針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

今、国民が思う事。(2)

2008-05-13 06:08:14 | 針の政治談議

[裁判制度と弁護士と教育]

裁判員制度が始まる訳ですが、それ以前に犯罪者の罪における位置が問題だと思うわけです。先日母子を殺害した少年が死刑の判決を言い渡されたですけど、「弁護士の法廷での持って行き方」が皆さんどう思いますか?。
凶悪犯罪が横行しているにも関わらず、一人だと無期懲役、2人だと死刑という変な理屈。とんでもない犯罪を犯しても、精神の不安定、心神耗弱を理由に下手をすると、無罪になったりします。

例えば麻薬・覚醒剤等を使っていて、精神不安定、思考能力が無かったとの理由で、死刑にならない事があります。昔、新宿でバスにガソリンをブン撒いて乗客を焼き殺してしまった、川俣軍次(だったと思う)と言う人間がいましたが、覚醒剤自体が法律違反でも関わらず、(この場合は死刑になったと思うが)持って行き方によっては無罪になる場合もある訳です。本来はこれ自体人を殺傷する可能性があるんですから、精神不安定を問うより死刑を問うべきものだと思います。

オーム真理教の麻原彰光(って書くんだっけ?、あんまり事件が多くて忘れちゃったよ)は既に死刑判決を受けているのに未だ刑が執行されていない。これは弁護士が国選にしろ、麻原あたりの受刑者の弁護に当たると、「一生の食い扶持」になるんだと思います。それだけで、ずっと、飯がくえるんですよ。それに一方では、犯罪者の死刑廃止が取りざたされています。

 人間が人間を裁くという事は神の領域に反するものだという考えから出ているものと思いますが、殺された方、本人の無念さ、残された遺族のやるせなさ等は全くといって考慮されていないのが実情です。

 よく情状酌量の余地と言われますが、この言葉は本来、殺人を犯した犯罪者が已むに已まれぬ事が有る場合に限って使っていた言葉だ。当然、死刑が免除されて、無期懲役になるわけだ。

 針が何時も愛読している中国の古典、諸子百家の中に韓非子という書物があります。秦の始皇帝に「この書物を書いたのは誰か?」と言わしめた人物で、法家に入る人です。

 前にも言いましたが、無法者の某というものがいたが親、教師村長が諌めても一行に所業を改めない。そこで、地区を治める代官が軍隊を差向けて討伐に行ったら、恐れおののいて素行を改めたとあります。

 法・法律とは本来、厳格なものでありまして、人の情の入る余地のないものです。しかし今の社会現状の中でそうとは言ってられないところがありますので、情状酌量の余地を考慮に入れるのが一般になっています。

 昔は死刑制度にもいろいろありまして、とても残酷な物も多かったのも事実です。車引きの刑(手足を縄で括って牛馬に引かせる)凌血の刑(マゲに縄を結んで、吊るして刀で庶民が切り刻んでいく)のこぎり引きの刑(体を土に埋めて首をのこぎりで切っていく)等聞いた事があると思います。また、史記の中の「鴻門の会」では秦卒、24万人を穴埋めにしたとかあります。それは現代の民度が上がった現代には余りにも残酷と言う事で絞首刑と電気椅子(これはもう止めてしまったかも知れません)に限るようになりますした。

 こういう刑罰が生まれてきた背景には、「見せしめ」の度合いがかなりありました。確かにこういったものが犯罪抑止の効果があったのはかなりありました。

 弁護士の筋書きで(意思で)刑罰の軽重を決められてしまう現在では、先にも述べましたが、被害者の気持ちなんかまるで考慮に入れられてないですよね。[加害者の精神の不安定→罰則の軽科化]という弁護士が仕組んだストーリーによって、刑が決まるって思いたくなりますよね。裁判官もヤクザの手打ちじゃあるまいし、検察側と弁護士側の中間点で刑罰を決めようとするしね。

 戦後のゆとり教育というか、横並び教育というか、兎角、その教育が裏目に出てしまった感があります。戦前の教育も良く批判されましたが,今に無いいい所もありました。

 昔は何処かの小僧が悪さをしていると、近所の爺さん婆さんが「お前んとこのガキが何処其処で悪さしてっど!」と言われると親が飛んで行って横っ面をひっぱだいたりしたもんだ。戦後これを暴力とだけで、片付けてしまった事が、今の世の中を作ってしまったといっても過言ではない。

 子供が万引きして引き取りにきた親が平気に「今回は運がなかったな」なんて言ったり、パトカーで送り届けろなんてどの面下げて言うんだろうね。 こんな親が子供の教育が出来るはずがない。よく国民の「民度」が低いっていいますけど、日本がこの点では一番低い。そんな親に育て上げられた子供が容易に犯罪を犯すのは目に見えている。

 刑罰は見せしめの部分があってもしかたがないんではないでしょうか?。ただの恐怖心ばかり持たせる教育って意味ではありませんよ。
悪さをした時は厳しく罰するという事です。昔は親に怒られる前に、近所のガキ大将が示しをつけたもんだ。

 悪い事をする=折檻という風潮がありました。でもそういう社会で育てられた人(親)は決して子供を虐待なんかしませんよ。親に引っ叩かれた事のない親が子供を虐待するんです。

 針なんかよく引っ叩かれたんですが、今になって考えると、良く自分を矯正してくれたと感謝しています。叩かれて人の痛さも分かるしね。叩かれた子供は決していじめをしたり、集団暴行なんて事はしないと思っています。それに本来親爺って怖いもんだ。頭を良くする事ばかり進めてしまって、躾・礼節・倫理観を捨てた教育を蔑ろにしてきた報いが今になって、出て来たんだね。

 そろそろ、教育というものを、再考する時にきているのかも知れませんね。その教育が犯罪者を根本から少なくする事に繋がると思って已まないのだ。

コメント (2)
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