劉備亡きあと、孔明は懸命に蜀の結束を固めようとします。
長坂橋の戦いで、救出された劉禅
劉備の子、劉禅阿斗が惰弱で頭脳も凡庸、明晰でなかったので教え諭す意味、蜀の結束を促す意味で孔明が上奏したものです。漢の国の復活を掛けた劉備の意思を継いで劉禅阿斗を補佐します。せめて、呉の孫策のような器であったらね。また曹操みたいに、子供を沢山?作っていれば後継ぎに困らなかったろうにね。
前出師の表 (大意)
現在天下が魏、呉、蜀に分れており、そのうち蜀は疲弊していることを指摘する。そういった苦境にもかかわらず、蜀漢という国が持ちこたえているのは、人材の力であるということを述べ、皇帝の劉禅に、人材を大事にするように言う。
さらに、郭攸之、費禕、董允、向寵といった面々の名をあげ、彼らはよき人材であるから、大事にしなくてはならないと言い、あわせて後漢の衰退の原因は、立派な人材を用いず、くだらない人間を用いていたからだとも指摘する。また国の衰退は必ずと言って良いほど、トップに居る人間が私利私欲に走る方といって間違えない。
諸葛亮 劉禅阿斗は記憶力が悪く父によく叩かれたとあります。
後出師の表 (大意)
まず、自分が先帝である劉備から、逆賊である魏を討伐するようにと言われてきたことを確認し、魏の力があまりに強大で、自分の力はあまりにも弱く、このままの状態では蜀は魏に滅ぼされるであろうと述べる。そして坐して滅亡を待つよりは、先手を取って魏を討滅すべきであるとする。しかし、良からぬ輩が、自分の北伐を批判していると述べる。このような批判に対し、6つの疑問点をあげてその批判の不当さを指摘する。
- 今の蜀の状況は、同じく漢中に拠った漢の高祖(劉邦)、張良、陳平の才能に遠く及ばない者しかいないのに、坐して天下をとろうとするのはなぜか。ただ座っているだけでは天下は取れない。張良・陳平は、高帝に仕えた有名な謀臣である。彼らは天下を取るために、中国中を駆けずり回った
- 劉繇(りゅうよう)や王朗は、自分の州郡の中にとどまり、結局孫策 に敗れてしまった。
- 動かない蜀の様子を劉繇や王朗と重ね合わせて批判する
- 曹操は優れた軍略家であるが、それでも身を危ういところにおいて戦ってきた。自分のような小人物はなおさら、危ういところに身を置かないでどうするのか。
- 曹操のような人物ですら、敗戦を繰り返しているのだから、自分のような小人物が戦いに負けたことをあれこれ言うのはどうか?。曹操は、勝つ事も多いが、赤壁を始め負ける事の方が多く、甚大であったではないか。
- 数年後には、あちこちから集めてきた優秀な武将や兵たちが死んでしまうのに、優秀な者達がいる今のうちに戦わないのはどうしてか。関羽、張飛無き今趙雲も高齢である。軍の力が未だあるうちに行動をするのが上策である。
- 今、蜀は益州しか領有しておらず、経済力がない。このまま放っておけば、経済力のより大きい魏と対抗することはできないのではないか。
さらに、時代の流れは予見しがたいとし、弱小なる蜀も魏に勝てるかもしれないとし、死ぬまで努力すると述べる。
これはただ単に戦を増長する為ではなく魏や呉に比べると蜀は弱小なのでこのままでは他国に呑み込まれてしまう危惧を述べたものであります。実際孔明亡き後、魏の内部に居た司馬懿仲達によって劉禅はあっけなく降伏してしまいます。司馬懿は魏の主君である曹丕を滅ぼし魏の君を手中に収めてしまいます。いくら優秀な臣下が居ても頭が惰弱だと国が持ちませんね。その後、晋という国家を設立してしまいます。
こうなってしまうと何が何だか分からなくなってしまいます。義とか忠等全く意味が亡くなってしまった感がありますね。前に水鏡先生(司馬徽)が天に昇らんと欲すれども惜しいかなその時を得ずと言いましたが同族の司馬懿が天下を取る事になりますが、えてしてその司馬懿もその後の隋に平定されてしまう事になる訳です。
人生は自分の思惑とは別の方向に向かうのが常と言う事ですね。「欲かいて恥かく」って言いますが、恥ならいいんですが、自分の大事な人生を捨てるなんて事もありますので、ユメユメ、注意を怠らない事が肝要です。
絶えず、魏軍の南下を脅威に感じていた事が伺われます。