2009.1.3(土)曇り
連日の雪がやっと止んだ。年末に買った柘植の苗木を植えられそうだ。先日吹雪の中を歩いているときにかみさんが「月山のようやなあ」と言ったので月山を訪れたときのことを思い出す。かみさんは月山には行ってないのできっと小説月山の情景を言ったのだろう。私が月山に登ったのは2006年9月5日のことである。吹雪ではなくて嵐だったが、何しろ自転車の装束で登っているので寒いことはこの上なかった。残雪があり、雪深さを思わせる。ガスの中の彷徨はいかにも精霊の山月山を思わせ、小説月山の風景と相まって思い出深い登山であった。当日のブログを読み返してみると、これが私が書いたのだろうかという名文である。(2006.9.5)
月山、ガスの中の道
旅というものはそれほどに人をピュアにさせるものだろうか。日常の中で旅の時ほど感動的になることはないし、それを表す文も書けない。その後、奥の細道の街道を辿り芭蕉が取り憑いたかと思うほど沢山の俳句を詠んだ。それは旅の終わりまで続き、定住すると同時に出来なくなってしまった。 正月と言えば箱根駅伝だそうだが、かつて見たことが無かったのだ。興味もなければ面白くもないからだ。ところが今年は昨日の往路に続き、復路もスタートからテレビにかじりついている。昨日の箱根山登りの接戦など興奮ものであった。なぜ、箱根駅伝を見るか?それは自転車旅で同じ道を走ったからと、母校明治が久々に大健闘しているためだ。ラグビーが大学選手権に出られなかっただけにこれは大金星になりそうだ。
「定住という名の旅」(2008.9.19)という一文を書いたが、やはり旅にはかなわない。芭蕉だって旅をすることによって多くの句が生まれたのではないか。往時の旅が現在とは比べものにならないほど苦難に満ち、生命の危険さえ充分にあったにもかかわらず、「そぞろ神の物につきて心くるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず」旅に出たのではないか。
温海山や吹浦かけて夕涼 はせを
自転車旅では保土ヶ谷から藤沢、湘南海岸、箱根湯本となつかしい道である。箱根の山は旧街道を登ったので駅伝とは違う道だが、車やバスでは何度も旅行している道だ。ガンバレ明治、ガンバレ選手達。
今日のじょん:じょん語録(31)お立ち台じょん 食事は台に食器を乗せて食べさせるとよいなんて書いてあったので、端材を置いたら、飛び乗ってしまった。(2008.7.7)
今では大きくなって乗ることは無いが、当時は笑ってしまった。