西田敏行さんのお別れの会があった。あまり芸能界に関心のないのに、ネットで「お別れの会」を見てしまった。西田敏行さんをはじめて見たのは東京・西武劇場だった。劇団青年座のブレヒトの「三文オペラ」を見ていて、ひときわ目立ったのが西田さんで、そのとき西田敏行という名を意識するようになった。とはいっても、彼が出演しているテレビ番組や映画を見ていたわけではない。
「お別れの会」に関して、西田敏行は喜怒哀楽をオモテに出す人だという声があった。たしかに、西田敏行は、その意味できわめて人間的な人物だと、わたしも思っていた。人間的な人物だからこそ、信用され、愛されるのである。
さて、西田敏行と対極にあるのが、兵庫県知事である。彼は喜怒哀楽をいっさい見せない。その点で、凄い人物だ。人が死のうと、周辺で謀略が明らかになろうと、顔色を変えない。
そういう人物のまわりには、不可思議な人たちが集まる。兵庫県の維新の会所属の県会議員、流出させてはならない情報をNHK党の立花某に流したのに、今まで素知らぬ顔をしていた。しかしそれが隠せないとなると、しぶしぶ「自白」する。それまで情報を流したのではないかと疑われても、平然としていた。文書を渡したのは、岸口某、音声テープを渡したのは増山某。いずれも、維新の会の議員である。「軽率」であったなどというが、明確に目的をもって渡したのはあきらかなのに。「軽率」ということばを軽率につかってはならない。
兵庫県知事の周辺にあつまるのは、有象無象の者たちだ。Xに、真偽不明の情報をながしている市議会議員も、兵庫県知事の支援者である。
まさに、類は友を呼ぶ、である。