都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「都路華香展 後期展示」 東京国立近代美術館(その1)
東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1)
「都路華香展 後期展示」
1/19-3/4

前期展示にて思いの外感銘を受けたので、後期展示も拝見してきました。主に大正から昭和にかけての京都画壇で活躍した日本画家、都路華香の回顧展です。約4割弱ほどの作品が入れ替わっていました。その時の感想と重複する(全く違ったことを書いている場合もありますが…。)箇所もありますが、またつらつらと惹かれた作品について書いていきます。

殆どその姿がデフォルメされて描かれている「官女」(1903年頃)からして、華香の面白い空間構成力を見る作品です。何やら恥ずかしそうに小袖に顔を隠した官女が、即興的なタッチによる朱色の長袴の大きく垂らして立っています。その組み合わせは実に大胆です。また「六歌仙図」(1903年頃)においても、同じような構図の妙を感じることが出来ます。ほぼその表情を伺うことの出来ない歌仙たちが、何やらひそひそと談合話でも繰り出すように集まっていました。その衣装の紋様にも魅力を感じる作品です。

桜を描いた日本画はもう無数に存在しますが、少なくとも私が観た中では最上位の作品です。風にも舞い、白く輝いた花々を雅やかに散らせる「吉野の桜」(1903年頃)は、もう絶品としか言い様がありません。たらし込み風に表現された幹が幾重にも連なって巧みな奥行き感を生み出し、仄かに浮かび上がる山の稜線がその雄大な光景を見事に伝えています。それにしてもこの桜吹雪は、まるで宝石の煌めきです。一輪ずつ、とても細かな点描にて描かれています。華香の作品は、決してどれも大らかというわけではないのです。

「松風村雨」(1905年頃)において、華香が一生涯をかけて探求し続けていたという波が登場しました。右隻にて描かれた小林古径風の女性もまた風流ですが、やはり左に広がるその独特な波の表現に目を奪われます。藍色にも光る波の連鎖が、果てしない水平線の開けた大海原を形成していました。ゆらゆらと波打つそれは、どこかメタリックで強固な味わいすら持ち合わせています。暖色に灯る陽光のグラデーションと重なって、まさに高台から海を眺めた時のようなリアルな光景が出現していました。

波と言えば代表作の「緑波」(1911年頃)ですが、改めて拝見するとこれは非常に実験的な、とても難しい作品のようにも感じます。「緑波」の海は、どうやらその広がりよりも、深みと重みの存在感に秀でているようです。手前部分に迫出した波は殆ど抽象的で、金地に映える緑の描写はまるでモネの蓮を思わせるほど色がせめぎあっています。また空は狭く、うねる海が力強く画面を支配していました。前期の感想では「安らぎ」を感じさせるとも書きましたが、今回はのみ込まれてしまうような不気味な気配すら思います。とても掴みにくい味わいすらある、不思議な波のたゆたう作品です。

前期でも印象深かった「良夜」(1912年)は、その空の描写が何やら筋目描のようにも見えました。ざわつく水と歪んだ橋が奇妙な光景を生み出し、さらには空を写し出した川面がまさに暗雲のように漂っています。まるで龍が川を昇っているような光景でした。
「波」ばかり挙げてしまいました。また感想が長くなりそうです。「その2」へ続けたい思います。
*関連リンク
割引引換券
展示替えリスト
*関連エントリ
「都路華香展 前期展示」 東京国立近代美術館
「都路華香展 後期展示」 東京国立近代美術館(その2)
「都路華香展 後期展示」
1/19-3/4

前期展示にて思いの外感銘を受けたので、後期展示も拝見してきました。主に大正から昭和にかけての京都画壇で活躍した日本画家、都路華香の回顧展です。約4割弱ほどの作品が入れ替わっていました。その時の感想と重複する(全く違ったことを書いている場合もありますが…。)箇所もありますが、またつらつらと惹かれた作品について書いていきます。


殆どその姿がデフォルメされて描かれている「官女」(1903年頃)からして、華香の面白い空間構成力を見る作品です。何やら恥ずかしそうに小袖に顔を隠した官女が、即興的なタッチによる朱色の長袴の大きく垂らして立っています。その組み合わせは実に大胆です。また「六歌仙図」(1903年頃)においても、同じような構図の妙を感じることが出来ます。ほぼその表情を伺うことの出来ない歌仙たちが、何やらひそひそと談合話でも繰り出すように集まっていました。その衣装の紋様にも魅力を感じる作品です。

桜を描いた日本画はもう無数に存在しますが、少なくとも私が観た中では最上位の作品です。風にも舞い、白く輝いた花々を雅やかに散らせる「吉野の桜」(1903年頃)は、もう絶品としか言い様がありません。たらし込み風に表現された幹が幾重にも連なって巧みな奥行き感を生み出し、仄かに浮かび上がる山の稜線がその雄大な光景を見事に伝えています。それにしてもこの桜吹雪は、まるで宝石の煌めきです。一輪ずつ、とても細かな点描にて描かれています。華香の作品は、決してどれも大らかというわけではないのです。

「松風村雨」(1905年頃)において、華香が一生涯をかけて探求し続けていたという波が登場しました。右隻にて描かれた小林古径風の女性もまた風流ですが、やはり左に広がるその独特な波の表現に目を奪われます。藍色にも光る波の連鎖が、果てしない水平線の開けた大海原を形成していました。ゆらゆらと波打つそれは、どこかメタリックで強固な味わいすら持ち合わせています。暖色に灯る陽光のグラデーションと重なって、まさに高台から海を眺めた時のようなリアルな光景が出現していました。

波と言えば代表作の「緑波」(1911年頃)ですが、改めて拝見するとこれは非常に実験的な、とても難しい作品のようにも感じます。「緑波」の海は、どうやらその広がりよりも、深みと重みの存在感に秀でているようです。手前部分に迫出した波は殆ど抽象的で、金地に映える緑の描写はまるでモネの蓮を思わせるほど色がせめぎあっています。また空は狭く、うねる海が力強く画面を支配していました。前期の感想では「安らぎ」を感じさせるとも書きましたが、今回はのみ込まれてしまうような不気味な気配すら思います。とても掴みにくい味わいすらある、不思議な波のたゆたう作品です。

前期でも印象深かった「良夜」(1912年)は、その空の描写が何やら筋目描のようにも見えました。ざわつく水と歪んだ橋が奇妙な光景を生み出し、さらには空を写し出した川面がまさに暗雲のように漂っています。まるで龍が川を昇っているような光景でした。
「波」ばかり挙げてしまいました。また感想が長くなりそうです。「その2」へ続けたい思います。
*関連リンク
割引引換券
展示替えリスト
*関連エントリ
「都路華香展 前期展示」 東京国立近代美術館
「都路華香展 後期展示」 東京国立近代美術館(その2)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )