であるから、国民の食の心配などするはずがない。政治家や官僚は高収入を得ているから、またいろいろな収入がどこかから入ってくるから、自分たちは食の心配はない。だいたい国民の税金を、企業などに垂れ流しているから、キックバックも多額だろう。自民党の裏金が、まさにそれである。検察も国税庁も、かれらのふところに入ったカネについて、起訴もしないし、そこから税金を取り立てることもない。自民党、公明党、官僚、企業、それらの甘い蜜月関係とは裏腹に、庶民は「五公五民」という重税にあえぎ、米も満足に買えない状態だ。農民も、赤字経営で米をつくっている。

 もし政治というものが、正しく行われているのなら、国民が納めた税金は国民に再配分され、国民が生活に困らないようにつかわれるはずだし、国民の食生活を支えるために、食糧を生産している農家の経営を健全化させるようにするだろう。

 しかし、皆無である。

 今年もおそらく猛暑であろう。わたしも作物をつくっているが、いつもは大量に収穫できるサツマイモも昨年は不作で(7月、40日間雨が降らなかった!)、昨年秋に播種した作物も、暑さが続いていたために発芽しても虫害によりなんども種まきをせざるをえなかった。現在は、降雨量が少ないため、キャベツもタマネギも生長が遅くなっている。農業は、気候に大きく影響される産業である。農家は、撒水したり、頑張って生産をあげようとしているが、政治は無策である。

 こういう政治を変えないと、もう手遅れだろうが、日本は下降するばかりである。日本に未来はない、と思わざるを得ない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国家は「核」をどう考えているか

2025-02-14 20:10:26 | 政治

 山本義隆さんが、日本国家の「核」に関する基本的な考え方を著した。その通りであろう。原発を放棄しない理由に、日本国家の核兵器開発願望がある。

山本義隆「反核をめぐって――反核兵器と反核発電は単一不可分の課題である 被団協ノーベル賞受賞について思うこと」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性天皇

2025-02-14 07:25:00 | 近現代史

 頑迷な保守層が主張する「伝統」というものは、近代日本がつくりだしたものが多い。たとえば一つの氏名がそれである。

 日本列島に住む人びとには様々な名前があった。幼名、通称、名乗(なのり)・・・名前は一定していなかった。たとえば武田信玄、幼い頃は太郎、正式には源晴信、出家後が信玄である。名乗とは、公家や武家の男子が元服する際にあらたにつけられるもので、「実名(じつみょう)」ともいう。

 1872年、戸籍法が制定され、戸籍(壬申戸籍)がつくられた。太政官は、今後はひとりの者にはひとつの名前にせよ、と命じた。

 さて、この時代の人びとは、苗字を使用することがなかった。必要がなかったのである。1870年、太政官は苗字の使用を許したのだが、庶民は使用しなかった。太政官は、困った。なぜか。兵役に困るからだ。徴兵制により男子を兵籍に記載しなければならないが、同じ名がたくさんあって、個人を特定することに困難が生じたのである。

 そこで、1875年に、太政官は、苗字を使ってもよいとしたがおまえたちはつかっていないじゃないか。これからは苗字を使用せよ、祖先の苗字が「不分明」なら「新たに苗字を設け」なさい、とした。

 ここに現在いうところの「氏名」が誕生したのである。ちなみに、夫婦同姓も、1898年の民法の制定によるもので、それまでは別姓であった。源賴朝の奥さんが北条政子であるように。夫婦別姓は、日本の古来からの伝統であった。

 さて、『週刊金曜日』の「風速計」で、田中優子さんが、国連・女性差別撤廃委員会からの勧告について書いている。同委員会から、皇位を「男系男子」に限るというのは女性差別撤廃条約と相容れないと言ってきたのだ。それに対して、恥ずかしいことに、日本政府は、皇位を「男系男子」にすることは基本的人権に含まれない・・・などと抗議した。そんなことを勧告するなら分担金を払わないぞ、と脅した。

 しかし、天皇を「男系男子」に限るという制度は、近代日本の創作なのである。1889年につくられた「皇室典範」で、「第一條 大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス」としたのである。

 もちろんそれまでは女性天皇は存在した。皇極、推古、持統、孝謙・・・・・

 田中さんは、近代日本における「家父長的家族制度の維持のために、天皇は男系男子」としたのであると書いているが、その通りなのだ。

 近代日本は、「新しい伝統」をたくさん生みだした。それもきわめて権力的な手段で。伝統、伝統・・・というのなら、古来からの伝統を言うべきではないのか。日本政府をはじめ、自民党の政治家や日本会議にあつまる方々は、近代日本を理想型としているから、「新しい伝統」に固執するのだ。かれらは、大日本帝国憲法体制下の日本に戻したい、そしてその時代に受けた様々な特典を享受したいのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】本多勝一『新・アメリカ合州国』(朝日文庫)

