針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

国士無双韓信の話

2019-07-11 13:26:28 | 漢詩・古典・エトセトラ

 麻雀の役満でも有名 な国士無双。この国士無双の語源は漢の時代の韓信。(あと一人いますが、昔何かの本で見ましたが、検索しても何処にも出てきません。誰だっけ?)
でその韓信の話。「十面埋伏の計」「背水の陣」天才軍師。よく諸葛孔明が天才軍師といわれますが、この韓信もひけをとりません。

        
          韓信は忠義を疑われ王から候へと格下げられた。

 とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」と語ったという。後に大将軍に出世した時に厚くお礼をしました。

ある日のこと、韓信は町の若者に「てめえは背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って若者の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。

蕭何は「逃げたのではなく、韓信を連れ戻しに行っていただけです」と説明したが、劉邦は「他の将軍が逃げたときは追わなかったではないか。なぜ韓信だけを引き留めるのだ」と問い詰めた。これに対して、ば蕭何は「韓信は国士無双、他に比類ない人物)であり、他の雑多な将軍とは違う。(劉邦が)この漢中にずっと留まるつもりなら韓信は必要ないが、漢中を出て天下を争おうと考えるのなら韓信は不可欠である」と劉邦に返した。これを聞いた劉邦は、韓信の才を信じて全軍を指揮する大将軍の地位を任せることにした
劉邦はよく韓信と諸将の品定めをしていた。後述のように韓信は劉邦によって捕縛されることになるのだが、その後、劉邦が韓信に「わしはどれくらいの将であろうか」聞くと、韓信は「陛下はせいぜい十万の兵の将です」と答えた。劉邦が「ではお前はどうなんだ」と聞き返したところ、「私は多ければ多いほど良い(多々益々弁ず。原文は「多多益善」)でしょう」と答えた。劉邦は笑って「ではどうしてお前がわしの虜になったのだ」と言ったが、韓信は「陛下は兵を率いることができなくても、将に対して将であることができます(将に将たり)。これは天授のものであって、人力のものではありません」と答えた。

紀元前201年、同郷で旧友であった楚の将軍・鍾離眜を匿ったことで韓信は劉邦の不興を買い、また異例の大出世に嫉妬した者が「韓信に謀反の疑いあり」と讒言したため、これに弁明するため鍾離眜に自害を促した。鍾離眜は「漢王が私を血眼に探すのは私が恐ろしいからです。次は貴公の番ですぞ」と言い残し、自ら首を撥ねた

韓信は、この機会に長安で反乱を起こし、囚人を解放してこれを配下とし、呂后(呂薙)皇太子の劉盈(のちの景帝)を監禁して政権を奪おうと謀った。ところが、韓信に恨みを持つ下僕がこれを呂后に密告したため、計画は事前に発覚した。呂后に相談された相国の蕭何は、韓信を普通に呼び出したのでは警戒されると考え、一計を講じて韓信を捕縛します。呂薙は劉家に代わって呂家が天下を治める腹ずもりがあったので韓信がとても邪魔だったんですね。牢獄に入れられ後にバラバラにされて殺されてしまいます。

十面埋伏の計 

車懸りの計とも言います。「面」は、「波」「陣」の意味と捉えています。ある地点を目指している敵に対し、待ち伏せ部隊を第10陣まで準備しておくというものです。時間差で隊を相手陣営にぶつけていきます。


背水の陣
川を背にした韓信の兵は逃げ道がないので全員が必死に戦います。どうせ死ぬなら敵を倒して死のうという気持ちが生まれてきます。

最初は項羽の陣に入りますが、項羽の見る目がなく、張良の推薦で、劉邦の下に行きますがここでも謀反の疑いを掛けられて非業の最期をとげます。狡兎死して走狗烹らる(前述)の言葉が生まれました。

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