高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

自然学校での業務の体験実習

2014-10-02 21:59:52 | プログラム 研修、講演等

今年の自然学校指導者養成講習は、日本環境教育フォーラムは主催から共催となり、主管は安藤百福財団となりました。 通算では15期生かな。随分と長い歴史となって来ました。 本年の実習生のまっすんが、黒松内ぶなの森自然学校・ねおすでの修行を修了しました。

同時に、松前町の地域協力隊員の入江さんもひと月の体験実習を修了しました。 ふたりとも次のステージに本日旅立ちました。

写真のフォーカス深度のせいか、アタシが随分と小さく、連行されるように映っちゃった。 いいえ、ふたりが大きくなった。

頑張ってね。

 

昨年のブログから・・・昨年の修了生さまりは、那須でインタープリターとして頑張っています。

 
さまり修了
(社)日本環境教育フォーラム(JEEF)からの実習生さまりが、半年の実習・研修を修了しました。今月から2か月は、浅間山の近くの研修施設を合宿しながら座学と各種ワークショップを集...
 

 

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秋のカヌー川下り

2014-10-02 21:14:34 | プログラム

明け方には、我が家の玄関前の温度計が、この秋初めての零度を記録。 アイヌ語には、秋と春を表す明確な単語がないと聞いたことがあります。もっとも、「ある」ときっぱりという方もいますので、住んでいる地域によって違うのかもしれません。 ない場合は、秋のことは「夏の終わり、あるいは冬のはじまり」が秋、春のことは「冬の終わり、あるいは夏の始まり」と言うのだそうです。

今日は、まさしく、冬の始まりを感じる季節に突入したと感じました。 このあたりの山は700mほどの標高なのでまだ紅葉は始まっていませんが、もう夏の勢いのある色合いではありません。光合成装置も耐用月日が来て、もう動いてないのでしょうね。 そんな季節の変わり目にある朱太川でJICA支援の中国自然学校ネットワーキング事業で、来日中のウエイさん、チョンチョンさん、通訳のファンシーと川下りをしました。

鮭の遡上が見れて歓声があがり、ヌメリスギタケをカヌーから採り、身近に大きなサギやカモを見て、カワシンジュガイをさわって感動していました。大都市の上海や成都で自然教室やエコツアー、有機農法と交流事業を実践模索している彼らにとって、大気も水も透明で新鮮な北海道は別世界のように感じているのでしょう。 大気や水の環境汚染が深刻な自体となり、規模が大きいだけに隣国にも影響を及ぼしてします環境問題が中国にはあります。

自然に興味を持ち、事業意欲のあるひとりでも多くの人々が、自然体験型環境教育、プログラムの実践を行い、多くの一般市民の環境意識を高めるために、人・社会と自然との関係性づくりの仕事に携わってもらえることを願っています。 地球環境問題の解決には、私たち民間レベルでも草の根交流がどんどんと起こす必要があります。

そのためにKnow-Howは隠している場合ではない、日本型の自然体験型環境教育や地域への関わり方の様々を体験して頂き、中国にあった中国型環境教育の手法を編み出して行って欲しいと願っています。

ちなみに、インターネットで調べると

paykar*1 パイカ:春
sak*1:夏
cuk*1 チュ:秋
mata*1 マタ:冬  とありました。

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御嶽山からの生還記録

2014-10-02 04:23:30 | 今日のニュースから

御嶽山から生還した家族のお父さんの体験記録です。

リスクマネージメントの力をつけるためには、リスクに強くなる必要があると、かつてある人から指南をうけたことがありました。そのためには、もちちろん経験の積み重ねが必要ですが、リスクの高い活動ばかりしていたら、幾つ命があっても足りません。  人は想像力があります。 事故事例や災害事例から学ぶこともできます。 その事例は、同じ状況に対応するためではなく、他のリスクに出会った時にも行動に活かせる教訓となります。 これが、「リスクに強くなる」練習です。

この方の記録は、アウトドア活動をする方々に、私にとっても、リスクに強くなるために、とても参考になる「自分と家族」を守った手記です。

*****(転載させて頂きます)******

まだ鮮明に覚えているうちに、
自分用の記録として残しておこうと思います。

9月27日(土)
一日休みがとれそうだったので、
紅葉の御嶽山を子供も連れて家族でのんびり登る為に、
金曜日の夜に王滝村、田の原駐車場に向かいました。

(甘いと言われれば返す言葉もありませんが、
まさか噴火するなんて全く想像もしていなかった為、
比較的登りやすい御嶽山を選びました。
本当は一人で濁河温泉側のルートで前回のリベンジを
するつもりでしたが、子供達に一緒に行きたい。と言われ、
のんびり紅葉狩り登山にすることにしました。
ルートとしては子供達もいたので御嶽山の全容を
眺めながら登れる王滝口登山道にすることに)

駐車場で車中泊し、
朝6時30分頃に王滝口登山道から登山開始。

最近ではあまり出会えなかった快晴で、
御嶽山も本当に綺麗に見えていました。

紅葉も本当に素晴らしく、
老若男女、たくさんの登山者で賑わっていました。

途中、雲海とそれを貫く山々の姿に感動を覚えながら、
今日は本当に最高の登山日和だ!
と感じたのを覚えています。

小さい子供連れということで、
たくさんの登山者の方に声をかけて頂き、
子供達もその応援に力をもらいながら、
楽しんで登っていました。

子供に合わせたゆっくりしたペースで、
休憩も多めに入れて写真やビデオを取りながら、
4時間ほどで「王滝頂上」に着きました。

王滝口頂上奥社でお参りをして、
「剣ヶ峰」の姿を見る為に、頂上奥社の裏手へ。

このまま「剣ヶ峰」に登る事も出来ましたが、
昼食、下山を含めた時間的な事、子供達の体力の事…
いろいろな事を考えて、先に昼休憩をとることに。

この時点で子供達には言いませんでしたが、
ゆっくり昼食をして、「剣ヶ峰」には行かずに
下山しようと考えていました。

どこかで昼食を取ろうと思い付近を探しましたが、
「八丁ダルミ」周辺は風が強く、地獄谷からの硫黄の匂いも
キツかったため、一旦「王滝頂上山荘」の南側の広場まで戻り、
風の影響を受けない建物の近くで昼食にすることに。

近くにはトイレの入り口もある為、
(子供達が行きたいと言っても連れて行きやすいし…)
そんなことを考えながら。

朝と比べるとガスも出てきて、
絶景という訳には行きませんでしたが、
子供達は山ご飯にハシャギながら、
1時間ほどゆっくりとした昼休憩を過ごしました。

周りには同じように昼食をとる登山者の方も多く、
私は登ってきた登山道が見える東側斜面にいましたが、
西側の地獄谷が見える少し上の広場には、
山荘から離れた場所までたくさんの方がいたのを記憶しています。

昼食をとりながら、山荘の方を見ていると、
ちょうどトイレの真下にあたる部分に、
何か入り口のようなものがあることに気付きました。

この時は

(あの入り口は何だろう?)

と思ったくらいで、特にそれ以上は考えてもいませんでした。

角度的にも私のいた場所からでないと、
その入り口を確認する事は出来ず、
他の方達はその場所に空間がある事すら知らなかったと思います。

昼食をとりながら子供達に

「今日はこれで下山するよ」

と言ったところ、

「やだ!頂上まで行きたい!」と…

「今から頂上まで行って下山すると、
時間が遅くなるから…」

「やだ!早く登るから行きたい!」

そんなやり取りをしながら、
(ここまで行きたいなら、頑張って行かせてみようか…)
と内心迷いもありました。

昼食が終わり、荷物をまとめながら、
もし頂上に向かった場合の下山までの時間や
子供達の体力的な事を考えていました。

(本当に行かせられるか?)

(ここで下山した方が時間的にも余裕があるし…)

考えながらゆっくり荷物をまとめ、
全員がザックを背負った瞬間…

「バリバリバリ、ドカーン!!!!」

ものすごい音が…

カミナリか!?

と一瞬思い、その音がした地獄谷の方を見ると、
目の前の谷から大きな噴煙が立ち上がりました。

えっ …… 噴火…???

周りにいた登山者全員が状況を把握できず、

「写真!写真!」

という声が聞こえてくるなど、
その瞬間は恐怖を感じる事も出来ない程、
誰もが状況を把握していませんでした。

しかし最初の噴火から10秒弱…

「ドドドド…ドカーン!!!!」

という爆音とともに、最初の噴煙とは比べ物にならない
大きな噴煙の柱が空高く舞い上がるとともに、
もの凄い早さで自分たちのいる方に向かってきました。

「ワーー!!!!」「キャー!!!!」

うってかわって叫び声や悲鳴が飛び交う中、

(ヤバい… どうする? 逃げても間に合わない。

どこかに隠れなきゃ… 子供達をどこかに…

何かの陰に隠れる? ダメだ。あれに巻き込まれたら、

絶対無事では済まない。どこか安全な空間に入らないと…

山荘は? ダメだ。山荘の入り口まで走っても間に合わない…)

一瞬で様々な事が頭を駆け巡り、

(あそこは??)

さっき昼飯を食べながら気付いた、
トイレの真下にある入り口が頭に浮かびました。

すぐさまその入り口が見えるところまで行き、
中に空間がある事を確認し、

「ここに入るよ!!こっちにおいで!!」

子供達に声をかけ、その空間に誘導しました。

その時の私の声に反応して下さったのか、
近くにいた別のグループの方々もこちらに向かって
走ってきました。

その方々の後ろには、
もの凄い早さで噴煙が迫ってきていました。

(もうヤバい!)

私が空間に入ると、
すぐにそのグループの方が駆け込んできました。

「扉を閉めて!!」

木製の引き戸を両側から閉めようとした瞬間…

「!!!」

一瞬で外が薄暗い噴煙に巻き込まれ、
その噴煙が空間の中に流れ込む寸前で、
扉が閉まりました。

木製の古い引き戸なので閉まりが悪く、
数ミリ隙間が出来ており、
そこから凄い勢いで噴煙が吹き込んできました。

すぐに子供達に鼻と口を服の袖でふさがせて、
吸い込まないように言いました。

それでも全員が吸い込んで咳をしていましたが、
一応閉め切った空間のおかげで、
全員が噴煙の直撃を免れました。

2回目の大噴火から、
私のいた場所が噴煙に巻き込まれるまで、
おそらく十数秒しか無かったと思います。

他の人は!?

頭に浮かびましたが、
それを打ち消すように事態は悪化します。

扉を閉めて真っ暗な空間。
薄暗い噴煙とはいえ、数ミリの隙間から
外の光が届いていたのに、

「ゴォー!!」

という音とともに外が真っ暗になりました。

夜とも違う、光が全く届かない
まさに暗黒という感じでした。

それと共に、空から何かが降ってきて、
それが地面や小屋の屋根にぶつかる
凄まじい音が鳴り始めました。

そして噴煙だけではなく、
硫黄のキツい匂いが充満してきました。
それと共に熱を持った空気が室内に入ってきている感じがしました。

(このままではヤバい!)

ザックの中にタオル等があることを思い出し、
腕時計のライトを付けてザックの中のタオルを
探し出しました。

すぐに子供達にタオルを渡し、
目を閉じて顔全体をタオルで押さえるように
言いました。

自分も防寒用のフェイスマスクをかぶり、
鼻と口を押さえました。

タオル等で押さえていても息が出来ない程の
ガスが充満してきて、ここで本当に死を意識しました。

(コレが続いたら、絶対に助からない…)

(どうすればいい…)

(こんなところで家族で死ぬのか…)

(子供だけでも何とかして助けられないか…)

本当にいろいろな事が脳裏をよぎり、
何とも言えない気持ちになりました。

子供達は泣き出し、それを落ち着かせて…
その繰り返し。

数分するとその強いガスが収まってきて、
何とか息が出来るようになってきました。

外もまた薄暗さにかわり、
少し落ち着いたようにも感じました。

「みなさん、大丈夫ですか?」

空間に一緒にいるはずの、
他の方々に声を掛けると

「大丈夫です」

との声が聞こえ、少し安心しました。

ここで私たちの他に5名のグループの方が
一緒にいる事が分かりました。

そのグループの女性の方が、
すぐに消防に連絡を取ってくださり、
私たちの位置と人数を伝え救助要請。
さらに今後どうすればいいのかを聞いてくれました。

消防はこの時点では噴火は確認しているものの、
状況把握が出来ていないという事で、
今はそのまま外には出ないで待機してくださいと
指示を受けました。

ここで一旦全員が落ち着きを取り戻し、
「外の人は大丈夫かな?」
「この先どうなるんだろう」

いろいろな事を話しながら、
外の様子に気を配っていました。

私は自分のいる空間を確かめる為に、
腕時計のライトで周りを照らし、
何があるのかを確認しました。

私たちのいる空間は、
天井1m40㎝ほどの低い空間で、
トイレの真下。汚物タンクの置き場でした。

幸いしっかりした汚物タンクで、
匂いが漏れるような事もなく、
物置としても使われていました。

(何か使えるものは無いか?)

そんな事を思いながら隅々まで確認しました。

落ち着いたと思っていたら、
また轟音と共に真っ暗になり、
噴石が落ちる音、ガスの充満…

そして落ち着いて…

これを5回以上は繰り返したと思います。

途中、今までに無い激しい音と共に何かが屋根に落ちるのを聞いて、
「まさか人じゃないよね…」
「岩だとしたら、屋根を突き抜けてくるかもね… 
でもここはトイレのさらに下の床下の空間だから、少しはマシかな…」

と会話したり、また
真上のトイレから足音と男の人が激しく咳き込み
苦しむ声が何度か聞こえてきて、
「上に人がいるね。大丈夫かな…?」
そんな会話もしていました。

確認しようにも、私達の入り口とトイレの入り口はちょうど建物の反対側。
外に出られない状況では他の人の確認に行けるような状態ではありませんでした。

そんな中、本当に色々考えました。

(おそらく外は大変な事になっているだろう。
 逃げ場が無く外にいた人達はきっと… )

(救助要請しても、噴火が続く限りヘリでここに救助に来ることは出来ない。
 ここは噴火口に1番近い所だろうから…)

(となると、このまま噴火が収まらなければ
 誰も救助には来れないかもしれない…)

(状況がこのままなら、この空間でしばらく過ごさないといけない… 
 水は? …ある。
 水分補給用と昼飯用の残りがまだ1リットルと少しはある。 
 食料は? …少しなら。
 アルファ米と行動食、それに子供達のお菓子が少し… 
 どうやって消費するか計画しないと…)

(でもこのまま噴火が続き、もしこの山小屋に火がついたらどうする?
 外にも出れないし、ここで焼け死ぬしかないのか…)

(さっきよりも噴火が激しくなって、
 息が出来ないガスが充満し続けたらどうする?)

(少しでも落ち着いたら、何とか下山出来ないか… 
 一刻も早くこの場を離れないと…)

(下山するにしても、登山道は無事なのか?
 人が下りれる状況なのか?)

(外に出たら… 登山道を下りたら… 
 助からなかった人達があらゆる所に倒れているんじゃないか…? 
 そんな所を子供達を連れて歩けるのか?)

(子供を連れての下山にかかる時間を考えると、
 14時くらいには下りないと暗くなってまた危険になる)

(下山を始めた後に、またあの大きな噴火があったらどうする?
 もうこの安全な逃げ場はないから、次巻き込まれたら死ぬ…)

どうする… どうすればいい…

窓一つない空間で、聞こえる音と数ミリの隙間からしか
外の状況を把握出来ない私達には、耐える以外に方法がありませんでした。

緊迫と落ち着きを繰り返す中、そんな事を考えながら、
グループの方と色々話すうちに1時間半?程その場で耐えたでしょうか…

繰り返されてきた緊迫の状況が起こらなくなりました。

外は薄暗いものの、静かに唸る噴火口?の音と
細かい何かが降り注ぐ音以外には何も聞こえませんでした。

他の人の声が一切聞こえないことに、
言い様のない不安にもなりましたが、
扉を開けて外の状況を確認する事になりました。

外は写真のとおり、一面真っ白に火山灰が積もった状態で、
噴石により目の前のウッドデッキに大きな穴も空いていました。

積もった火山灰の量も凄く、さっきまでいた山の景色との違いに唖然としました。

ここでグループの方と下山について検討…

今なら下山出来るかもしれない…

下山途中にまた噴火が起こったら、助からないかもしれないけど…

でもこのままここにいても、助かる保証は何も無い…

下山するならもう今がタイムリミットだろう…

どうする…

みんなで話し合った結果、

「下山しよう」

そう意見が一致しました。

そう決まればすぐに出発の準備。

荷物を整理して、子供達には帽子とフードを被せて、
自分達もレインウェアやフード付きジャケットを着込んで…

また噴火したら…

登山道はあるのか…

途中助からなかった人達が倒れていないか…

色々考えた上で、覚悟を決めて9人全員で出発。

火山灰は30㎝は積もっているだろうか…

フカフカで少し滑りそうだけど歩ける。

山荘を回り込んで、山荘の入り口に着くと、
少し前までたくさんの人がいた形跡が…

中にはオレンジのヘルメットがまだ残っていたので、
子供も含めて全員それを装着。

山荘入り口から下山道にはたくさんの人が歩いた跡が…

「みんな先に降りたんだ!急ごう!」

そう言って、下山開始。

大量の火山灰が積もっているものの、
先行した登山者の踏み跡もありルートも明瞭。

少しでも大きな音がすると不安になり、
振り返り噴煙を確認しながらの下山。

とにかくみんなで
「安全に、早く」
を合言葉に足もとを確認しながら…

長女は1人で問題無く大人のペースについて行ける。

しかし次女にはこのペースは無理だ。

気を遣ってグループの方が最後尾に付いてくれる。

本当にありがたい…

でもみんな少しでも早く下りないと…

そこで、長女には
「皆さんに付いて先に下りなさい。」
そう言い聞かせ、
グループの方に長女をお願いして、
ペースを上げて先に下山してもらえるように…

次女は私と嫁で交互にサポートしながら下りることに。

精神的にも肉体的にも厳しい下山でした。

しかし、
しばらく下りると火山灰の影響も少なくなってきて、
視界も開けてきた。

ルートの先を見ると、
同じオレンジのヘルメットを被った100人近い登山者が下山する列が見える。

ここで少し安心。

さらにこの辺りに来ると、山小屋のスタッフが何人も間隔を空けて
ルート上に待機してくれて、サポートをしてくれました。

若い女性のスタッフはずっと次女を励ましながらサポートしてくれて、
さらに男性のスタッフと会った時は、
「私が娘さんを背負っておりますよ!」
とまで言っていただきました。

次女は疲れ果ててクタクタなのに、
その言葉に何故か断固拒否(ーー;)

いや…ここはそうしてもらいなさい。
と言っても全く聞き入れない…

すると男性スタッフが
「じゃあお父さんの荷物は僕が背負いますよ。
そうすれば娘さんをサポートしやすいですから」
と言って、私の重い荷物(実はテン泊のトレーニングの為に
使わない荷物も含めてあえて重量を持って登ってました^^;)
を軽々と背負い、下まで荷物をおろしてくれる事に…

慣れない重量で体力的にもキツかった私にとっては、本当に助かりました。

この時には長女も含めたグループの方々はもう見えなくなっていましたが、
荷物が無くなり負担が減ったので少しペースを上げて下山。

大江権現を過ぎ、遥拝所まで戻ると、
消防と救急の方が待っていてくれて、
すぐに体調を確認すると共にうがい用の水をくれました。

そしてまだ少し距離があるから、と
ここからは軽トラックの荷台で乗せて行ってくれるとの事。

この軽トラックの荷台に乗った瞬間に、
(やっと終わった)という安堵感に包まれました。
後ろを振り返ると、未だ噴煙を激しく上げる御嶽山の姿が…

そして登山道入り口へ。

そこには物々しい数の
警察、消防、救急の方々が…

事態の大きさを改めて感じました。

軽トラックから下りた瞬間、
長女が駆け寄ってきました。

その後ろには一緒に避難し、
長女を下までおろしてくれたグループの方々が。

長女の顔を確認し触れた途端、
涙が溢れそうになりました。

「よく頑張ったね。1人だけ先に行かせてゴメンね… 寂しかったよね」

そう言って抱き寄せました。

長女を無事に下ろしてくれたグループの方々には言葉に出来ない程の感謝をしています。

短い時間でしたが、生死の瞬間を共に過ごし、
一緒に避難したのがあの方達で良かった。
本当にそう思います。

偶然にもグループの中の一人の方が同じ安城市に住んでいる事が分かり、
自分たちの身に起こった奇跡とともに、本当に何かの縁を感じました。

そして下山のサポートをしてくださった山小屋スタッフの方々。
お名前をお聞きする事も出来ませんでしたが、
いつか改めてお礼を伝えたいと思います。

山小屋のスタッフをはじめ地元のボランティアの方々、
警察や消防の方々、そして自衛隊の方々、本当に多くの方々が
今も救助活動を行っています。

今の時点で30数名の方が心肺停止で見つかりました。

時間的にもその中には私たちを追い越し、
子供達に声をかけてくださった方々も
含まれているかもしれません。

(あの夫婦は無事だろうか…)
(あの親子連れは無事だろうか…)
(あの若い男女のグループは無事だろうか…)

自分の記憶にある、声をかけ合った人たちが、もしかしたら…

それを考えると何とも言えない気持ちですし、
想像するだけで心が痛くなります。

報道などの噴火の映像を見るたびに、
本当にあの状況では誰が同じように
なってもおかしくなかった。

あの場所にいて今生きている事に、
まだ不思議な感じです。

私たち自身、

もう少しペースを上げて登っていたら…

あのまま剣ヶ峰を目指していたら…

昼食の場所をあの場所にしていなかったら…

あの入り口に気付いていなかったら…

剣ヶ峰を目指す為に昼食を早めに切り上げて、歩き出していたら…

昼食が終わり、荷物を背負った瞬間の噴火でなかったら…

少しタイミングがズレただけで、
逃げ場となる山小屋などが無かったり、
間に合わなかったりして、
噴煙、噴石、火山ガスの直撃を受け
最悪のケースになっていたかもしれません。

それこそ噴火が水蒸気爆発ではなく、
高温の火砕流を伴うマグマ噴火であれば、
山頂にいた数百人全員が助からなかったでしょう。

本当に小さな奇跡が重なって、
今こうやって無事でいられる事に、心から感謝です。

もちろん反省材料は沢山ありますが、
今回の事で改めて感じたのは、
自然と共に生きている以上、
登山に限らず、災害というのは
いつ、誰の身に起こっても不思議ではないという事。

絶対的な運に左右されるのはもちろんですが、
問題はその場に直面した時に、
いかに冷静に、生きる為の判断が出来るか、
そして必要なものを持っているのかどうか。

今回の経験で、本当にいろいろな事を考えさせられました。

生かされた命。

その意味を考えて生きていこう。と

ただ今は
犠牲になられた方へ心からのご冥福を。
怪我をされた方の一日も早いご回復を。
そして安否確認がとれない方がご無事である事を祈るばかりです。

朝6時30分頃、登山開始。  雲一つない快晴で、御嶽山も綺麗に見える。
 
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中つち

2014-10-02 04:01:18 | プログラム 研修、講演等

JICA研修生と共に、ぶなも森自然学校の第3代目と4代目のチーフディレクターだった たーぼとまむが営農を始めた農場「中つち」を訪問。 農場には香港から若いペアのWooferが滞在中でした。

研修生は、ふたりともパーマカルチャーに関心があり、中国の地元(福建、四川)で勉強会を主催、実践もしている。 彼らの耕起型自然農法に関心を持っていました。

M&Tは、自宅も自ら建設中。 農業が軌道に乗るには時間がかかるでしょうが、素敵なフィールドになることは間違いありません。人生で最もたいへんな時期の子育て前半期の若いふたりの実践に質問も集中していました。

 

 

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森のお弁当箱

2014-10-02 04:00:00 | 日記

ねおすの苫小牧事務所でもある「いぶり自然学校」が週に1回実施している私立幼稚園での自然の時間(私達風に言うと、森のようちえん)に参加して来ました。

テーマは、「森のお弁当箱」

光の国幼稚園の最大最素敵な特徴は、幼稚園林を持っていることです。それも広場もあれば水辺もあり、さらには起伏もある大きな自然空間です。園庭が森なのです!!! 普段からその環境の中で自由保育時間がたくさんあります。苫小牧スタッフのうえだんなとやまちゃんは、ちょっとばかり構成的なプログラム(設定保育)を専門家である自然案内人として担当しています。

森へゆき、種を拾ってお弁当作って、動物さんたちにプレゼントしようというストーリーです。

まずは、驚くのはここの幼児さん達の身体能力です。大人でもよっこらしょと登る急斜面をいとも簡単に登ってゆき、そしてちゃんと注意を払いながらゆっくりではあっても身軽に急斜面を降りてゆきます。 それも片手に箱をもったまま、中身をこぼさずにです。 しかも、ここまで大勢、今回のクラスは全員がそれをできるのはびっくりです。 5歳児にしてのバランス感覚は今のお子さんには、山に囲まれた黒松内でも・・・ありません。 段ちに身体バランス力のつき方が違うと感じてしまいました。全くと言っていいほど手助けを必要としません。 そればかりから、「ジェット(私のキャンプネーム)、だいじょうぶ?」と、心配されてしまいました・・・・。


お弁当箱づくりは、幼児さんだとやれる子としない子・出来ない子は、やれる子の方が少ないのが普通ですが、この幼稚園の子どもたちは大多数がいろいろと工夫をします。かなり、イメージをふくらませてお弁当箱を作る子もいます(上の写真)


私の箱は右です。 綺麗なもの、珍しいものを見つけては、どうも飾り付けてしまいます。 大人な箱。その私の箱の上段右上に入っているのは、枯れ木の木っ端を3、4人の子どもが一生懸命分解壊して、私に分けてくれたものです。 これは、「お肉」でした。 右の子ども達の箱には、いろいろな工夫をした「混ぜご飯」が入っています。

あ~あ・・、アタシにはこの発想が消え失せていた・・・。

作ったお弁当は、最後に大きな蓋になる葉っぱを探してかぶせてできあがり。 そして、終わりには、その蓋の上に集めた木の実や種を、リスさんや鳥さんたちがやってきそうな場所に置いて、森からさようなら。

明日、おいた場所を見に行ってみようね・・で おしまい。

 ちなみに、放課後活動として、より非構成的なプログラム時間「もりっ子くらぶ」も週一回、この幼稚園で実施しています。

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9月の森林療法

2014-10-02 03:55:49 | 日記

8月は訪問できませんでしたので、2ヶ月ぶりの苫小牧・植苗病院の森林療法時間でした。 植苗病院では毎週、入院や通院患者さんを対象に森林療法時間があります。その一部をお手伝いさせて頂いています。

活動は、黒松内ぶなの森自然学校から1名と私がネイチャーワゴン3Gに青空喫茶OCHANOVAが実施できるアウトドア道具を積んで出かけます。今回は、中国からの研修生2名と通訳・コーディネイターのFancy, 松前町からの実習生IREさん、とぶなもりから私とチコ、ねおす苫小牧事務所(いぶり自然学校)からやまちゃん、女性達の自然活動市民団体エンリットからMYMさんがスタッフでした。  MYMさんは今年の春から同じく非薬物療法である園芸療法時間を担当しています。 彼女が始めたハーブを使った匂い袋や手湯・足湯はすっかり定着しました。


この活動は、患者さんのリクリエーション活動でもありますが、TKZW医師が処方し、作業療法士さんが管理する療法時間です。私たちは、その元で私たちはアウトドア活動の専門家として「森林療法の時間と空間」のあり方を考え、ご提示しつつ、プログラムを進行します。病院は、広い雑木林を持っています。 そして、森づくりNPOが整備してくれる小道があります。昨年はお願いをして、木立の中に広場を作ってもらいました。

この活動は、(なんと)製薬会社の助成を受けて、3年前に活動を始め、今年が4年目となります。 現在は自主活動です。

 当初は認知症の対応が目標で、寿都診療所の医師・看護師等、寿都町の医療・保健スタッフを助言者として、どのようなプログラムが有効か試行錯誤を始めました。 お年寄りの集まりへ行き、自然素材を使ったゲームや起承転結のあるプログラムフローを持って(構成的プログラム)実施していましたが、なかなかうまくゆきませんでした。 それを学びとして、2年目は札幌の認知症の方が多いデイケアサービス施設と植苗病院で試行を続けながら実践で経験を積んできました。 

 そして、同時期に展開をしていた東日本大震災の被災地支援で始めた青空喫茶活動での経験がヒントとなり、「癒される空間と時間づくり」に意義を見いだせるようになり、個別の構成的活動(アクティビィティ)にこだわるよりも、コミュニティ空間と仲間とわらわらと過ごす時間をつくるよう方が「良い」ことに気づきました。  そして、病院でも良い評価を頂けるようになりました。


森林療法(医療従事者ではない私達としては、療法とは喧伝できないので、自然療育活動と呼んでいます)私たちは12時前後に現地に到着して、OCHANOVA空間の準備をします。 その日によっては、患者さんが13時ころから焚き火を囲みに来ます。 14時が正式のスタートです。

ここのところは、まずハーブの匂い袋を作り首からさげることから始まります。 その後、病院林の木立をゆっくりと歩き、明るい雑木林の中で30分ほど過ごします。 五感を刺激できるように、ある時は、木漏れ日や野鳥の声に眼や肌や耳を使い、花や葉っぱの色合いなど自然を楽しみます。 木に抱きつくこともあれば、大地に寝そべる、 朗読や呼吸に意識するブリージングをすることもあります。最後は簡単な樹林気功をしてから、身体中を共鳴させるように大声をあげたり笑ったりします。  今回は山栗拾いに時間をとりました。

その後、OCHANOVAで、ハーブ茶や病院で許可がでている飲みのもや果物などを味わいつつ、わらわらと過ごします。 この場での最近の人気はハーブ入りの足湯・手湯です。 木を削ったり、切ったり、磨いたりする等、簡単なクラフト、春先は木の芽を小さな瓶に活けることもあります。 やる人はやる、やらない人はそれでOKというわらわら感を大切にします。 そして、何よりも焚き火、みんなで火を囲むことを演出しています。

効果ある自然の舞台設定と演出と私達の演じ方も体得してきました。 他の箇所でも活動を増やしたいと考えてはいますが、なかなか時間が割けないのもひとつ悩みではあります。

次回は10月下旬に開催します。 スタッフとして参加にご興味のある、実施受け入れ施設・病院としてご関心がある方があれば、ぜひご連絡をください。

 

 

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2014-10-02 03:53:31 | めずらしい

ラクヨウ探し名人のSGEさんが連日のように採ってきてくれます。 昨年は不作だったのですが、今年はこのハナイグチさんにとっては素敵な環境のようです。 

先週の金曜日に北限のぶなの森、歌才へガイドで入りましたが、山道の周辺ではあまりキノコが見れませんでした。ハナイグチさんにとってはいい環境条件のようですが、他のキノコにとってはそうでもない・・・のかな.  立派なベニテングタケさんが見れるのはもうちょっと秋が深まってからだったかな。

樹木の実りには、それぞれの樹種に違いがあるのは感覚的にわかっています。例えば、今年はミズナラの実りが良いです。 山の樹木の結実は年ごとに譲り合っていますが、キノコもそうなのかもしれないな。

ホウノキの実りも今年はいいのだろうか。 苫小牧で素敵な実を見つけました。

 

 

 

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