2025-02-13 12:42:37 | アメリカ合州国

 アメリカ合州国に関して話すことにしたので、蔵書の中からアメリカ合州国に関する本を引っ張り出して読みはじめている。

 その中の一冊がこれである。本多には『アメリカ合州国』という本もあるが、これはそれを取材してから30数年後に再訪して書いたもので、今でも販売されているかどうかはわからない。この本は、2003年発売である。

 本多は、黒人、インディアン、アメリカ兵と結婚した日本人女性などを取材する。「どの国にせよ、本質や正体は被抑圧者のなかに象徴的にあらわれる」(11頁)からだ。

 たいへん読みやすく、また内容的にも豊かで、購入したときに読んではいるのだが、すべて新鮮に思えた。本多が『アメリカ合州国』(1970年刊)を書いた頃と比べて、黒人差別はなくなっていないが、かなり緩和されているようだ。といっても、今から20年も前の状況だ。今はどうなっているのだろうか。

 具体的な記述が多いが、アメリカ合州国は本質的には、建国以来変わってはいない。「アメリカ合州国の歴史が、ワシントン初代大統領のときから現在まで一貫して侵略・陰謀・詐欺・虐殺の連続だったこと」(192頁)は自明の事実だからだ。

 そして、「今やアメリカ合州国は、最強の軍事・経済・科学を握った上に言語帝国主義まで加えて、地球の生物史30数億年来「最悪の帝国」として君臨するに至った。地球上の「どんな紛争」にも介入なり捏造なりして支配してゆく。」(223頁)

 これは大統領が、バイデンであろうとトランプであろうと変わらない。大統領が替わるとどうなるか・・・などと識者は語るが、しかしアメリカ合州国の本質は変わらない。インディアンをだまし、虐殺し、虐げてきた歴史を、アメリカ合州国は、世界中で繰り返し行ってきた。

 アメリカ合州国とはいかなる国家であるか、日本人はきちんと認識しなければならない。

 本書は、20年ほど前のものだが、読む価値はおおいにある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ぎ去っていく

2025-02-13 12:15:21 | 社会

 『週刊金曜日』の雨宮処凛さんの「乱気流」。今回は、東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバーだった桐島聡のことが書かれていた。桐島聡は、偽名を使い、半世紀もみずからをかくして生きていた。その桐島を「しのぶ会」があったそうだ。

 連合赤軍や東アジア反日武装戦線などがいろいろな活動をしていたことは、新聞などで知ってはいたが、直接関わることはなかった。わたしは、若い頃から非暴力を基本としているので、かれらの活動を肯定することはなく、批判的に見ていたが、それらの活動に関わった者たちの「その後」には関心を持っていた。

 最近亡くなった植垣康博さん、もと連合赤軍のメンバーだった。彼は静岡市に住んでいた。わたしがかかわっていた大杉栄等の墓前祭にはしばしば参加され、何度か話したことがある。

 雨宮さんの記事に書かれている浴田由紀子さんも、2023年の最後の墓前祭に参加され、墓前でスピーチをされていた。彼女は、大杉栄・野枝の子、伊藤ルイさんからもらったという服を着て参加したことを語っていた。

 若い頃、ひとつの方向をめざし果敢に生きた、しかしその方向は挫折しても、「その後」を生きなければならない。その一つの生き方が、みずからを完全に消して、ひっそりと生きる道を選んだ桐島聡。

 その桐島について、浴田さんはみずからの来し方を振り返りながら、彼の「気の遠くなるような孤独」を思う。浴田さんは、みずからが捕まったとき、「これで本名で生きられる」と思ったという。「地下生活」は、孤独で、仲良くなった人にも「嘘をつかなければならなか」った。「罪悪感」がつのっていた。

 桐島は、半世紀の間、みずからを偽り、できうる限り人と接触せずに孤独に生きた。それができたということに、わたしは桐島の「強さ」を思う。しかしその生は、むなしい。

 いろいろな生き方がある。

 学生時代、問題意識を共有した友人がたくさんいた。しかしその多くは、「体制内」でゆるりと生きている。彼らは時に集まっているようだ。いちどわたしも参加を求められたことがある、しかしわたしは参加しなかった。わたしは、彼らとは違うからだ。学生時代の問題意識を、わたしは今も、堅持している。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世田谷区史の著作権問題

