5月3日は憲法が施行された日だ。全国の新聞が一斉に憲法に関わる社説を載せている。大震災との関わりを論じた者が多い。そのなかで『中日』を載せておく。その後に、なるほどと思った社説のリンクをはっておく。
憲法記念日に考える 試される民主主義
2011年5月3日
震災被害者、原発避難者の日常生活を取り戻して「生きる権利」を守ることは当面の最優先課題です。復興で日本の民主主義の成熟度が試されます。
テレビから流れた声に耳を疑った視聴者は多いでしょう。
「主体は自治体ですから…。われわれは応援ですから…」-ふかふかのじゅうたんが敷かれた広い執務室で、政府高官がそう言い放ったのです。
テレビは、東日本大震災の被災者受け入れを観光地の旅館などが申し出ているのに、情報が被災者に届いていないことを報じていました。「なぜ?」と追及された高官の答えが冒頭のセリフです。
◆血の通っていない行政
続いて登場した自治体の職員は「学校や買い物など生活に必要な情報とセットでなければ被災者に紹介できない。自治体は目の前の仕事に追われて自ら調査する余裕がない」と答えていました。
中途半端な情報を流してこと足れりとしている高官の側に非があることは明らかです。まさに血の通っていない行政です。
時計を六十五年前に戻します。一九四六年夏、新しい憲法案を審議する衆院の小委員会が「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という現行憲法の第二五条第一項をめぐって熱気に包まれました。
社会保障の充実をうたった同条第二項は当初から原案にありましたが、問題の生存権条項は社会党の修正で挿入されたのです。
「健康で文化的な生活を妨げてはならないが、権利とするのはいかがなものか」「第二項だけで十分だ」など他党から次々異議が出ました。そのたびに、後に文相を務める森戸辰男議員が「それでは恩恵的、慈善的にすぎない」「権利として保障することで政府に積極的施策を求めることができる」などと主張しました。
◆希望の灯だった生存権
「屋上屋を架すようなものだ」と批判もされました。「国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…最大の尊重を必要とする」との第一三条の採用が既に決まっていたからです。森戸議員は「生存権の裏付けがなければ個人の尊厳も守れない」と粘りました。こうして“生存”は「人権」として保障されました。今では「政府はこの権利を実現する法的義務を負っている」というのが憲法学の通説です。
第一三条、第二五条第一項と第二項は、廃墟(はいきょ)に立つ日本人にとって希望の灯となりました。人々は憲法に励まされ「今日は昨日よりも、明日は今日より良くなる」と信じて懸命に働きました。曲折もありましたが、政府の経済政策の成功もあって生活水準は大幅に向上しました。
しかし、あの地震と津波、そして原発事故が多くの人たちを半世紀以上前の悪夢の世界へ引き戻しました。生活再建のめどが立たない被災者、避難者らには、六十五年前の日本人が頼りにした光が果たして見えているでしょうか。
被災者らの生活再建は生存権の問題です。政府にはその権利を保障し実現する責任があります。復旧、復興対策のもたつきぶりをみると、関係者が責任を十分自覚しているとは思えません。
避難者らの苦しみをよそに「われわれは応援」と平然としている政府高官、政権の足を引っ張り、責任を担おうとしない野党と与党内の一部議員…国会とその周辺で繰り広げられる荒涼たる光景は、制憲議会における新国家建設への熱気と無縁です。
政治家や官僚たちは当時の議事録を読み返し、原点に戻るべきでしょう。民主主義、憲法感覚の成熟度が問われています。
同時に国民が自覚すべきこともあります。憲法は第一義的には国家、政府と国民との関係を定めたものですが、国民の行動指針を示してもいることです。
難局を前に国民が求められているのは、政治家や専門家任せにせず主体的に参画する姿勢です。
まず「社会連帯」に基礎を置く支えを被災者らに提供しなければなりません。全国からボランティア活動家が集まり、予想を遥(はる)かに超える義援金が寄せられ、被災自治体に応援が駆けつけるなど、重荷の分かち合いが始まっていますが、民主主義が試される事態が今後も次々生まれるでしょう。
◆求められる自覚的参加
地震、津波にもろい国土、綱渡りのエネルギー需給など、基礎の危うい日本社会をどう変え、そのための負担をどうするのか。復興に向かって社会構造の根本的改革を迫られるはずです。
憲法の大原則である「国民主権主義」は、国民が自らの社会をつくりかえていく営みに自覚的に参加することを求めています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176697-storytopic-11.html
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0004026157.shtml
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/290075.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20110503/KT110430ETI090005000022.htm
憲法記念日に考える 試される民主主義
2011年5月3日
震災被害者、原発避難者の日常生活を取り戻して「生きる権利」を守ることは当面の最優先課題です。復興で日本の民主主義の成熟度が試されます。
テレビから流れた声に耳を疑った視聴者は多いでしょう。
「主体は自治体ですから…。われわれは応援ですから…」-ふかふかのじゅうたんが敷かれた広い執務室で、政府高官がそう言い放ったのです。
テレビは、東日本大震災の被災者受け入れを観光地の旅館などが申し出ているのに、情報が被災者に届いていないことを報じていました。「なぜ?」と追及された高官の答えが冒頭のセリフです。
◆血の通っていない行政
続いて登場した自治体の職員は「学校や買い物など生活に必要な情報とセットでなければ被災者に紹介できない。自治体は目の前の仕事に追われて自ら調査する余裕がない」と答えていました。
中途半端な情報を流してこと足れりとしている高官の側に非があることは明らかです。まさに血の通っていない行政です。
時計を六十五年前に戻します。一九四六年夏、新しい憲法案を審議する衆院の小委員会が「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という現行憲法の第二五条第一項をめぐって熱気に包まれました。
社会保障の充実をうたった同条第二項は当初から原案にありましたが、問題の生存権条項は社会党の修正で挿入されたのです。
「健康で文化的な生活を妨げてはならないが、権利とするのはいかがなものか」「第二項だけで十分だ」など他党から次々異議が出ました。そのたびに、後に文相を務める森戸辰男議員が「それでは恩恵的、慈善的にすぎない」「権利として保障することで政府に積極的施策を求めることができる」などと主張しました。
◆希望の灯だった生存権
「屋上屋を架すようなものだ」と批判もされました。「国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…最大の尊重を必要とする」との第一三条の採用が既に決まっていたからです。森戸議員は「生存権の裏付けがなければ個人の尊厳も守れない」と粘りました。こうして“生存”は「人権」として保障されました。今では「政府はこの権利を実現する法的義務を負っている」というのが憲法学の通説です。
第一三条、第二五条第一項と第二項は、廃墟(はいきょ)に立つ日本人にとって希望の灯となりました。人々は憲法に励まされ「今日は昨日よりも、明日は今日より良くなる」と信じて懸命に働きました。曲折もありましたが、政府の経済政策の成功もあって生活水準は大幅に向上しました。
しかし、あの地震と津波、そして原発事故が多くの人たちを半世紀以上前の悪夢の世界へ引き戻しました。生活再建のめどが立たない被災者、避難者らには、六十五年前の日本人が頼りにした光が果たして見えているでしょうか。
被災者らの生活再建は生存権の問題です。政府にはその権利を保障し実現する責任があります。復旧、復興対策のもたつきぶりをみると、関係者が責任を十分自覚しているとは思えません。
避難者らの苦しみをよそに「われわれは応援」と平然としている政府高官、政権の足を引っ張り、責任を担おうとしない野党と与党内の一部議員…国会とその周辺で繰り広げられる荒涼たる光景は、制憲議会における新国家建設への熱気と無縁です。
政治家や官僚たちは当時の議事録を読み返し、原点に戻るべきでしょう。民主主義、憲法感覚の成熟度が問われています。
同時に国民が自覚すべきこともあります。憲法は第一義的には国家、政府と国民との関係を定めたものですが、国民の行動指針を示してもいることです。
難局を前に国民が求められているのは、政治家や専門家任せにせず主体的に参画する姿勢です。
まず「社会連帯」に基礎を置く支えを被災者らに提供しなければなりません。全国からボランティア活動家が集まり、予想を遥(はる)かに超える義援金が寄せられ、被災自治体に応援が駆けつけるなど、重荷の分かち合いが始まっていますが、民主主義が試される事態が今後も次々生まれるでしょう。
◆求められる自覚的参加
地震、津波にもろい国土、綱渡りのエネルギー需給など、基礎の危うい日本社会をどう変え、そのための負担をどうするのか。復興に向かって社会構造の根本的改革を迫られるはずです。
憲法の大原則である「国民主権主義」は、国民が自らの社会をつくりかえていく営みに自覚的に参加することを求めています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176697-storytopic-11.html
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0004026157.shtml
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/290075.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20110503/KT110430ETI090005000022.htm
これは「東京新聞」の記事。ドイツなどが放射性物質の流出などについて時間を追って予測しているのに、事故を起こした日本それができなかった。こんな技術力で、「日本の原発は世界一安全」などと言ってきたのだ。
放出量予測システムも使えず 想定の甘さ浮き彫り
2011年5月2日 11時29分
原発事故を遠隔地から分析し、放射性物質がどのぐらい放出されるかを予測する国の「緊急時対策支援システム(ERSS)」が、福島第1原発事故の発生直後から電源喪失のため使えなくなっていたことが2日、分かった。
原発事故を想定した国のシステムでは「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」も機能しなかったことが判明している。ERSSが放射性物質の放出量の予測を、SPEEDIが拡散の予測に使われることになっており、ERSSの不具合は効率的な住民避難などを妨げる一因にもなったとみられる。
ERSSの開発、運用には約155億円の予算が投じられ、SPEEDIと合わせ280億円以上。国の災害対策の根幹である防災基本計画でも、緊急時には両システムで分析、予測するとされていた。緊急事態に対する国の想定の甘さがあらためて浮き彫りになった形で、原発の防災対策が根本から問われそうだ。
ERSSは、経済産業省が原子力安全基盤機構(東京)に運用を委託。事故発生時、原子炉の圧力や温度などのデータを基に施設の状態を分析、事故がどう進展し、どれだけの放射性物質が放出されるかを予測する。
経産省原子力安全・保安院によると、緊急事態を想定して1987年に開発が始まったが、これまで実際の事故で稼働したことがない。今回初めて真価を問われたが、原発の電源喪失でデータを測れなくなり、事故直後に機能不全となった。福島第1原発1~5号機ではデータを測れない状態が続いており、保安院は「今回、事故分析にERSSを使うことは考えていない」としている。
放出量予測システムも使えず 想定の甘さ浮き彫り
2011年5月2日 11時29分
原発事故を遠隔地から分析し、放射性物質がどのぐらい放出されるかを予測する国の「緊急時対策支援システム(ERSS)」が、福島第1原発事故の発生直後から電源喪失のため使えなくなっていたことが2日、分かった。
原発事故を想定した国のシステムでは「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」も機能しなかったことが判明している。ERSSが放射性物質の放出量の予測を、SPEEDIが拡散の予測に使われることになっており、ERSSの不具合は効率的な住民避難などを妨げる一因にもなったとみられる。
ERSSの開発、運用には約155億円の予算が投じられ、SPEEDIと合わせ280億円以上。国の災害対策の根幹である防災基本計画でも、緊急時には両システムで分析、予測するとされていた。緊急事態に対する国の想定の甘さがあらためて浮き彫りになった形で、原発の防災対策が根本から問われそうだ。
ERSSは、経済産業省が原子力安全基盤機構(東京)に運用を委託。事故発生時、原子炉の圧力や温度などのデータを基に施設の状態を分析、事故がどう進展し、どれだけの放射性物質が放出されるかを予測する。
経産省原子力安全・保安院によると、緊急事態を想定して1987年に開発が始まったが、これまで実際の事故で稼働したことがない。今回初めて真価を問われたが、原発の電源喪失でデータを測れなくなり、事故直後に機能不全となった。福島第1原発1~5号機ではデータを測れない状態が続いており、保安院は「今回、事故分析にERSSを使うことは考えていない」としている。
オサマ・ビンラディンが殺害されたという。2001年の9・11事件の首謀者であったとされるビンラディン。テレビニュースの映像では、アメリカ国民が歓喜している状況が映し出されている。オバマ大統領の喜びの演説があった。
今回のオサマ・ビンラディンの殺害について、私はものすごく冷めている。なぜか。
1.オバマ大統領の演説を聴いていて、いぶかしく思ったことが一つ。
こんばんは。この夜、私はアメリカの人たちと世界に作戦実施のご報告ができます。アメリカは、何千人もの罪なき人々や子供たちの殺害に責任のあるアルカイダ指導者、オサマ・ビンラディンを殺害しました。
「何千人の罪なき人々や子供たち」を殺害してきたのは、アメリカという国家ではないか。アフガンでもイラクでも、あるいは過去をさかのぼってベトナムでも、ニカラグアでも、アメリカこそが罪なき人々を殺してきたのではないか。
アメリカ人に対する史上最悪の攻撃によって、まぶしい9月の日が闇に落とされたのは、10年近く前のことでした。9/11の光景は私たち国民の記憶に焼き付けられています。ハイジャックされた2機が雲ひとつない9月の空を横切る光景。ツインタワーが崩れ落ちる光景。ペンタゴンから黒煙が立ち上る光景。ペンシルベニア州シャンクスビルに墜落した93便の残骸。あの93便では英雄的な一般人の行動によって、さらなる心痛と破壊を避けることができたのです。
果たして、あの世界貿易センターへの旅客機の突入が、オサマ・ビンラディンによるものなのか。きちんとオサマ・ビンラディンと9・11事件のつながりが証明されているのか。
現在の法体系において、犯罪を犯した者は、裁判所で証拠をもとに審議され、その結果有罪・無罪が確定するのではないか。このように、アメリカ政府が軍隊を他国に派遣して、9・11事件の首謀者だと推定している者を一方的に殺害することは許されるのか。
私は、人権尊重を基軸とする法体系を前提とすれば、今回のアメリカ政府のやり方は、まさに法を無視した超法規的行動だといわざるを得ない。
2001年9月11日のあの日、悲しみの中で私たちアメリカ人は団結しました。近所の人たちに手を差し伸べ、傷ついた人たちに自分たちの血液を提供しました。お互いの結びつきを再確認し、コミュニティや国を愛する気持ちを再確認しました。あの日、どこの出身だったとしても、どの神に祈るにしても、どの人種や民族だったとしても、私たちはひとつのアメリカの家族として団結していました。
私たちは一致団結して、自分たちの国を守り、この残酷な攻撃を行った者たちに正義の裁きを下すのだと決意を固めました。そして私たちは間もなく、9/11の攻撃はアルカイダによるものだと知ることになりました。アルカイダはオサマ・ビンラディン率いる組織で、アメリカに公然と宣戦布告し、この国や世界各地で罪なき人の殺害を使命としている組織です。だから私たちはこの国の市民や友好国、同盟国を守るため、アルカイダに対する戦争を開始したのです。
果たしてアメリカは自らを「正義」と主張しうるのか。国際機関によって、「テロ国家」と認定されたのは、唯一アメリカだけである。
この10年間、軍や対テロ活動のプロたちのたゆまない、英雄的な活動のおかげで、私たちはかなりの成果を達成しました。テロ攻撃を未然に阻止し、本土防衛を強化してきました。アフガニスタンでは、ビンラディンとアルカイダを庇護し支援していたタリバン政権を倒しました。そして私たちは世界各地で友好国や同盟国と協力し、アルカイダのテロリストを何十人も拘束あるいは殺害してきました。その中には9/11の計画に参加していた者もいます。
果たしてアメリカのアフガン攻撃は、国連憲章に照らして正当性を主張できるのか。そしてそのなかで、まったくアルカイダと関係ない者を、キューバのグアンタナモ米軍基地に連行し、厳しい拷問を行ってきた。アメリカ政府が、「こいつはテロリストだ」と推定するだけで、その人物の人権を奪い、あまつさえ拷問まで加えることに正当性はあるのか。アルカイダではなかったことがわかっても、何の補償もされずに放っておくことに正当性はあるのか。
なお9・11事件において、世界貿易センターのツインビルが崩壊した。旅客機が突入したから、これらの崩壊は納得しようと思えば納得できる。しかしこのとき、旅客機が突入していないビルも、同じように崩壊している。なぜそのビルもきれいに、あたかもビルを解体する時のように崩壊したのか。
あの9・11事件には、ウラがあると思えてならない。オサマ・ビンラディンの殺害も、その一環ではないかとも思う。なぜオサマ・ビンラディンは、イスラマバードの近くに、それも軍施設があるようなところに住んでいることができたのか。
オサマ・ビンラディンは、サウジアラビアの人だ。ソ連がアフガンに侵入してきた時、ソ連軍と戦わせるためにアメリカが送り込み、アメリカ政府(CIA)が武器やカネを支援してきた人物である。いわばアメリカのCIAが育てたといってもよい。
このような事件は、疑惑をもって見るべきものだ。
今回のオサマ・ビンラディンの殺害について、私はものすごく冷めている。なぜか。
1.オバマ大統領の演説を聴いていて、いぶかしく思ったことが一つ。
こんばんは。この夜、私はアメリカの人たちと世界に作戦実施のご報告ができます。アメリカは、何千人もの罪なき人々や子供たちの殺害に責任のあるアルカイダ指導者、オサマ・ビンラディンを殺害しました。
「何千人の罪なき人々や子供たち」を殺害してきたのは、アメリカという国家ではないか。アフガンでもイラクでも、あるいは過去をさかのぼってベトナムでも、ニカラグアでも、アメリカこそが罪なき人々を殺してきたのではないか。
アメリカ人に対する史上最悪の攻撃によって、まぶしい9月の日が闇に落とされたのは、10年近く前のことでした。9/11の光景は私たち国民の記憶に焼き付けられています。ハイジャックされた2機が雲ひとつない9月の空を横切る光景。ツインタワーが崩れ落ちる光景。ペンタゴンから黒煙が立ち上る光景。ペンシルベニア州シャンクスビルに墜落した93便の残骸。あの93便では英雄的な一般人の行動によって、さらなる心痛と破壊を避けることができたのです。
果たして、あの世界貿易センターへの旅客機の突入が、オサマ・ビンラディンによるものなのか。きちんとオサマ・ビンラディンと9・11事件のつながりが証明されているのか。
現在の法体系において、犯罪を犯した者は、裁判所で証拠をもとに審議され、その結果有罪・無罪が確定するのではないか。このように、アメリカ政府が軍隊を他国に派遣して、9・11事件の首謀者だと推定している者を一方的に殺害することは許されるのか。
私は、人権尊重を基軸とする法体系を前提とすれば、今回のアメリカ政府のやり方は、まさに法を無視した超法規的行動だといわざるを得ない。
2001年9月11日のあの日、悲しみの中で私たちアメリカ人は団結しました。近所の人たちに手を差し伸べ、傷ついた人たちに自分たちの血液を提供しました。お互いの結びつきを再確認し、コミュニティや国を愛する気持ちを再確認しました。あの日、どこの出身だったとしても、どの神に祈るにしても、どの人種や民族だったとしても、私たちはひとつのアメリカの家族として団結していました。
私たちは一致団結して、自分たちの国を守り、この残酷な攻撃を行った者たちに正義の裁きを下すのだと決意を固めました。そして私たちは間もなく、9/11の攻撃はアルカイダによるものだと知ることになりました。アルカイダはオサマ・ビンラディン率いる組織で、アメリカに公然と宣戦布告し、この国や世界各地で罪なき人の殺害を使命としている組織です。だから私たちはこの国の市民や友好国、同盟国を守るため、アルカイダに対する戦争を開始したのです。
果たしてアメリカは自らを「正義」と主張しうるのか。国際機関によって、「テロ国家」と認定されたのは、唯一アメリカだけである。
この10年間、軍や対テロ活動のプロたちのたゆまない、英雄的な活動のおかげで、私たちはかなりの成果を達成しました。テロ攻撃を未然に阻止し、本土防衛を強化してきました。アフガニスタンでは、ビンラディンとアルカイダを庇護し支援していたタリバン政権を倒しました。そして私たちは世界各地で友好国や同盟国と協力し、アルカイダのテロリストを何十人も拘束あるいは殺害してきました。その中には9/11の計画に参加していた者もいます。
果たしてアメリカのアフガン攻撃は、国連憲章に照らして正当性を主張できるのか。そしてそのなかで、まったくアルカイダと関係ない者を、キューバのグアンタナモ米軍基地に連行し、厳しい拷問を行ってきた。アメリカ政府が、「こいつはテロリストだ」と推定するだけで、その人物の人権を奪い、あまつさえ拷問まで加えることに正当性はあるのか。アルカイダではなかったことがわかっても、何の補償もされずに放っておくことに正当性はあるのか。
なお9・11事件において、世界貿易センターのツインビルが崩壊した。旅客機が突入したから、これらの崩壊は納得しようと思えば納得できる。しかしこのとき、旅客機が突入していないビルも、同じように崩壊している。なぜそのビルもきれいに、あたかもビルを解体する時のように崩壊したのか。
あの9・11事件には、ウラがあると思えてならない。オサマ・ビンラディンの殺害も、その一環ではないかとも思う。なぜオサマ・ビンラディンは、イスラマバードの近くに、それも軍施設があるようなところに住んでいることができたのか。
オサマ・ビンラディンは、サウジアラビアの人だ。ソ連がアフガンに侵入してきた時、ソ連軍と戦わせるためにアメリカが送り込み、アメリカ政府(CIA)が武器やカネを支援してきた人物である。いわばアメリカのCIAが育てたといってもよい。
このような事件は、疑惑をもって見るべきものだ。