高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

環境教育学会の「未来ビジョン」命題3

2025-02-17 13:18:28 | 主義・主張

ついに、3つのビジョンの命題3

「学術と社会をつなぐ:学会のアイデンティティ形成と関連学会との連携」

うーん、このビジョンとなると実践者たるアタシではコメントするのも差し出がましいし、難しいなあー。

命題2についてでも書いたことだが、人の関心ごとはひとそれぞれであり、共通項を絞ることは難しい・・・。 自然ガイド・インタープリターであっても幅広い興味関心を持って自分のフィールドで活動しているわけで、まして、研究者となると膨大な専門分野・研究があるであろう。

私は最近では参加していないが、北海道アウトドアガイドフォーラム(という名だったかな)なる活動があって、けっこう多種な分野のガイドやら関係者が集まっているやと聞き及んでいる。 実行委員のおひとりにその訳を聞くと「ビジネス」というキーワードで参集しているのではないかとのことであった。そして、北海道アウトドア―ネットワークなるものの設立準備もあるらしい。

あえて、おこがましくも、環境教育学会・研究者と他の学会学術との横連携のキーワードを探すとしたら・・なんだろうか・・・と。

まずは、環境教育の研究者は、「何を教育目標としているのか」を考えたほうがいいと思う。 10数年くらい前に、日本環境教育フォーラムの人材育成カリキュラムづくりのミーティングでこのことだったか・・、このことが話題になったことがあった。 関係者がひとりずつ言語化したのだが、私が挙げた「めざす育むちから」教育目標は、

1.夢を描くチカラ

2.その夢実現にむけてあきらめないチカラ

3.続けてゆくと、何かを変えなければならないときにぶちあたる。その時に、自分を「変化変容させること」を恐れないチカラ

の三つをあげた。 これは、今もDSR(Doにか、Sする、Ryoku・チカラ)を育む活動理念として旧ねおす拠点では共通ごととして今も受け継がれています。これが、我々の活動・存在のアイデンティティであるわけです。学会学術言葉で、こんな語彙選択はないでしょうが、なんらかの共通教育目標を短い言葉で整理集約すべきではないでしょうかね。

自分のアイデンティティ(何を目指しているか)が確立できたいなければ、異なる他者とは繋がれない。 自己理解からの他者理解は、環境教育の姿勢態度の基本中の基本ですね。         

そして、私は、そのうえで、「いのち と何か」であろうと考えることが大切だと思う。 かなり観念的なテーゼであり、ビジネスのように実利的でなく、研究のように探求しても答えがみつからいかもしれないので、これを共通命題としても学術的な連携には結びつかないかなー。

私にとって、「いのち」とは・・、

「開放性システム」だと考えています。 そもそも「いのち」とは、他の異なる存在と結びつく、関係性をつくるシステムだと思っています。 それを説明するためによくするたとえ話に「肝臓」の話をします。 肝臓が不調な患者がいるとします。他者から健康な肝臓を移植すれば健康で助かるとします。 その時、健康な人から取り出した肝臓は「いのち」ですか? そう、それ単体では「いのち」ではありませんが、他の臓器とつながることによって生命が保たれるのです。身体の中には何十億、何兆という自分の意志ではコントロールできない微生物が存在しています。彼が体内に存在していないと人間の生命は保たれません。地球上のすべての生物も地球と宇宙の関係も同じです。何かと何か、異なる存在との関係性によって生かされているわけです。

この原理原則が分かれば、他の異なる存在と連携することは「生きる-暮らすこと」の必然なのです・・・、

環境教育学会は、社会学や心理学、哲学とも連携して欲しい。

なんか、命題からはずれた ひとりつぶやきになっちまったなあー。

 

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