2025-02-12 20:00:56 | 学問

 今日届いた『週刊金曜日』に、世田谷区史編さんをめぐっての著作権人格権問題が和解したという記事があった。本来、こうした問題が生じることはほとんどない。このように問題となったことこそおかしい。

 かつてこのことについては、書いたことがある。世田谷区史の問題を指摘した谷口雄太氏のような経験はないが、そういえばこういうことがあった。

 わたしは被差別部落の部分を担当した。わたしは、地名をそのまま書いたところ、地名は伏せてほしいといわれたことがある。わたしと自治体の担当者との間にU氏が間に入り、結局、地名をアルファベット表記にした。話し合いの結果である。

 執筆者は当然著作権をもつが、自治体側がなんらかの問題を感じたときには、率直に話し合えばすむことである。

 執筆委員を委嘱する際に、世田谷区は、「著作権の放棄と著作者人格権の不行使」を求めたという。わたしは自治体史を7つ関係したが、そんなことは一度も求められなかった。そんなことが一般化すれば大問題となる。わたしも、そういうことを求められれば抵抗するだろうし、委員を引き受けない。世田谷区の執筆委員が何人いるか知らないが、他の人たちはどういう対応をしたのだろうか。おかしいと指摘したのが、谷口氏ひとりであったことに、わたしは驚いてしまう。

 歴史研究者には、気骨が失われてしまったのだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の「歌う民主主義」

2025-02-10 20:42:19 | 国際

『世界』3月号には、韓国に関する文がいくつか掲載されている。毎日新聞の堀山さんと金成玟さんの二つを取り上げよう。

 尹錫悦韓国大統領が、突然、戒厳令を発したが、即座に韓国の民衆が動き始め、戒厳令をストップさせた。街頭に出て来たのは、民主化世代と若者世代で、なかでもK・ポップファンの20代~30代の若い女性たちが多かった。

 他方、大統領を支持する保守派は、韓国の太極旗、アメリカの星条旗、そして何とイスラエル国旗をはためかし、彼らは、「保守化する20~30代男性と連帯し、世論の支持を高めることで状況を変えようとしている」と、堀山さんは書く。

 ということは、韓国では20~30代という世代において、男性と女性との間に断絶が生まれている、ということなのだろうか。

 金さんは、「2024年12月3日以降、自由にファン活動を楽しんでいた平和で平凡な日常を取り戻すために始まった彼女たちの闘いは、もはや戒厳令に抗議する市民のデモ全体をリードしている。真冬に一日も欠かさずデモを続ける彼女たちの姿は、敗北と無関心になれていた人びとにまで勇気と刺激を与えながら、新たな「歌う民主主義」の到来を実感させた。」と書く。

 韓国は、日本以上に儒教道徳が強い社会であった。長幼の序、男尊女卑は、韓国社会のあり方であった。しかし、韓国社会が民主化していくなかで、そのような儒教道徳は力を失い、そのなかで女性たちは、かなりの程度解放されてきた。それは韓国映画でもみることができる。女性の視点が、重要視されるようになってきたのだ。

 女性たちは、民主化への動きと自分たちの解放が、並行して進んできたという実感を持っている。だから、戒厳令が布告され、軍事警察国家が復活すれば、自分たちは再び、儒教道徳に縛られる、自由のない、K・ポップを楽しめない日常に戻されてしまうのではないかという強い危機感を持ったのだろう。

 女性たちが解放され、自立的な行動をとればとるほど、そういう女性を快く思わない保守的な思考をもった男性は、不愉快になっていくことだろう。

 いま、韓国の若い女性たちにとって、歴史を過去に引き戻すことは許せない。だから「歌う民主主義」の場に熱く参加してくるのだ。

 韓国の男性は、そして日本の男性と共に、現在が「男性の世界史的敗北」の時代であることに気づいていない。しかしそれは歴史の必然なのだ。「男性の世界史的敗北」というとき、それは、男性が女性に支配されることではない。男性と女性が、そしてそれにとらわれない性の人びとも含めて、できうる限り平等に、自由に生きていける社会を築いていく段階に来ているからだ。

 堀山さんは、「客観的な事実より自分の価値観に沿った情報を信じる「ポスト真実」」の世界があることを指摘するが、わたしたちは、「真実」をこそ、求めていきたい。そうでなければ、よい時代をつくることはできないからだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする